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'''アフリカ'''('''Africa''', '''阿弗利加''')は、広義には[[アフリカ大陸]]およびその周辺の[[マダガスカル島]]などの[[島嶼]]・[[海域]]を含む[[地域]]の総称で、[[六大州]]の一つ。[[地中海]]を挟んで[[ヨーロッパ]]の南に位置する。狭義には、サハラ以南アフリカ(Sub-Sahara Afria、サブ・サハラ・アフリカ)を指すことが多く、しばしば[[ブラックアフリカ]]とも呼ばれる。面積は3,030万平方キロメートルで、世界全体の22.3%を占めるが、人口は8億5,000人で、世界人口比では13.7%を占めるに過ぎない。現在は53の独立国によって形成されている。
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アフリカは[[人類]]の[[発祥]]の地と言われている。サハラ砂漠以南のアフリカは、かつてヨーロッパ諸国から「暗黒の大陸」と未開の地のように呼ばれたが、ヨーロッパに知られていなかった(あるいはその存在を認めようとしなかった)だけで、実際には古代から文明があった。
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[[サハラ砂漠]]が大きな境で、この広い砂漠の北側を「[[北アフリカ|ホワイトアフリカ]]」、南側を「ブラックアフリカ」あるいは「'''サブサハラ'''」と呼び分ける人もいる。
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アフリカは[[北アフリカ]]、[[中部アフリカ]]、[[東アフリカ]]、[[南部アフリカ]]、[[西アフリカ]]に分けられる。また、略称は'''阿'''である。
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== 地理 ==
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北は[[地中海]]、西は[[大西洋]]、東は[[インド洋]]および[[紅海]]に面する。南端の[[アガラス岬]]で大西洋とインド洋が接する。かつてはスエズ地峡により[[ユーラシア大陸]]とつながっていたが、[[スエズ運河]]の掘削によって陸上では連結していない。
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大陸北側に世界最大の[[砂漠]]である[[サハラ砂漠]]をもち、これによって大陸は大きく二つに分けられる。また大陸東部には[[パンゲア]]大陸が[[ゴンドワナ]]・[[ローレンシア]]大陸に分裂したときの名残である世界最大長の[[アフリカ大地溝帯]]が南北に走る。これに西側で接して、エチオピア高原などの高地があり、[[ヴィクトリア湖]]などの[[古代湖]]が残る。
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重要な河川は[[ナイル川]]・[[ザイール川]]・[[ニジェール川]]など。大陸最高峰は[[キリマンジャロ山]](5,895m)。
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200m未満の平地や低地は少なく9.7%しかない。
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気候は多様である。大陸中央部はほぼ赤道直下に位置し、高温多湿であり、これをはさんでセレンゲティ高原などの[[サバンナ]]地域が広がる。西部の[[ギニア湾]]沿岸から大陸中部の[[コンゴ盆地]]にかけては[[熱帯雨林]]で、大陸南部は[[温帯]]気候および[[西岸海洋性気候]]である。南アフリカ共和国の南端では[[地中海性気候]]である。
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== 歴史 ==
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[[Image:Africa map from Atlas 1648.png|300px|right|thumb|'''アフリカの[[地図]]'''(G. and I. Blaeuによる[[1648年]]の地図) [[ポルトガル]]人の[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]がインド洋航路を発見した150年後に制作された。海岸線は正確だが、内陸部、特に河川の流路に関する情報が極端に不足していたことが分かる。例えば[[ナイル川]]が南部アフリカに達しており、[[ニジェール川]]の流路は全く異なっている。冒頭の地図と比較されたい。]]
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[[Image:Afryka 1890.jpg|right|thumb|right|300px|アフリカの地図 [[1890年]]]]
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アフリカを歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分される。東アフリカが[[コプト教]]のエチオピアと[[イスラム教]]のインド洋沿岸部と大きく区分されるほかは、西アフリカで独特な[[アニミズム]]の伝統が濃厚に残ってきたにもかかわらず、イスラム文化圏であったことが共通している。
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===エジプト・地中海世界===
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最初にひらけたのは、やはり[[ナイル川]]流域の[[古代エジプト]]王国であった。[[紀元前2900年]]頃、[[メネス王]]が上下エジプトを統一して以来、古王国時代に築かれた[[ピラミッド]]によって世界的に知られている。
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一方、チュニジアでも[[紀元前800年]]頃に[[フェニキア]]の植民都市として[[カルタゴ]]が築かれ、経済大国となった。[[紀元前146年]]にカルタゴは[[共和制ローマ]]に滅ぼされ、ローマ支配下の[[アフリカ属州]]となった。[[5世紀]]、[[ローマ帝国]]が弱体化し、[[ゲルマン民族]]の大移動の時代に、チュニジアでは、ヴァンダル族が、[[429年]]、カルタゴの故地に[[ヴァンダル王国]]を建設したが、[[地中海世界]]の再統一に燃える[[東ローマ帝国]]によって[[534年]]に滅ぼされた。しかし、東ローマ帝国の北アフリカ支配も長くはなく[[636年]]、[[パレスチナ]]のヤルムク河畔で、日ののぼる勢いの[[イスラム帝国]]([[正統カリフ]])に敗れると、エジプトを奪われ、北アフリカは[[ウマイヤ朝]]時代にイスラム勢力の支配下に入った。[[アッバース朝]]時代に勢力争いで、[[ハールーン=アッラシード]]に敗れたイドリースは、マグリブ(現モロッコ)の地へ逃げて、[[フェズ]]に[[イドリース朝]]を開いた。[[9世紀]]以降、アッバース朝カリフは、[[800年]]にチュニジアの[[アグラブ朝]]、[[868年]]にエジプト総督代理のイブン=トゥルーンが築き、フマーラワイフが貢納を条件にエジプト総督を[[世襲]]して事実上エジプト独自のイスラム王朝となった[[トゥルーン朝]]、トゥルーン朝滅亡後、やはりエジプト総督のイブン=トゥグジュにイフシードの称号を与えるとともに大幅な自治を認め、[[イフシード朝]]の建国([[935年]])を許すなど分裂傾向を強めた。
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===西アフリカ・北アフリカ===
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西アフリカでは、[[紀元前900年]]にさかのぼるといわれる[[土偶]]と[[製鉄]]技術をもった[[ノク文化]]が[[ナイジェリア]]の北部で生まれ、土偶の様式は、アフリカ中部から南部の彫刻に大きな影響をあたえた。ナイジェリアでは、9~10世紀の[[イボ=ウクゥ文化]]、10~13世紀の[[イフェ文化]]、[[14世紀|14]]~[[18世紀]]の[[ベニン王国]]が繁栄し、優れた[[青銅]]製品で知られている。また西アフリカでは、[[セネガル川]]上流と[[ニジェール川]]上流に[[4世紀]]にさかのぼるといわれる[[ガーナ王国]]が[[11世紀]]後半まで[[サハラ交易|岩塩と金の中継貿易]]で繁栄した。その後、交易路の東漸に伴って、[[マリ帝国]]がニジェール川上流の[[ニアニ]]を[[首都]]とし湾曲部の[[トンブクトゥ]]を版図に含んで[[13世紀|13]]~[[15世紀]]前半まで繁栄、[[ソンガイ帝国]]が15世紀後半から[[16世紀]]にかけて、ニジェール川湾曲部を中心にナイジェリア北部のハウサ諸国を従え、[[マリ]]帝国を屈服させてその版図の大部分を奪い、ほぼ西[[歴史的スーダン|スーダン]]を統一する広大な版図を誇った。
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一方、西スーダンのこのような王国のサハラ越えの[[キャラバン|隊商]]による交易に利害のあった北アフリカ西部、[[マグリブ]]にも[[ベルベル人]]によって11世紀中葉~12世紀中葉に[[ムラービト朝]]、12世紀中葉~13世紀頃に[[ムワッヒド朝]]、13~15世紀に[[マリーン朝]]という強力なイスラム王朝が建てられた。特にムラービト朝は、[[ガーナ]]王国を滅ぼしたことで知られる。[[ソンガイ帝国]]は、[[1590年]]に、16世紀中葉にモロッコで興った強力な[[サアド朝]](サーディ朝)に攻め滅ぼされた。[[イフリーキヤ]]と呼ばれたチュニジアでも、909年にアグラブ朝を倒して、[[ファーティマ朝]]が興ると、[[926年]]には西隣の[[イドリース朝]]を滅ぼした。[[969年]]に、エジプトに東遷して、[[イフシード朝]]を滅ぼすと、北アフリカの統一を完成し、新首都[[カイロ (エジプト)|カイロ]]に遷都([[973年]])して、[[カリフ]]を称した。西カリフ国と呼ばれた[[イベリア半島]]の[[後ウマイヤ朝]]に比して、中カリフ国と呼ばれた。エジプトではその後対[[十字軍]]戦争で活躍した[[サラディン]]による[[アイユーブ朝]]、アイユーブ朝のもとで実力をつけたバフリーヤなどの[[マムルーク]]の力によって建国された[[マムルーク朝]]が続く。一方、イフリーキヤでは、[[13世紀]]前半にムワッヒド朝から独立した[[ハフス朝]]があり、これらの強力な王朝のもとで優れた[[イスラム建築]]が多数建設され、町並みが[[世界遺産]]に登録されているものも数多い。しかし、[[1517年]]にマムルーク朝、[[1574年]]に[[ハフス朝]]が[[オスマン帝国]]によって併合される。
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===東アフリカ・南アフリカ===
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東アフリカでは、北部をなす[[エチオピア]]では、[[4世紀]]に[[コプト教]]を国教とした[[アクスム王国]]が、[[ギリシャ]]、ローマ帝国、そして東ローマ帝国との交流をもち、紅海貿易で繁栄した。11世紀頃に[[ザグウェ朝]]が興り、世界遺産になっている[[ラリベラの岩窟教会群]]が造られた。沿岸部では、イスラム商人によるインド洋交易がさかんで、[[モガディシオ]]、[[キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群|キルワ]]、マリンディなどの港湾都市が繁栄した。交易路は、[[モザンビーク]]南部の港町ソファラから[[ジンバブエ共和国|ジンバブェ]]の[[ザンベジ川]]流域、[[リンポポ川]]流域にまで及び14~15世紀に[[ショナ人]]による[[モノモタパ王国]]が[[金]]や[[象牙]]の輸出で繁栄した。モノモタパ王国の首都と目される[[グレート・ジンバブエ遺跡]]からは、中国([[宋 (王朝)|宋]]、[[元]]、[[明]]代)の青花などの[[陶磁器]]、[[インド]]の[[綿]]製品、[[インドネシア]]の数珠玉、[[ペルシャ]]の[[壺]]などの出土がみられ、当時の交易が盛んであったことを物語っている。モノモタパ王国が衰退すると、[[ロズウィ王国]]が[[19世紀]]半ばまでジンバブェの地を支配した。
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===奴隷貿易===
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[[奴隷貿易]]の項目を参照。
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===アフリカ分割===
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[[19世紀]]後半には、[[リベリア]]と[[エチオピア]]を除いて[[ヨーロッパ]]諸国による[[アフリカ分割]]が行われ、西アフリカの小王国が滅ぼされた。このとき国境線が民族や宗教に関係なく勝手に引かれたため、後の[[民族紛争]]の原因ともなった。[[1960年]]のいわゆる「アフリカの年」ごろからヨーロッパの植民地から次々に独立国が誕生し、[[独裁政治]]の発生や内戦などの問題をかかえつつ今日に至っている。→ [[アジア・アフリカ諸国の独立年表]]
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== 政治 ==
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北部のチュニジア、エジプトなどを除き多くの国々は情勢が不安定なところが多く、欧州などに比べると遙かに治安が悪い地区が多い。とくに至る所で[[内戦]]が勃発しており、政治的に安定している国はごくわずかである。かつての植民地支配の影響などもあり、また、独立後に出来た独裁政権などの残した爪痕が今でも色濃く残っている。ただし、特に北部の国は、情勢が比較的安定している。
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== 人口 ==
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現在、アフリカの人口は爆発的に増えている。世界の人口は増え続ける傾向にあるが、アフリカ地域の増加分がかなりの量を占めている。
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この人口増加は経済成長を伴っていないため、環境破壊や貧困層の増大などさまざまな問題をもたらしている。大陸全体が[[リカードの罠]]に陥っているとの指摘もある。
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一方、特に中南部諸国において[[平均寿命]]の著しい低下が見られる。これは主に[[エイズ]]の蔓延が原因で、国家予算の半分近くがエイズ対策に費やされる国家すら出現し、大きな社会問題となっている。
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== 文化 ==
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[[Image:African language families.png|right|300px|thumb|アフリカの語族および主要なアフリカ言語の配分を示す地図。]]
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[[Image:Official LanguagesMap-Africa.png|right|300px|thumb|現在多くのアフリカ諸国は1つ以上の「公用語」を話す]]
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[[エジプト]]から[[モロッコ]]までの北アフリカ諸国は、[[アラブ文化]]と関わりを持つ人々がいる。
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特に[[モロッコ]]、[[アルジェリア]]、[[チュニジア]]などの北アフリカの北西部に位置するアラブ諸国は[[マグリブ]]と呼ばれ、マシュリク(日の昇るところ、東方)に対して西方、すなわち、時と場合によっては[[リビア]]や[[モーリタニア]]も含められる。ただし、モーリタニアの南部は、歴史的に西スーダンのガーナ王国の中心部で、マリ帝国の版図に属していたことから、通常は[[西アフリカ]]に区分される。
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[[イスラム教]]とともに[[アラブ人]]が入ってくるまでは、[[ベルベル人]]の居住する地域であった。現在も多数派となったアラブ人に混じってベルベル人が残っている。
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[[1989年]]にマグリブ5か国は、[[ヨーロッパ連合]]にならって経済統合を促進するためにマグリブ連合を結成したが、[[アルジェリア]]情勢の不安定などから地域統合を進めることができず、連合としての活動はあまり見られない。
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なお、欧米や[[日本]]で「[[モロッコ]]」と呼ばれる国の[[アラビア語]]による正式な国名はアル=マムラカ・アル=マグリビーヤ(al-Mamlaka al-Maghribiya, マグリビーヤは[[マグリブ]]の形容詞形)といい、直訳すれば「マグリブ(日の没する地)の王国」という意味にあたる。
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==教育==
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アフリカの[[教育]]は世界の中で未発達で、特にサハラ以南の多くの国々で[[就学率]]が低い 
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学校は基礎設備に欠き、[[アフリカの大学]]は生徒の増加と、教職員がより高い給料を求めて西側諸国に移住する為の不足が問題。
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[[ユネスコ]]の[[2000年]]の調査 "Regional overview on sub-Saharan Africa" では児童就学率は58%だった
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=== 運動 ===
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* [[アフリカ開発のための新パートナーシップ|NEPAD]]'s [[NEPAD E-School program|E-school program]], [[インターネット]]・[[コンピューター]]設備を大陸全学校に備える事を目的としている
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* [[ブリティッシュエアウェイズ]] は[[ユニセフ]]と共に "Change for Good in Africa" プロジェクトとして、 モデルスクール, Kuje Science Primary School を[[ナイジェリア]]に建てた([[2002年]])。
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== アフリカの国 ==
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[[Image:Africa-regions.png|thumb|300px|アフリカの地域:
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{{legend|#0000FF|[[北アフリカ|北アフリカ]]}}
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{{legend|#FF00FF|[[中部アフリカ|中部アフリカ]]}}
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{{legend|#FFC000|[[東アフリカ|東アフリカ]]}}
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{{legend|#FF0000|[[南部アフリカ|南部アフリカ]]}}]]
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=== 北アフリカ ===
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*[[アルジェリア|アルジェリア民主人民共和国]] (阿爾及、[[アルジェ]]) アラビア語、フランス語等
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*[[エジプト|エジプト・アラブ共和国]] (埃及、[[カイロ (エジプト)|カイロ]])  アラビア語、英語等
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*[[スーダン|スーダン共和国]] ([[ハルツーム]]) アラビア語、英語等
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*[[チュニジア|チュニジア共和国]] ([[チュニス]]) アラビア語、フランス語等
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*[[モロッコ|モロッコ王国]] ([[ラバト]]) アラビア語、フランス語、スペイン語等
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*[[リビア|社会主義人民リビア・アラブ国]] ([[トリポリ (リビア)|トリポリ]])  アラビア語等
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=== 中部アフリカ ===
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*[[ガボン|ガボン共和国]] ([[リーブルヴィル]]) フランス語
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*[[カメルーン|カメルーン共和国]] ([[ヤウンデ]]) 英語、フランス語
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*[[コンゴ共和国]] ([[ブラザヴィル]]) フランス語
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*[[コンゴ民主共和国]] ([[キンシャサ]]) フランス語
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*[[サントメ・プリンシペ|サントメ・プリンシペ民主共和国]] ([[サントメ]]) ポルトガル語
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*[[赤道ギニア|赤道ギニア共和国]] ([[マラボ]]) スペイン語、フランス語
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*[[チャド|チャド共和国]] ([[ンジャメナ]]) フランス語
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*[[中央アフリカ|中央アフリカ共和国]] ([[バンギ]]) フランス語
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=== 東アフリカ ===
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*[[ウガンダ|ウガンダ共和国]] ([[カンパラ]]) 英語
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*[[エチオピア|エチオピア連邦民主共和国]] ([[アディスアベバ]])
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*[[エリトリア|エリトリア国]] ([[アスマラ]]) 英語
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*[[ケニア|ケニア共和国]] ([[ナイロビ]]) 英語
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*[[コモロ|コモロ連合]] ([[モロニ]]) フランス語
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*[[ジブチ|ジブチ共和国]] ([[ジブチ (市)|ジブチ市]]) フランス語
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*[[セーシェル|セーシェル共和国]] ([[ビクトリア (セーシェル)|ビクトリア]]) 英語、フランス語
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*[[ソマリア]] ([[モガディシュ]])
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*[[タンザニア|タンザニア連合共和国]] ([[ダルエスサラーム]])、([[ドドマ]]) 英語
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*[[ブルンジ|ブルンジ共和国]] ([[ブジュンブラ]]) フランス語
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*[[ルワンダ|ルワンダ共和国]] ([[キガリ]]) フランス語
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=== 南部アフリカ ===
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*[[アンゴラ|アンゴラ共和国]] ([[ルアンダ]]) ポルトガル語
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*[[ザンビア|ザンビア共和国]] ([[ルサカ]]) 英語
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*[[ジンバブエ|ジンバブエ共和国]] ([[ハラレ]]) 英語
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*[[スワジランド|スワジランド王国]] ([[ムババーネ]]) 英語
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*[[ナミビア|ナミビア共和国]] ([[ウィントフーク|ウィントフック]]) 英語
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*[[ボツワナ|ボツワナ共和国]] ([[ハボローネ]]) 英語
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*[[マダガスカル|マダガスカル共和国]] ([[アンタナナリボ]]) フランス語
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*[[マラウイ|マラウイ共和国]] ([[リロングウェ]]) 英語
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*[[南アフリカ共和国]] ([[プレトリア]])、([[ケープタウン]])、([[ブルームフォンテーン|ブルームフォンテイン]]) 英語
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*[[モザンビーク|モザンビーク共和国]] ([[マプト|マプート]]) ポルトガル語
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*[[モーリシャス|モーリシャス共和国]] ([[ポートルイス]]) 英語、フランス語
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*[[レソト|レソト王国]] ([[マセル]]) 英語
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=== 西アフリカ ===
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*[[モーリタニア|モーリタニア・イスラム共和国]] ([[ヌアクショット]])
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*[[ガーナ|ガーナ共和国]] ([[アクラ]]) 英語
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*[[カーボベルデ|カーボベルデ共和国]] ([[プライア]]) ポルトガル語
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*[[ガンビア|ガンビア共和国]] ([[バンジュール]]) 英語
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*[[ギニア|ギニア共和国]] (奇尼亜、[[コナクリ]]) フランス語
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*[[ギニアビサウ|ギニアビサウ共和国]] ([[ビサウ]]) ポルトガル語
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*[[コートジボワール|コートジボワール共和国]] ([[ヤムスクロ]])、([[アビジャン]]) フランス語
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*[[シエラレオネ|シエラレオネ共和国]] ([[フリータウン]]) 英語
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*[[セネガル|セネガル共和国]] ([[ダカール]]) フランス語
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*[[トーゴ|トーゴ共和国]] ([[ロメ]]) フランス語
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*[[ナイジェリア|ナイジェリア連邦共和国]] ([[アブジャ]]) 英語
 +
*[[ニジェール|ニジェール共和国]] ([[ニアメ]]) フランス語
 +
*[[ブルキナファソ]] ([[ワガドゥグー]]) フランス語
 +
*[[ベナン|ベナン共和国]] ([[ポルトノボ]]) フランス語
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*[[マリ (アフリカ)|マリ共和国]] ([[バマコ]]) フランス語
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*[[リベリア|リベリア共和国]] ([[モンロビア]]) 英語
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=== 独立国以外の地域 ===
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==== イギリス領 ====
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*[[セントヘレナ島]] (アセンション、トリスタン・ダ・クーニャを含む)
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*[[イギリス領インド洋地域|英領インド洋地域]] (チャゴス諸島、ディエゴガルシア)
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==== フランス領 ====
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*[[マイヨット]] ''Mayotte'' (海外領土)
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*[[レユニオン]] ''Réunion'' (海外県)(グロリオソ島 ''Glorioso Is.''、トロメリン島 ''Tromelin Is.''、ファン・デ・ノヴァ島 ''Juan de Nova Is.''などを含む)
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==== スペイン領 ====
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*[[カナリア諸島]] ''Islas Canarias'' (自治州)
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*[[セウタ]] ([[飛地]])
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*[[メリリャ]] (飛地)
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==== その他 ====
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*[[ソマリランド|ソマリランド共和国]] ([[ハルゲイサ]])
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*[[西サハラ]] ([[アイウン]])
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*[[南カメルーン連邦共和国]] ([[バメンダ]])
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===消滅した国===
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*[[ビアフラ共和国]]
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== 地域機構 ==
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* [[アフリカ連合]](AU)
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* [[西アフリカ諸国経済共同体]](ECOWAS)
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* [[南部アフリカ開発共同体]](SADC)
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* [[アフリカ開発銀行]](ADB)
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* [[アラブ・マグレブ連合]]
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== 関連項目 ==
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{{Commonscat|Africa}}
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* [[国の一覧]]
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* [[国の一覧 (大陸別)]]
 +
* [[海外領土・自治領の一覧 ]]
 +
* [[国の面積順リスト]]
 +
* [[国の人口順リスト]]
 +
* [[国の人口密度順リスト]]
 +
* [[国の国内総生産順リスト]]
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* [[ネグロイド|黒人]]
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* [[アフリカ系アメリカ人]]
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* [[アラブ人]]
 +
* [[ユダヤ人]]
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== 外部リンク ==
 +
* [http://www.dmoz.com/World/Japanese/%e5%9c%b0%e5%9f%9f/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%aa%e3%82%ab/ Open Directory Project - アフリカ]
 +
* [http://directory.google.com/Top/World/Japanese/%e5%9c%b0%e5%9f%9f/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%aa%e3%82%ab/ google Directory - アフリカ]
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===教育===
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*[http://www.portal-education-africa.org/wiki/index_en.php/Main_Page PEA Portal Education Africa]
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*[http://dmoz.org/Regional/Africa/Education Open Directory Project - アフリカの教育] directory category
 +
*[http://dir.yahoo.com/Regional/Regions/Africa/Education/ Yahoo! - アフリカの教育] directory category
 +
* [http://www.africaalmanac.com/top20highschools.html Africa's best and oldest schools]
 +
* [http://www.unesco.org/education/efa_report/zoom_regions_pdf/ssafrica.pdf Unesco Regional overview on sub-Saharan Africa] (.pdf)
 +
* [http://www.sos-schools.org/africa.htm SOS Schools in Africa]
 +
*[http://www.elearning-africa.com eLearning Africa]
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{{大州横}}
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{{世界の地理}}
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{{アフリカ}}
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[[Category:アフリカ|*]]

2007年6月27日 (水) 01:39時点における版

ファイル:LocationAfrica.png
世界地図上の位置
ファイル:Topography of africa.jpg
アフリカの地形(NASA

アフリカAfrica, 阿弗利加)は、広義にはアフリカ大陸およびその周辺のマダガスカル島などの島嶼海域を含む地域の総称で、六大州の一つ。地中海を挟んでヨーロッパの南に位置する。狭義には、サハラ以南アフリカ(Sub-Sahara Afria、サブ・サハラ・アフリカ)を指すことが多く、しばしばブラックアフリカとも呼ばれる。面積は3,030万平方キロメートルで、世界全体の22.3%を占めるが、人口は8億5,000人で、世界人口比では13.7%を占めるに過ぎない。現在は53の独立国によって形成されている。

アフリカは人類発祥の地と言われている。サハラ砂漠以南のアフリカは、かつてヨーロッパ諸国から「暗黒の大陸」と未開の地のように呼ばれたが、ヨーロッパに知られていなかった(あるいはその存在を認めようとしなかった)だけで、実際には古代から文明があった。

サハラ砂漠が大きな境で、この広い砂漠の北側を「ホワイトアフリカ」、南側を「ブラックアフリカ」あるいは「サブサハラ」と呼び分ける人もいる。

アフリカは北アフリカ中部アフリカ東アフリカ南部アフリカ西アフリカに分けられる。また、略称はである。

地理

北は地中海、西は大西洋、東はインド洋および紅海に面する。南端のアガラス岬で大西洋とインド洋が接する。かつてはスエズ地峡によりユーラシア大陸とつながっていたが、スエズ運河の掘削によって陸上では連結していない。

大陸北側に世界最大の砂漠であるサハラ砂漠をもち、これによって大陸は大きく二つに分けられる。また大陸東部にはパンゲア大陸がゴンドワナローレンシア大陸に分裂したときの名残である世界最大長のアフリカ大地溝帯が南北に走る。これに西側で接して、エチオピア高原などの高地があり、ヴィクトリア湖などの古代湖が残る。

重要な河川はナイル川ザイール川ニジェール川など。大陸最高峰はキリマンジャロ山(5,895m)。

200m未満の平地や低地は少なく9.7%しかない。

気候は多様である。大陸中央部はほぼ赤道直下に位置し、高温多湿であり、これをはさんでセレンゲティ高原などのサバンナ地域が広がる。西部のギニア湾沿岸から大陸中部のコンゴ盆地にかけては熱帯雨林で、大陸南部は温帯気候および西岸海洋性気候である。南アフリカ共和国の南端では地中海性気候である。

歴史

ファイル:Africa map from Atlas 1648.png
アフリカの地図(G. and I. Blaeuによる1648年の地図) ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を発見した150年後に制作された。海岸線は正確だが、内陸部、特に河川の流路に関する情報が極端に不足していたことが分かる。例えばナイル川が南部アフリカに達しており、ニジェール川の流路は全く異なっている。冒頭の地図と比較されたい。

アフリカを歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分される。東アフリカがコプト教のエチオピアとイスラム教のインド洋沿岸部と大きく区分されるほかは、西アフリカで独特なアニミズムの伝統が濃厚に残ってきたにもかかわらず、イスラム文化圏であったことが共通している。

エジプト・地中海世界

最初にひらけたのは、やはりナイル川流域の古代エジプト王国であった。紀元前2900年頃、メネス王が上下エジプトを統一して以来、古王国時代に築かれたピラミッドによって世界的に知られている。 一方、チュニジアでも紀元前800年頃にフェニキアの植民都市としてカルタゴが築かれ、経済大国となった。紀元前146年にカルタゴは共和制ローマに滅ぼされ、ローマ支配下のアフリカ属州となった。5世紀ローマ帝国が弱体化し、ゲルマン民族の大移動の時代に、チュニジアでは、ヴァンダル族が、429年、カルタゴの故地にヴァンダル王国を建設したが、地中海世界の再統一に燃える東ローマ帝国によって534年に滅ぼされた。しかし、東ローマ帝国の北アフリカ支配も長くはなく636年パレスチナのヤルムク河畔で、日ののぼる勢いのイスラム帝国正統カリフ)に敗れると、エジプトを奪われ、北アフリカはウマイヤ朝時代にイスラム勢力の支配下に入った。アッバース朝時代に勢力争いで、ハールーン=アッラシードに敗れたイドリースは、マグリブ(現モロッコ)の地へ逃げて、フェズイドリース朝を開いた。9世紀以降、アッバース朝カリフは、800年にチュニジアのアグラブ朝868年にエジプト総督代理のイブン=トゥルーンが築き、フマーラワイフが貢納を条件にエジプト総督を世襲して事実上エジプト独自のイスラム王朝となったトゥルーン朝、トゥルーン朝滅亡後、やはりエジプト総督のイブン=トゥグジュにイフシードの称号を与えるとともに大幅な自治を認め、イフシード朝の建国(935年)を許すなど分裂傾向を強めた。

西アフリカ・北アフリカ

西アフリカでは、紀元前900年にさかのぼるといわれる土偶製鉄技術をもったノク文化ナイジェリアの北部で生まれ、土偶の様式は、アフリカ中部から南部の彫刻に大きな影響をあたえた。ナイジェリアでは、9~10世紀のイボ=ウクゥ文化、10~13世紀のイフェ文化1418世紀ベニン王国が繁栄し、優れた青銅製品で知られている。また西アフリカでは、セネガル川上流とニジェール川上流に4世紀にさかのぼるといわれるガーナ王国11世紀後半まで岩塩と金の中継貿易で繁栄した。その後、交易路の東漸に伴って、マリ帝国がニジェール川上流のニアニ首都とし湾曲部のトンブクトゥを版図に含んで1315世紀前半まで繁栄、ソンガイ帝国が15世紀後半から16世紀にかけて、ニジェール川湾曲部を中心にナイジェリア北部のハウサ諸国を従え、マリ帝国を屈服させてその版図の大部分を奪い、ほぼ西スーダンを統一する広大な版図を誇った。

一方、西スーダンのこのような王国のサハラ越えの隊商による交易に利害のあった北アフリカ西部、マグリブにもベルベル人によって11世紀中葉~12世紀中葉にムラービト朝、12世紀中葉~13世紀頃にムワッヒド朝、13~15世紀にマリーン朝という強力なイスラム王朝が建てられた。特にムラービト朝は、ガーナ王国を滅ぼしたことで知られる。ソンガイ帝国は、1590年に、16世紀中葉にモロッコで興った強力なサアド朝(サーディ朝)に攻め滅ぼされた。イフリーキヤと呼ばれたチュニジアでも、909年にアグラブ朝を倒して、ファーティマ朝が興ると、926年には西隣のイドリース朝を滅ぼした。969年に、エジプトに東遷して、イフシード朝を滅ぼすと、北アフリカの統一を完成し、新首都カイロに遷都(973年)して、カリフを称した。西カリフ国と呼ばれたイベリア半島後ウマイヤ朝に比して、中カリフ国と呼ばれた。エジプトではその後対十字軍戦争で活躍したサラディンによるアイユーブ朝、アイユーブ朝のもとで実力をつけたバフリーヤなどのマムルークの力によって建国されたマムルーク朝が続く。一方、イフリーキヤでは、13世紀前半にムワッヒド朝から独立したハフス朝があり、これらの強力な王朝のもとで優れたイスラム建築が多数建設され、町並みが世界遺産に登録されているものも数多い。しかし、1517年にマムルーク朝、1574年ハフス朝オスマン帝国によって併合される。

東アフリカ・南アフリカ

東アフリカでは、北部をなすエチオピアでは、4世紀コプト教を国教としたアクスム王国が、ギリシャ、ローマ帝国、そして東ローマ帝国との交流をもち、紅海貿易で繁栄した。11世紀頃にザグウェ朝が興り、世界遺産になっているラリベラの岩窟教会群が造られた。沿岸部では、イスラム商人によるインド洋交易がさかんで、モガディシオキルワ、マリンディなどの港湾都市が繁栄した。交易路は、モザンビーク南部の港町ソファラからジンバブェザンベジ川流域、リンポポ川流域にまで及び14~15世紀にショナ人によるモノモタパ王国象牙の輸出で繁栄した。モノモタパ王国の首都と目されるグレート・ジンバブエ遺跡からは、中国(代)の青花などの陶磁器インド綿製品、インドネシアの数珠玉、ペルシャなどの出土がみられ、当時の交易が盛んであったことを物語っている。モノモタパ王国が衰退すると、ロズウィ王国19世紀半ばまでジンバブェの地を支配した。

奴隷貿易

奴隷貿易の項目を参照。

アフリカ分割

19世紀後半には、リベリアエチオピアを除いてヨーロッパ諸国によるアフリカ分割が行われ、西アフリカの小王国が滅ぼされた。このとき国境線が民族や宗教に関係なく勝手に引かれたため、後の民族紛争の原因ともなった。1960年のいわゆる「アフリカの年」ごろからヨーロッパの植民地から次々に独立国が誕生し、独裁政治の発生や内戦などの問題をかかえつつ今日に至っている。→ アジア・アフリカ諸国の独立年表

政治

北部のチュニジア、エジプトなどを除き多くの国々は情勢が不安定なところが多く、欧州などに比べると遙かに治安が悪い地区が多い。とくに至る所で内戦が勃発しており、政治的に安定している国はごくわずかである。かつての植民地支配の影響などもあり、また、独立後に出来た独裁政権などの残した爪痕が今でも色濃く残っている。ただし、特に北部の国は、情勢が比較的安定している。

人口

現在、アフリカの人口は爆発的に増えている。世界の人口は増え続ける傾向にあるが、アフリカ地域の増加分がかなりの量を占めている。 この人口増加は経済成長を伴っていないため、環境破壊や貧困層の増大などさまざまな問題をもたらしている。大陸全体がリカードの罠に陥っているとの指摘もある。

一方、特に中南部諸国において平均寿命の著しい低下が見られる。これは主にエイズの蔓延が原因で、国家予算の半分近くがエイズ対策に費やされる国家すら出現し、大きな社会問題となっている。

文化

ファイル:African language families.png
アフリカの語族および主要なアフリカ言語の配分を示す地図。
ファイル:Official LanguagesMap-Africa.png
現在多くのアフリカ諸国は1つ以上の「公用語」を話す

エジプトからモロッコまでの北アフリカ諸国は、アラブ文化と関わりを持つ人々がいる。

特にモロッコアルジェリアチュニジアなどの北アフリカの北西部に位置するアラブ諸国はマグリブと呼ばれ、マシュリク(日の昇るところ、東方)に対して西方、すなわち、時と場合によってはリビアモーリタニアも含められる。ただし、モーリタニアの南部は、歴史的に西スーダンのガーナ王国の中心部で、マリ帝国の版図に属していたことから、通常は西アフリカに区分される。

イスラム教とともにアラブ人が入ってくるまでは、ベルベル人の居住する地域であった。現在も多数派となったアラブ人に混じってベルベル人が残っている。

1989年にマグリブ5か国は、ヨーロッパ連合にならって経済統合を促進するためにマグリブ連合を結成したが、アルジェリア情勢の不安定などから地域統合を進めることができず、連合としての活動はあまり見られない。

なお、欧米や日本で「モロッコ」と呼ばれる国のアラビア語による正式な国名はアル=マムラカ・アル=マグリビーヤ(al-Mamlaka al-Maghribiya, マグリビーヤはマグリブの形容詞形)といい、直訳すれば「マグリブ(日の没する地)の王国」という意味にあたる。

教育

アフリカの教育は世界の中で未発達で、特にサハラ以南の多くの国々で就学率が低い  学校は基礎設備に欠き、アフリカの大学は生徒の増加と、教職員がより高い給料を求めて西側諸国に移住する為の不足が問題。

ユネスコ2000年の調査 "Regional overview on sub-Saharan Africa" では児童就学率は58%だった


運動

アフリカの国

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アフリカの地域: 北アフリカ       西アフリカ       中部アフリカ       東アフリカ       南部アフリカ      

北アフリカ

中部アフリカ

東アフリカ

南部アフリカ

西アフリカ

独立国以外の地域

イギリス領

フランス領

  • マイヨット Mayotte (海外領土)
  • レユニオン Réunion (海外県)(グロリオソ島 Glorioso Is.、トロメリン島 Tromelin Is.、ファン・デ・ノヴァ島 Juan de Nova Is.などを含む)

スペイン領

その他

消滅した国

地域機構

関連項目


外部リンク

教育

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