弘道会
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二代目弘道会(こうどうかい)は、名古屋市に本拠を置く日本の暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体。前身は弘田組。構成員は約4000人。
略歴
昭和41年(1966年)5月5日、名古屋港で沖仲仕を仕切っていた三代目山口組(組長は田岡一雄)鈴木組・鈴木光義組長(中森光義とも名乗った)がヤクザから引退し、鈴木組を解散させた。鈴木組若頭・弘田武志が鈴木組を引き継ぎ、弘田組を結成した。弘田武志は、山口組直参となった。その後、弘田武志は、司忍を、弘田組若頭に据えた。司忍は、司興業を設立した。
佐々木康裕が三代目山口組(組長は田岡一雄)弘田組・弘田武志組長より親子盃を受け、佐々木組を結成した。
昭和50年(1975年)、髙山清司は、佐々木組若頭に就任した。
昭和51年(1976年)、佐々木組は菱心会と改名し、髙山清司は菱心会理事長に就任した。
昭和59年(1984年)、弘田武志が、一和会には参加せずにヤクザから引退した。弘田組若頭・司忍(司興業組長)が、弘田組を引き継ぎ、弘道会を設立した。
平成17年(2005年)3月、弘道会若頭・髙山清司(二代目髙山組総裁)が二代目を継承した。
歴代会長
- 弘田組:弘田武志(三代目山口組若中、旧鈴木組若頭)
- 弘道会初代(1984年6月~2005年3月):司忍(五代目山口組若頭補佐兼中部ブロック長、司興業初代組長。後に弘田組組長、六代目山口組組長)
- 弘道会二代目(2005年3月~):髙山清司(六代目山口組若頭、二代目髙山組総裁(初代組長)、元菱心会理事長)
最高幹部
脚注
参考文献
- 芹沢耕二、鴨林源史『実録王道ヤクザ伝 山口組六代目司忍』竹書房、2007年、ISBN 978-4-8124-6604-9
- 東史郎、二ツ木哲郎『実録王道ヤクザ伝 真説 山口組六代目司忍 飛翔編』竹書房、2008年、ISBN 978-4-8124-6672-8
- 東史郎、鴨林源史『正道ヤクザ伝 六代目山口組若頭 髙山清司』』竹書房、2008年、ISBN 978-4-8124-6662-9