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2020年1月12日 (日) 20:07時点における最新版
聖域なき構造改革(せいいきなきこうぞうかいかく)とは、日本の小泉内閣(2001年 - 2006年)が掲げた経済政策スローガン。小泉構造改革とも呼称した。また、当事者たちは新世紀維新とも称していた[1]。
発想そのものは新自由主義経済派の小さな政府論より発したものである。郵政事業の民営化、道路関係四公団の民営化等、政府による公共サービスを民営化などにより削減し、市場にできることは市場にゆだねること、いわゆる「官から民へ」、また、国と地方の三位一体の改革、いわゆる「中央から地方へ」を改革の柱としている。
目次
概説[編集]
「聖域」とは[編集]
政府、自民党が用いた例としては以下の2例を記す。主として、元首相の小泉純一郎が所属していた清和政策研究会と対立関係にある旧経世会の権益に属する分野のことをさす要出典。
- 「ここまで進んだ小泉改革」(首相官邸ホームページより)では、行財政改革のページ(郵政民営化を初めとする特殊法人改革を紹介。P35)で、「聖域なき改革」という言葉を使用。
- 「骨太の方針」説明の中の、予算の編成について「聖域なく見直しを行う」という言葉を使用[2]。
「構造改革」とは[編集]
構造改革という用語自体はイタリア共産党書記長のパルミロ・トリアッティが第二次世界大戦後に打ち出した路線が根源であり、議会制民主主義の枠内で政治・経済体制などの基本構造を根本的に変更し、社会問題を解決するという方針に基づく大規模な社会改革を指している。
構造改革とは「潜在GDPそのもの」を拡大させるための政策である[3]。経済学者の竹中平蔵は「日本は、供給側を重視して生産性を高めていく政策を掲げなくてはならない。構造改革の本質は、供給側の強化である」と指摘している[4]。
「改革」の柱[編集]
骨太の方針 も参照
- 官から民へ
- 中央から地方へ
- その他の改革
等
経緯[編集]
構造改革#1940年体制 も参照
2001年5月5日、小泉純一郎首相は「所信表明演説」で「今の痛みに耐えて、明日を良くしようとする米百俵の精神こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないか」と述べた[5]。
小泉個人は「構造改革なくして景気回復なし」と発言しており、郵政民営化や企業法整備などの日本国内の供給面での構造改革を通じた拡充と安定が日本経済の回復にも貢献すると考えていた。「改革」を巡っては、推進役として竹中平蔵を閣僚に起用し、骨太の方針などを発した経済財政諮問会議を司令塔として、自民党の改革反対派議員や官公庁と対立することとなる[6]。
自民党の一部の議員は郵政事業の民営化に反対したが、小泉の支持者達は反対派議員を十把一絡げにして「選挙に際して全国の特定局長OBによる組織『大樹』から支援を受けている為だ」と喧伝した。また、小泉内閣は財政の健全化のためとして公共事業費を削減しているが、これに対しても自民党議員の一部が反発した要出典。
小泉はこうした構造改革に反対する議員達(後には、改革に反対する官庁なども含まれるようになる)を「抵抗勢力」と呼んだ。この抵抗勢力はあくまで小泉からの呼称という性格が強く、その議員や諸勢力が小泉と妥協する、あるいは小泉に屈服すると、小泉は「抵抗勢力が考えを改めて改革勢力に転換した」と称賛することもあった。郵政民営化に反対した亀井静香などは抵抗勢力の中心人物と目され、国民新党の結成と自民党からの除名へ発展した。ただし、自民党の政務調査会長時代の公共事業の大幅削減実施や、運輸大臣としての道路公団入札改革などでは小泉による改革を先取りしていた。また、「抵抗勢力」と称された議員や諸団体の多くはこの用語を「小泉によるレッテル貼り」として嫌う傾向があるが、亀井の場合はむしろ肯定的に受け入れ、自分こそが「真の改革派」と反論するために利用する場合もある。
公共事業の削減は地方経済の衰退、雇用の悪化を招くとする議論もあり、主に野党(政権を巡り対立)や労働組合(公務員削減問題などで対立)、医師会(診療報酬や医療費改革問題で対立)などは、本改革をさして「構造改悪」と揶揄したりした。
日米安全保障条約に基づいた在日米軍に対する財政支出(いわゆる「思いやり予算」)について依然として放漫に行われている(義務では無い)ことから、野党に「聖域ある構造改革」と揶揄されることがある。
2003年自由民主党総裁選挙では党内から「小泉おろし」が起こったが、小泉は「総裁選の私の方針が国政選挙の自民党の公約になる」と訴え、自民党総裁に再選された。
2005年夏には郵政民営化問題の衆議院審議に端を発した、衆議院解散、総選挙が行われることになった(いわゆる小泉劇場)。結果として自民党は大勝した。
しかし、国会召集後、相次いで一級建築士らによる構造計算書偽造問題(耐震強度偽装問題)、ライブドア事件、村上ファンド事件、福井日銀総裁の株取引疑惑が明るみに出ると、規制緩和などの一連の「改革」の是非と企業倫理問題点が議論され要出典、それまで小泉内閣を支持していた国民の一部では小泉政権の「改革」を疑問視する声が出て、総選挙直後に比べて、支持率が減少するなどした。
「聖域なき構造改革」を提唱した小泉自身は2006年9月に首相を退任。後任者である安倍晋三は就任後初の会見で「構造改革を加速させ、補強していきたい」と語り、政策面では基本的に小泉路線を継承した[7]。
成果[編集]
非公務員化と民営化[編集]
政府職員の非公務員化と民営化を推進し、国家公務員数を半減させた。 特殊法人等改革基本法を成立させ特殊法人等改革推進本部を設置し、「新独立行政法人の役職員は、原則として非国家公務員とする」方針を打ち出した。
行政機関(除自衛官) 84.1万人 | 特殊法人 42.7万人 |
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行政機関 80.7 万人 | 政府系機関 | 民営化済 | |||||||||||||
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治安関係 | 国税 | 社保・労働 | 河川・道路・湾口 | 防衛(除自衛官) | 入管・税関 | 登記 | その他 | 国有林 | 郵政現業 | 造幣印刷 | 国立病院 | 国立学校 | 独法 | 特殊法人 | JR東日本(7.5) JR東海(2.2) JR西日本(3.9) |
4.9 | 5.6 | 4.1 | 2.0 | 2.4 | 1.3 | 1.2 | 11.5 | 0.6 | 28.6 | 0.7 | 4.4 | 13.4 | 1.9 | 26.1 | |
※その他は、食料(9300)、統計(8200)、航空安全(6900)、気象(6100)、外交(5400)、特許(2500)など |
公務員 66.4万人 | 非公務員 | ||||||||||||
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行政機関 33.2 万人 | 公務員身分の外郭団体 | ||||||||||||
治安関係 | 国税 | 社保・労働 | 河川・道路・湾口 | 防衛(除自衛官) | 登記 | その他 | 国有林 | 特定独法 | 郵政公社 | 非特定独法 | 国立大学法人 | 特殊法人 | |
6.3 | 5.6 | 4.0 | 2.9 | 2.4 | 1.2 | 10.8 | 0.5 | 7.1 | 26.1 | 5.1 | 11.8 | 18.9 | |
※2007年に郵政公社は民営化された |
また、あわせて議員年金を廃止した。
特別会計改革と政策金融機関再編[編集]
財政投融資改革を行い、それにあわせて不要となった特別会計の廃止・再編も行われた。
- 21あった特別会計を、18に統廃合。
- 政府系金融機関の住宅金融公庫は独立行政法人住宅金融支援機構に、国民生活金融公庫・中小企業金融公庫・農林漁業金融公庫を統合し株式会社日本政策金融公庫に改組し、非公務員化された。
- 郵政民営化を行い、官営金融であった郵便貯金・簡易保険は民営化され、残債は独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構が引き継いだ。
地方への税源移譲[編集]
三位一体の改革を行い、「義務的経費は全額移譲、その他の経費は8割を目処に移譲」を目指し、約3兆円の地方自治体への税源移譲が行われた[9]。
規制緩和[編集]
2001年に政府は規制緩和推進3か年計画を閣議決定し、2003年時点で222件の規制緩和措置を行った。
新規参入規制(需給調整規制)の緩和
- 酒類販売業免許を改正し、免許発行数を制限する「需給調整基準」規制を完全撤廃
- アルコール専売法を廃止[10]。代わってアルコール事業法を施行。
- 卸売市場法を改正し、開設許可についての需給調整規制(17条2項2号)を廃止。
- 割賦販売法を改正し、新規参入についての需給調整規制(15条3項)を削除。
- 銀行法を改正し、新規銀行免許発行についての需給調整規制(4条2項3号)を削除。
- 貨物自動車運送事業法を改正し、第一種貨物利用運送事業への参入については許可制を登録制に緩和。
従事資格の緩和
行政手続の簡素化
- 警備業法について5条を改正、公安委員会の警備業認定については「主たる営業所所在地」の管轄公安委一つのみの届出で済む。
- 療養の給付及び公費負担医療に関する費用の請求に関する省令を改正し、電子レセプト処理を大臣指定制から届出制に緩和。
資格免許制度の合理化
民活導入
- 自動車損害賠償保障法を改正し、自動車損害賠償責任保険及び自動車損害賠償責任共済における政府再保険制度を廃止。
- 道路交通法を改正し、民間人による駐車監視員制度を導入。
- 会社法を改正し、株式会社の最低資本金を1円からに。
- 地方自治法を改正し、指定管理者制度を新設。
- 私立学校法を改正し、私立学校審議会委員の登用について割合・経歴身分・手続きを厳密に定めた制度を廃し各都道府県の判断で構成できるように、かつ財務諸表の公開を義務づけ。
医療制度改革[編集]
医療制度改革 も参照
30兆円を超える国民医療負担の膨張に歯止めを打つため、小泉は患者・医療機関・保険者の「三方一両損」による改定を指示し、以下の改定が行われた[11]。
「改革」による影響[編集]
- 経済は、バブル崩壊以降の懸念であった不良債権処理を解決した企業・銀行の業績が回復し、ニューエコノミーへの転換により活性化し、景気は一時的に上向いた(第14循環)。一方で転換の影響によって労働構造が変化(多数の熟練者を求める社会から、少数の創造的な社員と多数の単純作業を求める社会へと変化)し、多数の非正社員を生んだ[12]。2003-2007年の日本の就業形態別就労状況によると、派遣労働者の割合は2.7%増え、日本の労働人口約6600万人の中の約200万人となった[13]。正社員の割合は2001年から2006年の6年間に72%から67%にまで低下し、約230万人減少している[14]。2002-2006年の5年間で、非正社員は320万人増加し、正社員は93万人減少している[15]。労働者派遣法の改正は、短期的には失業率を減らし企業・労働者の双方に利益をもたらしたとされるが、長期的には派遣切り・ワーキングプア問題を生み出し「産業の空洞化」にもつながった[16]。
- 構造改革特区では地方での限定的な規制緩和を行い、一定の成果を挙げ、地方の景気や雇用の掘り起こしがなされた。
- 社会福祉・公共サービスの縮小。
学者の見解[編集]
経済学者のポール・クルーグマンは、2001年7月6日のコラムで「改革の中心は『銀行の不良債権処理』と『非効率な公共事業削減』であるが、今日本にある危機は非効率ではなく需要不足である。小泉改革は問題をさらに悪化させる可能性が高い。竹中大臣は、改革が最終的に需要サイドも改善すると主張していた。そうかもしれないがこれは無謀である。過激な政策は、それがうまくいくとの確信があって取られるものではなく、ひょっとするとうまくいくかもしれないとの思いで実行されるものである。小泉政権のスローガンは『改革か破滅か』である。うまくいくことを願うが、結果として『改革そして破滅』になる可能性が高い」と述べていた[17]。
経済学者の都留重人は、
- 構造改革そのものが自己目的化している
- 不良債権処理、民営化などが潜在成長率を引き上げる根拠が乏しい
などの批判をしている[18]。
経済学者の竹森俊平は、小泉政権の目的が事実上「何をしているのか解らない」状態であったと指摘している[19]。
経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは「郵政民営化を大きな争点にしたことによって、より根本的な問題から目をそらすことになった」と指摘している[20]。
定義[編集]
経済学者の佐和隆光は「私の考えでは、構造改革とは日本の市場経済を自由、透明、公正なもにつくりかえる、つまり『市場主義改革』である。小泉構造改革の具体的中身は不良債権処理と財政改革であり、私の定義では構造改革ではない」と指摘している[21]。
経済学者の野口旭、田中秀臣は「構造改革そのものは、基本的に効率性促進を目的としたミクロ的政策である」と指摘している[22]。
田中秀臣は「構造改革とは資源の効率的配分を促す政策であり、マクロ経済政策(財政政策・金融政策)は景気を改善させるために用いる政策である。双方は目的が違うため、矛盾・対立するものではなく、むしろ補完関係になることが多い」と指摘している[23]。田中は「循環的(短期的)視点と構造的(長期的)視点は対立するものではなく、双方それぞれの視点から見た適切な経済政策が割り当てられる」と指摘している[24]。
経済学者の岩田規久男は「無駄をなくし生産性を高めるための経済政策としては、規制・ルールを変えて市場の性能を良くする構造改革を割り当てるべきである」と指摘している[25]。
不良債権処理[編集]
竹中平蔵は「不良債権処理は、景気をよくするための必要条件であるが、十分条件ではない」と指摘している[26]。
野口旭、田中秀臣は「不良債権は確かに銀行の信用創造機能を阻害するが、その処理さえすれば景気が回復すというわけではない」と指摘している[27]。
エコノミストのリチャード・クーは、経済の停滞は、不良債権によって銀行がリスクを恐れて貸し渋りを行っているため起きているのではないとしており、政府の強引な不良債権処理は、資産価格の下落を通じていっそう悪化してしまうと指摘していた[28]。
森永卓郎は「1996年頃には、首都圏の商業地の地価はバブルが始まった1986年頃の水準に戻っている。つまり、バブルの調整は終わっている。1996年以降に発生している不良債権は、不動産価格の下落・景気低迷による経営悪化、つまりデフレーションの深化によるものである」と指摘している[29]。
野口旭、田中秀臣は「既存の不良債権をいくら処理しても、デフレ不況が解消されない限り、問題は解決しない」と指摘している[30]。
岩田規久男は「デフレ下で、銀行が不良債権を処理したからといって、債務不履行のリスクが小さく、高金利を払ってくれる成長企業が突然現れるわけではない」と指摘していた[31]。
中野剛志は「小泉改革で不良債権処理が成功したかのように言われているが、それは世界経済の景気拡大によって輸出主導で景気が回復したおかげに過ぎない。景気が回復したから、不良債権が減少したのであって、不良債権が減少したから景気が回復したのではない」と指摘している[32]。
格差拡大[編集]
原田泰は「小泉構造改革で格差が拡大したとよく言われるが、そもそも格差が拡大したという証拠がなく、構造改革によってどのような格差がどれだけ拡大したかという分析などはどこにもない。格差拡大は高齢化に伴う現象であり、高齢化の影響を調整してみると、格差は広がっていないというのが多くの経済学者の分析結果である」と指摘している[33]。
経済学者の八代尚宏は「小泉純一郎政権は、『官から民へ、国から地方へ』という明確な政策理念を掲げ、与党内で大きな抵抗を受けつつも、郵政民営化の公約を実現した。経済活性化のための不良債権処理や財政再建のための公共事業費削減など、あえて国民の痛みを伴う政策を進め、構造改革特区など地域主導の規制改革も盛り上げた。それにもかかわらず、小泉首相が退陣した後、『構造改革で格差が拡大した』という流言が広がった。しかし、小泉政権のどの政策が、どういったメカニズムで所得格差を拡大させたかという検証はまったくなされていない。小泉政権の市場原理主義で、所得格差が広がったと言われる。小泉政権の掲げた『新自由主義』とは、どの国にも存在していない『市場原理主義』ではない。従来の日本の『官僚制民主主義』を排し、新旧・内外の多様な事業者を対等な立場で競争させる『公平な審判』としての政府の役割を徹底させることに過ぎない」と指摘している[34]。
経済学者の大竹文雄は、もし派遣労働が自由化されていなければ、さらに悪い雇用形態に甘んじるか失業するかしか選択肢がなく、経済格差はもっと広がっていたと指摘している[35]。
日本の非正規雇用者の内、派遣社員の割合は5%である(2010年時点)[36]。経済学者の飯田泰之は「1990年代前半から非正規雇用者の数は増加している。非正規雇用者の増大は、2000年代に入ってからの小泉内閣の規制緩和によって起きたとは言えない。非正規雇用拡大の原因は、派遣労働の解禁ではなく、デフレ不況の影響によるものである」と指摘している[36]。
勝間和代は「小泉改革による不良債権の処理と公共事業の削減は評価できる。ただし、デフレ下で社会保障の削減は乱暴であった。日本社会の底が抜けてしまい、医療・介護・教育・ワーキングマザーの問題など悪化した」と指摘している[37]。
森永卓郎は「相続税の減税は、金持ちの子は金持ちになるということである。小泉改革は、機会の平等と言っているが矛盾している」と指摘している[38]。
潜在成長率[編集]
2001年秋以降、「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンは、「構造改革なくして経済成長なし」という表現に変化した[39]。『平成13年度版 経済財政白書』の副題は、「改革なくして成長なし」であり、同白書の「成長」は、「潜在成長率」を指している[39]。
野口旭、田中秀臣は「構造改革の意義とは、『現実のGDP』『現実の成長率』の改善ではなく、潜在GDP・潜在成長率の改善である」と指摘している[40]。
田中秀臣、安達誠司は「潜在成長率は『政策変数』ではなく、政府がコントロール可能な数字ではない。政府が『潜在成長率』を政策目標としてコントロールすることは妥当ではなく、その『結果』は極めて確実性に欠けるだろう」と指摘している[41]。
ポール・クルーグマンは、構造改革が期待成長率を操作できるという見通しについて、「暗躍への跳躍」と批判していた[42]。
岩田規久男は「小泉首相は、構造改革による一時的な低成長は『痛み』を伴うと述べている。『改革なくして成長なし』とは『痛みなくして成長なし』と言っているに等しい」と指摘していた[43]。岩田は「民間投資が抑制されている分野での規制改革、都市再生を促す規制改革、民間投資を呼び込む公共投資などは、デフレ対策と矛盾しない需要創出型構造改革であり、長期的には投資された設備・社会資本が生産能力を高め、経済を成長させる」と指摘している[44]。
景気への影響[編集]
野口旭、田中秀臣は「構造改革の目的は、経済の供給側の効率化であり、景気回復ではない[45]」「構造改革が必要となるのは、政府の規制などによって、『資源配分の歪み』が生じており、社会的に望ましい生産・消費水準が達成できなくなっている状況においてである[46]」と指摘している。
田中秀臣は「景気を回復させる手段は、財政・金融政策というマクロ経済政策であり、構造改革ではない。政策の割り当ての錯誤に陥っているのが『構造改革なくして景気回復なし』である」と指摘している[39]。田中は「確かに規制緩和・民営化は重要であるが、デフレを放置したままではその効果は非常に限られてしまう。この政策では『総需要を増やす』『国民が使えるお金を増やす』といった視点が抜け落ちている。構造改革は、企業のシェア争いを激化させるだけの政策である」と指摘している[47]。
岩田規久男は「『政策の割り当て』を間違えて、構造改革を景気対策に割り当てると、『合成の誤謬』に陥り、構造改革自体が失敗する」「デフレを放置したまま構造改革を進めても、マクロ経済全体の安定にはつながらない。マクロ経済が安定して初めて、構造改革は成功する」と指摘していた[48]。岩田は「無駄をなくし、稀少な資源を効率的に使うことはもちろん重要であるが、需要が不足している状況で、無駄だけを削減しても、無駄と切り捨てられた人・土地・設備などが他の企業で有効利用されるとは限らない」「それらを他の企業に有効利用されるようにするためには、需要不足を解消するマクロ経済安定化政策が必要である」と指摘している[49]。
野口旭、田中秀臣は「構造改革やリストラ必要ではあるが、総需要が不足している状態では、むしろデフレを促進させる要因となる」と指摘している[50]。
森永卓郎は「小泉政権が標榜している『改革』の多くは、経済を縮小させていく『デフレ政策』である」と指摘していた[51]。
竹森俊平は「コイズミノミクスとは、一言でいって『輸出主導の経済成長』である。実際、小泉首相が就任してから、日本の輸出依存度(輸出額をGDPで割った値)は約2倍に拡大している」と指摘している[52]。
経済学者の原田泰は「小泉政権・第1次安倍政権下では、公共投資が減少しているのが特徴的である。政府最終消費支出も横ばいであり、両者を合わせても政府支出は減少していた。すなわち、財政政策は抑制されていた中でGDPが伸びていたのである。小泉政権下の金融緩和と緊縮財政の組み合わせという政策が成功したことを再認識すべきである」と指摘している[53]。
経済学者の高橋洋一は「小泉政権は、積極的なマクロ経済政策を行っていなかったが、税収のビルト・イン・スタビライザーが機能し、受動的なマクロ経済政策となっていた。実際のデータを見る限り、ケインズ的な景気した支え機能を持っていた」と指摘している[54]。
田中秀臣は「小泉政権の構造改革路線は、当初の改革路線が早々に放棄され、経済政策的に何もしなかったこと=目標の喪失が起きたと評価できる。財政政策の緊縮を避けたことと、為替介入がその後の景気回復に大きく貢献した」と指摘している[55]。また田中は「2003-2006年末まで回復基調だったと言われているが、偽物の景気回復でしかなかった。外需による輸出産業を中心に企業収益は改善したが、名目賃金はまったく伸びなかった。名目成長率が伸びない限り、所得水準は上がらないからである」と指摘している[56]。
レントシーキング[編集]
田中秀臣は「構造改革は慎重に進めないと、新たな権益を発生させる可能性がある。例えば、特定の集団・個人に企業を払い下げてしまえば、本来の構造改革と逆行することになる」と指摘している[57]。
脚注[編集]
- ↑ 新世紀維新の構造改革をめざして(小泉内閣:タウンミーティング)
- ↑ クローズアップ あなたの生活こうなります(2009年9月3日時点のインターネット・アーカイブ)
- ↑ 野口旭・田中秀臣 『構造改革論の誤解』 東洋経済新報社、2001年、41頁。
- ↑ 竹中平蔵 『あしたの経済学』 幻冬舎、2003年、105頁。
- ↑ 田中秀臣・安達誠司 『平成大停滞と昭和恐慌〜プラクティカル経済学入門』NHK出版〈NHKブックス〉、2003年、110頁。
- ↑ 飯島勲 2006
- ↑ 安倍内閣総理大臣記者会見 2006年9月26日 総理就任記者会見冒頭で「まず初めに、はっきりと申し上げておきたいことは、5年間小泉総理が進めてまいりました構造改革を私もしっかりと引き継ぎ、この構造改革を行ってまいります。」と述べ、むしろ加速させたいとの考えを示した。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 日本再建のため行革を推進する700人委員会 (2006-02-20) 日本再建のため行革を推進する700人委員会 独立行政法人は民営化か廃止すべき Safety Japan 2006-02-20
- ↑ 飯島勲 2006 289-294
- ↑ 第1条 アルコールノ製造、輸入、収納及売渡ノ権能ハ国ニ専属ス
- ↑ 飯島勲 2006 81-100
- ↑ 山田昌弘『新平等社会』要ページ番号
- ↑ 三橋貴明 『経済ニュースの裏を読め!』 TAC出版、2009年、92頁。
- ↑ 総務省『労働力調査』
- ↑ 森永卓郎 『「騙されない!」ための経済学 モリタク流・経済ニュースのウラ読み術』 PHP研究所〈PHPビジネス新書〉、2008年、94頁。
- ↑ 多根清史 『ガンダムがわかれば世界がわかる』 宝島社〈宝島社新書〉、2013年、148頁。
- ↑ 小泉元首相の「脱原発」論の不毛〔1〕PHPビジネスオンライン 衆知 2013年11月19日
- ↑ 田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、111頁。
- ↑ 田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、47頁。
- ↑ 田中秀臣 『不謹慎な経済学』 講談社〈講談社biz〉、2008年、120頁。
- ↑ 日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、309頁。
- ↑ 野口旭・田中秀臣 『構造改革論の誤解』 東洋経済新報社、2001年、29頁。
- ↑ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、96-97頁。
- ↑ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、40頁。
- ↑ 岩田規久男 『スッキリ!日本経済入門-現代社会を読み解く15の法則』 日本経済新聞社、2003年、43頁。
- ↑ 竹中平蔵 『あしたの経済学』 幻冬舎、2003年、87頁。
- ↑ 野口旭・田中秀臣 『構造改革論の誤解』 東洋経済新報社、2001年、14-15頁。
- ↑ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、56-57頁。
- ↑ 森永卓郎 『日本経済50の大疑問』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、42頁。
- ↑ 野口旭・田中秀臣 『構造改革論の誤解』 東洋経済新報社、2001年、16頁。
- ↑ 岩田規久男 『スッキリ!日本経済入門-現代社会を読み解く15の法則』 日本経済新聞社、2003年、239頁。
- ↑ 中野剛志 『レジーム・チェンジ-恐慌を突破する逆転の発想』 NHK出版〈NHK出版新書〉、2012年、82頁。
- ↑ 誤った認識で3本の矢を狂わせるなWEDGE Infinity(ウェッジ) 2014年3月3日
- ↑ いまこそ小泉構造改革に学ぶときPHPビジネスオンライン 衆知 2012年9月18日
- ↑ 田中秀臣 『雇用大崩壊 失業率10%時代の到来』 NHK出版〈生活人新書〉、2009年、47頁。
- ↑ 36.0 36.1 飯田泰之 『世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで』 エンターブレイン、2010年、214頁。
- ↑ 勝間和代 『自分をデフレ化しない方法』 文藝春秋〈文春新書〉、2010年、173頁。
- ↑ 森永卓郎 『「騙されない!」ための経済学 モリタク流・経済ニュースのウラ読み術』 PHP研究所〈PHPビジネス新書〉、2008年、108頁。
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- ↑ 公共事業が持つ景気抑制効果 第2の矢の再考をWEDGE Infinity(ウェッジ) 2014年4月2日
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- ↑ 田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、10頁。
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参考文献[編集]
- 飯島勲 『小泉官邸秘録』 日本経済新聞社、2006年。ISBN 4532352444。