セーラー服
セーラー服(セーラーふく)とは水兵(セーラー、英語:sailor)の着用する軍服(甲板衣)である。子供服として世界的に流行した。日本では主に女子通学服用として定着した。
軍服としてのセーラー服
現在のような独特のセーラーカラーのある水兵の制服は1857年にイギリス海軍が制定した軍服が最初とされる。当時のイギリス海軍は最も進んだ海軍であったため各国の海軍がイギリスにならって海軍をつくっていた。このためセーラー服も各国の海軍が採用した。日本海軍でも1872年に水火夫の制服として採用されている。水兵であるという設定のポパイも劇中でセーラー服を着用している。またドナルドダックの服装も水兵をイメージしている。
セーラー服の独特な大きな襟(「ジョンベラ」と呼ぶ。由来は「John Bull」から)は甲板の上では風などの影響で音声が聞き取りにくくなるので、襟を立て集音効果を得るためとか、セーラー服が出来た頃の貴族階級の男性の髪型は長髪を後ろで括ってポマードで塗り固めていたため、なかなか洗濯が出来ない船乗りにとっては後ろ襟や背中がすぐに脂やフケで汚れてしまったためといわれているが、定かではない。セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためといわれている。装飾として胸元にネクタイ(蝶結び)がある。色は水色、藍色、赤、緑、黄色などとバラエティに富んでいる。これも起源は水兵が手ぬぐい代わりに使うためのものとされている。
イギリスではセーラー服は海軍幼年学校の制服に採用され、その後海軍好きのイギリスの国民性から子供服として流行するようになった。この流行は19世紀末から20世紀初頭にかけて世界的な物となった。また、19世紀のフランスでは女性のファッションとしてセーラー服が着られるようになり、その後ボーイッシュ・ブームの一環としてヨーロッパ各国やアメリカで女性のファッションとして流行した。
現在でも海上自衛隊において男性の海士の制服として用いられている。男性の幹部、海曹はダブルのスーツ、または詰襟が制服であり、女性自衛官はダブルのスーツまたはシングルのスーツが制服である。
女子学生の制服としてのセーラー服
日本で女子学生の制服としてセーラー服が採用されたのは1920年、京都府の平安女学院とされている[1][2]。これはセーラー服の襟の部分が付きベルトで腰の辺りを締めるワンピースで、現在一般的に見られるようなセーラー服は福岡県の福岡女学院で時の校長エリザベス・リーが活動しやすい体操服として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、1917年に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができるよう動きやすくするため、上着だけで3年を費やした。1920年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰っていたが太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用されその翌年に制服として採用された。同年、愛知県の金城学院でも制服としてセーラー服が採用されている。セーラー服が全国に広まった背景には、男子学生が陸軍の軍服に強く影響された折襟の学生服を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われている。
記号としてのセーラー服
日本では「セーラー服」という言葉はしばしば女子中高生を表す記号として使われる。たとえば赤川次郎の小説で映画化もされた『セーラー服と機関銃』は海軍陸戦隊の機関銃手の物語ではなく、ヤクザの跡目を継ぐ事になった女子高生の話であり、ドラマ『セーラー服反逆同盟』は『戦艦ポチョムキン』のような水兵の反乱を描いたものではなく、4人の女子高生が悪の巣窟と化した学園に革命を起こすというドラマである。
1980年代に校内暴力やイジメなど学校の荒廃が社会問題化した。当時不良女子学生の間では、セーラー服のスカート丈を地面を引きずるほど長くするなど制服を改造することが流行していた。学校側は「服装の乱れは生活の乱れ」という標語を掲げ服装チェックなど実施して対抗したが効果が上がらなかった。そのなかで一部の学校では着崩す事が難しい制服として、それまでのセーラー服からブレザーとチェックのスカートの組み合わせへと変更した。
チェックのスカートは丈を延ばすとまるで安手のカーテンのようになり格好が悪いため改造する者が激減した。また「どうせ行くなら、かわいい制服の学校に」という女子学生が制服を変えた学校に集まり、結果的に偏差値が上がり問題の多い生徒が減るなどの効果があったため1980年代の後半から1990年代にかけて、特に郊外や地方都市の私立高校などでブレザーの制服に改めるところが増えた。中には有名なブランド、デザイナーによる制服を採用する高校もあった(「制服向上委員会」の活動を参照)。その一方で「名門」と呼ばれる学校では頑なにセーラー服を変更しなかったがために、かえって現在では一種のステータスのようになっている例も見受けられる。
着崩す事が難しいとして採用されたこの制服もスカート丈を短くしてルーズソックスと組み合わせるなどして結局は着崩されることになる。また、スカートの短矩化とルーズソックスはセーラー服にも波及した。結果としてセーラー服姿の女子高生が減り、「ミニスカートとルーズソックス」というあらたな女子高生を表す記号が増えることになった。しかしながら年配層にはまだまだ女学生=セーラー服という固定観念が強いためコントや学園ドラマでの女子高生役の人間はたいていはセーラー服姿である。ちなみにタイでは、一部の学校において日本風のセーラー服に変えたところ、高校によっては志望者が大幅に増えたところもある。
セーラー服についてのイメージを変えたのは武内直子の漫画およびそのアニメ化作品である『美少女戦士セーラームーン』とされている。普通の女子学生である主人公たちは変身すると、ほぼノースリーブ型に超ミニスカートというスタイルで今までのセーラー服の常識を覆す物であり、さらにそれを着用するセーラー戦士達は耳にピアスを付け、ブーツやハイヒールを履き、それぞれのイメージカラーに合わせた染髪をするなどおしゃれな着こなし方をしている(ピアスは普段からしている。染髪はキャラクターデザイン上の表現であり、劇中で実際に染髪として扱われているかは不明)。だが、1990年代以降この作品はミュージカルや実写ドラマなどに受け継がれているが、これによってセーラー服が見直され大切にされるようになったとは言い難い。しかし、この作品が制服のスカート丈を短くしたのではないかという見解がある(ただし、変身前のキャラクターはミニスカートではない)。
セーラー服のインターネット通信販売
近年、インターネットによる通信販売(以下:ネット通販)が増えた。その中で学校指定の無いセーラー服の通信販売が増加の傾向にあるという。色も紺色から黒色、ピンク色と種類が豊富。また学生スカートも紺、グレー、チェックが選択できる。またプリーツ、ボックス、三本ヒダなども選べる。ウエストも57~110cmまであり、男性の着用も可能なものとしている。
男性(男子高校生も含む)が購入していることも多く、主に黒~紺色をはじめセーラー服だけアイボリーホワイトなどもある。学生スカートだけの購入もあり、グレーのプリーツスカートを購入している男性もいる。
コスプレのパーティー用としても購入している女性もおり、多いのはピンクとチェック柄である。
通信販売も運営している人気のセーラー服メーカー「KURI-ORI」は2007年夏に放送されたドラマ『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~』や『ライフ』へ衣装提供をした。
関連項目
外部リンク
- 制服図鑑通信局(『東京女子高制服図鑑』の著者・森伸之のサイト)
- なぜ、女学生が水兵の格好をするのか
- 青春とセーラー服の文化社会論
- 20世紀制服保護協議会
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