細山田武史

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年俸600万円でサインしたDeNA・細山田。(2012年11月)

細山田 武史(ほそやまだ たけし、1986年4月29日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手捕手)。

来歴

プロ入り前

早稲田大学時代

小学校時代に野球を始め、5年生の時にたまたま休んでいた正選手の代わりを務めたことがきっかけで捕手になる。

鹿児島城西高等学校を卒業後、早稲田大学スポーツ科学部に進学。捕手出身の應武篤良監督の英才教育もあり、2年秋にはレギュラーの座を確保。2007年春季リーグ戦では首位打者に輝き、4季連続ベストナインに選ばれるなど、中心選手として活躍。3年時に入学してきた斎藤佑樹ともバッテリーを組んだため、“斎藤佑樹の恋女房”と報道される機会も多く、斎藤も細山田に厚い信頼を寄せていた。社会人野球を経て横浜入りする須田幸太とは大学の同級生であった。リーグ通算70試合出場、214打数60安打打率.280、1本塁打、32打点

4年生になった2008年には、第4回世界大学野球選手権日本代表に選出される。この大会でも、斎藤とバッテリーを組む機会が多かった。打撃面でも予選リーグ2戦目の対カナダ戦で、延長にサヨナラ犠飛を放つ活躍を見せた。

この年の秋にドラフト会議横浜ベイスターズから4位指名を受け入団。契約金5500万円、年俸1000万円(金額は推定)。同期には世界大学野球選手権でチームメイトだった山崎憲晴松本啓二朗がいた。

プロ入り後

入団会見

2009年、新人ながら同期入団の松本啓二朗山崎憲晴とともに開幕1軍入りを果たす。4月8日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初安打となる中越え二塁打を放つが、工藤公康とのバッテリーは5回で8失点、4被本塁打という結果に終わった。その後しばらくはFAで移籍してきた野口寿浩がマスクを被っていたが、野口は捕逸や許盗塁が多く、年齢的な衰えが顕著だったため、4月の後半からは再び細山田が起用される。5月8日と9日の阪神タイガース戦では連続完封に貢献し、主にリード面で三浦大輔ライアン・グリンら投手陣や首脳陣の信頼を勝ち取るようになる。競争相手の野口が降格したこともあり、細山田が事実上の正捕手となった。

5月18日から無期限休養となった大矢明彦に代わって、湘南シーレックス田代富雄が指揮を執るようになると、新沼慎二武山真吾の起用機会も増え始め、捕手は細山田を含む三者の併用になった。9月9日に怪我から復帰した新沼と入れ替る形で二軍に降格し、負傷もあってシーズン終了まで再昇格はならず。この年の横浜捕手陣では新人の細山田の出場機会が最も多かった。

2010年は、武山や千葉ロッテマリーンズから移籍してきた橋本将とともに正捕手争いに挑んだが、出場試合は前年より大きく落ち込んだ。

2011年は、二軍キャプテンに任命されたものの開幕を1軍で迎える。前半戦は武山や新沼、後半戦は黒羽根利規と併用される。最後まで二軍に降格することは無く、横浜捕手陣最多の84試合に出場した。打撃面では打率が初めて2割台に乗り、プロ入り初本塁打や藤川球児からのサヨナラヒットを打つなど進歩を見せた。この年の勝利打点4はチーム3位の数字だった。しかし、守備面ではセ・リーグで規定試合数に達した6人の捕手の内、盗塁阻止率が.188とリーグ最下位に終わるなど課題が残った。2012年は、FAで古巣に復帰した鶴岡一成、さらには黒羽根利規、ルーキーの高城俊人の台頭もあり、自身初の一軍出場なしに終わった。

細山田65%ダウンで戦力外回避「食事は松屋か吉野家」

DeNAの細山田武史捕手(26)が2012年11月22日、横浜市内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、今季の年俸1700万円から野球協約で定められた減額制限(1億円以下は25%)を大幅に超える65%減の年俸600万円でサインした。

「税金を払わないといけないし、これから食事は松屋か吉野家にする。それか先輩にお願いしたりして、なるべく自分のお金を使わないでご飯を食べるようにしないと」

昨季は捕手でチーム最多の84試合に出場したが、今季は鶴岡の加入もあり、春季キャンプから一度も1軍に上がることができなかった。気になるのは来年の税金額だが、横浜市内の税務署の担当者は「経費がいくら掛かったかで変わるが、所得税と住民税で450万ぐらいになるのでは」と話した。独身とはいえ年俸600万円から家賃などを支払うと手元にはほとんど残らない。食事は1コインでできる牛丼店で節約するか、おごってもらうしかないのだ。

事実上の戦力構想外で、下交渉では自由契約となり移籍先を探すか1100万円減で契約するか、2択を求められた末に出した結論。自由に食事も練習もできる金額を再び手にするため、厳しい競争に必死に食らいつく。

DeNA・高田繁GM(細山田について)状況は厳しいがチャンスはある。期待していないわけではない。

▽減額制限 野球協約第92条には、契約更改の際、年俸が1億円を超える選手は40%まで、1億円以下の選手は25%を超えて減額されることはないと定められている。ただし、選手本人の同意があれば、この限りはない。

プレースタイル

プロ入り前は遠投120mの強肩と言われていたが、盗塁阻止率は低い。守備面・リード面の評価は高く、福澤洋一は「捕手の理論をうち(ベイスターズ)で最も理解しているのは細山田」と言うほどである。

打撃力が課題で、試合終盤のチャンス時に代打を出されることも多い。

人物

明るい性格で、大学のチームメイトで、同じ横浜に入団した松本啓二朗曰く「誰とでも仲良くなれるタイプ」と評されている。彼とは、早大の受験場で初めて会話を交わした人物で、一緒にゲームをするなど非常に仲が良い。

早稲田大学在学中に、入団当時の横浜監督であった大矢明彦の著書、「大矢明彦的「捕手」論」を読み、配球面などをリーグ戦の参考にしていたそうで、非常に役に立ったと語っている。それ以来、大矢をとても尊敬し、細山田自身も「大矢監督の分身としてグランドに立てるように頑張っていきたい」と語っている。

横浜入団後の打席入場曲は鳥羽一郎の「兄弟船」。「亡き父が好きだった曲」という理由で決めたという。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2009 横浜 88 203 177 9 28 7 0 0 35 11 0 1 11 0 13 2 2 51 4 .158 .224 .198 .422
2010 19 33 32 1 3 1 0 0 4 1 1 0 0 0 1 1 0 6 0 .094 .121 .125 .246
2011 84 157 130 5 27 3 0 1 33 11 0 0 13 1 8 1 5 54 1 .208 .278 .254 .532
通算:3年 191 393 339 15 58 11 0 1 72 23 1 1 24 1 22 4 7 111 5 .171 .236 .212 .448
  • 2012年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 36 (2009年 - )

関連項目

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