富士桜自然墓地公園
富士桜自然墓地公園(ふじざくらしぜんぼちこうえん)は、静岡県富士宮市にある創価学会が設営する墓地公園。1980年10月完成。敷地面積122万平方メートル。
概要
ソメイヨシノ・フジザクラ・八重桜など約8000本を植樹、毎年4月中旬から下旬にかけて開花する。造成工事に伴い懸念された土砂崩れ対策で設けた集水池は園内の景観と馴染む様に造園され「熱原の池」と名付けられた。熱原の池は周囲の自然から野鳥を飛来させる目的があり、1987年から渡り鳥のシジュウカラガンが居付き、繁殖していることで日本野鳥の会から注目されている。また、熱原の池には自然風景を展望できる橋梁が景観を重視して建設されている。橋の名称は創価学会池田大作に因んで「池田大橋」と名付けられた。
公園内には富士山が見え法事会も行える「富士見亭 白雲」がある。
墓苑は桜に囲まれる芝生である。墓石は創価学会の理念に従い、仏法の平等観を基に全て同形状。法要は休園日・休園期間を除き、毎日行なえる。
- 開園時間 - 9時 - 17時
- 休園日 - 火曜日(お盆・お彼岸・祝日を除く)
- 休園期間 - 12月28日 - 1月4日(1月1日、2日は入園可)
納骨堂
約五万基の墓苑は完成前に全て埋り、2007年現在募集はしていない。創価学会会員の墓苑事業は全国展開しているがまだまだ不足している為、納骨堂が設けられている。
富士桜自然多宝納骨堂
納骨堂施設の使用は創価学会会員またはその家族から受け付ける。予約申込みを行い、募集大網が決まり次第、正式な申込みを行なえる。
- 納骨施設 - ファミリーL型(7寸骨壺4個収蔵可)、ファミリーS型(7寸骨壺2個収蔵可)
- 使用期間 - 35年間
富士桜常楽納骨堂
永久に遺骨を収蔵する施設。納骨は骨壷に収めたまま、管理者が行なう。
納骨の申し込みは創価学会富士桜自然墓地公園事務局と具体的な相談で決まる。
- 参拝 - 納骨堂内の焼香室
- 法要 - 墓苑礼拝堂
墓地公園造成をめぐる問題
土地売買
日蓮正宗大石寺が所有する土地(以下、一の竹の土地)が寺院建設許可が下りず宙に浮いていた所へ、創価学会顧問弁護士山崎正友がダミー会社を通じて破格の価格で購入した。一の竹の土地に隣接する土地は自民党所属の日原博が所有しており別荘地利用とした開発許可が下りずにいた。山崎正友と日原博は結託してゴルフ場建設計画を進めたが、1975年(昭和50年)8月19日静岡県山本敬三郎知事が県東部のゴルフ場開発許可申請の審査凍結を宣言して計画は座礁した。
当時、静岡市では市民墓地の要求が高かった。一方、創価学会は墓園を欲していたが日蓮正宗が反対していた。この関係を山崎正友が取り持ち、大石寺細井日達管長に創価学会が所有する墓園計画を押し切らせ、一帯の土地を創価学会へ販売する了承を得ていた。山崎正友と日原博は、なし崩し的に暮園計画を先行して行き、墓石まで独断で韓国へ発注し創価学会幹部北条浩らの意思に背きながら有利に進行させた。
市民は反対運動を行い創価学会追放を叫ぶ政争が起こったが、創価学会会長池田大作からの富士宮市への寄附金2,400万円が功を成してか、1978年(昭和53年)に造成工事が着工され1980年に完了した。こうして創価学会が「生死不二の永遠の都」と讃歎する大規模な墓苑を日蓮正宗総本山の麓に構えることになった。 そして全国的に多くの創価学会員に販売された。
百条問題
造成業者の一社である日原造園(日原博の妻が代表取締役)の脱税摘発を端に用地転売、農地法違反、市政との癒着が明るみにでた。百条委員会設置賛成派の市民が集まり「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」が結成され街頭パレードまで行なわれた。
1981年(昭和56年)に、日原造園、創価学会及び植松市長の三者癒着の疑惑を解明するために、百条委員会が設置された。委員会は、創価学会と大石寺に記録の提出と証人の出頭を請求し、この請求を違法として大石寺は請求処分取消訴訟を起こすが敗訴する。創価学会からの提訴も敗訴となる。百条委員会の調査は進み、墓地公園用地の転売、脱税、裏金、市政、県政工作など数々の疑惑が解明される寸前となった。しかし、富士宮市議会では、焦点となる業者と市政の疑惑に創価学会が加わえられると公明党議員が積極的な委員会設置反対派となり、ついに議会は百条委員会廃止を議決した。
この過程において静岡県富士宮市に本拠を構える山口組系後藤組が造成工事の反対勢力と百条委員会賛成派の鎮圧を企図したとされる。1977年(昭和52年)11月21日には、後藤組と墓園建設推進派の公明党市議会員との関係を指摘した市民の自宅にブルドーザーで突撃した上に日本刀で切りつけ、重傷を負わせ反対運動を潰している。のちに後藤組後藤忠政組長が郵送した内容証明で、百条問題調査打ち切りについて斉藤滋与史議員と杉山憲夫議員の力添えがあったことが記されている。