自由民主党幹事長

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自由民主党幹事長(じゆうみんしゅとうかんじちょう)は、自由民主党の役員職。党総裁を補佐し、党務を執行する役職である。

概説

自由民主党の党三役の一つであり、事実上党総裁に次ぐ党内ナンバー2の要職とされる。党最高責任者である党総裁は内閣総理大臣を兼務していることから(河野洋平と一時期の橋本龍太郎谷垣禎一を除く)、党務全般を幹事長が握っている。 但し、自民党の参議院議員団に関する党務については参議院幹事長が担当する。

任期は1年で再任の制限無し。任期途中で辞職した場合は新任者の任期は前任者の残任期間までである。総裁が新たに選任された場合は在任期間に関わらず、幹事長の任期は終了する。 幹事長は人事局、経理局、情報調査局、国際局などの党の組織を掌握している。また、幹事長は党の総合戦略調整機関である役員会に参加できる。なお、幹事長を補佐する役職として、幹事長代理、副幹事長が置かれる。

具体的には下記のようなものであるが、党として重要な任務が多いことから、自民党総裁候補者の登竜門的ポストとも位置付けられている。

選挙の指揮

幹事長の最大の仕事は選挙を指揮し、勝利する事である。幹事長は立候補者に対する公認権を持ち、さらに党財政も管理しているため、公認と資金両面から党内において絶大な発言力を握る事になる。特に衆院選では小選挙区制が導入され、公認漏れ候補が非公認で立候補して当選することが以前の中選挙区制に比べて格段に難しくなったことにより、従来から大きかった幹事長の影響力がさらに増加したとされる。

ただ、2007年9月24日に総裁に就任した福田康夫は選挙対策を重視し、総裁直属の選挙対策委員会を設置した。その委員長を党三役と同格として党四役とし、総裁が指名するとした(旧総務局長や選挙対策総局長は幹事長に指名権があった)ことから、本来幹事長が独占してきた選挙指揮を選挙対策委員長が担うこととなった。

だが、2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙で自民党は大敗、政権交代となり、その後、総裁となった谷垣禎一の方針により、9月29日選挙対策委員会は選挙対策局に変更、格下げとなり、再び幹事長が選挙指揮を担うこととなった。

国会運営、法案審議

選挙以外にも議院運営委員会国会対策委員会などを通じて、国会運営、法案審議の指揮を行う。具体的には野党との各種交渉の指揮を行う他、連立政権を組んでいる場合、連立を組んでいる政党との窓口も幹事長が担当する。よって、幹事長は他党との政策、国会運営の責任者でもあるので、間接的に政策の企画立案にも関与することとなる。

これらに失敗すると、内閣、与党が政治運営で危機に陥ることから選挙の指揮に次ぐ重要な役割と言える。

党務

幹事長は党務全般を管理している。そのため、自民党の財政、人事についても大きな権限を握っている。党則上は副幹事長(幹事長代理も含む)、幹事長の下に置かれる各局の局長・次長、国会対策委員長の決定権を持つ。とは言え実際には党内の役職だけでなく、間接的に閣僚や国会の委員長ポスト、上級官僚の人事にも関与できる。 その一方で細川政権以降、銀行団からの党の借金の連帯保証人も担っている。 また、前述のように自民党のナンバー2であるので政党としての意見を発表するスポークスマンとしての役割もあり、定例記者会見を行うほか、テレビ等で党首級の政治家を集めて討論を行う際も、他の野党は党首が出るにも拘らず、自民党は幹事長が出演することが多い(近年は政調会長が出演することもある)。よって、国民向けにマスコミに頻繁に露出するポストとも言える。

歴代の自由民主党幹事長

氏名 総裁 在任期間 所属派閥 総裁派閥
1 岸信介 鳩山一郎 1955年11月-1956年12月 岸派
2 三木武夫 石橋湛山・岸信介 1956年12月-1957年7月 三木・松村派 石橋派・岸派
3 川島正次郎 岸信介 1957年7月-1959年1月 岸派 岸派
4 福田赳夫 岸信介 1959年1月-1959年6月 岸派 岸派
5 川島正次郎 岸信介 1959年6月-1960年7月 岸派 岸派
6 益谷秀次 池田勇人 1960年7月-1961年7月 池田派 池田派
7 前尾繁三郎 池田勇人 1961年7月-1964年7月 池田派 池田派
8 三木武夫 池田勇人・佐藤栄作 1964年7月-1965年12月 三木・松村派 池田派・佐藤派
9 田中角栄 佐藤栄作 1965年6月-1966年12月 佐藤派 佐藤派
10 福田赳夫 佐藤栄作 1966年12月-1968年11月 福田派 佐藤派
11 田中角栄 佐藤栄作 1968年11月-1971年6月 佐藤派 佐藤派
12 保利茂 佐藤栄作 1971年6月-1972年7月 佐藤派 佐藤派
13 橋本登美三郎 田中角栄 1972年7月-1974年11月 田中派 田中派
14 二階堂進 田中角栄 1974年11月-1974年12月 田中派 田中派
15 中曽根康弘 三木武夫 1974年12月-1976年9月 中曽根派 三木派
16 内田常雄 三木武夫 1976年9月-1976年12月 大平派 三木派
17 大平正芳 福田赳夫 1976年12月-1978年12月 大平派 福田派
18 斎藤邦吉 大平正芳 1978年12月-1979年11月 大平派 大平派
19 櫻内義雄 大平正芳・鈴木善幸 1979年11月-1981年11月 中曽根派 大平派・鈴木派
20 二階堂進 鈴木善幸・中曽根康弘 1981年11月-1983年12月 田中派 鈴木派・中曽根派
21 田中六助 中曽根康弘 1983年12月-1984年10月 鈴木派 中曽根派
22 金丸信 中曽根康弘 1984年10月-1986年7月 田中派 中曽根派
23 竹下登 中曽根康弘 1986年7月-1987年10月 田中派-竹下派 中曽根派
24 安倍晋太郎 竹下登 1987年10月-1989年6月 安倍派 竹下派
25 橋本龍太郎 宇野宗佑 1989年6月-1989年8月 竹下派 中曽根派
26 小沢一郎 海部俊樹 1989年8月-1991年4月 竹下派 河本派
27 小渕恵三 海部俊樹 1991年4月-1991年10月 竹下派 河本派
28 綿貫民輔 宮澤喜一 1991年10月-1992年12月 竹下派 宮澤派
29 梶山静六 宮澤喜一 1992年12月-1993年7月 小渕派 宮澤派
30 森喜朗 河野洋平 1993年7月-1995年8月 三塚派 宮澤派
31 三塚博 河野洋平 1995年8月-1995年10月 三塚派 宮澤派
32 加藤紘一 橋本龍太郎 1995年10月-1998年7月 宮澤派 小渕派
33 森喜朗 小渕恵三 1998年7月-2000年4月 三塚派-森派 小渕派
34 野中広務 森喜朗 2000年4月-2000年12月 小渕派-橋本派 森派
35 古賀誠 森喜朗 2000年12月-2001年4月 加藤派堀内派 森派
36 山崎拓 小泉純一郎 2001年4月-2003年9月 山崎派 森派
37 安倍晋三 小泉純一郎 2003年9月-2004年9月 森派 森派
38 武部勤 小泉純一郎 2004年9月-2006年9月 山崎派 森派
39 中川秀直 安倍晋三 2006年9月-2007年8月 森派-町村派 町村派
40 麻生太郎 安倍晋三 2007年8月-2007年9月 麻生派 町村派
41 伊吹文明 福田康夫 2007年9月-2008年8月 伊吹派 町村派
42 麻生太郎 福田康夫 2008年8月-2008年9月 麻生派 町村派
43 細田博之 麻生太郎 2008年9月-2009年9月 町村派 麻生派
44 大島理森 谷垣禎一 2009年9月- 高村派 古賀派

※…形式上な派閥解消または派閥離脱は実質的な所属派閥を記載。
太字は後に首相になった人物

総幹分離

党務を仕切る幹事長は総裁の派閥とは異なる派閥から選任して、党内の派閥の調整を図る原則であり、1979年以降24年にわたり踏襲された。

1974年に椎名悦三郎椎名裁定によって三木総裁を選出する際の条件として総幹分離が打ち出され、三木総裁は任期中他派閥から幹事長を指名した。また次の福田総裁は当初「大福連合」に政権の基盤を置いていたこともあり総幹分離を踏襲し、大平正芳を幹事長に起用した。福田に反旗を翻して総裁の地位を奪った大平は自派の斎藤邦吉を幹事長に起用したが、総選挙大敗の責任をとり、反主流派である中曽根派の桜内義雄と交代した。40日抗争ハプニング解散の激しい党内抗争の中で、桜内幹事長が主流派・反主流派の掛け橋として抗争抑制に動いたことにより、総幹分離が政権安定に寄与するとみなされ、以降、総幹分離の原則が定着する。定着の理由には田中派が田中角栄の首相復職のために自派閥議員を総裁にしない一方で、強力な影響力を有していたために幹事長ポストを占めつづけていったことも挙げられる。

しかし、近年派閥の影響力が低下したため、総裁派閥からの起用のデメリットや抵抗が少なくなり、選挙の顔という理由もあって小泉総裁により24年ぶりに出身派閥の安倍晋三が幹事長に起用された。その後、安倍総裁により出身派閥の中川秀直が幹事長に起用されている。

幹事長を総裁派閥以外から起用した場合、幹事長代理は総裁派閥から選任する慣例となっている。

記録

  • 最年長在任記録 75歳2ヶ月 - 野中広務
  • 最年少就任記録 47歳 - 田中角榮、小沢一郎
  • 就任時最多当選回数記録 12回 - 桜内義雄、二階堂進
  • 最少当選回数記録 3回 - 岸信介、安倍晋三

関連書籍

  • 浅川博忠『自民党幹事長というお仕事』 (亜紀書房、2002年)
  • 奥島貞雄『自民党幹事長室の30年』 (中央公論新社、2002年)

関連項目