老老介護

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老老介護(ろうろうかいご)、あるいは老老看護(ろうろうかんご)とは、家庭の事情などにより高齢者が高齢者の介護をせざるをえない状況のことで、日本のような高齢化社会を形成している国家ではよくみられるケースである。高齢の夫婦や親子、兄弟において妻が夫の介護を、息子が母の介護を、妹が姉の介護をというケースなど様々なケースがあり、家族が共倒れする危険性や介護疲れによる心中事件もあることから大きな社会問題となっている。

老老介護の増加に伴い、認知症の高齢者を介護する高齢者自身が認知症を患い、適切な介護が出来なくなる「認認介護」も増加している。この場合、第三者のケアが必要となるが、プライバシーの問題もあってなかなか家庭内に立ち入ることが出来ないのが問題である。

優しい夫はなぜ妻の首を絞めたのか(2013年)[編集]

「その通りです」-。

2013年7月、自宅で寝ていた妻=当時(75)=の首を絞めて殺したとして殺人罪に問われた男は、年齢を感じさせるかすれ声で罪を認めた。男は昭和9年生まれの79歳。手に掛けたのは、半世紀近くともに生きてきた最愛の妻だった。孤独な「老老介護」を続ける中で、病気に苦しむ妻を思う心が暴走し、悲劇を呼び起こした。

なぜ、最愛の妻を…[編集]

判決などによると、被告が凶行に及んだのは2013年7月8日ごろ。早朝に東京都世田谷区の自宅マンションで妻の首を最初は両手で、続いてタオルで締めて殺害。翌日未明には、隅田川に飛び込んで自殺を図ったが死にきれず、数時間後に川に浮かんでいるところを救助された。被告は、搬送先の病院で妻の殺害を打ち明け、自首した。

11月25日東京地裁で行われた裁判員裁判の初公判。検察側は冒頭陳述で「短絡的な犯行」であることを強調した。

被告の妻は、くも膜下出血で倒れた後、めまいなどの後遺症に悩まされるようになったという。さらに、被告も腹部の痛みなどから「自分は末期の大腸がんではないか」と疑うようになったが、検察側は「被害者の病状を軽減させる方法を考えず、殺すという方法を取った」と指摘。安易に無理心中を図った身勝手な犯行と位置づけた。

これに対して、弁護側は「責任能力を含め、全て認める」とする一方、殺害に至った背景を「病に苦しむ妻を思うあまりの犯行だった」と主張。「妻の病気の後遺症が悪化し、死を願う言葉も口にするようになった」とし、「妻を楽にしてやりたいという思いから殺害した」と訴えた。

「わが家が一番幸せ」と妻の手紙[編集]

証拠調べで検察側は、凶器となったタオルを提出。検察官がタオルを広げて「このタオルが見えますね。あなたの家にあったものですか、殺害に使用したものですか」と尋ねると、被告はしっかりした口調で「はい」と答えた。

ピンクと白の図柄で、長さ1メートルほどのタオルは、凶器として使われたようにはとても思えず、むしろ平穏な家庭生活を連想させた。

弁護側が証拠として読み上げたのは、今は亡き妻が被告にあてた手紙だ。被告の70歳と76歳の誕生日を祝い、贈ったものだという。

《70歳の誕生日おめでとうございます。結婚40年、私を支えてくれてありがとうございます。孫にも恵まれ、誰よりもわが家が一番幸せな家族》

《パパ、誕生日おめでとう。いつの間にか76歳になりました。いつまでもいつまでも楽しく生活できますようにお祈り致します》

30歳の時に、妻と結婚したという被告。幸せだったはずの家族の姿が浮かび上がった。

一人娘の両親への思い[編集]

証人として出廷したのは、2人の間に生まれた長女だ。一人娘だという。

検察官「あなたは、被告人と被害者の娘さんですか?」

長女「はい」

夫婦水入らずの幸せな暮らしに影が差していったのは、平成14年に妻が病気になってからだという。くも膜下出血で倒れた妻は、一命を取り留めたが、物が二重に見えるなど目の異常や、ひどいめまいや手足の震えといったさまざまな後遺症に悩まされるようになった。まぶたの手術も行ったが、症状は改善しなかったという。刺繍や書が趣味で、社交的な性格だった妻は、次第に家にこもりがちになっていった。 

長女「あまり人に会うことを好まず、家に閉じこもる時間が多くなり、もともと心配性なところがあったが、さらに強くなりました」

長女はある日、母から「死にたい」と言われたという。「日に日に悪くなっていき、(回復が)難しかったのではないか」と振り返った。

弁護人「あなたのお母さんを殺されてしまいましたが、被告人に処罰を求めますか」

長女「いいえ」

弁護人「今後のことをどう考えていますか」

長女「父が社会に出てきたときには、一緒に生活して、母のことを受け止め、父の老後を見守りたい。母は、父のことをもう許していると思います。病気の辛さをずっと訴えていたことに『ごめんね』と。父がそう(妻が死を願っていると)思い込んでしまったことに対し、『ごめんね』という気持ちだと思います」

冷静に受け答えを続けていた長女が、絞り出すような声になったのは、自殺を図った被告が助かった際の思いを問われたときだった。

「正直に、生きててくれてよかった。一度に、両親を亡くすのは辛いですから…」

一人、悩みを抱え込んで…[編集]

証人尋問に続いて行われた被告人質問。被告が妻の「死んで楽になりたい」という言葉を初めて聞いたのは、昨年の冬だったという。「驚きました。特別に声をかけることはできませんでしたが、散歩に出よう、とは言いました」と、当時の衝撃を表現した。

弁護人「(妻の)死にたいという気持ちが本当ではないと思ったことは?」

被告「本当だと信じていました。真実だと、私は思っていました」

弁護人「奥さんのことについて、娘さんと相談はしましたか」

被告「していません。この問題だけは、娘に相談してもだめだと思い、こうしてしまいました」

「思い込みが強い」と長女が性格を表現する被告が、妻の病が悪化する中で、悩みを抱え込んでしまった構図が浮かび上がった。

弁護人「娘さんと相談していたら?」

被告「こうはならなかったと思う」

11月26日に開かれた論告求刑公判で、検察側は被告に懲役5年を求刑。弁護側は執行猶予付き判決を求めた。

最終意見陳述で、被告は「私にとって最高の妻でした。平成22年ごろから(妻の)病状がだんだんと悪化しまして…。こういう行動を取って申し訳ない。どうおわびしてよいか分からない」と述べた。

裁判員との評議の末、迎えた29日の判決公判。被告に言い渡された判決は、懲役3年、執行猶予5年だった。

裁判長は判決の言い渡し後、「これで、社会に戻ってもらうことになります。まずはお嬢さんとともに過ごす中で、自分のしてしまったことを見つめ直してほしい」と諭した。さらに、「今回のように問題があった場合には、抱え込まず、お嬢さんと話し合って解決してください。そのことが、明るく周囲の人を大切にしていた奥さまへの供養になると思います」と被告に語りかけた。

妻を殺害してから5カ月。被告の胸には何が浮かんだのだろうか。ゆっくり、深々と頭を下げる姿を、満員の傍聴人は見つめていた。

70歳妻が90歳夫を刺す(2013年12月)[編集]

15年にわたる夫の介護生活で鬱病を患った末、90歳になった夫の左胸を包丁で刺して無理心中を図ったとして、殺人未遂罪に問われた70歳の妻が2013年12月、大阪地裁から懲役3年、執行猶予3年(求刑懲役5年)を言い渡された。

生活のほぼすべてを「老老介護」にささげてきた“苦難”から逃れようと、妻は意を決して夫の胸に包丁を2度も振り下ろした。だが、まさに出血して命を絶たれようとする夫の発した意外な言葉で、致命傷を加えるのは思いとどまった。「生きるんだ!」。それは自らに刃を向けた妻を叱咤するメッセージだった。

胸刺されても「大丈夫」[編集]

平成25年6月16日の早朝、大阪市内のマンション8階の一室。台所から持ち出した刃渡り21センチの刺し身包丁を手にした妻は、寝室で眠っていた夫の胸に包丁を2回振り下ろした。「痛いっ。何するんだ」。驚いて目を覚ました夫に、妻は「あなた、死んでください。私も飛び降りて死にます」と迫った。

だが、夫も性根がすわっていた。「生きるんだ!」と妻を一喝し、知人に連絡するよう指示。その知人からの119番で救急隊員が駆けつけると、シャツを血に染めた夫が横たわるベッドのそばで、妻が呆然と立ちつくしていた。

夫は搬送時、隊員に「妻に胸を刺されたけれど、大丈夫」と話したという。傷は2カ所あり、深さはいずれも4~5センチ。心臓や動脈には達しておらず、約3週間のけがで命に別条はなかった。

妻は殺人未遂の疑いで大阪府警に現行犯逮捕された。当初から容疑を認め、「介護に疲れた」と供述していた。

ほぼ24時間の付き添い[編集]

90歳の夫の面倒を70歳の妻がみるという典型的な「老老介護」。12月に開かれた公判では2人のなれそめから、介護生活の詳細までが明らかになった。

検察側の冒頭陳述などによると、妻と夫が知り合ったのは昭和60年ごろ。夫は大阪府内で病院長を務め、前妻とは別居状態。妻はその病院の看護師長で、同じころ前夫と離婚した。

2人ともそれぞれ前の結婚相手との間に子供がいたが交際をスタート。転機は平成10年に訪れた。多忙の夫は脳出血で倒れ、言語障害とともに右半身まひとなり、車いす生活を送るようになったのだ。

妻の一日はトイレへの付き添いから始まる。夫が便意を催す午前2時か3時ごろに目を覚ますと、トイレまで連れて行く。夫は排便を促すため温水洗浄便座の水を出し続け、用を足し終えるまで1~2時間。妻はトイレの近くで待機する。

束の間の睡眠をとって起床するのは午前5時半ごろ。夫の体温を測って手足のマッサージをし、筋肉硬直を防ぐための右半身の運動も欠かさない。

障害のため夫の口元は緩く、タオル3枚の「よだれかけ」を着用。一日に3枚ごと3回取り換える。朝食後に約30分かけて7種類の薬を飲ませ、温かいタオルで顔や首などをふく。夫がトイレの便座に座っている間に買い物を済ませる。

《友人に会っておしゃべりしたくても、夫がいつトイレを終えるか気が気でなく早く帰らなければ、と思ってしまう。ずっと便器に座らせておくのも申し訳ない》(妻の供述調書から)

週3回、昼食後に歩行練習に励む。妻が夫の右半身を支え、玄関からリビングまでの廊下を手すりにつかまりながら歩く。

夕食時もご飯やおかずをこぼすため介助が必要で、寝るのは午後9時半ごろ。夜中も尿器の取り換えで起きることがあり、ここ数年は熟睡したことがなかった。デイサービスを週2回利用しているが、ほかの時間は妻が付きっきりで面倒を見てきた。

夫を「先生」と呼ぶ妻[編集]

妻もかつては自分の娘の家へ遊びに行ったり、看護師時代の友人と美容院に出かけたりしていたという。だが、そうした付き合いもなくなっていった

《夫は「嫁に来たのだから、この家のことだけしていればいい」と、1~2年前から娘の所にも行かせてくれなくなった》(妻の供述調書から)

妻の長男は公判に情状証人として出廷し、証言している。

「母はお花やお茶の稽古をしていたが、義父の体調が悪くなってから介護だけの生活になった。義父のことを『先生』と呼び、夫婦でないような関係だった」

外出もままならない妻は次第に精神のバランスを崩していき、平成24年には鬱病と診断。自殺願望を抱くようになった。

夫の長女の供述調書によると、50年以上医師として働いてきた夫は「プライドが高く、家族には身勝手に振る舞った」といい、鬱病の発症には夫の性格も影響したようだ。

《普段は温厚だが気に入らないことがあると、カッとなる。口がたつので反抗できない。私が長電話をしていると、相手をしてもらえないからか機嫌が悪くなり、私が子供たちの面倒を見るのも嫌がった》(妻の供述調書から)

回覧文書で窮地に[編集]

法廷に姿を見せた妻は小柄でやせていた。

被告人質問では、ほぼすべての時間を介護にささげてきた心情を「覚悟はしていたが、きつかった」と吐露。「夫は私一人に世話してもらいたい感じで、『つらい』と言いにくかった」と弱々しい声で語った。

肉体的にも精神的にも追い詰められた妻を凶行に走らせたきっかけは、事件前日に自宅マンションで回覧された連絡文書。その一文に目がくぎ付けになった。

《約1年前から夜中に不審な物音がするとの苦情多数》

我が家のこと-。そう直感した。夫が夜中の2時や3時に車いすの音を響かせてトイレに移動したり、物を取ろうとして家具を倒したりすることもあったからだ。

妻は被告人質問で犯行に及ぶまでの苦悩を打ち明けた。

「夫の状態は良くならない一方で人様に迷惑をかけている。子供たちにも頼れず、どうにもならない状況で、もう無理だな、と。夫一人では生きられないし、私も死にたいと思ってしまった。疲れ果てて…」

判決に込められた願い[編集]

《15年間生きてこられたのは妻の介護のおかげ。私は妻の心の内を理解していなかった。何とか刑を軽くして助けてください》

弁護側は夫の嘆願書を証拠として提出し、情状酌量を訴えた。

妻は被告人質問で「矛盾しているようだが、夫が助かってよかった」と打ち明け、「今も死にたいと思うことはある。夫には施設に入ってもらうなど少し距離を置き、社会復帰後は一人で暮らしたい」と述べた。

大阪地裁は判決で「長年夫に尽くす中、一人で問題を抱え込み悩んでしまったことが原因。高齢者間の介護も背景にあり、同情すべき余地は相当に大きい」と指摘。懲役3年、保護観察付き執行猶予3年を言い渡した。

保護観察付きとなったのは、自殺願望が残る妻には保護司の支援が必要と判断したからだ。最後に裁判長はこう説諭した。

「判決には私たち裁判官と裁判員の願いを込めました。それは、命を大事に生きていってほしいという思いです。どうか忘れないでください」

関連項目[編集]