光通信

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株式会社光通信(ひかりつうしん、HIKARI TSUSHIN INC.)は、東京都豊島区に本社を置くOA機器通信回線保険商品等の卸売業を主業務とする情報通信系商社

日本を代表する超有名ブラック企業である。東京証券取引所1部に上場(証券コード:9435)。

概要[編集]

情報通信分野や様々な市場における商品、サービスを最も安い販売コストで販売することを目的とした営業形態。同社では「ディストリビューター'distributer'(販社)」という呼び方をしている。営業力を活かして、業界や定められた領域全てにおいて「ナンバーワン」を目指し、「日本最大のディストリビューター企業群」を目指している。また同社が運営する、全国1,600店舗あまりの携帯電話ショップが存在する。

歴史[編集]

携帯電話PHSの爆発的普及期に、携帯電話販売代理店「HIT SHOP」を全国展開。店頭では無料の端末を配布し、代理店側は携帯電話キャリアより一契約あたり数万円の報奨金が支払われるという、特異なモデルで巨額の利益を得た。これにより各キャリアは販促費として軒並み莫大な赤字を計上したが、携帯電話の普及が一気に加速した。「HIT SHOP」では携帯電話だけではなく、スカパーの受信機器レンタルサービス「デジタルクラブ」の取り次ぎも行っていた。この当時、「HIT SHOP」のテレビCMも盛んに放送されていた。

携帯電話の爆発的普及期に携帯電話の利用促進を目的とした「イケテルIネット」(ボイスメール・音声情報サービス)のサービスを開始。情報料不要で通話料のみで利用できる。現在は関連会社の「ファイブエニー」が「光通信」よりサービスを引き継いで運営している。

1990年代後期のITバブル期には、投機的銘柄として一躍注目され株価は高騰。その後、携帯電話市場はもはや飽和と化し新規契約は頭打ちになり、さらに「DDI」(現 KDDI)に対する架空契約(寝かせ)が大量発覚したことで2000年3月、株価は急落した。その後、重田社長は「2000年8月期の業績を上方修正する」と記者会見で語った。株価は上昇に転じたがその2週間後、60億円の黒字から130億円の赤字への大幅下方修正が発表され株価は再び下落に転じた。更には「これ以上に洗練された組織モデルはない」と自画自賛していた組織モデルが、現況と不一致であった事が発覚して、市場の不信感を増幅させ、最高値24万円だった株価が3ヶ月で8000円台に急落した。この株価下落は、光通信が新興ITベンチャー企業への積極投資をしていた関係上、それらのIT企業のみならず、光通信とは関係もない他のIT企業も、その経営実態を疑われる事態となり、株式市場の大幅安を呼びこみ「ITバブル崩壊の大立役者」と揶揄された。この際に引き起こされた20営業日連続ストップ安という記録(東証一部)は、現在も破られていない。

(当時から最近に至る主な投資先は、インターキュー(現:GMOインターネット)、ウェブクルー、クレイフィッシュ(現:e-まちタウン)、サイバーエージェント、ジャック(現:カーチスホールディングス)、スカイパーフェクトコミュニケーションズインテリジェンス、スカイマークエアラインズ(現:スカイマーク)、メンバーズEストアーウェブマネー一休などがある)

このため、同社は携帯電話販売事業を大幅に縮小し、市場では「携帯電話販売に関するインセンティブ契約(同社が販売した携帯電話から発生する通話料の一部が、携帯電話事業者から報奨金として支払われる。通常販売後3 - 5年間が対象)が切れると同時に倒産するのではないか」との憶測も飛び交うが、その間に、同社はシャープ複写機販売を中心とする業態転換に成功し、独立系の複写機ディーラーとしては日本一の販売台数を誇るまでになる。2001年に赤字に転落した決算も2004年には黒字に転換しており、一時の経営危機を脱した。

現在、携帯電話販売事業は東京23区内などでは「OBM it's」などの名前で、複数キャリアを併売している店舗があるが、多くの地域ではauソフトバンクの専売店に転換している。

ちなみに「HIT SHOP」は、もともと1992年頃に存在していた「情報機器事業部」のショールームとして、当時の本社が入居していた、豊島区にあるIOBビル1階に設置された。「情報機器事業部」は、キヤノン販売(現・キヤノンマーケティングジャパン)の代理店として、当時黎明期にあったDTP業界を対象としたMacintoshの販売事業部だった。そのため「HIT SHOP」は当時の最新Macintoshを中心としたシステムが揃っていた。担当役員として、重田社長(当時)の右腕といわれていた前多俊宏(現・MTI社長)が指揮を執り、齋藤正秀(2008年9月にフィナンシャル・エージェンシー社長を最後に光通信グループを退社)、現取締役の儀同康らが在籍していた。しかし、数ヶ月後に「情報機器事業部」は解散し、Macintosh販売から撤退。そのかわりに注力を始めた「移動体通信事業部」が使用するようになり、数年後、携帯電話販売店「HIT SHOP」となった。一年近く続いた部署だったが、現在では沿革等から抹消されている(理由は不明)。

ブロードバンドの営業にも力を入れており、「Yahoo! BB」のパラソル部隊を多数展開し、Yahoo!BBの契約者数押し上げに貢献したこともある。また、2005年頃からは「ハローコミュニケーションズ」「ベルサポート」などコールセンターを運営する子会社を次々と設立、アウトバウンドで光ファイバー回線の販売を行っている。

ブラック企業『光通信』で2012年も働く社員たち[編集]

かつてITベンチャーの雄として一世を風靡した「光通信」。創業者で社長だった重田康光1996年、31歳の若さで株式公開を果たした。それまでの最年少記録だった西和彦アスキー社長の33歳を更新。時代の寵児となる。

だが、その「化けの皮」がはがれるのも早かった。2000年に入ると、世間の目は一転。

携帯電話店「HITSHOP」を全国展開して躍進してきた一方で、厳しいノルマを背景とした架空販売などの不正が、次々と明らかになったからだ。

その結果、株価はピーク時の100分の1にまで急落。この年の株主総会は大荒れになる。怒った投資家たちが重田社長をつるし上げたが、本人からは謝罪の言葉は全くなし。翌年は625億円という巨額の特別損失を計上して、最終赤字に転落した。

その後、厳しいリストラも進めるなど、茨の道を歩んだ光通信。まるで「ブラック企業の代名詞」のような存在だった。しかし、この会社は消えたわけではない。

「独裁者」「強烈な自尊心」「うぬぼれナポレオン」

重田氏への形容詞だ。

ノルマ未達成の罵声、駅前で社歌を歌わされるのも当たり前[編集]

現在も相変わらずである。

「社歌を歌わされ、ひどい時は池袋駅前でやらされました。精神的に弱い方には無理だと思います。家族がいる方には絶対すすめません」

そう言うのは、代理店営業を担当する30代前半の男性社員。会社の実体を、こう明かす。

「非常に過酷です。数字が絶対で、行かない場合は朝から晩までプレッシャーの嵐。毎月の出来ごとなので、気持ちを切り替える余裕はありません」

そうやって、社員をこき使う。決して気遣いなどはしない社風だという。20代前半のカウンターセールスの男性もこう言う。

「ノルマに達していない社員には罵声が飛ぶ。営業の会社なので数字は不可欠だが、特にその傾向が顕著で、過程や経緯は意味を持たない」

バリバリの体育会系で、雰囲気に合わない人にはとにかく厳しいそうだ。こんな会社に関わったら、客だって迷惑だろう。20代前半のテレホンオペレーターの契約社員が、こう話す。

「国内需要も頭打ちのため、受注の見込みが少ない顧客にも粘って営業せざるを得ない。お叱りの言葉を受けることも少なくなく、社内外からのストレスが多い」

おかげで、飲み会などは社員どうしが不満を噴出しあうそうだ。

「職場仲間での飲み会が多く、若い男女が多く集まっている。仕事内容がある意味特殊であるため、共通の悩み・愚痴やアドバイス等で仲良くなるきっかけが作りやすい」

その瞬間だけが、かすかな安らぎなのだろうか。

体育会系を超えた“軍隊系”契約ゼロならゴミ扱い[編集]

ちなみに、この体育会系という点に関して、20代前半の男性テレホンオペレーターが指摘をしている。

「声がかなり大きい人が多くて、『おす』が独特のあいさつ。お疲れ様ですや、おはようございます、の略です」

法人営業を担当する20代後半の男性社員も、こう言う。

「朝礼を大声で叫んだり、社歌を叫んだり。とにかく体育会系ならぬ軍隊系。会社の飲み会のあとは、店の前で大声で社歌を叫んだり」

「他の他の会社では絶対に体験できないようなことが体験できる」

数字が悪いときの罵声のとび具合や不穏な空気も、すさまじい。もちろん、その罵声は、上司からだけではない。20代前半の契約社員の男性が言う。

「世間一般に迷惑なセールスと思われているので、客に罵声を浴びせられる事もある。多くの場合は冷たく断られる。精神的にすごくきつい」

それでもこの男性は、顧客からまで激しい罵声を受けながら、こうまで言う。

「いかに交渉に持ち込むかを身につければ、テクニックとして自分に残る」

この男性にとっては、むしろ気持ちとしてキツイのは成績が上がらないときの社内からの風当たりだそうだ。

「契約ゼロの日はゴミのように扱われる。呼び出され、ガラの悪い説教をされたこともある」

この会社では、営業成績の悪い社員はゴミと同じなのだ。

沿革[編集]

  • 1988年2月 OA機器、オフィス電話等の販売及びリースを目的として設立(資本金:100万円)
  • 1992年4月 国際電話サービス回線販売事業を開始
  • 1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を開始
  • 1994年4月 携帯電話機の売り切り制導入に伴い、携帯電話端末の販売を開始
  • 1994年5月 東京都新宿区に携帯電話販売ショップ第1号店を開店
  • 1995年12月 東京都豊島区池袋に本社ビルを新築し移転
  • 1996年2月 店頭市場(現JASDAQ)に上場
  • 1997年9月 東京都千代田区大手町に本社を移転
  • 1998年2月 株式会社HBBを子会社化
  • 1998年9月 レンタルサーバビジネスを開始
  • 1999年1月 携帯電話販売ショップの店舗数が全国1,000店舗に拡大
  • 1999年3月 株式会社クレイフィッシュを子会社化
  • 1999年9月 東京証券取引所市場第一部へ上場
  • 2000年3月 株式会社クレイフィッシュが東京証券取引所マザーズへ上場
3月31日 - 4月27日までの20営業日連続ストップ安を記録(東証連続ストップ安記録ワースト1)
  • 2001年12月 本社を東京都豊島区西池袋2-29-16に移転
  • 2002年7月 保険販売事業を、子会社の株式会社ニュートン・フィナンシャル・コンサルティングにて開始
  • 2003年3月 不採算店舗の整理を行い、携帯電話販売ショップ店舗数を全国470店舗に縮小
  • 2003年6月 代表取締役会長兼CEOに重田康光、代表取締役社長兼COOに玉村剛史が就任
  • 2003年9月 本社を現在の東京都豊島区南池袋1-16-15に移転
  • 2007年3月 携帯電話販売ショップ店舗数が再び全国で1,000店舗に拡大
  • 2008年9月 株式会社パイオン(旧株式会社ネクサス)を子会社化

歴代の社長[編集]

  • 重田康光:1988年2月 - 2003年6月(2003年6月より代表取締役会長兼CEO)
  • 玉村剛史:2003年6月 - 現在

社名の由来[編集]

創業者重田康光の1文字「光」と「通信業界」の「通信」から取って名付けたものである(普通名詞の「光通信」とは関係ない)。

主な特徴[編集]

光通信の企業文化の特徴は、「三大主義」、「社歌」、「社訓」、「心訓」と言える。創業者、重田康光自ら作成したものと言われ、入社時の研修に教育されるものである。営業部門等では毎朝の朝礼時に社員全員で「三大主義」、「社歌」、「社訓」、「心訓」を読み上げる等、社内では理念の徹底がされている。

三大主義[編集]

集団成功主義、実力主義、元気主義という3つの主義を合わせ「三大主義」と呼ぶ理念をもっている。それぞれの主義の意味は下記の通りである。

  • 集団成功主義
経済的な成功、地位や名誉を得る、暖かい家庭を持つなど人によって様々な考え方がある中で、その異なる価値観をもった人達全員で成功を目指していこう、成功していこうという理念であり、光通信グループに関わる全ての人が幸せになることを目指すという考え方である。
  • 実力主義
年齢、性別、国籍、経験は、関係なく、成果を出した人に役職・報酬面等、様々な形で評価し、「結果を出した人を正当に評価していく」という光通信の最大の特長である。
  • 元気主義
自らを奮い立たせ、常に士気が高く活力ある状態を保つことが重要であると考え、元気よく朝から朝礼を行い、気持ちを高め、元気を出し、集団成功主義を目指し、いかなる時も元気で活力に満ちている状態が光通信のあるべき姿という理念である。

事業内容[編集]

光通信は、子会社142社、持分法適用非連結子会社9社、および持分法適用関連会社66社により構成されており、持株会社としてグループ全般の経営管理を担い、各事業子会社・関連会社において、「法人事業」、「SHOP事業」、「保険事業」、「ベンチャーファンド事業」を行っている。

法人事業[編集]

株式会社アイ・イーグループ、株式会社メンバーズモバイルを中心に、中小企業向けのOA機器販売、各種通信サービスの加入取次ぎ、法人向け移動体通信サービスの提供、中小企業向け簡易業務サポート等の提供、インターネット広告の提供やウェブサイト運営、業種別ソリューションの提案等を行っている。

なお、公式サイトで直接的にグループとは表現していないが、70.95%出資するJASDAQ上場の子会社「パイオン」がある。

SHOP事業[編集]

テレコムサービス株式会社、株式会社ジェイ・コミュニケーションを中心に、携帯電話の新規加入及び機種変更手続きに関する代理店業務及び携帯電話端末の販売等を行っている。複数の通信事業者(キャリア)の商品を取り扱う併売店と単一キャリアの商品を取り扱う専売店が存在する。

保険事業[編集]

株式会社ニュートン・フィナンシャル・コンサルティングを中心に、テレマーケティング手法による保険代理店事業を行っている。

  • 主な事業会社
    • ニュートン・フィナンシャル・コンサルティング - 保険販売業
    • ニュートン・リスク・マネジメント
    • 保険ナビゲーション
    • VLフィナンシャル・パートナーズ - 来店型保険販売業
    • ひかり健康保険組合 - 健康保険業

ベンチャーファンド事業[編集]

株式会社HIKARIアセットマネジメント、株式会社HIKARIプライベート・エクイティを中心に、ベンチャー・キャピタルファンドの企画、運用を行っている。

事業所[編集]

  • 本社:東京都豊島区南池袋1-16-15 光センタービル
  • 営業事務所:全国396拠点
  • コールセンター:57拠点
  • SHOP事業店舗:1,701店舗
  • 保険SHOP:19店舗

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 松島庸 『追われ者』(東洋経済新報社、2002年4月、ISBN 4492970258
  • 溝上幸伸 『孫正義の10年後発想 - 光通信・重田康光ら若手ネットベンチャー経営者にみる失敗の研究』(あっぷる出版社、2000年10月1日、ISBN 9784871771900
  • 氏家和正 『ITバブルの内幕 - 光通信の天国と地獄』(道出版、2000年10月、ISBN 4944154259
  • フォーブス(日本版)』(株式会社ぎょうせい、1999年3月号)
  • 『月刊 文藝春秋』(株式会社文藝春秋、2000年4月号)