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2018年1月14日 (日) 13:08時点における版
米山 隆一(よねやま りゅういち、1967年9月8日 - )は、日本の政治家、医師、弁護士(第一東京弁護士会)。新潟県知事(民選第20代)。
新潟・米山隆一知事のSNSが止まらない(2017年5月)
短文投稿サイト「ツイッター」上での発言が波紋を呼び、記者会見で反省の言葉も口にした新潟県の米山隆一知事(49)が、相変わらずソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)への投稿に励んでいる。
“反省”後も、埼玉大の長谷川三千子名誉教授が産経新聞の「正論」欄で展開した憲法改正論を批判。民進党を離党した長島昭久衆院議員や作家の百田尚樹さんの言動にも注文をつけるなど、県政以外の話題への突っ込みはとどまるところを知らない。
「この方独自の悪意に満ちた解釈をして現憲法をやたらと貶め、ひいては現憲法下の日本全体をひどく侮辱しているのです」
米山知事は2017年4月21日、フェイスブック上で長谷川名誉教授をこう痛烈に批判し、続けて「一体この方のどこが愛国なのでしょう」とこき下ろした。長谷川氏は産経ニュースにも配信された正論の欄で、日本国憲法第9条第2項について「条文通りに守ると、国家の力はゼロになりますから、事実上わが国の主権は消失する。つまりわが国の憲法原理『国民主権』を不可能にしてしまう」として、欠陥条項だと指摘していた。
第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」としている。米山知事は「2項の標準的解釈は、自衛権を全く否定していません。主権も全く否定していません」と主張した上で「つまりこの方は、憲法の授業に出席している法学部の1年生ならほぼ全員知っているような事実を平然と無視」したと、皮肉たっぷりに揶揄した。
さらに、金曜日で知事としての職務中の時間帯と思われる同日午前10時47分には「『憲法9条の改正が必要!!!なければ防衛できない!!!』と言う議論は、実は何の根拠も無く、むしろよほど宗教的思い込みによるものだと思います」という米山知事の書き込みが投稿された。
米山知事は3月中旬、森友学園問題をめぐる前大阪市長の橋下徹氏のツイートに異論をはさみ、橋下氏から「頭の悪い知事」「最低な奴」と罵詈雑言を浴びせられた。同月末には中学校の新学習指導要領に銃剣道が明記されたことに「戦前精神論への郷愁でしかない」と投稿し、千葉市の熊谷俊人市長とやり合うとともに、銃剣道関係者らを戸惑わせた。
県政に直接関係のないテーマでの“論争”に眉をひそめる向きは少なくない。県議会3月定例会の閉会後には、県議から「県政を最優先にしてほしい」と苦言を呈された。ツイッター上でも「新潟県知事なのにどうして関西の森友学園の話題とか中央の政治の批判の話をされるのか」との声も上がっている。
米山知事は4月6日の記者会見で、SNS上での発言が波紋を広げたことに関して「いろいろな方と仲が悪くなり、県政に支障が出るといけないので、だいぶ反省もしている」と述べる一方で「きちんと自分の立場をわきまえるという前提で、自由に議論することはいいことではないか」と主張。SNSでの問題提起などは慎重に行う考えを示しながらも「立場をわきまえて議論をさせていただく」と続行を宣言していた。
長谷川氏への批判に先立つ4月11日には、民進党に離党届を提出した長島昭久元防衛副大臣=衆院東京比例=の「真の保守政治家を目指す」という言葉に反応。「『真の保守』という言葉に違和感を感じます。猫も杓子も『保守』を掲げる昨今ですが、未曽有の変革期にある日本が今希求すべきは『未来』であり、過去を『保守』する事ではないと思います」とツイッター上で議論を持ちかけた。
これに対し長島氏は「確かな未来は、過去と現在との断絶からではなく、その基盤の上に築かれるものだと考えます」と反論した。SNS上では米山知事の意見に「同感です」と同調する声がある一方、「政治学上の保守ってそういう意味ではないと思います」と否定的なコメントも寄せられ、米山知事は「ではどういう意味ですか。結局昔が好きだと、そういうことではないんですか」と、やり返す場面もあった。
確かに「反省」後は県政に絡む話題の投稿が増えている。とはいえ「娯楽といったら何ですが、私は議論好き」と公言する米山知事が、県政以外の話題への発言を控える気配はない。4月15日には、北朝鮮に関する百田尚樹さんの過激な表現のツイートを見逃さず「もはや危険人物でしょう」と断言した。
県政と関係のない投稿で軋轢を招くような事態が再発する懸念は、消え去らない。ツイッターの発言が注目されて県外でも知名度を上げつつあるとはいえ、投稿が新潟県知事として「立場をわきまえた」範囲に収まる内容なのか、県民は注視している。
来歴
新潟県北魚沼郡湯之谷村(現魚沼市)生まれ。新潟大学教育学部附属長岡中学校、灘高等学校、東京大学医学部卒業。1992年5月、医師免許を取得した。1997年10月、司法試験に合格した。1998年に東京大学大学院経済学研究科を、2000年に東京大学大学院医学系研究科をそれぞれ単位取得退学。放射線医学総合研究所、ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院を経て、東京大学より医学博士号を取得。2005年より東京大学先端科学技術研究センター医療政策人材養成講座特任講師。
2005年、第44回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で新潟5区から立候補した。全国的には与党に強い追い風が吹いたものの、無所属の田中眞紀子に敗れ、比例復活も果たせなかった。2009年の第45回衆議院議員総選挙に再び自民党公認で新潟5区から立候補。前回に比べて得票数を伸ばしたものの、総選挙の直前に民主党に入党した田中に大敗を喫した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、自民党から日本維新の会に移って新潟5区から立候補したが、比例北陸信越ブロックから国替えした自民党前職で元山古志村長の長島忠美、民主党前職で当時の文部科学大臣だった田中眞紀子の後塵を拝し、落選。2013年の第23回参議院議員通常選挙にも日本維新の会公認で新潟県選挙区(定数2)から立候補したが、得票数4位で落選した。2016年に維新の党が民主党と合流したことで民進党籍になった。その後、新潟県知事選挙への立候補に伴い、離党。
2016年新潟県知事選挙
2016年の新潟県知事選挙は、現職の泉田裕彦が4選への立候補を表明していたが、8月30日に突如、日本海横断航路のフェリー購入問題をめぐる新潟日報の批判的な報道を理由に、立候補の撤回を表明した。米山が所属していた民進党は独自候補の擁立を模索したが、途中で断念し、自主投票を決定。唯一の立候補予定者となった前長岡市長の森民夫には自由民主党・公明党が推薦、民進党の支持団体・連合新潟も支持を決めた。
無投票の公算も出てくるなか、原発再稼働に慎重姿勢だった泉田の路線を引き継げる候補を模索していた共産・生活・社民3党や市民団体の要請を受ける形で、米山は9月23日、民進党を離党し、新潟県知事選に無所属で立候補する意向を表明した。国政選挙に出馬した際は原子力発電所の再稼働を主張していたが、知事選では、立候補を断念した泉田同様、「東京電力福島第一原発事故の検証なしに、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働の議論はできない」と、慎重な姿勢を強く打ち出して「泉田路線」の継承を掲げた。新社会党、緑の党からも推薦を受けた。7月の第24回参議院議員通常選挙で野党統一候補として自民党現職の中原八一を破った自由党県連代表の森裕子が選挙対策本部長に就任。自主投票の民進党の動きは当初鈍かったが、前原誠司、江田憲司、松野頼久らが応援に駆け付け、風間直樹ら地元選出議員も支援。最終盤では蓮舫代表も応援に入った。
選挙戦の終盤まで激戦が報じられていたが、10月16日の投開票の結果、森に約6万3千票差をつけ、初当選した。当選後も、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働への慎重姿勢は継続。10月25日、新潟県庁に初登庁し、正式に新潟県知事に就任した。