「霞が関」の版間の差分
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+ | [[戦後]]は[[アメリカ軍|米軍]]の業務、住宅施設が存在していた時期もあった。 | ||
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2018年1月26日 (金) 01:13時点における版
霞が関(かすみがせき)は、東京都千代田区の地名。旧麹町区にあたる麹町地域内である。現行行政地名は霞が関一丁目から霞が関三丁目。住居表示実施済みの地域。郵便番号は100-0013。
地理
麹町地域の南西側に位置し、港区(赤坂、虎ノ門、西新橋)との区境にあたる。日本の行政機関の庁舎が建ち並んでいることで知られる。
日本の中心核の一部。大型建造物や高層ビル、摩天楼等が聳え立ち、大きく発展している。
歴史
奥州街道の関所として中世から東国の名所として広く知られており、1364年(貞治3年)の『新拾遺和歌集』にも「徒らに名をのみとめてあづま路の霞の関も春ぞくれぬる」として詠まれているが、これが現在の千代田区霞が関にあたるかどうかについては異論もあり、具体的には新宿区霞岳町、狭山市下広瀬、多摩市関戸などが候補として挙がっている。
江戸時代までは大名屋敷が並ぶ地域であった。明治時代に大火があり、跡地に外務省(旧福岡藩黒田家上屋敷)や海軍省、有栖川宮邸などが置かれたことをきっかけに、官公庁施設の集積地(正式には中央官衙地区(ちゅうおうかんがちく)または霞が関一団地の官公庁施設と呼ばれる)としての計画的な整備が進められ、官庁街になる。
これが転じて、「霞が関」という語は、「日本の中央官界」の代名詞としても使われている。また、中でも最も古くから霞が関にある「外務省」の代名詞として、「官邸外交」に対する「霞が関外交」のように用いられることもある。
1967年4月1日に住居表示が実施され[1]、1968年に日本初の超高層オフィスビルである霞が関ビルディングが完成している。