中山孝太郎
中山 孝太郎(なかやま こうたろう、1949年 - )は、日本の小説家である。
経歴
生い立ち
生まれ広島[1]。育ち各都府県[2]。広島県立広島国泰寺高等学校[3]、法政大学文学部[4]、東京建築専門学校[5]、文学士。 防衛省特別職国家公務員[6]の退職後は少し職を点々と確かめたが、詰まる所、物書きになっている[7]。「広島西飛行場存続の危機脱出変遷史」96年12月16日発行。広島市教育委員会から教育用として採用を頂いて県と市へ謹呈している。一部書店で売り上げ上位になった。[8]。
小学時代から随筆らしきモノを書いていたという。その頃から物書きの片鱗を見せているが、父親との折り合いが悪く、度重なる今でいう(DV)ドメスティックバイオレンスの暴言または冷笑で打ちのめされ、めげていたという。あの当時は親に対して歯向かうことが出来ず呪縛されたかのようになり、貝になっていたという。諸々頭には、傷が残り後遺症となっているという。また何かにつけて肝心な事は教えてはくれなく、冷遇されていたという。父親は世間的には外面が良くて内面が悪かったという。長男だが、きょうだいは姉と妹がいる。どちらも頭は普通で本人よりは大したことはなかったという。しかし、父親は女どもをかわいがっていたという。従って、姉妹の仲は親父の意向があって、たえず姉と妹がつるんでいて本人を遠ざけていたという。子どもの頃はラジオなどの機械いじりが好きで、これにも精を出していて、その中学時代の頃将棋も指していたという。仲間うちの連中のなかでは結構イケたという。幼少期からハングリー精神が旺盛で将来は建築家になるか小説家になるかが夢であった。かねての夢は苦労が実り、念願が叶っているが、今まであまりスッキリとはしていなかったという。その理由はこれまでにうだつが上がってはいないからだという。しかし、本人は少年時代から色んな事に飛んでいて夢があった様だ。うだつが上がっていないは少し疑問である。後年の小説はこれまでになかったモノ、バーチャルの世界と現世とが融合しており、他人とは違う世界が見えている小説が主。現実と妄想の境界が入り乱れ、引き込まれる。因って読み手の頭が混乱する。小さい頃実家は富裕な時もあったが、極貧の生活で青息吐息だったともいう。この時期に早くも現実は学歴社会ではないと思ったという。それは亡き田中角栄元首相が活躍されている後姿を見て後にも先にもいないほど師と仰いでいたので実務家が強い・・・だが、すぐに一転してこの社会で上に這い上がるには学歴が無くて頭が良いだけでは難しいと悟る。しかし、学歴は本来、邪道であるという持論は持っている。本来は学力であるという。しかし、この社会は学歴と学閥が幅を利かせているという。今頃は父親に打ちのめされた事に対する反面教師として子ども達には和やかに接することに注力している。まだ亡き父とのしがらみがあるが、何事もなかったように、それ以降現在も物書きの筆が動く限り描いている。高齢者になった現在でも今から巻き返すという。元来負けず嫌いで初志貫徹という性格だというが、ダメだと決断したら、いさぎよく手を引くのが早いという。だが、その反面如才ないところもある様だ。また、あえてこの男は苦難の道に入り込む独特な性格の持ち主でもあろう。
過ぎ去った昔、幾多の困難があったという。そんな中、短編、中篇の純文学小説を書き続け、数多くの作品がたまるが、中々日の目を見なかったが、1998年、人間の煩悩や心の葛藤を描きぬいた僅か「1センチ4ミリ」を争う世界の作品が、やっと芽生えたという。
98年、第68回コスモス文学新人賞(長崎市のコスモス文学の会主催)の小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。[9]
作品について
この作者は、ここまでも書くのかという感じで「藪を這う」なんかはまるで映画を観ているようで、少し気が違う面には動揺するが、中々面白くて近頃は珍しい。「藪を這う」と「争点」は映画にしたらどうかと思うが、ここに掲載されている代表作品をクリックされて、一読されたら良いでしょう。小生は他の作品があれば読んでみたい。色々な経験が小説に生きているのだろう。期待している。
小説作法留意点
初期の小説は一つひとつの文字を書く筆に苦痛を感じながら、それなりのモチベーションで書きあげ、同人会で発表するが中々馴染めない面があった。この時期にある程度の量を書き上げていたという。だが、自暴自棄になっていた。因ってかなりのブランクが発生し、まだ初期の段階で、もう筆を折ろうかと思っていたという。しかし、周りの連中から、これからが良くなると言われ、思いとどまった。自称の作家が言ったという。「俺は国立大学で同人に入っていて100枚以上の小説を100作以上書いている。お前の小説は小学生以下の作文だ。読んだが、吐き気がした。小説の体(てい)を知らないのだろう。勿体ないが、俺の1作だけを参考に見せてやる」理不尽で失礼千万だ。小説の体を言う前に手前はどうか、支離滅裂な説教でうんざりとしたという。こいつは小説の書き方が一つしか無いのだと確信していた様だという。小説の中にも絵などが入っているのもあるし、文章間に詳しい説明の文章が入っているのも沢山あるようだ。こいつは本を読んでいないのだろうかと思ったという。1人称(私小説)や3人称の書き方もあれば、まだ書き方は沢山ある。箇条書きもある。つまり何でも良いという。主題やテーマがハッキリとしていて、それに沿って書き上げていれば問題はないようだ。水の如くいっきに流れるように書いてあるのもある。途中でいきなり回想しているのもあるという。彼は誹謗中傷侮辱されたという。しかし、批判は批判として真摯(しんし)に受けとめる。こいう意見もあるのだと感じたという。彼はいろんな作家の小説を読んでいて、どの小説のテーマもまちまちで、出現の仕方も違うという。もちろん文体も違うだろう。かなり自由に書いていて、これらはすべて「小説の体」を成しているという点では共通しているのであろう。もちろんテーマがあってストーリーがあって描写があるのだ。新人文学賞を目指す小説家の卵は「応募作はほぼ小説の体をなしていない作品が多いので落とされる」というが、数ページ読んで直ぐ小説の主題やテーマがわかるはずはないので、そういうことではないという。小説家の卵さんが想定しているような主題や比喩(ひゆ)の的確さ、文体の精巧さといった細かい技巧ではないという。問題があるのは、もっと基礎的なこと、明らかな文法ミスがあるだとか、表現があまりにも稚拙(ちせつ)だとか、改行や句読点といった書面上の規則を守らないといったことであるのだろうという。こうでなければいけないという厳密な「体」なるルールがあるわけではないともいう。そもそも「小説の成立条件は何か」という問いそのものが文学の範疇(はんちゅう)なのである。下読みで「小説の体」がどうこう言う人がいるとしたら、はなはだ滑稽な状況であるという。その下読みの人は表現が不適切であろう。あくまでも「コイツはおおまかに、もう見込みがないな」と判断して読むのをやめてしまう状況を婉曲的(えんきょくてき)に言っているにすぎないという。主題やテーマがハッキリしない。何が書きたいのかも分からなければ問題である。支離滅裂になってはもちろん良くないという。質はもちろん大事で、数を書いて会得していくことも大事なのであろう。書き続けることで、なんだ、こんなことで悩んでいたのかはままあるという。因って小説の体をなしていないとは、そもそも文章自体に乱れ、稚拙で支離滅裂などで破綻(はたん)していることであるという。
賞歴の流れ
1996年12月に以前書いた100枚超え論文を基に「広島西飛行場存続の危機脱出変遷史」を発行。広島市教育委員会から教育用として採用され、県と市へ謹呈をした。1998年、第68回コスモス文学新人賞(長崎市のコスモス文学の会主催)小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。1999年9月文藝春秋の雑誌に第2回草枕文学賞の中間発表があり、名前が載った。全国各地及び海外から総数769編の応募があって、80編が予選を通過した。文学賞の最終選考には残ったが、賞は貰えなかった。草枕文学賞を受賞すると、その作品は文学界の雑誌に掲載される。そして必然的に芥川賞にノミネートされるのだが残念だったでしょう。その小説は「藪を這う」であった。後に関西文學に掲載された。小説は「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。1999年4月号の小説現代に新人賞の予選発表があった。応募総数1615編で予選通過者数は114名。これに名前が載った。その作品は改稿後「争点」で安藝文學に掲載された。その後、「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。作家の五木寛之先生は1966年に「さらばモスクワ愚連隊」で、この小説現代新人賞を受賞された。翌年67年に直木賞受賞。2012年7月安藝文學に小説「気になる紐と首」が掲載された。 現在は「国立国会図書館」に所蔵されている。2003年6月新風舎出版賞第20回、小説「未発表作品」で出版奨励賞受賞。「現れた情景」まとりた賞や「魚うお」ぶんりき賞は、小説が雑誌に掲載された。その他諸々予選は通過。なお最近の賞歴は整理していないためここには載せていない。
著作
- コラム
- 「予算消化工事税金無駄遣い」93.2.25中国新聞
- 「選挙の資金は国民が出資を」93.3.4 中国新聞
- 「証人喚問制度もっと厳正に」93.3.16中国新聞
- 「広島らしさを物産館に望む」96.10.6中国新聞
- 「専門学校設け広大跡地活用」96.10.20中国新聞
- 「コミューター航空の発展を願う」96.11.10文化評論
- 「新空港へのアクセスを考える」96.11.10文化評論
- 「新幹線のスピードアップは大丈夫か」96.11.15文化評論
- 「小企業の支援に商工会議所充実を」96.11.16中国新聞
- 「地域振興にヘリポートの設置」96.11.25文化評論
- 「予算配分の地域差別発言に思う」96.11.30文化評論
- 「予算ムダ遣いの悪弊」96.12.18文化評論
- 「運転中の通話について」96.12.19中国新聞
- 「平成9年度予算編成に思う」96.12.21文化評論
- 「広島の特色ある地方分権」96.12.22文化評論
- 「行政のたらい回しをやめて」97.1.19文化評論
- 「政治や経済の勉強」97.1.30朝日新聞
- 「『毛利元就』もっと方言を望む」97.2.13読売新聞
- 「真の『上得意様』へのサービス」97.2.14毎日新聞
- 「W杯招致運動もうやめよう」97.2.18中国新聞
- 「消費税アップに一考を」97.2.25文化評論
- 「郵便局はより高いサービスを」97.3.4文化評論
- 「『一人くらい』を返上し投票を」97.3.25中国新聞
- 「バブル再燃を許さない景気対策」97.4.1文化評論
- 「表現の自由は民主主義の根本」97.4.7文化評論
- 「県民を無視した推薦依頼」97.11.26文化評論
- 「商工会議所の無風選挙に思う」97.11.26文化評論
- 「トンネル内の照明を整備せよ」97.12.18産経新聞
- 「ポケモンの被害」97.12.26文化評論
- 「納得できない可部線の廃止」98.4.19中国新聞
- 「南道路県と市協調を」04.6.19中国新聞
- など
- 随筆
- 「粗大ゴミの家出」95.12.25文化評論
- 「便利なモノにも落とし穴」97.1.19文化評論
- 「私の健康法」97.1.27中建日報
- 「真実」97.5.5文化評論
- 「山間部でのホットする光景」97.10.10文化評論
- 「カメラ好きウイルス」99.7.29文化評論
- 「ナンセンスな便通」99.7.30文化評論
- 「地球は生命体」97.3.27川柳ひろしま
- 「さばを読む」97.4.5川柳ひろしま
- など
- 川柳
- 「ガラス細工」00.4.1葉文館出版
- など
- ノンフイクション
- 「広島西飛行場存続の変遷史」96.12.16東洋図書出版
- 「広島のデルタを歩くリベラリスト」99.9.9文化評論
- など
- 小説
- 「三角関係」97.11.1ビジネスセミナー
- 「魚(うお)」98.9.1採図社
- 「藪を這う」00.2.1関西文學
- 「脳裏を刳る映像(1)」00.1.1ウエノ書房
- 「藪を這う」00.2.1関西文學
- 「現れた情景」00.4.1同文書院
- 「脳裏を刳る映像(2)」01.1.31地図読み人
- 「気に為る紐と首」12.7.10安藝文學
- 「争点」15.8.10安藝文學
- など
- その他寝かせている小説などがある。推敲校正が必要で、今はゴロゴロとしているので未発表作品であるという。そのためここには掲載していない。
代表作品
所属団体
日本文藝家協会会員[10]、日本ペンクラブ会員[11]、安藝文學同人[12]
ワークについて
ひたすらに生活の事を考えて行動しているのだ。ワークのあらゆることについて、基本はノンフィクションだが、思うようにはいかないであろう。これが人生であろうか。だが最後まで諦めてはいけない。自分で己の運命を切り開こう。為せば成る。為さねば成らぬ。辛いことが多いと思う。それを乗り越えたら楽がある。まさに天と地は本人の仕切り方に因って、違ってくるのである。些細な事でも、その都度運命は変わっているはずだ。今日の予定は、まず計画をしっかり立てたものを、成る様に実行に移し、地道に努力する。成るまで頑張れ、「ピンチはチャンス」は何度もないはずだ。彼はとにかく行動しないことには話にはならない。
作品の感想
「争点」 某氏
思わせぶりで、深刻な出だしで始まるこの小説に、何事を作者は語りだすのだろうかと一気に話に引き込まれた。誰にでもその深刻さの度合は違ってもおこりうる間違いが、その人の人生の全てを左右してしまうという話は興味深い。作者が“点”という言葉に主人公の仕事と重ね合わせてこだわりをみせる所が面白い。特に点滴の“点”という字を見て脳裏から取れなかったと言うエピソードはなる程と思う。最後は、主人公の長年の秘密(悩み)がとけるわけだが、問題の土地を前にして主人公がへたり込み、全身の力が抜けるシーンで“一点の世界の大地から、いままで私が注ぎ込んだ活力よりも遥かなエネルギーの源が加えられた気がした”というくだりは、この小説の主題をよく表わした秀逸の文章だと思う。
「藪を這う」 某氏
主人公である“滝沢”は、もはや生きている、というだけで、わずかばかりに残された気力は、生存するためにだけ使われる。歓楽街に出て残飯をあさる。山の麓の小屋に住み、蛇をとる。言葉も忘れ、ただ生きているだけの主人公の滝沢は、かつて世話をしてやった黒川に出会い、彼の恩を忘れない男気によって社会復帰への道が開かれるが、それすらも、滝沢にとっては、わずらわしいものでしかなかった。彼はもう、なにもいらないのだ。そんな滝沢が唯一、心を動かしたのが、生きていくためではない、それ以外の行動を起こさせたのが、車から優しく手を振った女性の存在であった。滝沢は、彼女を探した。もう一度、彼女に会いたいと思った。幾度も探したが分からない、仕方がない彼はもう諦めて小屋に戻り、過去の女性のことを目を閉じて回想していた。ふと周りのざわめきで目が開いた。辺りは蛇の群れが沸き上がり一面湖のようだ。その中には見たことのある彼女がいた。彼は優しくその彼女に包まれ、安らかな眠りに就いた。最後はこの小説の主題をよく表わしているが、悲しい話であった。
脚注
- ↑ [1]生まれ広島
- ↑ [2]育ち各都府県(広島県、東京都、京都府)
- ↑ [3]広島県立広島国泰寺高等学校
- ↑ [4]法政大学文学部、純文学
- ↑ [5]東京建築専門学校、後に一級建築士となる
- ↑ [6]防衛省特別職国家公務員
- ↑ [7]詰まる所、物書きになっている
- ↑ [8]広島市教育委員会から教育用として採用を頂いて、県と市へ謹呈している、一部書店で売り上げ上位になった
- ↑ [9]1998年、第68回コスモス文学新人賞、小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞している。
- ↑ [10]日本文藝家協会会員
- ↑ [11]日本ペンクラブ会員
- ↑ [12]安藝文學同人