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1959年10月16日、長野県に生を受ける。
 
1959年10月16日、長野県に生を受ける。
 
== 概要 ==
 
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*1980(昭和55)年2月22日、[[すいどーばた美術学院]]在学中に[[八王子]]の[[日蓮正宗]]・[[法忍寺]]にて日蓮正宗・[[創価学会]]に入信。
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*1980(昭和55)年2月22日、[[多摩美術大学]]在学中に[[八王子]]の[[日蓮正宗]]・[[法忍寺]]にて日蓮正宗・[[創価学会]]に入信。
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*1981(昭和56)年ごろ、[[福生]]で創価学会組織につかずに、独自に折伏活動を活発に展開している不思議な老人に出会い衝撃を受けたと本人が述懐している。
 
*1981(昭和56)年ごろ、[[福生]]で創価学会組織につかずに、独自に折伏活動を活発に展開している不思議な老人に出会い衝撃を受けたと本人が述懐している。
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*その後その老人の死去と共に[[長野]]に帰郷。当人は創価学会組織に違和感を感じつつ、つかず離れずの状態が続く。
 
*その後その老人の死去と共に[[長野]]に帰郷。当人は創価学会組織に違和感を感じつつ、つかず離れずの状態が続く。
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*1990(平成2)年春、[[池田大作]]の同時放送を聞き激しく疑問に思う。平成2年暮れの日蓮正宗と創価学会の宗創勃発によって、長野県長野市の日蓮正宗・[[妙相寺]]に通う。
 
*1990(平成2)年春、[[池田大作]]の同時放送を聞き激しく疑問に思う。平成2年暮れの日蓮正宗と創価学会の宗創勃発によって、長野県長野市の日蓮正宗・[[妙相寺]]に通う。
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*1991(平成3)年11月、日蓮正宗から創価学会へ解散勧告が出されると同時に脱会し、日蓮正宗・[[妙相寺]][[法華講]]員になる。
 
*1991(平成3)年11月、日蓮正宗から創価学会へ解散勧告が出されると同時に脱会し、日蓮正宗・[[妙相寺]][[法華講]]員になる。
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*その後、[[パソコン]]や[[インターネット]]の普及、デジタルビデオの技術進化とともに、インターネット上に「toyoda.tv」なる[[動画サイト]]を開設。
 
*その後、[[パソコン]]や[[インターネット]]の普及、デジタルビデオの技術進化とともに、インターネット上に「toyoda.tv」なる[[動画サイト]]を開設。
  
長野県のアザレインターナショナル中屋本舗社長を勤める傍ら(社長業は1年のうち2%ほどしかやっていないとの本人の談話あり)、日本全国を回り折伏勧誘や対面対論に精を出す。樋田は勧誘した全国のtoyoda.tv会員(妙相寺所属で、妙相寺全国信徒という扱いとなる)を束ね、街頭での創価学会・顕正会弾劾のビラ配りや、日蓮大聖人の御書解説や座談会などを定期的に開催。
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YouTubeに動画をアップして以降、その切れ味鋭い弁舌で創価学会員をはじめとした他宗教信徒を法論で破り続けるなど無敵の快進撃を続けていたが、2011年に東京都中野区で行なわれた中野法論で、創価学会員に敗北を喫してしまう。
 
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他宗教信者に議論をふっかけては、「公場対決」を口実に、様子をビデオで撮影。その映像を、DVD化して自分のホームページで販売するとは、まさに悪徳商法の一種。近年は、[[Youtube]]にまで、自分が法華講員に講釈をしている動画をどんどんアップしている。尚、討論の映像については、ビデオ編集ソフトを使って、あたかも自分が圧倒的に議論を勝利しているかのように大幅な編集を施しているのではないかという疑惑が指摘されている。
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その反面、一部のYouTubeファンから、「講義が判りやすい」「世界に通じる絶倫の弁舌」「日蓮正宗の天才軍師」との評価を受け、根強い人気を誇っている。
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その後、2013年に大阪府羽曳野市議選に「河内のターザン」の異名を持つ元公明党現職市議、新岡武志氏を擁立、選挙戦を指揮し支援するも新岡氏は最下位で落選してしまった。その際、当時の妙相寺住職・石岡雄哲と信徒十数名を伴い曳野市にある応神天皇陵に塔婆を持参して市議選勝利を祈念している。
  
  
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本業である長野県のアザレインターナショナル中屋本舗社長を勤める傍ら(社長業は1年のうち2%ほどしかやっていないとの本人の談話あり)、日本全国を回り折伏勧誘や対面対論に精を出す。
  
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樋田は勧誘した全国のtoyoda.tv会員(妙相寺所属で、妙相寺全国信徒という扱いとなる)を束ね、街頭での創価学会・顕正会弾劾のビラ配りや、日蓮大聖人の御書解説や座談会などを定期的に開催。
  
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一部のYouTubeファンからは、「日蓮仏法の講義が非常に判りやすい」「ヒゲ面に長髪(2013年、妙相寺石岡雄哲住職急死後は短髪に)という独特の容貌、そして他の宗教との法論に次々と勝利する絶倫無双の弁舌がたまらない」「日蓮正宗興亡の鍵を握る人物」などなど、その独特のキャラクターで根強い人気を持つ。
  
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しかしその半面、「他宗教信者に議論をふっかけては、「公場対決」を口実に、様子をビデオで撮影。その映像を、DVD化して自分のホームページで販売するとは、まさに悪徳商法の一種。近年は、[[Youtube]]にまで、自分が法華講員に講釈をしている動画をどんどんアップしている。尚、討論の映像については、ビデオ編集ソフトを使って、あたかも自分が圧倒的に議論を勝利しているかのように大幅な編集を施しているのではないかという疑惑が指摘されている」という批判もなされている。
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2014年10月19日 (日) 15:30時点における版

樋田昌志(とよだ まさし)とは、日蓮正宗の信者である。長野県長野市出身、多摩美術大学卒業。 1959年10月16日、長野県に生を受ける。

概要

  • 1981(昭和56)年ごろ、福生で創価学会組織につかずに、独自に折伏活動を活発に展開している不思議な老人に出会い衝撃を受けたと本人が述懐している。
  • その後その老人の死去と共に長野に帰郷。当人は創価学会組織に違和感を感じつつ、つかず離れずの状態が続く。
  • 1990(平成2)年春、池田大作の同時放送を聞き激しく疑問に思う。平成2年暮れの日蓮正宗と創価学会の宗創勃発によって、長野県長野市の日蓮正宗・妙相寺に通う。
  • 1991(平成3)年11月、日蓮正宗から創価学会へ解散勧告が出されると同時に脱会し、日蓮正宗・妙相寺法華講員になる。

YouTubeに動画をアップして以降、その切れ味鋭い弁舌で創価学会員をはじめとした他宗教信徒を法論で破り続けるなど無敵の快進撃を続けていたが、2011年に東京都中野区で行なわれた中野法論で、創価学会員に敗北を喫してしまう。

その後、2013年に大阪府羽曳野市議選に「河内のターザン」の異名を持つ元公明党現職市議、新岡武志氏を擁立、選挙戦を指揮し支援するも新岡氏は最下位で落選してしまった。その際、当時の妙相寺住職・石岡雄哲と信徒十数名を伴い曳野市にある応神天皇陵に塔婆を持参して市議選勝利を祈念している。


本業である長野県のアザレインターナショナル中屋本舗社長を勤める傍ら(社長業は1年のうち2%ほどしかやっていないとの本人の談話あり)、日本全国を回り折伏勧誘や対面対論に精を出す。

樋田は勧誘した全国のtoyoda.tv会員(妙相寺所属で、妙相寺全国信徒という扱いとなる)を束ね、街頭での創価学会・顕正会弾劾のビラ配りや、日蓮大聖人の御書解説や座談会などを定期的に開催。

一部のYouTubeファンからは、「日蓮仏法の講義が非常に判りやすい」「ヒゲ面に長髪(2013年、妙相寺石岡雄哲住職急死後は短髪に)という独特の容貌、そして他の宗教との法論に次々と勝利する絶倫無双の弁舌がたまらない」「日蓮正宗興亡の鍵を握る人物」などなど、その独特のキャラクターで根強い人気を持つ。

しかしその半面、「他宗教信者に議論をふっかけては、「公場対決」を口実に、様子をビデオで撮影。その映像を、DVD化して自分のホームページで販売するとは、まさに悪徳商法の一種。近年は、Youtubeにまで、自分が法華講員に講釈をしている動画をどんどんアップしている。尚、討論の映像については、ビデオ編集ソフトを使って、あたかも自分が圧倒的に議論を勝利しているかのように大幅な編集を施しているのではないかという疑惑が指摘されている」という批判もなされている。

外部リンク