上里田光正
上里田 光正 No.
| |
[[画像:|0px|]] | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県高砂市 |
生没年月日 | 1982年5月6日((2024-1982)+((11-5)*100+(29-6)>=0)-1歳) -
|
身長/体重 | 185cm/ 88kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | |
出場期間 | -
|
年俸 | |
経歴 | |
| |
■テンプレート ■ウィキプロジェクト |
上里田 光正(あがりた みつまさ、1982年5月6日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴
高砂市立松陽中学校時代は全日本少年軟式野球大会の決勝で東和政と投げ合い準優勝。
神戸国際大附属高に進学後は当時野球では無名だった同校が躍進する中心となり、エースとして3年夏には栗山巧擁する育英高校を相手に栗山から本塁打を打たれるなど敗れたが、兵庫大会4強入り。荒削りながら140km/h超の速球を投げる本格派右腕としてドラフト候補にも挙がったが指名はなかった。
高校卒業後は、東都大学野球連盟所属の駒澤大学に進学したが2年時に肩を手術するなど故障に悩まされ、4年春の日本大学戦でリリーフとしてリーグ戦初登板した。その後、東洋大学戦で2安打完封勝利を挙げたがリーグ戦通算ではこの1勝のみに終わった。
2005年に同年から発足する四国アイランドリーグのトライアウトに合格し、高知ファイティングドッグスに入団。当初は右肩の回復を優先させて中継ぎでスタートし、徐々に投球回数を増やして秋には完投できるまでに回復した。
2006年は、140km/h台半ばの速球とフォークボールを武器に先発投手、抑えとフル回転してチームの前期優勝に貢献。43試合に登板して8勝10敗11セーブ、防御率1.76を記録。リーグチャンピオンシップでも力強い投球を見せた。
2007年は、7月から8月にかけて故障離脱した影響で前年の約半分の投球回にとどまり、2勝4敗12セーブ、防御率2.43の成績だった。
2008年は、抑えでの登板が中心となり、54試合に登板して0勝2敗22セーブ、防御率1.05で防御率とセーブの二冠を獲得した。シーズン終了後、本人の申し出により退団。
2009年からは、伊藤文隆が監督を務める社会人野球クラブチームのトータル阪神に所属。9月の第34回全日本クラブ野球選手権大会では準々決勝の全足利クラブ戦、準決勝のNTTグループ東北マークス戦で共にロングリリーフとして4イニングを無失点に抑えた。決勝の松山フェニックス戦では完封勝利を挙げ大会MPVに選出され、チームの初出場初優勝と優勝チームに与えられる社会人野球日本選手権大会出場権獲得に貢献した[1]。同年限りで退団。
詳細情報
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登 板 |
完 封 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ │ ブ |
勝 率 |
投 球 回 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 高知 | 30 | 3 | 5 | 2 | 1 | .714 | 97.0 | 17 | 3 | 66 | 23 | 2.13 |
2006 | 44 | 2 | 8 | 10 | 11 | .445 | 132.2 | 20 | 6 | 96 | 26 | 1.76 | |
2007 | 31 | - | 2 | 4 | 12 | .334 | 66.2 | - | - | - | 18 | 2.43 | |
2008 | 54 | 0 | 0 | 2 | 22 | .000 | 68.1 | 15 | 0 | 57 | 8 | 1.05 | |
通算成績 | 159 | - | 15 | 18 | 46 | .455 | 364.2 | - | - | - | 75 | 1.85 |
各年度の赤太字はリーグ歴代最高
各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 20(2005年 - 2008年)
脚注
- ↑ [ttp://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/news/20090908k0000m050070000c.html 全日本クラブ野球:トータル阪神が初優勝、日本選手権切符]
関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 高知ファイティングドッグスの選手一覧
- 服部泰卓 - 大学の同期
- 塩川達也 - 高校の同期