森野 (町田市)
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森野(もりの)は、東京都町田市の町名。現行行政地名は森野一丁目から六丁目。一丁目〜五丁目までは住居表示区域、六丁目は地番区域である。人口は12,978人(住民基本台帳 2015年4月1日現在[1])。
地理
町田市中部に位置する。東は原町田、中町、西は木曽東、南は神奈川県相模原市南区上鶴間本町、鵜野森、古淵、北は旭町と接している。
河川
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、森野4-14-17の地点で20万3000円/m2となっている。[2]
歴史
江戸時代は地頭旗本須藤氏の知行地であったと考えられる。絶えず知行地の入れ替わる地頭旗本の中で、江戸時代を通して森野村を知行地とした須藤氏は稀有な存在だという[3]。現在は大部分が住宅地となっている。2012年7月に森野二丁目、町田市民ホールの西側に町田市役所の新庁舎が完成した。
地名の由来
かつては「森村」と書いて「もりのむら」と読んだが、江戸時代頃から「野」の字を入れて「森野村」と称するようになった[4]。或いは、かつては「森村」と称したが、本町田・原町田・木曽・森、4村の間の入会の草刈場・相之原のうち、森村に近い所を森野と称するようになったからともいう[5]。
沿革
- 1873年(明治6年)5月1日 区番組制により第八区二番組となる。
- 1874年(明治7年)6月15日 大区小区制により、第八大区三小区となる。
- 1878年(明治11年)7月22日 郡区町村制施行。神奈川県南多摩郡森野村となる。
- 1884年(明治17年)7月5日 連合戸長役場制により、森野村、原町田村、本町田村、南大谷村、金井村が5ヶ村連合となる。連合戸長役場は原町田村に置かれる。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行。森野村と原町田村・本町田村・南大谷村が合併し、南多摩郡町田村大字森野となる。
- 1893年(明治26年)4月1日 神奈川県のうち、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡を東京府に移管。東京府南多摩郡町田村大字森野となる。
- 1913年(大正2年)4月1日 町田村が町制施行し町田町となる。
- 1938年(昭和13年)7月1日 東京都制により、東京都南多摩郡町田町大字森野となる。
- 1954年(昭和29年)4月1日 町田町と南村が対等合併する。
- 1958年(昭和33年)2月1日 町田町、忠生村、鶴川村、堺村の1町3村が対等合併し、市制施行。町田市森野となる。
- 1964年(昭和39年)6月1日 森野、原町田、南大谷、金森、高ヶ坂のそれぞれ一部で住居表示を実施、原町田一~六丁目を新設。
- 1965年(昭和40年)7月1日 森野の一部で住居表示を実施、森野一〜二丁目を新設。
- 1966年(昭和41年)7月1日 森野の一部より森野三〜六丁目を新設。
- 三~五丁目は住居表示区域、六丁目は地番区域。
- 2007年(平成19年)12月1日 木曽町の一部を森野四、六丁目に編入。
交通
鉄道
路線バス
道路・橋梁
- 東京都道47号八王子町田線(旧町田街道・栄通り)
- 神奈川県道・東京都道52号相模原町田線(鎌倉街道)
- 住吉橋
- 森野橋
- 町田駅前通り
- 森野中町大通り
施設
- 町田市民ホール
- ホテルリソル町田
- ホテル町田ヴィラ
- 警視庁町田警察署森野交番
- 町田森野郵便局
- 妙延寺
出典
- ↑ 町丁別世帯数・人口表|町田市
- ↑ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ↑ 町田の歴史をさぐる編修委員会『町田の歴史をさぐる』、1978年
- ↑ 町田の地名のいわれ 1993
- ↑ 平凡社『東京都の地名』、2002年