遠藤要
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遠藤 要(えんどう かなめ、1915年10月31日 - )は、日本の政治家。
参議院議員(4期)。法務大臣(第3次中曽根内閣)、自由民主党参議院議員総会長を歴任。
概要
1947年(昭和22年)、 宮城県議会議員選挙に立候補し初当選(以後、当選回数7回)。
1971年(昭和46年)、 宮城県議会議長に選出される。
1974年(昭和49年)7月7日、 第10回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し初当選(以後、当選回数4回)。自民党では、田中派、竹下派(経世会)を経て、小渕派(平成研究会)に所属する。
1986年(昭和61年)7月22日、 第3次中曽根内閣の法務大臣に就任。しかしながら、同月6日の第14回参議院議員通常選挙(衆参同日選挙)で運動員の中から大量の選挙違反を出していたため、法相就任が適切か問題になった。
1995年(平成7年)から1996年(平成8年)にかけて自民党参議院議員総会長を務めるなど参議院竹下派(参経会)の実力者であった。
1998年(平成10年)7月12日、 第18回参議院議員通常選挙で落選し、政界引退。
最後の「帝銀事件死刑確定者の執行権限者」
刑事事件で死刑が確定した場合、死刑囚の命は法務大臣が握っている。遠藤要法相は、1955年に死刑が確定した帝銀事件の平沢貞通に対して死刑執行権限を行使しなかった最後の法務大臣となった。彼の在任中、平沢貞通が老衰で死亡したためである。
官職 | ||
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先代: | 法務大臣 第45代:1986年 - 1987年
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次代: |
党職 | ||
先代: | 自由民主党参議院議員総会長 第19代 : 1995年 - 1996年
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次代: |