医療崩壊
医療崩壊(いりょうほうかい)とは、それなりに廻っていた医療体制が何らかの原因でたちゆかなくなること、またその状態を漠然と指す言葉。
医師側から見た日本の医療崩壊
医師はそれなりの研修を受けスキルを高め、医療に貢献し先進国最低水準の医療費にて世界最高レベルの平均余命・周産期死亡率[1]を達成している。WHOによる2000年の調査では、総合成績である「健康達成度総合評価」で第1位となっている。また、OECDによる2005年の調査でも、健康寿命・健康達成度の総合評価はともに第1位を達成している。
だが近年、恩恵を受けたが、現状の医療体制は不十分であり又高額なものと患者側が感じる様になる医療不信が増大するようになった。 徐々に現状の医療体制では不可能な過大な要求をするようになってしまった。 医療不信を払拭しその期待に応えようと医師側の努力は行われ、「QOLの向上」などの新しい命題にも取り組み医療は進歩したが、医療不信は払拭されなかった。 この動きの中で、一部で医師の過労死が起こることもしばしばであった。 過大過ぎる要求を行う病院から医師が集団辞職する事例が散見するようになった。 #医療民事訴訟が頻発するようになり、医師側は強い不満を持つものが増え始めていたが、独特の使命感により医療を支えていた。
#2006年福島県立大野病院産科医逮捕を境に、特に昼夜を問わず地域医療に貢献していた医師の意欲は著しく低下し、負担の大きい(特に地域の)医療現場から医師が去るきっかけを作った。
また、地域の病院に医師を派遣している医局も、一つの科を一人で医療を行っている病院から医師を引き上げ集約化を行いつつある[2]。
しかし集約化を行っても集約化した先で医師の退職が相次ぎ、その地方の医療が完全に崩壊するケースすら散見されるようになった。
#初期臨床研修義務化を原因とした医師不足による医師の引き上げもおこり、急速に地域の医療体制が不備になるなどの事態が進行しつつある。
このため地域や科によっては身近なところに診療できる医院・病院が無いという事態にまで至っている。
市議による心無い一言より退職した事例や、マスコミによる捏造報道による心労により退職に追い込まれ地域医療が崩壊した事例もあった。
内科医、麻酔科医の負担も多く集団退職するケースも増えており、廃院の転帰を取る場合が散見されるようになっている。
高度医療化に伴い高価格の医療機器導入の負担や、度重なる医療制度改革による診療報酬減少に伴う医療収入減少等により病院の倒産、自主廃業に追い込まれるケースが最近散見されるようになった。
医療崩壊をきたした因子
医療行政
医学の進歩とともに国民医療費は年々増加するが、最近は経済状況が低迷し、国民医療費の伸びが国民所得の伸びを上回るようになった。 日本の医療は高くて非効率的であるという認識の下、国家財政を圧迫する恐れがあるとして医療費削減が叫ばれるようになった。 現実には日本の医療は現場の努力によってぎりぎりで行っている状況であったので、改革は現場にとどめを刺す形となり、医療崩壊が進みつつある。
初期臨床研修義務化
従来、医師国家試験合格した医師は、大学医局に所属することが多かった[3]。ところが、初期臨床研修義務化に伴い市中の総合病院においても初期研修ができるようになり、加えて教育システムに一日の長のある病院は都市部に集中していた。結果として地方では初期研修の志望者が激減し、医局に新規に所属をする医師は減少した。
大学は大学病院・大学の研究をする医師が減少したため、系列の地方の基幹病院に派遣をしていた医師を引き上げざるを得なくなった。全国的に引き上げざるを得なくなったために、地方の基幹病院に医師が足りなくなり特定の科を閉鎖せざるを得なくなった[4]。 医療崩壊は、初期臨床研修制度が引き鉄となった、とする意見もある。 過去医学生は医者になってからの専門科を決める際、実際の医療現場を見ることはできないため[5]、興味や憧れ、使命感に燃えて専門科を選択していた。 初期臨床研修義務化に伴い、医師として決められた期間に決められた様々な専門科の医療の現場に入るようになった。 そこで現実を直視し、過重な専門科・訴訟リスクの高い専門科・QOMLの低い専門科を選択しなくなってきている。
当制度は現場医師や学生からの反対を無視し、行政からの押し付けで開始されたものである。米国ではある程度効果をあげた制度であるが、米国とは比べ物にならないほど指導医が多忙である日本において、その待遇の改善なく当制度を開始したことは無謀といわざるをえない。 また、突然のシステム変更に振り回された研修医も被害者であることを忘れてはならない。
医療のコンビニ化
深夜の救急医療の場に「昼は仕事をしているので、今すぐ専門医に診てもらいたい」「3ヶ月前からおなかが痛い」「普段通院でもらっている薬が欲しい」「眠れない」「さみしい」など、救命救急の場にはそぐわない患者が来院するケースが目立ってきている[6]。 このため当直医の負担は著しく、当直の翌日が休みになる勤務態勢をしいている病院は少なく連続36時間以上働き続けることとなり、燃え尽き退職する医師や過労死をする医師も増えている。
また自治体による小児医療の無料化に伴い、無料である気軽さから医療のコンビニ化が顕著となり[7]小児科医の疲弊もすさまじくなっており、元々慢性的な過重労働であった小児科医の減少も著しくなっている。
捜査・司法機関による刑事立件・訴訟
1990年代以前、医療訴訟はあまり多くなかった。それ以前と以降で医療ミスが急増したという確証はないが、少なくとも刑事立件・訴訟は確実に増えている。
医療ミスが実際に増加したとすれば、1994年の付添婦廃止が影響した可能性は否定できない。「新看護体系」により「完全看護」を求められながら、充分な看護スタッフを確保できなかった医療機関にミスが起こりやすくなるのは理の当然である。[8]付添婦の制度には問題点も多々あったが、看護ミスやコミュニケーション不全を補う役割も少なからず果たしていたのである。
医療民事訴訟
従来医学的には正しい医療行為を行ったにもかかわらず、不幸な転帰をたどった症例において、遺族側が病院や担当医師に結果責任を要求する医療訴訟が多発し、医師・病院側が敗訴する事例が見られた[9]。
その判決において「(その当時は無かった)医療知識があれば救命できた」や「(県内に数人しかいない)専門医がいれば救命できた(はずなのだから過失がある)」「過失は一切無いが、賠償しろ」「病気が治るという期待権が侵害された」等、医療の不確実性を考慮に入れず、当時・現在の医療状況・医療財政、生命の摂理を一切無視したものが多発した。
主に公立病院にて医学的考察がなされぬままに事務方が患者側に謝罪を行ったことにより「病院の側に落ち度があったと認識していた」と判断されたりして理論的な公判維持が困難となり不利な和解条件をのまざるを得ないケースもある。
特に産科領域では、産科医の不断の努力によって達成された周産期死亡率の低下により一般的に子供は正常に生まれて当たり前との認識が生まれ、何か異常が起こると全て医療ミスと見なされてしまい医療訴訟となる可能性も高いといわれている。
2006年福島県立大野病院産科医逮捕
2004年に福島県立大野病院にて癒着胎盤を原因とした母体死亡事例において、2006年になって産婦人科医が救命できなかった結果責任を問われ、担当の産婦人科医が突然逮捕[10]された[11]。 この事例は産婦人科医が一生に一回遭遇するかしないかと言うほど稀な症例であり、しかも当の産婦人科医は地域に於ける産科医療をたった一人で貢献しているという状況に於かれていた。
この大野病院の一件については日本母性保護産婦人科医会が声明を発し、「この様に稀で救命する可能性の低い事例で医者を逮捕するのは産科医療・殊に地域に於ける産科医療を崩壊させかねない」と批判した。事実、この一件が契機となって特に昼夜を問わず地域医療に貢献していた医師の意欲は著しく低下し、負担の大きい(特に地域の)医療現場から医師が去るきっかけを作った。
堀病院強制捜査
2006年神奈川県にある医療法人の堀病院で、2003年分娩後止血困難にて他院搬送後子宮摘出手術を受けるも多臓器不全のため死亡した症例をきっかけに、同院で行われた看護師による内診が法律に違反しているとされ、保健師助産師看護師法違反で捜査・報道された。 しかし、現実問題として助産師は不足しており、内診は看護師が行っている医療機関が多く見られた。 また法律では助産行為とはなにかが明確になっておらず、厚生労働官僚の通達に依存した一方的な見解であり、産婦人科医の反発を招き、助産師不足により産科病棟運営・医業経営を困難とさせた。
マスメディアによる報道被害
元来問題となっていなかった症例を、自ら調査し、耳目を引くために事件性があるように報道したと批判を受けている例も散見される。 スクープを求めるあまり、「医療ミスである」との予断をもって患者側からの取材を元に記事を構成し、センセーショナルに報道する危険は常にある。医者側は守秘義務があって充分な反論を行いにくいため、この手の報道被害がおこりやすい。
例えば奈良県大淀病院での妊婦死亡報道では、報道内容がカルテに記載された事実に反し、又科学的でないと医療従事者からの指摘があり、「公平性に欠け感情論に終始している報道姿勢は避けるべきである」という批判がある。[12]
また、「サラリーマンと開業医(個人事業主)の給与を比較」するなど単純比較にならないものを比較[13]したりすることにより、医師を悪者にする論調も目立っている。 こうしたメディアの恣意的な報道が妄信的に信じられてしまい、結果として医師・病院が安直に悪者扱いされる様になっているという現実がある。
市民団体
医療の将来を見据え、医療者と市民との架け橋となるべく活動を行っている団体がほとんどであると思われる。 しかしながら一部では異なった活動を行っている団体もあるのが実情である。 それら団体の特徴は
- 自然死を含めて全ての病院での死を医療ミスであるかのように主張する。
- 医療の不確実性を完全に無視し、結果論のみで論じる。
- 当時・現在の医療状況を完全に無視したもの。
- 医師の管理下では起きえないような極めて限定的に生じる副作用を持つ薬の使用禁止を主張する。[14]の様なものである。
またマスメディアと一緒になりネガティブキャンペーンを行うこともあり、医師のモチベーションを奪う結果となっている。 問題は、本当に問題のあるケースと、問題にすべきでない・医師の責任を問うことの出来ないケースの区別をつけられないマスコミや市民団体が存在するという点である。
立ち去り型サボタージュ
虎ノ門病院泌尿器科部長 小松秀樹(こまつひでき、1949年-)は、2004年に『慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理』(2004年)を著している。それが契機となり、2005年に最高検察庁で講演をした。そのときに提出した意見書をもとに、小松は『医療崩壊ー立ち去り型サボタージュ」とは何か』(2006年)を著し、日本の医療体制が直面する状況、なかんずく刑法にもとづく警察と世論を背景としたマスコミがいかに医師を追い詰めるかに警鐘をならした。
小松は医師がリスクの大きい病院の勤務医を辞めてより負担の少ない病院へ移ることや開業医になることを「立ち去り型サボタージュ」と呼ぶ。元々医療訴訟率が高くその賠償額も高額であった産婦人科は担当医の減少が著しく、将来の担い手である医学生たちも産科医になることを忌避する者が多く崩壊が進行している状況にある。このほか、小児科、内科、外科などの高度医療も同様の状況にあると言う[15]。
市民活動家から見た日本の医療崩壊
医療不信の広がり
- 市民活動家は以下のように主張する。
患者の権利意識の向上や、内部告発などにより医療過誤について明るみになるようになり、医療不信が増大した。つまり医療における患者と医者の信頼関係が崩れてしまった。
医療過誤が日本において社会問題として注目されるようになったきっかけは1999年1月に横浜市立大学付属病院で起こった事故である。 この事故では手術を待っていた患者を取り違え、心臓の手術を受けるべき患者に肺の手術、肺の手術を受けるべき患者に心臓の手術を行った。誤って手術を受けた患者は2人とも同年内に死亡したが、死因は手術と関係が無いと発表されている。
さらに同年2月、渋谷区の東京都立広尾病院で起こった事故が拍車をかけた。この事故は看護師がヘパリン入り生理食塩水と間違えて消毒薬を点滴したというものであり、患者は点滴後2時間弱で死亡した。事故そのものの重大さもさることながら、病院幹部と東京都の職員が共謀して事故を隠蔽しようとしたため、東京都知事が記者会見で遺族に謝罪するという大事に至った。
以後、重要な医療事故はマスメディアによって広く報道されるようになった。また医療事故は隠蔽される体質があることも明らかになった。各地の病院はこれらの事故を教訓として、事故報道防止のためのマニュアルを充実させるなどの対策に力を入れた。
しかし、昭和大学藤が丘病院事件は、そのような事故防止のマニュアルやシステムそのものが機能していない事を思わせるものであった。 また、医療、医局のシステムが自らの構造にとって不利な証言を行いづらく、改革しづらいということもマスコミの報道で再三明らかになった。
これらの枚挙にいとまのない事件を経て、「医師免許を持って白衣を着ている者全員が同様の実力、技能を持っている」という医療神話が崩壊し、医師個人個人によって、技術、能力、努力、倫理感などにかなり大きな開きのあるということが明らかになった。神話に基づいて構築されていた患者-医師関係の再構築を迫られる必要が出てきた。 これまでは「医者の言葉や判断は無条件に正しい」であったものが、インフォームドコンセントを丁寧に行い、患者の治療の選択権を保証し、などと関係の構築のために多くの手間がかかるようになった。 また医学的な専門性をもたない患者たちは、それらの不信を専門的分野で尋ねることはできず、料金やサービスの問題としてぶつけることになり、医師を困惑させた。いくつかの病院でそれらサービスの向上要求に忠実に応えようとするあまり、医師の過重労働が顕著になった。
まとめると、
- 特定少数の能力がなく努力もしない医師がいること。および医療側にそれらを管理・改革するシステムがないこと。
- それらが患者の訴えや内部告発などで明るみになり、マスコミュニケーションで大々的に報道され、医療不信が広がった。
- 医師がこれまで行っていなかった説明や選択権の業務が増えたり、患者にとって分かりやすいサービスや料金など分かりやすい部分において医師と対立する事が増えた。
- 医師は困惑し、不得手な業務を増やし、燃え尽きる。
という事態になった。
しかし報道される事件の中には#2006年福島県立大野病院産科医逮捕のような、司法的見地からは犯罪でも医療的見地からは冤罪と解釈される事件もいくつか混じっている。
このような数々の問題から訴訟の多い周産期医療において医師のなり手がおらず、さらに地域の病院に医師を派遣している大学病院の医局も、一つの科を一人で医療を行っている病院から医師を引き上げ集約化を行いつつあるために、地域において周産期医療が不可能になりつつある。
#初期臨床研修義務化を原因とした医師不足による医師の引き上げもおこり、急速に地域の医療体制が不備になるなどの事態が進行しつつある。 このため地域や科によっては身近なところに診療できる医院・病院が無いという事態にまで至っている。
過重労働や患者からのクレーム・訴訟、度重なる医療改革からうつ病を発症する医師も増加した。 内科医、麻酔科医の負担も多く集団退職するケースも増えており、廃院の転帰を取る場合が散見されるようになっている。
高度医療化に伴い高価格の医療機器導入の負担や、度重なる医療制度改革による診療報酬減少に伴う医療収入減少等により病院の倒産、自主廃業に追い込まれるケースが最近散見されるようになった。
医療崩壊をきたした因子
医療行政
- この点については、医師側とほぼ同様。
初期臨床研修義務化
- この点については、医師側とほぼ同様。
医療のコンビニ化
- この点については、医師側とほぼ同様。
捜査・司法機関による刑事立件・訴訟
医療過誤リスト
患者の取り違え
- 1993年 朝日 熊本市民病院 患者取り違え手術 肺切るはずが肝臓手術
- 1997年 毎日 関西医大病院 治験患者を間違え、MRI造影剤を投与
- 1999年 朝日 横浜市大病院 2患者取り違え手術 県警が聴取へ
輸血ミス
- 1993年 朝日 稲城市立病院 輸血ミスで死亡 O型患者にB型
- 1993年 朝日 広島市民病院 乳児に輸血ミス 手術37日後に死ぬ
- 1993年 朝日 大阪逓信病院 輸血ミス後にガン患者死亡
- 1995年 朝日 山形の県立病院 輸血ミスで患者が死亡 A型とO型間違える
- 1996年 朝日 兵庫医大病院 輸血ミスで患者死亡 遺族には知らせず
- 1996年 朝日 仙台の病院 血液型誤り患者が死亡 試験管のラベル張り違え
- 1997年 毎日 和歌山医大病院 看護婦が輸血ミス
- 1997年 毎日 関西医大付属病院 輸血ミスで患者死亡 交通事故手術中
- 1997年 共同 国立診療所東長野病院 患者と違う血液型を輸血
- 1998年 共同 大館市立総合病院 血液型を間違えて輸血
- 1998年 共同 小樽市の病院 輸血ミスの患者が死亡
- 1998年 毎日 松江赤十字病院 血液型間違い輸血 死亡
- 1998年 共同 岐阜の病院 看護婦が輸血ミス患者死亡
- 1999年 毎日 近畿地方の大学病院 輸血ミス 患者4人が死亡
点滴ミス
- 1997年 毎日 和歌山県医大 病院ぐるみ 事故隠し 誤ってミルク静脈注入
- 1997年 毎日 青森・黒石の病院 患者2人に点滴ミス 看護婦確認怠る
注射ミス
- 1994年 朝日 松山市の病院 静脈注射ミスで血行障害、8歳足の指3本切断
- 1994年 朝日 春日部市立病院 ミスで患者が死亡 麻酔薬を10倍量注射
- 1996年 朝日 門司労災病院 動脈に注射針、患者窒息死
- 1996年 朝日 山形の病院 内服薬注射し重体「禁止」表示見落とす
2002年昭和大学藤が丘病院事件
2002年秋、20代の女性患者が腹腔鏡下左副腎摘除術を受けた際、執刀医は臓器の認識を誤り、膵臓の一部を切除した。患者はその後2度の手術を経て、4週間後に死亡した。 まず経験12年目の医師である執刀医は、自身の手術のビデオを3回見直したが、膵臓切損には気づかなかった。次に同大学の泌尿器科の医師全員で手術のビデオを見たが、「特におかしいところはない」というのが医長をはじめ医師全員の意見だった。最後に副腎摘除術の経験を一度だけ持っている外部医師に依頼し、「手術手技には不適切な点は見られなかった」との意見書を提出してもらった。つまり手術と死亡に因果関係はないという意見書を提出した。 ところが検察側がEndourology・ESWL学会にビデオ鑑定を依頼するし、2004年1月21日付けの鑑定書で、膵臓の一部が切除されたことが指摘された。 上層部を含め事件に関係した医師の隠蔽であるか、能力不足であるかはわからないが、腹腔鏡手術の経験がなくても、腎臓や副腎を扱う泌尿器科ならば、ビデオを見て膵臓損傷を疑わないことは考えられない。執刀医はもとより、ビデオを見て問題ないとした他の泌尿器科医の能力または倫理感に問題がある事を思うと、本人、家族の無念であろう。
医療と司法の解釈違いのある事件
2006年福島県立大野病院産科医逮捕
2004年に福島県立大野病院にて癒着胎盤を原因とした母体死亡事例において、2006年になって産婦人科医が救命できなかった結果責任を問われ、担当の産婦人科医が突然逮捕された。この事例は産婦人科医が一生に一回遭遇するかしないかと言うほど稀な症例であり、しかも当の産婦人科医は地域に於ける産科医療をたった一人で貢献しているという状況に於かれていた事から、同様の境遇で働く医師たちの同情を買った。
堀病院強制捜査
2006年神奈川県にある医療法人の堀病院で、2003年分娩後止血困難にて他院搬送後子宮摘出手術を受けるも多臓器不全のため死亡した症例をきっかけに、同院で行われた看護師による内診が法律に違反しているとされ、保健師助産師看護師法違反で捜査・報道された。 しかし助産師の不足から、多くの医療機関が違法を承知で内診を看護師にさせていたので、この事件の後経営が困難になる病院が多くみられた。
マスメディアによる報道
- 市民活動家は以下のように主張する。
マスメディアが医療における問題点を明らかにした功績は大きい。医師の技術差の問題、医局の抱える問題、診療報酬の不正受給の問題など、医療が自ら改革できなかった数々の問題を明らかにした。
しかし少数ながら報道が過剰になることで元来問題となっていなかった症例を、自ら調査し、耳目を引くために事件性があるように報道したと批判を受けている例もある。例えば奈良県大淀病院での妊婦死亡報道では報道内容が事実に反し、又科学的でないと医療従事者からの指摘があり、「公平性に欠け感情論(お涙頂戴)に終始している報道姿勢は避けるべきである」という批判がある。 こうしたメディアの報道の中には当然先にみたような恣意的なものもあるので、情報の事実について適切な判断力が必要である。
市民団体
市民団体も自ら情報を貯え、医師のコミュニケーション能力不足を補おうと活動している。 たとえば[1]日本子宮内膜症協会(JEMA)では、産婦人科医が必ずしもみな勉強家でエビデンスに沿った治療を展開しているわけではないこと、医療にもっとも要求される的確な診断力や治療の技術力より女性に寄り添う赤ひげ先生やアメニティーランドのような医院ばかりが登場することなどを問題点ととらえ、より良いインフォームドコンセントの充実とインフォームドチョイスの普及をうたっている。
このように医療が今まで改革できなかった問題点である「良い医者は良いが、悪い医者は悪い」という違いがある事をつまびらかにし、患者の権利を守り、医療の将来を見据え、医療者と市民との架け橋となるべく活動を行っている団体がほとんどである。
外国に於ける医療崩壊
アメリカ
アメリカでは国による国民健康保険が存在しない[16]代わりに、民間医療保険が発達しており受けられる医療は医療保険の種類により決定される。このため高額な保険金を払える高所得者は無条件に最高の医療を受けることができるが、低所得者は病院・医者を選ぶことはできず指定されたところで治療を受けることになる[17]。 メディケア(老齢者用公的保険制度)、メディケイド(低所得者用公的保険制度)も存在するが、必要コストを割り込む設定をしている治療手技も存在するなど、医療給付の制限は非常に厳しい。そのため公的保険では受診を拒否する医師・医療機関もあるほどである。
加えて高額医療訴訟が多発している背景もあって、医師損害賠償保険の保険料が年収を超えるケースが見られ医師が医療から撤退するケース[18]も散見される。妊娠中絶を行う医師を暗殺、病院を爆破するテロなども起きることもあり、病院が無くなることもある。
イギリス
マーガレット・サッチャー政権は福祉国家の解体を掲げ、医療費抑制政策を採った。 病院は完全無料の公立病院か、有料の民間病院の二つとなった。
イギリスの医療の仕組みは、NHS(National Health Service)に登録し、GP(General Practitioner)[19]を選択する。 病気になった際には選択したGPに相談を行い、もしも専門の治療が必要ならば専門の医師がいる病院に紹介される。 また非常に医療費が少ないため、治療に必要な資金が慢性的に不足しており、また医療者の給与は少なく士気は低下しており患者の対応までに時間がかかったり、また安価で短時間で治療が終了するような治療[20]になりがちな傾向がある。 専門医に受診したり検査や手術を受けるのに、長期間待たねばならない状況になった[21]。
有料の民間病院ではこのような手間もなく、診療を受けることができる。
医療従事者の士気の低下に伴い、アメリカやカナダ・オーストラリア・シンガポールなどに医師や看護師が流出。 後にトニー・ブレア政権になって医療費の総額を1.5倍にするという大改革を決行したが、このてこ入れも功を奏さなかった[22]。 ちなみに日本の医療費の対GDP比はサッチャー時代に匹敵する。要出典
ニュージーランド
小泉純一郎内閣での聖域無き構造改革の手本としてよく引き合いに出されているニュージーランドも公的医療費予算の抑制・削減が行われ、公立病院には独立採算[23]を求められた。 そのため、公立病院の医療サービスは悪化(男女同室入院等)し、地域住民の健康を守るという目的から利益を上げるための組織に変化した。 その中で、利益の上げられない公立病院は廃止された。 そのため地方の公立病院はほとんど閉鎖され、公立病院は大都市にあるだけになった。
代わりに自由診療で行う民間の株式会社病院がたくさん開設されるようになり、果ては病院がある日潰れて売春宿ができる事例すら見られるようになった。
フィリピン
国内で働く医師より海外で働く看護師の方が給与が高いため、医師が看護師資格を取り海外に看護師として流出。 そのため国内で医療に携わる医師が不足した[24]。
インド
インド人医師は欧米の一流大学で教育を受け技術を習得しているものも多くいる。また、英語が通じる点・物価の安さも手伝い、欧米の患者が臓器移植や骨髄移植など高額の高度先端医療をインドで受けるツアーすら存在する。しかしながら市民はそのような高度な先端医療を受けることはできず、未だコレラや赤痢などの感染症がはびこり亡くなる人々が絶えない[25]。
註
- ↑ 1950年(主に産婆による)出産1000件中46件、2004年(主に産婦人科医による)出産1000件中3.3件
- ↑ 本件が一人で医療を行っていた病院で発生したことより、「一人や二人など少数で医療を行っている病院では安全な医療を行うことは困難である」との理由で集約化が進んでいる
- ↑ 医局は集まった医師を教育し系列の地方の基幹病院に派遣し、こうして派遣された医師が往々にして地域医療を支えていたのが以前の状況だった
- ↑ 大野病院の事件の様に医師一人で支える事態になるとハイリスクになると言う判断も働いている
- ↑ 臨床実習はあるが、あくまでも実習でしかなく、本当の現場ではない
- ↑ 加えて、救急車をタクシー代わりに利用するケースが最近目立ってきている
- ↑ 核家族化の影響もある
- ↑ ssd's Diary June 22, 2006 http://ssd.dyndns.info/Diary/archives/2006/06/
- ↑ 加えて最近では(大野病院事件の様に)刑事訴訟をおこされるケースも見られるようになった
- ↑ 逃走の意思が一切なく臨月の妻を抱えていた
- ↑ 任意同行される際の映像はテレビで流された
- ↑ ソネット・エムスリーにある医療関係者専用の掲示板にカルテ内容がリークされ、それを読んだ医療関係者から報道機関に対する大きな非難が巻き起こった。
- ↑ 本来サラリーマンと比較するのであれば立場的に似通っている勤務医と比較すべきであり、収入の多くが経費として支出される(従って自由に使える金銭は収入の一部に過ぎない)事業収入を得る開業医の収入との比較は不適切である
- ↑ 詐欺的商法と結びつくケースもあり、社会問題化するものもある。
- ↑ 医療崩壊をくいとめるには「医療臨調」のような国民的会議を組織し、医療とはどうあるものなのか合意を形成し、具体的方策を立て患者と医療側の「相互不信」解消を図るべきだと小松は提案している
- ↑ ビル・クリントン政権時代に国民健康保険制度の創設を目指したものの、保険会社や製薬会社・中小企業などによる大規模な反対活動にあい結局廃案に追い込まれた
- ↑ 治療内容についても制限があり、その制限により救命できないこともある。よくアメリカでは入院日数が少ないと言われているが、それは一日でも入院を延ばすと自己負担額が飛躍的に増大するためで、そうせざるを得ない事情があるからである
- ↑ ある特定の州で産科医が全くいなくなったところもある
- ↑ ホームドクター
- ↑ 虫歯で全例抜歯など
- ↑ 日本では「3時間待ち3分診療」などと言われているが、当時のイギリスの状況は「24時間待ち1分診療」と言われていた
- ↑ 完全に崩壊した現場の士気は不可逆的であり、一旦崩壊してしまうとなかなか元には戻らないという医療崩壊の問題の厄介さを示している
- ↑ 独立行政法人に近い運用形態
- ↑ 日本とフィリピンで自由貿易協定を締結する際にも、この問題が議題に挙がりフィリピンのみならず日本の看護師会からも異論が相次いだ
- ↑ こういう状況はインドのみならず中国でも更には発展途上国全般で見られる。設備の整った病院は主に先進国からの患者に供されていて、低所得に甘んじている現地住民がこうした医療の恩恵を受けるのは甚だ困難になっているのが現実である
参考文献
- Kellermann, AL. Crisis in the Emergency Department. N Engl J Med. 355:1300-1303; September 28, 2006.
- 小松秀樹 『慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』日本経済評論社
- 小松秀樹 『医療崩壊ー立ち去り型サボタージュ」とは何か』朝日新聞社
- 近藤克則 『「医療費抑制の時代」を超えて イギリスの医療・福祉改革』医学書院
- 兪炳匡 『「改革」のための医療経済学』メディカ出版
関連項目
関連外部リンク
- 厚労省 医師の需給に関する検討会
- 厚労省 医療施設体系のあり方に関する検討会
- 周産期医療の崩壊をくい止める会
- 僻地医療Map
- 黒岩祐治のメディカルリポート
- 医療経済財務協会(長 隆の自治体病院経営改革)
- アメリカ医療の光と影
- アメリカの医療の現状
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