共産党

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共産党(きょうさんとう、英語Communist party)は、共産主義社会の実現を目標とする政党

概要

カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスウラジーミル・レーニンらの学説を理論的基礎とする。民主集中制という中央集権的な組織形態をとることが多いが、その実質的内容は各国共産党間でちがいがある。共産主義国では、共産党の一党独裁体制を敷いているところが多いが、1970年代以降の西側諸国の共産党は、ソ連共産党と距離をおき、多党制の擁護・議会制民主主義の尊重を積極的に打ち出した。(ユーロコミュニズム

歴史

1848年、マルクスとエンゲルスが共同で『共産党宣言』を発表した。

マルクス没後第一次世界大戦前までは、各国のマルクス主義者は社会党社会民主党労働党といった党名を使用していた(あるいは他の社会主義勢力と共にそのような名称の政党に属していた)。なお、当時は「共産主義」と「社会民主主義」はしばしば同意語として扱われていた。

正式な政党名としての「共産党」は、第一次世界大戦とロシア革命の過程で、ロシア社会民主労働党左派のボルシェビキが改めて自らを「共産党」としたことに始まる。大戦後これにならって、各国の社会民主党他の左派が分離して「共産党」を結成するとともに、自らを「共産主義者」「マルクス・レーニン主義者」と規定して「社会民主主義者」と対置した。以後、国によって事情は異なるものの[1]、多くの国で社会民主主義政党(社会党・社会民主党・労働党[2])と共産党が左翼政党の2大勢力となった。

当初はコミンテルンのもとで各国共産党はその支部という形をとっていた。コミンテルン解散後は、基本的に各国の共産党がそれぞれ自立的行動を行っており、第二次世界大戦後は、各国共産党間で、激しい路線対立が起こることもあった。

1956年のスターリン批判と、それに続く中ソ対立に影響されて各国共産党から分裂して形成された政党は、しばしば自らの正当性を主張して分裂前の所属党名をそのまま用いたので、これらの政党を主流派の「共産党」と区別するために、「共産党」に続いてその立場や経緯に応じて「左派」「中国派」「毛沢東主義派」、または指導者や機関紙名等を付した呼称が用いられる。また、これらの政党のうち中国共産党またはアルバニア労働党に近い立場をとった共産主義政党は、「共産党(マルクス・レーニン主義 - 略称ML)」と自称する場合もあった。

各国の共産党

憲法などで国家を指導すると定められている党[3]
複数政党制のもとで活動している党
存続しているが共産主義を捨てた党
解散または消滅した党

脚注

  1. アナーキズムアナルコサンディカリスムが左翼政党、労働運動の中で大きな勢力を占めた国もあった。
  2. 当然ながら、後述する共産党が改称した「労働党」ではなく、社会民主主義政党としての「労働党」。
  3. 当該国の憲法等で共産党が国家を指導すると定められている場合を指す。国によって、共産党が当該国における唯一の合法政党として一党独裁制になっている場合と、衛星政党を存在させ建前上複数政党制を演出している場合(ヘゲモニー政党制。実質的には一党独裁制とほとんど変わらない)がある。

関連項目

外部リンク

『日本大百科全書』(小学館)