見立真一

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2013年3月16日 (土) 22:24時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版

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残虐王子こと見立 真一

見立 真一(みたて しんいち)とは、永福町ブラックエンペラーのリーダーであり、関東連合の元リーダーである。

2013年六本木金属バット撲殺事件の主犯として指名手配中。

人物

残虐王子こと見立 真一
  • 関東連合総長、永福町卍黒帝会OB。
  • 五反田抗争で狂走連盟側一名を刺殺。悪質な襲撃と徹底したヤキで有名
  • 90年代チーマー全盛期に暴走族・永福町ブラックエンペラーを復活させる。昭和52年世代はチーマーがメインだったが、昭和53年の悪の帝王/残虐王子こと見立真一が復活させた『永福町ブラックエンペラー』が関東連合を徹底的に仕切っていた。
  • 従来の暴走族のように集会・集団暴走ではなく、威嚇行為・喧嘩・凌辱・抗争・拉致監禁・脅迫が活動の中心
  • 加藤氏の代が全員パクられて関東連合が解散になったのを復活させたのが、見立世代の永福町ブラックエンペラー。
  • 「中卒のオレがラーメン大学に入っていいのかよ」ってのが見立の持ちネタ。後輩は毎回「ギャハハ」と笑わないといけいない。
  • 静岡から東京へ転校し、明るくて勉強も普通だったし頭は悪くなかった。成績は中上。
  • 父親はタクシーの運転手、三度の飯には困ってないが貧困家庭だった。
  • 2つか3つ上の姉がいた。姉は普通にいい人。
  • いつからか病んできて、猫を車の往来の激しい幹線道路に投げて殺したりナイフで切り刻んだり。何かあったのかも。それから不良の道に。
  • たしかに残虐で冷酷なのかもしれないが、一般人をいじめたりは全然なかった。あくまで不良に対して残虐なのだと思う。
  • 父親は、いまはどこかの法人役員でいい家に住んでる。見立の援助との噂。

広末涼子の元夫・岡沢高宏のブログより

残虐王子こと見立 真一

夜、後輩の見立と淡島沿いの韓てらで食事。 年下の中で数少ない尊敬する人間のひとり。

凄くいい男です。ヒロシくんの話で盛り上がりました。

岡沢高宏のブログ

六本木襲撃の主犯格 殺人容疑で公開手配。「関東連合」元リーダー

東京・六本木のクラブで2012年9月、飲食店経営の藤本亮介さんが金属バットで武装した集団に殴られ殺害された事件で、警視庁麻布署捜査本部は2013年2月21日、主犯格で事件後に海外に逃亡した暴走族「関東連合」(解散)元リーダーの見立真一(33)を殺人容疑などで公開手配した。顔写真付きのポスター1万2千枚を配布して情報提供を呼びかける。

見立は2012年11月2日、フィリピンに入国したことが確認されており、現在も同国で潜伏を続けているとみられる。情報提供は、麻布署捜査本部(電)03・3479・0110。

六本木襲撃事件の首謀者 フィリピンで発見”潜伏生活の痕跡”

残虐王子こと見立 真一

常夏の国・フィリピン。この地に、昨年の六本木襲撃事件の首謀者・見立真一(33)はいる。昨年9月に六本木のクラブ「フラワー」で起きた飲食店経営者の藤本亮介さん(当時31)撲殺事件にかかわった疑いで逮捕された容疑者は18人。残るは“首謀者”とされる見立だけとなった。

事件直後の9月9日に中国経由でフィリピンに入国した見立は、5日後には韓国へ出国。そして11月2日にインドネシアからフィリピンに再入国したのち、出国した形跡はない。

「当初、捜査当局はフィリピンへの逃亡を、場当たり的なものだと考えていました。しかし、一度フィリピンに渡った見立が、第三国に出国後にわざわざフィリピンに戻ったということは、なにかここに留まるだけの特別な理由があると考えられます。つまり、フィリピンに長期間の逃亡生活に耐えられるだけの備えがあった可能性が否定できない」

一部報道で、見立は偽造したパスポートを使ってフィリピンに入国したと伝えられたが、それは誤っている。現地で見立容疑者が再入国したときに使用したとされるパスポートの取得は’09年。また出入国記録によると、見立は’07年にもフィリピンを訪れている。

「関東連合のOBで、少年時代から互いのことをよく知るAという男とセブ島を訪れたそうです。現地で活躍する日本人の俳優と一緒だったという話もあります」(在フィリピン日本人)

このAは”正業”で成功した人物。さらにAは事件以前にもフィリピンへの訪問歴が頻繁にあり、「事件直後にAもフィリピンに行っていて、見立の潜伏生活の手伝いをしている」という関東連合OBの証言もある。見立容疑者はフィリピンに明るいAが”片腕”にいたから、この地を選んだのではないか。

「海外のホテルなどの資産を所有していて、金は潤沢に持っているはず」と関東連合OBは言う。見立は逃亡先でも資金には困ってはいないとみられる。その情報が確かであれば、このまま長期間の潜伏が可能になる。逮捕はできるのか?

「見立が最後にフィリピンに入ったのは11月。襲撃に関与したとされる石元太一はすでに逮捕されていました。犯人グループたちの海外逃亡はすでに明らかになっていたわけですから、この時点で国際手配をしていれば、見立がフィリピンに再入国した際に、確実にフィリピンの警察当局に逮捕されていたはずなのです。これは警察の重大な判断ミスです」

いびつな絆集団「関東連合」

残虐王子こと見立 真一
残虐王子こと見立 真一

「少年時代のつながりがゆがんだ形で温存された、大人になりきれなかった大人たち」

東京・六本木の集団暴行死事件で20~30代のOBら8人が逮捕された暴走族「関東連合」。その特徴を一言で表すと、こうなるだろう。

昭和48年に東京都世田谷区や杉並区の暴走族の連合体として結成され、平成15年に解散。OBらは元横綱朝青龍歌舞伎俳優の市川海老蔵さんなど、六本木周辺で発生した有名人をめぐる事件やトラブルで、たびたび登場してきた。

暴力団と違い、組織としての実体がないにもかかわらず、電話一本でOBらが瞬く間に集まり、集団で襲撃に及ぶといういびつな「結束力」を生んだ背景には、彼らの世代の“特異性”がある。

関東連合で一時期リーダーを務め、今回逮捕された石元太一(31)の著書『不良録』によると、メンバーは現役当時、金属バットなどで武装し、対立グループの襲撃を繰り返していたという。

1対1ではなく、集団で襲いかかり、時には相手を拉致して執拗に痛めつけ、精神的にも肉体的にも屈服させる。逮捕されたOBらの多くは引退して既に10年以上の歳月が経過しているが、金属バットを使い集団で暴行するその手口は、少年時代と全く同じだ。

今回の襲撃を主導したとして逮捕状が出ている見立真一(33)は、引退後も現役時代の上下関係を保ち、暴走族時代からの対立グループと六本木周辺で抗争を継続してきた。殺害された藤本さんは、対立グループのリーダーに似ていたために、人違いで襲われたとみられている。

芸能関係や飲食店経営などの自営業者が多く、振り込め詐欺などの違法行為に手を染める者もいる関東連合OBグループの根底には「仲間以外を容易に信じない」という排他性がある。

若者の世代論などを研究するサントリー文化財団上席フェローの佐藤友美子さんは、グループが属する昭和50年代生まれの世代について「中高生のころに携帯電話などが普及し、不特定多数の他人とかかわるプロセスを経ずに育った。いわば『ロストプロセス世代』だ」と分析する。

ロストプロセス世代は地元意識が強く、友人との「仲間内の論理」を何よりも優先する一方、他人への関心が極端に薄いという。仲間外れにされることを恐れ、人と違うことができず、「集団で同じことをする同質性」が特徴だ。

周囲から孤立するほどに、仲間との絆にすがり、先鋭化していった関東連合OBの姿は、まさにロストプロセス世代の典型だ。

「抗争を続けることこそ、仲間をつなぎとめる大事な要素なのだろう」。佐藤さんは、こう続けた。

「『半グレ』なるものが暴力団に取って代わるという見方は、われわれはしていない。一過性のものにすぎないのではないか」

警視庁幹部はこう語る。「半グレ」は「半分グレている」の略語で、既存の暴力団ではないが暴力的な犯罪を行う集団を意味する。六本木襲撃事件で逮捕された暴走族「関東連合」のOBグループに象徴される。

改正暴力団対策法や暴力団排除条例の影響で、暴力団が表だった活動を控える代わりに台頭してきたとの見方もあるが、OBには現役の暴力団員も少なくない。ただ、既存の「組」への忠誠心は必ずしも強いとはいえず、場面ごとに堅気と暴力団の顔を使い分けている。

暴力団という既存の「悪」と、持ちつ持たれつの関係を保ちつつ、仲間の存在感を拡大させようとする意識にこそ、彼らの「闇」の深さがうかがえる。

そもそも関東連合のメンバーは、都内でも世田谷区や杉並区など比較的裕福な家庭が多く、教育熱心な地域で少年時代を過ごしている。貧困や差別など、生い立ちを理由に暴力団に足を踏み入れる必然性は低い。

見立真一が統率するのは昭和50年代生まれが中心の50人程度。多くが飲食業や不動産業などの正業を持つ。彼らの上の世代が渋谷や六本木などでクラブを経営し、若者向けのイベントを企画。遊び場をビジネスの場に変えた。

こうした手法を引き継いだ現在のグループには、芸能界とのパイプもある。市川海老蔵さん暴行事件の現場に同席していた元リーダー、石元太一の著書『不良録』では、過去に対立グループとの抗争で一般男性を暴行死させた事件で、芸能関係者の車を使用したことを打ち明けている。

IT関連で富を築いた同世代の「ヒルズ族」も多く誕生。関東連合OBらは夜の街で、こうした実業家らとも交友関係を築き上げ、凶暴性だけでなく人脈の面でも、ほかのグループと一線を画すようになった。

石元らが現役の暴走族だった平成10年前後は、全国的に少年事件が凶悪化したピークの時期と重なる。警察庁によると、12年に殺人や傷害致死などの容疑で逮捕された少年は201人で、うち7割で暴走族などが関係していた。

警視庁は関東連合のOBグループの存在は把握しつつも、すでに暴走族としての実体がないため、組織としては事実上野放しにしてきた。

だが、海老蔵さん事件を機に本格的な実態解明に着手。組織犯罪対策特別捜査隊に専従班を設けて、メンバー構成などの洗い出しを進めていた。その結果、今回の襲撃事件でも実行犯の特定につながった。

「身元を確認しないまま集団で藤本亮介さんを殺害するなんて、普通じゃない。少年時代を引きずったまま社会に野放しにされた彼らは、時代が生んだモンスターとしかいいようがない」。警視庁関係者は、こうつぶやいた。

「近いうちに、メンバーをまとめて出頭させる」

正月気分がまだ抜けきらない2013年1月上旬、六本木襲撃事件を捜査する警視庁麻布署捜査本部に、暴走族「関東連合」と親しい弁護士からこんな連絡が入った。

言葉通りに10日、凶器準備集合容疑で逮捕状が出ていた男5人が、逃亡先の韓国から同じ便で羽田空港に到着。元リーダーの石元太一ら国内にいた3人とともに、8人が逮捕された。翌11日には、さらに国内の7人が出頭し、逮捕者は計15人に。

捜査幹部は「出頭の決断まで横並びとは。間違った絆と結束力だ」とあきれる。ただ、グループを統率していた主犯格の見立真一は、いまだにフィリピンに潜伏しているとされ、ほかの2人も行方をくらませたままだ。

「いくつかある関東連合のOBグループで最も過激なのが見立のグループだったが、これでカリスマ性も失われるだろう」捜査関係者はこう語る。

見立は石元の3学年上のリーダーで、集団で抗争相手を金属バットで襲う手口を確立。後輩にも、ことあるごとにヤキ(制裁)を入れて恐怖心を植え付け、グループを束ねてきた。

石元は著書『不良録』の中で、現役時代の心理状態を「集団心理と同調圧力」「警察に捕まったときに、初めてゆっくり眠れた。(中略)先輩からヤキを入れられることもない」などと表現している。

見立を中心とした“鉄”の上下関係を成人後も保ち続けたOBグループ。関係者によると、今回逮捕されたメンバーの中には「絶対に捕まる」と襲撃への参加を渋った者もいたが、この時点では見立による「同調圧力」の呪縛から抜け出せなかった。

捜査の焦点は今後、殺人容疑での立件に移るが、ハードルも高い。凶器が刃物などに比べて殺傷能力が低い金属バットで、覆面をしたまま殴っているため、誰が致命傷を与えたかを特定するのが困難だからだ。

ただ、捜査関係者は「関東連合は、過去に何度も相手を金属バットで殴って死亡させている。こうした事実を踏まえれば、『殺すつもりはなかった』では通らない」と力を込める。

襲撃事件のほかにも、石元らが関与する振り込め詐欺などの違法行為や暴力団員となった一部OBとのつながりなど、解明すべき「闇」は根深い。警視庁は事件に絡み、六本木でクラブ経営などを手がけ、OBグループの礎を築いたとされる川名毅からも事情を聴くなど、グループの資金源についても追及の手を緩めない。

暴走族からは足を洗い、暴力団でもないことから、事実上野放し状態だった関東連合は、襲撃事件で警察を本気にさせてしまった。

「今のOBグループが、10年後に存続していることはない。完全に悪事から足を洗うか、暴力団に吸収されるか。二つに一つだ」警視庁幹部は断言した。

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