ニャンニャン事件
ニャンニャン事件(―じけん)とは1983年の芸能界の事件。
概要
女優・タレントの高部知子(当時15歳)のベッドで裸体に布団を掛けた状態で煙草を咥えた様子を捉えた写真が1983年6月に写真週刊誌『FOCUS』(1983年6月24日号)に掲載された事件である。当時の高部は、テレビ朝日のバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で「萩本家の愛娘」3人で構成されたユニットわらべの長女・のぞみを演じて人気者になり、1983年には穂積隆信の家族で実際に起きた非行問題をまとめたノンフィクションをドラマ化し、最高視聴率45.3%を記録した『積木くずし~親と子の200日戦争』で主人公・不良少女役を熱演して[1]、「第二の大竹しのぶ」とも言われた存在だった[2]。
『FOCUS』編集部の取材に対して、高部の所属事務所のボンド企画は写真に写っているのが高部本人で本物と認めており、掲載された写真のリラックスした表情から交際相手との性行為の前後の写真ではないかと見る者が多く、またタバコを咥えていたことは未成年の喫煙の観点から問題視されて、一大スキャンダルとなった。なお、『FOCUS』は記事中に喫煙も性行為についての価値判断は示さずに事実を伝えただけなのに対して、後追いした多くの週刊誌が違法行為である15歳の喫煙を問題視とする論調であった[3]。
この影響で高部は出演中の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』と文化放送のラジオ番組を降板させられ、『積木くずし』の再放送も中止、高部が主演するはずだった劇場版の『積木くずし』もクランクインしていたが、降板して代役が立てられた。高部が起用されていた三菱鉛筆、ハウス食品、牛乳石鹸のCMも中止になった。通学していた堀越高校は無期停学になり謹慎を余儀なくされた[1]。
『FOCUS』編集部に写真を持ち込んだのは18歳の少年で、事件の3ヶ月前に『積木くずし』のエキストラとして知り合った高部の3歳年上の元交際相手だった[1]。動機は金銭目的ではなく、当初民放のテレビ局に写真を持ち込んだところ、取材が始まったが局の上層部から企画が潰され、さらに暴走族や暴力団から嫌がらせを受けるようになったため、自衛のために持ち込んだのだと編集部に語っていたという。実際に少年は謝礼を一切要求しなかったという[4]。
その後も、高部の手紙や会話の録音テープを芸能誌や女性週刊誌が競うように掲載していった[5]。写真をリークした少年は、ストレス性胃潰瘍で入院した後、同年9月4日、茨城県東茨城郡桂村(現在の城里町)の林道で、自動車の排気ガスを使った自殺死体で発見された[1][6]。
『FOCUS』の記事で、「ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後の、一服である」という記述があり[1]、「ニャンニャン」=「性行為」という意味だったが、『FOCUS』がニャンニャンという表現にしたのは、記事を執筆したが記者が「セックス」という言葉を使いたくなく[3]、「わらべ」としてリリースしたシングル「めだかの兄妹」の曲中、彼女のソロパートの歌詞に本来他愛のないフレーズ(幼児語)「ニャンニャン」を使用した一節があるためだった[1]。
ニャンニャンはその後、性的な意味合いと結び付けられ、当時の流行語にもなった。後の人気テレビ番組『夕やけニャンニャン』(おニャン子クラブを輩出したフジテレビの夕方の情報バラエティ番組)の語源とも言われる[7]。
少年は『FOCUS』の記事中で高部の性行為の経験は豊富だったようだと証言している[8]。一方、高部本人は1984年の自著「ハンパしちゃってごめん」で、写真について「遊びで撮ったもので」性交渉もなければ「演技の練習で」と実際は喫煙しておらずタバコを咥えていただけと述べている。
以上「ニャンニャンする」という語についてはさまざまな俗説があるが、その真のルーツはニッポン放送の『谷山浩子のニャンニャンしてね!』というラジオ番組にある。当初、谷山浩子はこの「ニャンニャンする」を、猫の鳴き声や「何々する」などにかけた意味不明の造語として設定していた。そんな中、読者からの投稿ハガキの中で、この語が初めて性行為の意味で使用された。この番組のリスナーであった高部がそれをプライベートで使った、という経緯は後に本人も認めている。ちなみに、その後谷山浩子のオールナイトニッポンの中に作られた『勝手にニャンニャンするな!』のコーナーでは高部も共演している。要出典
事件直後に高部は番組に電話出演して謝罪し、高部は欽どこファミリーを謹慎するという扱いでだったが、2ヵ月後に元交際相手が自殺したため、遺族に配慮するという理由により完全に降板(わらべからも除名)となった[9]。以降、わらべは残りの二人(倉沢淳美、高橋真美)だけで活動することになった。
一方、写真を掲載したことで『FOCUS』は部数を大きく伸ばし、1ヵ月後の部数が150万部を突破した。当初、『FOCUS』は芸能記事をほとんど掲載しておらず、高部のニャンニャン写真についてもニュースバリューがあるとは思っておらず、その号のトップ記事は政治家の河本敏夫の記事だった。しかし、ニャンニャン事件で飛躍したのを機会に専門の芸能記者を雇い入れるようになったという[10][11]。
参考資料
- 「スクープの裏側 「芸能記事」のスタイルを変えた 高部知子ニャンニャン写真」『フォーカススクープの裏側』フォーカス編集部編、新潮社、2001年、pp.36-45。
- 宝泉薫「くずれっぱなしの病理 高部知子、穂積由香里の積木くずし」『芸能界一発屋外伝』彩流社、1999年
- 深井一誠「昭和芸能史13の事件簿 高部知子 ニャンニャン写真の波紋」『新潮45』2005年9月号、新潮社
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 『新潮45』2005年9月号
- ↑ 『フォーカススクープの裏側』p.40。
- ↑ 3.0 3.1 『フォーカススクープの裏側』p.43。
- ↑ 『フォーカススクープの裏側』pp.41-42。
- ↑ 『フォーカススクープの裏側』p.44。
- ↑ 藤木TDC『映画秘宝コレクション 醜聞聖書 ザ・バイブル・オブ・スキャンダル』洋泉社、1998年、p.125。
- ↑ 石橋春海『封印歌謡大全』三才ブックス、2007年、p.198。
- ↑ 『フォーカススクープの裏側』p.39。
- ↑ 『週刊女性』1983年9月27日号の萩本欽一の発言(宝泉薫「わらべ "古きよき子供"たちが演じた三人三様の明と暗」『オルタブックス004 アイドルという人生』メディアワークス、1998年、pp.76-79.)。
- ↑ 『フォーカススクープの裏側』po.44-45。
- ↑ 斎藤勲『さらばフォーカス! アンカーライターが見た興亡の20年』飛鳥新社、2001年、pp.132,168-169。