江頭2:50

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江頭 2:50(えがしら にじごじっぷん、本名:江頭 秀晴〈えがしら ひではる〉、1965年7月1日 – )は、日本お笑い芸人芸能事務所大川興業の所属にして同社の筆頭株主であり、かつ同社の前総裁でもある(現総裁は大川豊)。愛称は「エガちゃん」「エガ」。佐賀県神埼郡千代田町(現:神埼市)出身。血液型B型。身長178cm。体重60kg。

来歴

1983年佐賀県立神埼高等学校卒業後、九州産業大学経済学部経済学科に入学するも中退、その後、さまざまな職を転々していたが、芸人を目指して上京。ビートたけしに弟子入りしようと出待ちするなどしていた。

1988年、求人雑誌で大川興業が人材を募集しているのを知り、自身の勉強を兼ねて大川興業の公演を見に行き、感銘を受けて入ることを決意。試験に合格し大川興業に入社。入社した経緯について、江頭は「大川興業の書類応募に、ラサール石井の本を丸写しして出した。こいつは天才だと言うことで面接に呼ばれた」「面接でいきなり『持ちネタを披露してください』と言われ困った挙句、芸人になる前に経験した訪問販売を実演したところ、大ウケして採用された」とラジオ番組で語っている。

ばってん荒川に憧れて芸人を目指したため、デビュー当時は「バッテン江頭」の芸名を名乗っていたが、夜中に酒を飲んで酔いが回ると必ずと言っていいほど深夜2時50分以降に暴れ出し、ゲイキャラになることから江頭2:50と名付けられた。また、大川興業入社当初は「店頭公開」というコンビを組んでいたが、相方に迫ったところ逃げられてしまった。その後コンタキンテと共に「男同志」というコンビを組み『タモリのボキャブラ天国』等に出演していたが、1997年、コンタキンテが大川興業を退社しフリーとなったためコンビ解消。男同志時代からピン芸人としてソロライブやテレビ出演をしており、現在のスタンスは基本的にピンだが、時々寺田体育の日と組んで「おやじ同志」として活動している。

2004年2月に体調を崩し、芸能活動を一時休止。本人がラジオで語ったところによると「表情がなくなる病気・感情表現ができない病気」だったという。休業中に、生活のためにスポーツ新聞に掲載された「ヌードモデル募集」の広告を見て面接に行った際のエピソードをラジオおよび『電気グルーヴのモグラネグラ』で語っている。同年9月に復帰。

家族

複雑な家庭環境で育っており、この点を過激な発言が許される媒体『hon-nin』(太田出版)のインタビューで語った際、インタビュアーの吉田豪から「書ける訳がないです!」とさじを投げられた。

父方の祖父は江頭政六(元佐賀県千代田町長)。

実父は佐賀県で酒屋を営んでいたが、息子が有名になってから江頭2:45(えがしら にじよんじゅうごふん)の芸名でタレント活動を始めた。きっかけは、江頭の地元の佐賀県立鳥栖商業高等学校の文化祭への出演依頼が父親の元に来た際、「スケジュールの都合で江頭2:50は来られない」と勝手に断った上に、父親自身が文化祭に出演したことによる。かつて裁判形式のバラエティ番組・『ウンナンの桜吹雪は知っている』(TBS)にて、江頭が「父親が自分の芸をパクって、勝手に芸能活動をしている」として父親のタレント活動を抑制してほしいと訴え出るも、その後“人権無視の暴言”を連発したために敗訴した。なお、江頭2:45は2006年に息子の任期満了に伴う第3代大川興業総裁選に出馬し、落選している。

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