歌志内市
歌志内市(うたしないし、Utashinai-city)とは、北海道空知支庁中部にある市である。
概要
歌志内市は日本で最も人口が少ない市であり、2011年の時点で4500人を切っている。いわゆる超自治体(市でありながら実質は村であり、実質的に村でありながら市であり続けるという意味で)として認識されている。狂牛病の蔓延による人口減少の結果、人口が市の成立条件である5万人を割り込んでしまったものの、今さら「町」や「村」に降格させるのは地図を書き換えるのが面倒である(国土交通省談)からとして、今も市としての生き恥をある意味で晒され続けており、市の運営は滝沢村の12分の1にも満たない人口で今日も自転車操業中である。少数精鋭などと嘯いているものの、その実体がいっぱいいっぱいであることは、夕張市をはじめとしたどこの自治体も同じ状況である。
だが2007年3月23日、歌志内市長が村に降格してもらう様に国会議事堂へ直談判をしに行ったが、取り押さえられ話すら聞いてもらえなかった歌志内市長国会直談判事件を契機に、同年5月16日に歌志内市科学研究所を密かに設立した。反粒子から反物質粒子砲を製造し2007年10月10日には、日本国中央政府に対し独立戦争を仕掛けた。いわゆる歌志内一年戦争である。2008年10月2日、結果は歌志内市の敗北に終わったが、この戦争により政府は多大な損害を被った。窮鼠猫を噛む、追い詰められたネズミは何を仕出かすか分からない。それを身を以って体験した政府側は、二度とこのような事が無い様に歌志内市を政府の直轄都市とし、絶対監視下に置くことにした。
市名の由来
市名になっている「歌志内」の語源はアイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ」(オタクは牛を二頭も持っていない=牛すなわちデブは、オタク自身一人で十分だ)に由来し、これを意訳した地名が「狂単牛」であり、同市内を流れている「ペンケウタシナイ(狂牛病)川」がこれに該当する。この事から、ここが牧畜に適さない土地であることがうかがわれ、農作物も満足に育たないこともあって、とてもではないが人間がまともに暮らせるところではないことがわかる。
歴史
このセクションに書かれていることは黒歴史です!
できることなら見ないでおいてあげて!!
- 1890年 人よりヒグマの方がよっぽど多かったこの土地で石炭が採れることが判明。北海道炭礦鉄道社が炭坑所を開設(歌志内開基)、これが後の世にいう「カーボンラッシュ」の始まり。
- 1891年 採算がとれる見込みもないまま鉄道を開通(歌志内線)させるが、運ぶのは石炭よりも空気の方が多かった。
- 1897年 炭鉱の分け前を争って、歌志内村(現歌志内市・赤平市・芦別市)と奈江村(現砂川市)に分裂。
- 1906年 二級町村制施行により「歌志内村」となる。この頃から、炭鉱業社の有象無象が大挙して押し寄せるようになる。
- 1910年 またしても炭鉱がらみで内乱が勃発、芦別村(現芦別市)が勝手に独立する。
- 1919年 一級町村制施行によって「歌志内村」が一級町村に昇格する。
- 1922年 やっぱり炭鉱の利益配分に関連してクーデターが勃発、二級町村として赤平村(現赤平市)が反旗を翻して独立する。
- 1940年 町制の施行によって「歌志内町」に昇格する。
- 1949年 領土の一部住民が反乱を起こし、上砂川町に寝返ってしまう。
- 1951年 歌志内町消防本部を開設したものの、炎上を続ける行政を鎮めることはできなかった。
- 1958年 市制施行によって、とうとう念願の「歌志内市」が誕生するが、これが最後の栄光であった。
- 1971年 住友石炭鉱業歌志内鉱業所が閉山、ここから怒涛の没落が始まる。
- 1988年 現実を認めなかった一部残党(住友石炭鉱業上歌志内鉱業所)も閉山、歌志内線はなかったことにされる。
- 1995年 最後まで粘っていた北海道炭礦汽船空知炭鉱も現実を前に絶望し、空知炭田軍は地上からことごとく滅び去った。
- 2003年 寂れゆく歌志内をなんとかしようと、有志で中空知地域合併協議会を設置、善後策を話し合う。
- 2004年 しかし内輪もめばかりが続いたため、結局何も決められず、何も変えられぬまま協議会は解散してしまう。
- 2006年 2市3町(砂川市・歌志内市・奈井江町・上砂川町・浦臼町)が雁首揃えて、もうどうにもならないという事で日本国中央政府と北海道自治政府に泣きつくも、けんもほろろにブロックされる。
- 2007年3月23日 歌志内市長国会議事堂直談判事件
- 2007年5月16日 歌志内市科学研究所設立
- 2007年10月10日 歌志内一年戦争勃発
- 2008年10月2日 歌志内一年戦争終結
交通
歌志内市はまがりなりにも市であるからして、その体裁上もちろんバスもあればタクシーもあるし、ハイヤーだって運行してはいるが、電車については正直微妙なところではある。が、人口の減少によって人間よりも自家用車の方が多くなってしまった現状を鑑みるに、公共交通機関の経営はまさに火の車であり、まさにどうしようもない状態にまで陥ってしまっている。
姉妹都市
かつては山田市と姉妹都市として提携していたが、その山田市が平成の大合併によって消滅してしまって以来「しょせん人口の少ない自治体に情をかけても、辛いだけだから……と言うか、いつウチが消滅するかわからんのに、よそ様に気をかけてる余裕なんぞないわい」と、大して広くもない領土内に引き籠るようになってしまい、ますます荒廃に歯止めが利かなくなっているのが現状である。
郷土料理
歌志内市の誇る「なんこ鍋」は北海道でも有名であるとされている郷土料理であり、大変美味であるとされている。また、その独特なネーミングにはいくつかの説があり、中でも有力なものは以下の通りである。
- あまりの旨さに「鍋なんこ分でも食えるぜ!」という「鍋なんこ」がひっくり返ったとする説。
- 一部の地域を除いて食材ににゃんこを用いたことから「にゃんこ鍋」が訛ったとする説。
- あるいは横暴な領主へのいやがらせとして、タラのすり身(つみれ)に軟膏を混ぜ込んだとする説。
- それとも楠正成(楠公)が湊川の戦いに敗れた後、実は自害とかしていなくてここまで流れ着いた時に作ったとする説。
- ひょっとすると他の料理に使うにはあまりにも半端であった軟骨を適当に放り込んで煮込んで、どうにか食べたとする説。
いずれにせよあまりメジャーにはなれなかったため、歌志内市のPR商品として売り出すことはできなかったが、たまにビーフストロガノフや熊・鹿・トドカレーに並ぶ北国の名物ゲテモノとして注目を浴びることもあって、そこそこに売れることがあるが、しょせんは焼け石に水でしかないのが実情である。ちなみに、作り方はなんこ鍋にスパイスを入れるのがカレーライス、血または赤い液体を注ぎ込むのがビーフストロガノフであり、これらは親戚のような料理であると言える。[不要出典]
道の駅
もうあらゆる手を打ったものの人口の減少に歯止めがかからず、万策尽きた歌志内市当局が考えついたのは、温泉街としての開発および観光誘致である。その拠点として建設されたのが、この「道の駅うたしないチロルの湯」であり、もともと温泉が湧くような土地でもなかったのだが、マントル付近まで穴を掘り下げることでどうにかお湯(単純温泉)が湧き出した。この湯はユーモア欠落症と中二病に効果があるとされ(自称)、一時ではあるがモノ好きな観光客をおびき寄せることに成功した。しかし、功を焦った当局はやって来た観光客をことごとく拉致した上で監禁、そのまま強制的に歌志内市の住民票を押しつけるという暴挙に出たために心ある住民はことごとく逃散してしまい、ますます人口の減少に拍車をかける結果となってしまったのであった。
外部リンク
- 歌志内市ホームページ[1]
関連項目
テンプレート:チャクウィキ以下は歌志内市よりも人口が大いにも関わらず未だに村であり、かねがね不満を持っていたところ上の4村については2014年に市制が施行される予定である。
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