渡邉恒雄 (アンサイクロペディア)

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渡邉恒雄町内会長

渡邉 恒雄(わたなべつねお、1926年5月30日 - )は、日本の政治ブローカーであり、朝日新聞四コマ漫画での町内会長である。が、その真の姿は「ワンマンマン」とも言われる。大正義巨人軍超監督NPB超コミッショナーでもある。「独裁者」の異名を持つ。特定秘密保護を審査する情報保全諮問会議の座長を務める。

概要[編集]

日本の梱包材トップメーカーである読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆(梱包材チーフデザイナー)や、その子会社の傭兵部隊大正義巨人軍総司令官などの肩書きを持っている。内閣記者会のボスとして君臨しており、自民党民主党とほぼ全ての報道機関を自由に操れるため事実上やりたい放題。最近では特別捜査部を使ってムカつくワカゾー刑務所にやっとブチ込んだ。

CIA工作員としての一面も持ち、読売新聞を通じて、ワシントンの意向を日本国民に宣伝している。というか勘違いしてる人がいると思うが、この人は野球界の住人ではなくあくまで永田町の住人である。

最終学歴は東京大学文学部卒業。同大学院中退。学位は文学士。そのため大卒は好むが院卒は好まないという噂もある。

ブーメラン投げの迷人で、投げたブーメランはかなりの精度で本人に戻ってくるが、キャッチできないためそのまま脳天に突き刺さる。

政治思想[編集]

よく知られている事実が、元日本共産党員であり元共産主義者であったことである。その彼がなぜ今日のような資本主義のもっとも熱心な擁護者となったかについては諸説あるが、代表的なものでは「の啓示を聞いた」「スティールハートの音楽に魅せられた」「実はただのファッションパンクであり、おとなになったので『もう俺もバカやってる年じゃねーし』」などがある。

しかし、共産主義的な片鱗は今も残っている。かつて試験に落ちた中央公論を危機に乗じて買収したが、これはスターリン的意趣返しという向きも多い。また最近では、朝日新聞論説主幹の若宮啓文と対談を行い、小泉純一郎靖国神社参拝を批判するなど、特定アジアを重視する様になった。

大勲位・中曽根康弘とはマブ友達であり、髪型も薄めにそろえているが、ロナルド・レーガンより序列は下である。他にも、自民党を表の上で統治している池田大作とも深い仲だったそうだ(『世直し」の真実』、野田峯雄)。が、現在は微妙という説も。

親米保守派であり、CIAの工作員として、ワシントンの意向に忠実である。2009年には、ワシントンの意向を伝えるため、鳩ぽっぽ野球観戦をして、普天間問題の辺野古移転での決着を求めた。

また、「読売新聞」を使い、たまに政治ネタを自ら書いている。ネタに困ったマスコミがたまにこの紙切れを引用する事があり、そのために現実の政治がしばしば混乱するという問題が発生している。まあでも新聞じゃなくて梱包材だから。どうせ政治面は永田町の住民以外は読まないし。

2007年には当時の与野党のトップであるフフンカクエイメイデンを唆し、自民・民主の大連立を成立させて、自らはそれを裏から操ろうと目論んだが、他の国会議員の抵抗に遭い失敗した。

2018年には死亡説が囁かれたが、彼は今も元気である。

なお、ロシアから何故か出禁を食らっている。

人物[編集]

読売のドン[編集]

日本プロ野球界を、大正義巨人軍のものにするため、自分の金を惜しげもなく注ぎ込んでいる。読売ジャイアンツを「邉恒ジャイアンツ」と正式に改称する予定である。本人は、孫ホークス三木谷イーグルスがあるのに、ジャイアンツはいまだに企業名を冠していることを、時代遅れだと思っている。サッカー界でもこの手法を取ろうとしたがあえなく失敗した。無論、このサッカー界掌握失敗により、Jリーグを守り抜いた頑固親父を心の底から憎んでいる。

ワンマンマン[編集]

ワンマンマンとは、渡邉恒雄の夜の顔である。の延べ棒を光にかざして変身する。困っている人の元に駆けつけ、金で事件を解決する。空を飛ぶときは空に向けて人差し指を回転させ、タケコプターのようにして空を飛ぶ。

たかが選手発言[編集]

2004年、当時のプロ野球選手会会長古田敦也が、日本プロ野球の運営について話し合いたいと申し出たことに対して、マスコミに煽られまくったワンマンナベツネは「無礼なことを言うな。分をわきまえなきゃいかんよ、たかが選手が」と発言した。この発言によりプロ野球一リーグ制の野望が打ち砕かれたとか何とか。

なお、この事件の約半年後には裏金が世間にバレたのでナベツネは読売を追い出された。……が一年後にはちゃっかり戻ってきている。

エピソード[編集]

プレーオフ導入[編集]

2000年代半ばの読売ジャイアンツの成績の悪さに業を煮やしたナベツネは、ジャイアンツが2位・3位でも日本シリーズに出られるようにと、既にパシフィック・リーグで導入されていたプレーオフ制度をセントラル・リーグでも導入しようと目論み、自分達の都合の良い様にクライマックスシリーズに改革(1位チームに対しての1勝のアドバンテージ消滅。後に復活)して2007年より導入した。

しかし導入したとたんにジャイアンツの戦力が整ってしまい、2007年にジャイアンツがまさかのリーグ優勝をしてしまうが、クライマックスシリーズ2ndステージで中日ドラゴンズに1勝も出来ずに3タテを喰らって敗退する。結局ジャイアンツはリーグ制覇はしたものの日本シリーズには出られず、ナベツネの目論みは完全に裏目に出た。その夜、ナベツネは一人部屋の隅で泣き続けた。

それ以降、2008年、2009年もジャイアンツはリーグ優勝し3連覇。今のところ(ナベツネにとって)プレーオフを導入した意味はあまりない。というかプレーオフに出てくるチームって毎回同じ面子じゃん。

2014年もリーグ優勝をしたものの、クライマックスシリーズ2ndステージで3タテで敗退。もっともこのときはジャイアンツは奇跡的に優勝できたものの、満身創痍だったから・・・いやそういうことにしてあげないとまた一人部屋の隅で泣き続けるじゃないですか。

その後、2019年から2年連続で日本シリーズにて福岡ソフトバンクホークスにストレート負けという大惨敗を喫したがあまりに見事な負けっぷりに笑っていたという。

カラス撃退失敗[編集]

自宅を襲ってきたカラスを撃退するため電動ガンを持ってきて(なんで持ってるんだよそんなの)応戦しようとしたところ、滑って怪我をしたという逸話がある。その後野鳥団体にキレられて除名されたらしい。

2011年、久々の燃料投下[編集]

2011年3月に発生した東日本大震災におびえる国民をよそに、彼はまたもや、やってくれた。この時、2011年のプロ野球を予定通り開幕させるかどうかが焦点になっていたが、超都合いいように解釈すれば、「大量消費によって経済が潤い、やがて東北地方に波及する。予定通りにプロ野球を行おうね。」と言えばいいものを「何もしたくなければ勝手にしろ!」と一蹴。これには、さすが独裁者も節電を唱える東電と政府と民衆から「いい加減にしろ」と不買運動にもつれあがった。しかし、結果的に希望は叶わず開幕は遅れることとなり彼は暴れまくり、部下が数人がかりで何とか抑え付けていたという。

なお、2020年は世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で開幕が大幅に遅れる事態となった。一部野球ファンの間からは2011年の開幕前のように3月開幕をゴリ押しする暴言を期待する声も上がったが特に目立ったコメントは残していない。

清武英利の乱(ナベ清戦争)[編集]

2011年11月11日、当時ジャイアンツの球団代表兼ゼネラルマネジャーだった清武英利が会見を開き、コーチ人事について突如彼を告発した。流石にキレた彼は一週間後に清武をクビにし、更に1億円の損害賠償を求めて清武を提訴、金の力で10人もの高級弁護団を結成し読売グループ全体で本気で清武を叩き潰しに来た。

しかしこれに屈しなかった清武は、彼を逆提訴し記者会見を行ったのだが、イチローヤンキース移籍とタイミングが重なってしまったことにより誰も気にしない状態になってしまった。

関連項目[編集]

Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「渡邉恒雄」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。