平良文
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平 良文(たいら の よしふみ、仁和2年3月18日(886年4月29日) - 天暦6年12月18日(953年1月11日))は、平安時代中期の武将。父は平高望。生母は高望の側室である藤原範世(異説として藤原師世)の娘。通称は村岡五郎。坂東八平氏の実質的な祖と云われている。
父・平高望東国下向の際、正室の子である国香、良兼、良持は従ったが、側室の子である良文は従わず後に武蔵国熊谷に下る。他に下総国結城郡村岡を領し、千葉県東庄町、小見川町、神奈川県藤沢市村岡にも居館があったとされる。承平天慶の乱の際の動向は不明であるが、『源平闘諍録』では兄たちと対立した甥・将門の養子となっていたと記している。勇将であったとされ、『今昔物語』に収められた源宛(箕田宛)との一騎討ちの説話でも知られる。