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2022年2月9日 (水) 09:18時点における版
大友 直人(おおとも なおと、英:Naoto Otomo、1958年〈昭和33年〉5月19日[1] - )は日本の指揮者。[2]
東京都豊島区出身[3]。幼少期よりピアノを学ぶ。東京学芸大学附属竹早小学校に入学したが、小学校3年生の頃に音楽愛好家であった父のレコードを聴いて本格的に音楽の道を目指すようになった[4]。父の伝手で渡邉暁雄を経由して斎藤秀雄と面会する機会を得、桐朋学園高等学校に進学するまでに楽器を学ぶことを勧められたことで、東京学芸大学附属竹早中学校に進学した際にコントラバスを始めた。桐朋学園高等学校に進学した年に斎藤が死去してしまったが、森正、秋山和慶、尾高忠明、岡部守弘の各氏に指揮法、小野崎充にコントラバス、平吉毅州に作曲をそれぞれ学んだ。桐朋学園大学に進学後、同大学の学長であった三善晃の作品の公演で作曲者直々から依頼されて指揮をして成功を収め、大学2年次からNHK交響楽団の指揮研究員となった。また、アメリカのタングルウッド音楽祭の指揮法の講習に参加し、レナード・バーンスタインや小澤征爾の指導を受けた。大学4年生の時にNHK交響楽団主催の「若い芽のコンサート」で指揮者デビューを果たした。1983年から日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者となり、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者陣にも加わった。1991年より東京交響楽団の正指揮者となり、2004年には同楽団の常任指揮者となった。1995年から京都市交響楽団の正指揮者も兼任し、翌年から首席指揮者、2001年から同楽団の常任指揮者を務め、2004年から芸術顧問も兼務した。2000年から新設された琉球交響楽団の音楽顧問を務める。
脚注
- ↑ アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
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- ↑ (2019-02-05) 指揮者・大友直人(60)(2)レコードで心震え決意 産経新聞 arch. 2022-02-09 2022-02-09