「阿智村」の版間の差分
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2009年6月30日 (火) 21:18時点における版
阿智村 | ||
国/地方 | 日本 | |
都道府県/郡 | 長野県 下伊那郡 | |
団体コード | 20407-2 | |
面積 | 170.31 km² 境界未定:
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総人口 | 6,521 人 ( 2007年8月1日現在)
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人口密度 | - 人 /km² | |
隣接自治体 | 飯田市、阿南町、平谷村 清内路村、下條村、南木曽町 岐阜県中津川市 | |
村の木 | トチノキ | |
村の花 | フクジュソウ | |
他のシンボル | - | |
阿智村役場 | ||
所在地 | 〒395-0303 長野県 下伊那郡阿智村大字駒場483番地 | |
位置 | ||
テンプレート:基礎自治体位置図 | ||
特記事項: 標高 : 557m | ||
目次
地理
1972年(昭和47年)に、旧国鉄中津川線のボーリング調査中、突如お湯が湧きだし発見された昼神温泉がある。
また、岐阜県と長野県の県境に位置する神坂峠の長野県側の入口に当たる園原地区には、日本天台宗の祖・伝教大師こと最澄が、東山道の神坂峠の急峻さに驚かれ、広拯院というお助け小屋を作られた。この縁で2005年(平成17年)に広拯院の跡地とされる「月見堂」が「信濃比叡根本中堂」として整備され、本山の根本中堂から「不滅の法灯」が分霊されることとなった。因みに、この広拯院の近くには、源氏物語の第2巻のタイトルにもなっている「帚木」の実物がある。
南北朝時代には、後醍醐天皇の孫と言われる尹良親王が浪合地区で戦死したとされる。
村の南部、平谷村との村境にある治部坂峠(じぶざかとうげ)の周辺は、古くから観光地化されており、東海地方からの観光客が多い。
歴史
沿革
- 1875年(明治8年)1月23日
- 上中関村、中関村、駒場村、昼神村、小野川村、大野分が合併して阿知村となる。
- 向関村、大鹿倉村、備中原村、河内村、栗矢村が合併して伍和村となる。
- 同年7月29日 - 波合村と平谷村が合併して平波村となる。
- 1881年(明治14年)8月12日 - 阿知村が春日村、駒場村、智里村に分立。
- 1884年(明治17年)2月9日 - 平波村が波合村と平谷村に分立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。春日村、駒場村が合併して会地村が発足。波合村と平谷村が合併して波合村が発足。伍和村、智里村は単独で発足。
- 1934年(昭和9年)4月1日 - 波合村が浪合村と平谷村に分村。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 会地村、伍和村、智里村が合併して阿智村が発足。
- 2006年(平成18年)1月1日 - 浪合村を編入。
人口
600px | |
阿智村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 阿智村の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 阿智村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
阿智村(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/20 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 村長:岡庭一雄(1998年2月10日就任 3期目)
地域
教育
過疎化・少子化の問題から、2010年度からは清内路村、2011年度からは平谷村の中学生を阿智村立阿智中学校に受け入れる予定。
小学校
- 阿智村立阿智第一小学校
- 阿智村立阿智第二小学校
- 阿智村立阿智第三小学校
- 阿智村立浪合小中学校
中学校
- 阿智村立浪合小中学校
- 阿智村立阿智中学校
高等学校
交通
道路
高速道路
一般国道
都道府県道
- 長野県道64号天竜公園阿智線
- 長野県道109号園原清内路線
- 長野県道243号深沢阿南線
バス
名所・旧跡・観光スポット
- 昼神温泉
- 信濃比叡根本中堂
- 園原の里
- 治部坂峠
- 浪合関所跡
- 尹良親王墓
- ヘブンスそのはらSNOW WORLD
- あららぎ高原スキー場
- 治部坂高原スキー場
関連項目
外部リンク