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2019年12月7日 (土) 11:09時点における版
マリア・シャラポワ(1987年4月19日 - )は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市出身の女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルス25勝、ダブルス3勝を挙げる。
目次
プロフィール
シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会で女子シングルス3冠を獲得した実力も備える。日本で知られ始めた頃は“ロシアの妖精”と呼ばれることが多かったが、ボールを打つ時に独特の甲高い叫び声を上げながらラケットを振り抜くことから、最近では「シベリアン・サイレン」(Siberian Siren)と呼ばれることが多い。ベースライン・プレーヤーで、恵まれた体格を生かした強烈なサーブとストロークを武器に、強力なパワーテニスを展開する。身長188cm、体重59kg。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。
両親はベラルーシ・ゴメリの出身。父はユーリ・シャラポフであり、ロシア語圏では男性名詞・女性名詞に苗字が分かれており、女性名詞では『シャラポワ』男性名詞では『シャラポフ』である。ベラルーシ人の両親の間で生まれたシャラポワは、ロシアで生まれたためにロシア人扱いになっている。2010年10月にNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属するサーシャ・ブヤチッチと婚約した。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響により、両親がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意する。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、9歳の頃父親とともに渡米した。渡米後はフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて練習している。
使用ラケットはヘッド、ウェアとシューズはナイキ。ツアー経歴を通じて日本のトーナメントと相性が良いことから、シャラポワ本人も日本好きで有名である。好きな日本食はしゃぶしゃぶと抹茶アイス。
選手経歴
シャラポワは2001年4月19日、14歳でWTAツアーにデビューした。1年後の2002年4月21日、草津国際女子オープンテニス大会で中村藍子に 6-4, 6-1 のストレート勝ちを収め、プロ選手としてのトーナメント初優勝を果たす。シャラポワ本人も「草津でのツアー初優勝は私の原点」と常々語っているという。その後ITFのサーキット大会で、さらに2つの優勝を加えた。
シャラポワが世界的な知名度を獲得したのは、2003年ウィンブルドンの4回戦進出であった。ワイルドカード(主催者推薦)で出場した彼女は、3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)を 6-4, 6-4 のストレートで圧倒した後、続く4回戦で同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワに 1-6, 6-2, 5-7 で敗れた。同年10月のジャパン・オープンにおいて、シングルスとダブルスでWTAツアー初優勝を果たす。シングルス決勝ではアニコ・カプロス(ハンガリー)に 2-6, 6-2, 7-6 で競り勝ち、ダブルスでもタマリネ・タナスガーン(タイ)とのコンビで優勝した。
2004年、シャラポワは全仏オープンでパオラ・スアレス(アルゼンチン)との準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで4大大会初優勝を飾った。第13シードから勝ち上がった彼女は、決勝でセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を 6-1, 6-4 のストレートで圧倒した。17歳2ヶ月でのウィンブルドン女子シングルス優勝は、1997年に「16歳9ヶ月」で優勝したマルチナ・ヒンギスに次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録である。18歳未満の選手が4大大会女子シングルスを制したのも、1999年全米オープンに17歳11ヶ月で初優勝したS・ウィリアムズ以来であった。続く全米オープンでは、3回戦でマリー・ピエルス(フランス)に敗退した。10月のジャパン・オープンには第1シードとして出場し、決勝でアメリカのマショーナ・ワシントン(マラビーヤ・ワシントンの妹)に 6-0, 6-1 のスコアで圧勝し、大会2連覇を達成した。この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場したことから“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権でも初出場で初優勝を飾り、セリーナ・ウィリアムズに 4-6, 6-2, 6-4 の逆転勝利を収めた。
2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント決勝でリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。しかし、ウィンブルドンでは準決勝でビーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。同年8月22日、ロシアの女子テニス選手として史上初の世界ランキング1位になる。
2006年には、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント準決勝で実現したマルチナ・ヒンギスとの初対戦が大きな話題となり、シャラポワは当年度から現役復帰したヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れた。この年の全米オープンで、彼女は2004年ウィンブルドン以来の4大大会決勝戦に進出し、ジュスティーヌ・エナン=アーデン(ベルギー)を 6-4, 6-4 で破って2冠を獲得した。
2007年の全豪オープンで、シャラポワは初めて決勝戦に進出したが、世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がったセリーナ・ウィリアムズに 1-6, 2-6 で完敗し、ここでは準優勝に終わった。この後全仏オープンで初の準決勝に進出し、アナ・イバノビッチ(セルビア)に 2-6, 1-6 で敗れた。また、全米オープンでは3回戦でアグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)に不覚を取り、あっさりと大会連覇を逃してしまう。ツアー年間最終戦のWTAツアー選手権では、3年ぶり2度目の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに 7-5, 5-7, 3-6 で敗れた。
2008年の全豪オープンで、シャラポワは2年連続2度目の決勝でアナ・イバノビッチを 7-5, 6-3 のストレートで破り、初優勝を飾った。本大会ではリンゼイ・ダベンポート、エレーナ・デメンチェワ、ジュスティーヌ・エナン、エレナ・ヤンコビッチの強豪を圧倒し、全試合ストレート勝ちで優勝を決めた。これでシャラポワの4大大会優勝も3勝目となり、あとは全仏オープンを残すのみとなる。しかし、2008年はふくらはぎや右肩など多くの故障に悩まされた年でもあった。5月14日にエナンが世界1位のままで現役引退を表明したことから、翌週にシャラポワが世界1位に返り咲いたものの、全仏オープンは4回戦敗退に終わり、ウィンブルドンにいたっては2回戦で姿を消してしまう。7月末のロジャーズ・カップ3回戦敗退の後、彼女は長期間の戦線離脱を余儀なくされ、北京五輪への出場も断念した。
2009年3月前半のBNPパリバ・オープンで、シャラポワはエレーナ・ベスニナ(同じロシアの選手)とのダブルス戦に出場し、8ヶ月ぶりにツアー大会へ復帰した。1年ぶりの4大大会出場となった全仏オープンでは、2年ぶりの準々決勝でドミニカ・チブルコバ(スロバキア)に 0-6, 2-6 のストレートで完敗した。
2009年10月3日、シャラポワは東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントのシングルス決勝で第7シードのエレナ・ヤンコビッチ(セルビア)と対戦する。第1セット途中(5-2)にヤンコビッチが棄権したため、シャラポワは2005年以来4年ぶり2度目の優勝を果たした。前年優勝者として出場した2010年の大会では主催者推薦出場のクルム伊達公子に 5-7, 6-3 , 3-6 で敗れ初戦で敗退している。
2011年5月のBNLイタリア国際でシャラポワは決勝でサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を 6–2, 6–4 で破り約1年ぶりのツアー23勝目を挙げた。全仏オープンでは4年ぶりのベスト4に進出したが準決勝で優勝した李娜(中国)に 4-6, 5-7 で敗れ全仏初の決勝進出を逃した。ウィンブルドンでは決勝に進出したが、ペトラ・クビトバ(チェコ)に 3–6, 4–6 で敗れ7年ぶりの優勝はならなかった。2012年全豪オープンでも決勝に進出したが、ビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)に 3–6, 0–6 で敗れ4年ぶりの優勝を逃した。 2016年3月8日にドーピング薬物使用していたとして会見した。ワイドショーで放送された 6月9日に2 年間停止なった事明らかになった
他の活動
シャラポワはテニス選手のみならず、ファッションモデルとしても多方面の活動を繰り広げており、女子スポーツ選手としては世界トップの収入を誇る。
2007年2月14日、シャラポワは国際連合開発計画親善大使に就任し、チェルノブイリ原発事故後遺症に苦しむ祖国ロシア・ベラルーシ・ウクライナの8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表した。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 41回 (25勝16敗)
大会グレード |
---|
グランドスラム (3–3) |
ツアー選手権 (1–1) |
ティア I (6–3) |
ティア II (3–1) |
ティア III (5–1) |
ティア IV & V (1–0) |
プレミア (4–6) |
インターナショナル (2–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1. | 2003年9月28日 | 東京 | ハード | アニコ・カプロス | 2–6, 6–2, 7–6(5) |
優勝 | 2. | 2003年10月27日 | カナダ ケベックシティ | ハード (室内) | ベネズエラ ミラグロス・セケラ | 6–2 途中棄権 |
優勝 | 3. | 2004年6月7日 | バーミンガム | 芝 | タチアナ・ゴロビン | 4–6, 6–2, 6–1 |
優勝 | 4. | 2004年6月21日 | ウィンブルドン | 芝 | セリーナ・ウィリアムズ | 6–1, 6–4 |
優勝 | 5. | 2004年9月27日 | ソウル | ハード | マルタ・ドマホフスカ | 6–1, 6–1 |
優勝 | 6. | 2004年10月9日 | 東京 | ハード | マショーナ・ワシントン | 6–0, 6–1 |
準優勝 | 1. | 2004年10月24日 | チューリッヒ | ハード (室内) | アリシア・モリク | 6–4, 2–6, 3–6 |
優勝 | 7. | 2004年11月8日 | ロサンゼルス | ハード (室内) | セリーナ・ウィリアムズ | 4–6, 6–2, 6–4 |
優勝 | 8. | 2005年2月6日 | 東京 | カーペット (室内) | リンゼイ・ダベンポート | 6–1, 3–6, 7–6(5) |
優勝 | 9. | 2005年2月21日 | カタール ドーハ | ハード | アリシア・モリク | 4–6, 6–1, 6–4 |
準優勝 | 2. | 2005年3月3日 | マイアミ | ハード | キム・クライシュテルス | 3–6, 5–7 |
優勝 | 10. | 2005年6月6日 | バーミンガム | 芝 | テンプレート:SCG エレナ・ヤンコビッチ | 6–2, 4–6, 6–1 |
準優勝 | 3. | 2006年2月26日 | アラブ首長国連邦 ドバイ | ハード | ジュスティーヌ・エナン=アーデン | 5–7, 2–6 |
優勝 | 11. | 2006年3月18日 | インディアンウェルズ | ハード | エレーナ・デメンチェワ | 6–1, 6–2 |
準優勝 | 4. | 2006年4月2日 | マイアミ | ハード | スベトラーナ・クズネツォワ | 4–6, 3–6 |
優勝 | 12. | 2006年8月6日 | サンディエゴ | ハード | キム・クライシュテルス | 7–5, 7–5 |
優勝 | 13. | 2006年9月9日 | 全米オープン | ハード | ジュスティーヌ・エナン=アーデン | 6–4, 6–4 |
優勝 | 14. | 2006年10月22日 | チューリッヒ | ハード (室内) | ダニエラ・ハンチュコバ | 6–1, 4–6, 6–3 |
優勝 | 15. | 2006年10月29日 | リンツ | ハード (室内) | ナディア・ペトロワ | 7–5, 6–2 |
準優勝 | 5. | 2007年1月29日 | 全豪オープン | ハード | セリーナ・ウィリアムズ | 1–6, 2–6 |
準優勝 | 6. | 2007年6月18日 | バーミンガム | 芝 | セルビア エレナ・ヤンコビッチ | 6–4, 3–6, 5–7 |
優勝 | 16. | 2007年8月5日 | サンディエゴ | ハード | パティ・シュナイダー | 6–2, 3–6, 6–0 |
準優勝 | 7. | 2007年11月11日 | マドリード | ハード | ジュスティーヌ・エナン | 7–5, 5–7, 3–6 |
優勝 | 17. | 2008年1月26日 | 全豪オープン | ハード | セルビア アナ・イバノビッチ | 7–5, 6–3 |
優勝 | 18. | 2008年2月24日 | カタール ドーハ | ハード | ベラ・ズボナレワ | 6–1, 2–6, 6–0 |
優勝 | 19. | 2008年4月13日 | アメリアアイランド | クレー | ドミニカ・チブルコバ | 7–6(7), 6–3 |
準優勝 | 8. | 2009年8月23日 | カナダ トロント | ハード | エレーナ・デメンチェワ | 4–6, 3–6 |
優勝 | 20. | 2009年10月3日 | 東京 | ハード | セルビア エレナ・ヤンコビッチ | 5–2, 途中棄権 |
優勝 | 21. | 2010年2月20日 | メンフィス | ハード (室内) | ソフィア・アルビドソン | 6–2, 6–1 |
優勝 | 22. | 2010年5月22日 | ストラスブール | クレー | クリスティナ・バロイス | 7–5, 6–1 |
準優勝 | 9. | 2010年6月13日 | バーミンガム | 芝 | 李娜 | 5–7, 1–6 |
準優勝 | 10. | 2010年8月1日 | スタンフォード | ハード | テンプレート:BLR ビクトリア・アザレンカ | 4–6, 1–6 |
準優勝 | 11. | 2010年8月15日 | シンシナティ | ハード | キム・クライシュテルス | 6–2, 6–7(4), 2–6 |
準優勝 | 12. | 2011年4月2日 | マイアミ | ハード | テンプレート:BLR ビクトリア・アザレンカ | 1–6, 4–6 |
優勝 | 23. | 2011年5月15日 | ローマ | クレー | サマンサ・ストーサー | 6–2, 6–4 |
準優勝 | 13. | 2011年7月2日 | ウィンブルドン | 芝 | ペトラ・クビトバ | 3–6, 4–6 |
優勝 | 24. | 2011年8月22日 | シンシナティ | ハード | セルビア エレナ・ヤンコビッチ | 4–6, 7–6(7), 6–3 |
準優勝 | 14. | 2012年1月28日 | 全豪オープン | ハード | テンプレート:BLR ビクトリア・アザレンカ | 3–6, 0–6 |
準優勝 | 15. | 2012年3月18日 | インディアンウェルズ | ハード | テンプレート:BLR ビクトリア・アザレンカ | 2–6, 3–6 |
準優勝 | 16. | 2012年3月31日 | マイアミ | ハード | アグニエシュカ・ラドワンスカ | 5–7, 4–6 |
優勝 | 25. | 2012年4月29日 | シュトゥットガルト | クレー | テンプレート:BLR ビクトリア・アザレンカ | 6–1, 6–4 |
ダブルス: 4回 (3勝1敗)
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1. | 2003年9月29日 | 東京 | ハード | タマリネ・タナスガーン | アンスレー・カーギル アシュレー・ハークルロード |
7–6(1), 6–0 |
優勝 | 2. | 2003年10月20日 | ルクセンブルク | ハード | タマリネ・タナスガーン | エレナ・タタルコワ マレーネ・ヴァインゲルトナー |
6–1, 6–4 |
準優勝 | 1. | 2004年2月16日 | メンフィス | ハード | ベラ・ズボナレワ | アサ・スベンソン メイレン・ツー |
4–6, 6–7(0) |
優勝 | 3. | 2004年6月7日 | バーミンガム | 芝 | マリア・キリレンコ | リサ・マクシア ベネズエラ ミラグロス・セケラ |
6–2, 6–1 |
4大大会優勝
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
2004年 | ウィンブルドン | セリーナ・ウィリアムズ | 6-1, 6-4 |
2006年 | 全米オープン | ジュスティーヌ・エナン=アーデン | 6-4, 6-4 |
2008年 | 全豪オープン | セルビア アナ・イバノビッチ | 7-5, 6-3 |
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | WG | Z# | PO | SF-B | S | G | NMS | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
大会 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | 1R | 3R | SF | SF | F | W | A | 1R | 4R | F | 34–8 |
全仏オープン | 1R | QF | QF | 4R | SF | 4R | QF | 3R | SF | 30–9 | |
ウィンブルドン | 4R | W | SF | SF | 4R | 2R | 2R | 4R | F | 34–8 | |
全米オープン | 2R | 3R | SF | W | 3R | A | 3R | 4R | 3R | 24–7 |
参考文献
- Bud Collins, “History of Tennis: An Authoritative Encyclopedia and Record Book” New Chapter Press, Washington D.C. (2008 Ed.) ISBN 978-0942257410 シャラポワのニックネーム「シベリアン・サイレン」について、本書の659ページで確認した。
外部リンク
テンプレート:テニス女子世界ランキング1位 テンプレート:全豪オープン女子シングルス優勝者 テンプレート:ウィンブルドン女子シングルス優勝者 テンプレート:全米オープン女子シングルス優勝者 テンプレート:WTAツアー選手権シングルス優勝者