鈴木寛
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鈴木 寛(すずき かん、1964年2月5日 - )は、日本の政治家、社会学者、元通産官僚。民主党所属の参議院議員(2期)、元文部科学副大臣。
概要
略歴
兵庫県明石市生まれ。灘高等学校、東京大学法学部公法学科卒業。東大卒業後の1986年4月、通商産業省に入省。資源エネルギー庁に配属された後、国土庁への出向を経て、通商産業省産業政策局や生活産業局に勤務する。その後オーストラリア・シドニー大学特別研究員を経て帰国し、本省での勤務の他、山口県への出向も経験した。1999年、通商産業省を退官し、慶應義塾大学環境情報学部助教授に就任。2000年、特定非営利活動法人スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(SCIX・シックス)の設立に関わる。また母校である灘中学校、灘高等学校の教諭(情報科)も務めた。
2001年、第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で東京都選挙区から出馬し、初当選。2005年9月、前原誠司新代表の下で民主党「次の内閣」文部科学大臣に就任。
2007年、第21回参議院議員通常選挙で再選を果たすが、共に民主党から立候補していた新人大河原雅子に得票数では及ばなかった(鈴木の選対は長島昭久、大河原の選対は小宮山洋子)。
2009年9月、鳩山由紀夫内閣で文部科学副大臣に就任。菅直人内閣でも再任され、川端・高木2大臣の下で文部科学行政を担当。2011年9月、野田内閣発足にあたり、文部科学副大臣を退任。
政策・主張
- 2009年6月、超党派で「個人献金の拡大に向けた新たな献金スキームに関する提言」の策定を主導し、全国銀行協会及び日本クレジット協会へネット献金の一般化を申し入れた。
- 教育改革に熱心であり、民主党の改正教育基本法案の策定を主導。鈴木の案は自民党案よりも保守的な要素が強く、櫻井よし子は鈴木の案を絶賛している。
人物
- リクルート出身の杉並区立和田中学校前校長・藤原和博とは旧知の仲[1][2]。藤原を取り上げた2006年11月放送の「NHK・ETV特集[3]」「TBS・筑紫哲也 NEWS23[4]」にはそれぞれ鈴木がサブリミナル的に映り込んでおり[5]、2007年の参議院選挙の政見放送では当の鈴木自身が藤原との交友を披瀝。橋下徹市長の下、年収1000万円以上を対象とした転職会社が参画した大阪市の小・中学校の校長公募[6]の説明会が東京で行なわれた際は鈴木もこれに参加[7]。この様な関係からか、2005年東京都議会議員選挙で民主党は「校長公募200人」を主張[8]。その他、メディアへの露出は枚挙に暇が無い[9]。
- グロービス経営大学院学長堀義人が発起人代表のYES!PROJECTが主催した過去10回のイベント中8回に、パネリストとして参加[10][11][12][13][14][15][16][17]。因みにこの企画の発起人[18]で、第1回、第2回のイベントで共演したメンバーはみんなの党より立候補[19]。
- 日本教育再興連盟元理事
鈴木と同じ発起人[20]が代表取締役社長である企業は、こちらも発起人の藤原が校長であった杉並区立和田中学校の協力会社[21]。やはり、発起人であるNPO法人理事長はYES!PROJECTの発起人幹事長でもある。
- 六本木男声合唱倶楽部メンバー
民主党のロゴを発案した浅葉克己[22]ら、民主党関係者が目立つが[23]、過去には宮内義彦や山本一太も参加[24]。
- スポーツ政策にも明るく、その縁で元東京ヤクルトスワローズの古田敦也とも親交がある。2007年の参院選では、古田が鈴木の応援に駆けつけた。
著書
- 「中央省庁の政策形成過程」(共著、城山英明・細野助博)
- 「インターネットの素朴な疑問」
- 「コミュニティー・スクール構想」
- 「中学改造」(藤原和博編、他共著)
- 「ボランタリー経済の誕生」(共著)
- 「IT2001何が問題か」
- 「情報収集力」(藤原和博主著)
- 「世界でいちばん受けたい授業」(藤原和博主著)
- 「世界でいちばん受けたい授業2」(藤原和博主著)
- 「先生復活」
- 「人生のつくり方」(藤原和博と107人の仲間たち[25]・02年12月サンマーク出版)