「プチエンジェル事件」の版間の差分
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プチエンジェル事件(プチエンジェルじけん)とは2003年に東京都で起きた小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された事件。プチエンジェルとは犯人吉里弘太郎(29歳)が経営していた児童買春デートクラブの名前である。
目次
経緯[編集]
吉里弘太郎は無店舗型のロリコンデートクラブ「プチエンジェル」を経営。 女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。
- 2003年7月上旬、少女のうちの1人が渋谷で勧誘され、「会ってくれたお礼」として犯人から金をもらう。犯人からは「いつでもおいで」といわれており、以降も携帯電話で連絡を取っていた。
- 11日、吉里はフェラーリ2台を売却する。
- 11日、吉里とは別の男性が赤坂の短期賃貸型マンションの部屋を契約する。部屋は最上階11階の2LDKで、費用は犯人が払った。
- 12日、吉里は都内の量販店でポリタンクや鉄アレイを購入。この際に練炭や七輪も購入したとみられている。
- 13日、少女4人は吉里から「部屋を1万円で掃除してほしい」と誘われ、渋谷駅前で待ち合わせて、タクシーで赤坂のマンションに連れて行かれる。マンションで掃除を始めると「ここに来た意味わかるよね」と吉里の態度が豹変、手錠と目隠しをされて監禁された。2人が逃げようとするが失敗、手錠にポリタンクや鉄アレイを付けられて逃げられないようにされ、スタンガンで脅された。
- 13日深夜 家族から警察に捜索願いが出される。
- 16日 マスコミで少女が行方不明になったと報道される。
- 16日 警視庁は吉里の逮捕状を2002年3月に中学2年の少女を買春した容疑で請求。捜査員が吉里の住所付近で聞き込みを始める。
- 16日9時頃 吉里はリビングでビニールをテント状にした中に入り、七輪で練炭自殺を図り死亡した。
- 17日 物音が聞こえなくなったのを見計らい、少女の1人が手錠をはずして脱出、隣室の花屋に助けを求める。駆けつけた警察官が4人を保護、吉里の死亡を確認。
事件を受けて翌日には渋谷で一斉補導が行われ、少年少女1,500人以上が補導された。
その後の捜査によって、借りていた埼玉県久喜市のアパートから1,000本以上のビデオテープと2,000名に及ぶ顧客リストが押収された。しかし、多くが偽名であることを理由に突然捜査は打ち切られ、以降、捜査が進められることもなかった。そのため、この手の事件にありがちな芋づる式の一斉検挙といった動きは無く、事件は未解決のまま終わっている。
小学生4名無事保護される[編集]
稲城市の小学6年女児失踪事件で警視庁は17日、全員を港区赤坂の短期賃貸マンションの最上階、11階にある2DKの部屋で保護した。
女児達は、行方不明になってからまる4日間近くをこの部屋で監禁されていたことになる。部屋の中では、20リットルのタンクや鉄アレイを重りに手錠をかけられ動きを制限されていた。目にはアイマスクを、監禁中はほとんど菓子類しか与えられていなかった。
17日、女児の1人が、容疑者の声が聞こえなくなったことを察知、脱出の機会を窺っていたところ、正午過ぎに手錠から手が抜け、マンション隣にある生花店に裸足で駆け込み「助けてください!警察を呼んでください!」と訴えたことから、生花店の店員が赤坂署へ通報した。
赤坂署員が保護した際、恐怖と衰弱のあまり、自分の名前を言うこともできない女児もいた。監禁されていた部屋からは横浜市港北区の職業不詳、吉里弘太郎容疑者の遺体が発見された。
警視庁は未成年者誘拐と逮捕監禁容疑で被疑者死亡のまま同容疑者を書類送検した。吉里容疑者以外にも複数の共犯者がいるとみて、その行方を追っている。
調べによると、既に渋谷の繁華街で7月上旬に吉里容疑者に声をかけられ、携帯電話で吉里容疑者と連絡を取り合うようになっていた女児の1人が「渋谷にいけばお金が入る」と言って友人3人が集まり、13日に稲城市から渋谷へ向かった。
同日、女児達は吉里容疑者から「1万円で部屋の掃除のバイトをしないか」などと言われ、午後1時過ぎに渋谷の高級ホテルで面会をした後、JR渋谷駅前から2人づつタクシーに分乗して赤坂のウィークリーマンションに連れていかれた。
1台目の車に吉里容疑者が乗り込み、時間を置いて2台目の車に若い男が同乗してきた。マンションの部屋に着くと、「ここに来た意味がわかるよね」などと話し4人を監禁したという。共犯と思われる2台目の車に乗ってきた若い男は部屋には入ってこなかったという。
22日、警視庁は吉里が借りていた埼玉県久喜市のアパートの部屋や所有していた車等から千本以上にものぼる、違法なわいせつビデオテープを発見した。また、自殺した赤坂のマンション室内からも若い女性を撮影した写真等が見つかっている。
更に吉里は、少女達にカラオケ5千円、パンツ1万円、裸の撮影1万円などの記述があるブルセラショップのチラシを配ったり、女子高生達にアルバイト代1万円を渡すなどして、「簡単なアルバイトで現金をもらえる!」などと書かれた『プチエンジェル』なるチラシを、渋谷や新宿などで行き交う少女達に配布し、勧誘宣伝活動をさせていた。
アルバイトをすることになった女児には、初めは普通の掃除させて1万円を渡していたが、次第に男性客に紹介していき、客から紹介料などを取っていたものとみられる。
そして、その証拠となる約2千人の名が記されている「顧客リスト」の存在も浮かび上がり、吉里が違法なビデオの販売だけで利益を得ていただけではなく、少女売春組織を運営して巨額の金を得ていたことが判明してきた。押収されたリストの中には「教師」「弁護士」や「会社役員」、そして「代議士」が含まれていた。
警視庁は8月5日、逮捕監禁などの疑いで、現場で自殺した男を容疑者死亡のまま書類送検した。男は「プチエンジェル」という会社名と自分の携帯電話番号を記載した募集のチラシを渋谷で配布。小学生や中学生の女の子を誘う際に警戒心を抱かせないよう、年齢が近い女子高生らに、1万円から3万円の現金を渡し、男に同伴させ、スカウト役のアルバイトをさせていたという。
赤坂にある監禁先の短期賃貸マンションの室内で、スタンガンが見つかっていたことが分かった。女児に対して使った形跡があり、警視庁捜査1課と少年育成課は、容疑者が監禁のほか、逃げることを防ぐ目的で、手錠による拘束とともに、スタンガンで恐怖を抱かせたとみている。
室内にはスタンガンのほか、スーツケースや手さげ袋、紙袋、ビデオテープ、携帯電話、男女の名前と電話番号を記載した名簿とみられるメモ類や若い女性の写真などがあった。スーツケースの中身は女子中学生の制服で、紙袋には女性用の下着などが多数あった。
死亡した容疑者は、監禁した女児が逃げようとした際に、殴っていたことも判明した。手錠、アイマスクも4人分用意していたことが分かり、監禁は計画的な犯行であったもよう。また、監禁後に容疑者が外出した気配が無いことから、自殺に使用した練炭も以前から用意していたものと見られ、自殺も計画していた可能性があるものとされる。
同級生証言で容疑者浮上[編集]
稲城市の4人の親から多摩中央署が捜索願を受けたのは、行方不明から半日経った13日夜。
同署は、4人が通う小学校の同級生や保護者に心当たりがないか、一斉に聞き込みを始めた。やがて、行方不明になった少女の1人が渋谷で「バイトしてお金が貰える」所があると友達を誘っていたという証言が複数得られた。誘われた事を母親に相談し、断っていた同級生もいて、保護者の間でも噂になっていたという。
一方、少年育成課は、少女を対象にバイトを誘っている人物として、容疑者を把握していた。女子高校生を使って、中高生に「いいアルバイトがあるよ」と声をかけさせていたという。少女の自宅からチラシが見つかり、そこに書かれていた携帯番号が吉里容疑者のものだった。
プチエンジェルとは吉里容疑者が少女を集める際に使っていた呼び名で、店舗やネット上のサイトなどはなかったと見ている。また同容疑者には別の容疑があり、16日に逮捕状を取って行方を追い始めていた。
疑問点[編集]
- 事件現場がなぜ、国会や大使館などがある赤坂でなく渋谷として報道されたのか。(渋谷が絡んでくるのは少女たちが「渋谷に行く」と言った事に由来)
- 警察発表の方法ではビニールが溶けて練炭による窒息死などできない。(注:その後の検証により方法によっては、例えば気絶状態もしくは睡眠薬で意識が混濁状態の人間がテントの内からしっかりと目張りをし、椅子の下に練炭をおいて熱で焼かれないようにすれば可能)
- 遺書も動機もないのに司法解剖前に自殺と断定。すぐに書類送検。
- 少女達の目撃証言などから自殺した容疑者以外に客引き・運転手・部屋の実名義人の、少なくとも3人の共犯者がいるが速攻で単独犯とされた。2000人以上の名士の顧客を抱え、預金は35億だが単独犯。
- 証言と押収品の食い違い。時間経過と共に変わっていく部屋の状況(拘束方法など)少女達の証言も警察の発表もコロコロ変わる。
- 当初マスコミは顧客が医者・弁護士・政治家と報道した。しかしすぐにロリコンマニアの方へ話題がいき、顧客名簿を押収したにもかかわらず、偽名が大半、という事で追求終了。(偽名なのになぜ職業がわかった?)
- Wikipediaの同項目がスポニチの記事の転載であるとして削除されている。
- 吉里容疑者の自殺よりも前に彼の父(元朝日新聞西部本社社会部長。警視庁キャップの経歴もある)も自殺している。理由は更迭が原因だったと言われている。また彼の兄も自殺しているが原因不明。
染谷悟刺殺事件[編集]
2003年9月この事件の取材活動を続けていたフリーライターの染谷悟が東京湾で刺殺体となって発見された。
周辺でトラブル相次ぐ。生活実態や交友関係捜査[編集]
東京都江東区の東京港で12日、フリージャーナリスト染谷悟さん(38)が刺殺体で見つかった事件で、染谷さんは約1年前から、自宅のベランダや窓を壊されたり、空き巣の被害に遭うなどしていたことが14日、警視庁東京水上署捜査本部の調べで分かった。 捜査本部は、染谷さんの周辺で相次いだトラブルで事件につながるようなものがなかったか、普段の生活実態や交友関係を捜査している。調べでは、染谷さんは昨年9月、当時住んでいた豊島区のアパートで空き巣被害に遭い、カメラやレンズ、パソコンなど77点を盗まれた。今年1月には、ベランダのフェンスが壊される被害に遭ったほか、4月にも、玄関のドアが開かないようドアのすき間に物を詰められたり、窓が割られるなどの嫌がらせが相次いだ。
東京都江東区の東京港でフリージャーナリスト染谷悟さんの刺殺体が見つかった事件で、知人の携帯電話に7日未明、染谷さん名の不審なメールが届いていたことが13日、警視庁東京水上署捜査本部の調べで分かった。
染谷さんは5日に知人と電話で話して以降、行方が分からなくなっている。メールは「旅に出る」とする内容だったが、発信元のアドレスは染谷さんが直前まで使用していたものではなかった。染谷さんは頻繁にメールアドレスを変更していたことから本人の可能性もあるが、捜査本部は何者かが染谷さんの失跡を隠すために偽装した疑いもあるとして発信者の特定を急いでいる。
東京都江東区の東京港で殺害されているのが見つかった染谷悟さんは「柏原蔵書(かしわばら・くらがき)」の名前で活動するフリージャーナリストで、最近になって「中国人に命を狙われている。殺されるかもしれない」と周囲に漏らしていたことが12日、関係者の話で分かった。
染谷さんは東京・歌舞伎町で活動する暴力団や中国人犯罪の取材を続けており「歌舞伎町アンダーグラウンド」と題する著書もある。警視庁東京水上署捜査本部は染谷さんが取材活動の中で何らかのトラブルに巻き込まれた可能性があるとみて捜査している。調べなどによると、染谷さんは東京都豊島区のアパートに1人で暮らしていたが、4月ごろには自宅の窓ガラスを割られる被害も受け、その後短期滞在マンションで生活をしていたという。
吉里弘太郎とは[編集]
- 母親が沖縄出身
- 父親が元朝日新聞社の記者
- 父親は数年前自殺
- 兄も後を追うように自殺
- 東京芸大出身のデザイナー
- 過去ホストクラブで2年間ホストのバイト
- 大学時代複数女性の「ヒモ」のような暮らしをしていた
- ロリータ趣味で多くのロリータデートクラブで「顔」
- 最近はホテル暮らしで都内のホテルを優雅に転々としていた
- 愛車はシルバーのフェラーリ(2500万)
- 預金は35億円
- 顔はビーズの稲葉に似てカコイイ。
- ニューヨーク、パリにぶらぶら遊学経験がある
- 外国人に友人が多い
- 2001年 - 4~6月、吉里、未成年者の買春容疑で書類送検
- 2001年9月 - 吉里の埼玉県久喜市アパート近くで大量のわいせつビデオ販売のチラシと、約100人分の顧客の名前が記されたリストをごみとして処分。埼玉県警は一緒に捨てられていた公共料金の請求書から吉里容疑者を割り出したが販売事実を確認出来ず。中には下着姿の少女の写真も入っていた
- 2002年 - 3月、吉里、中学2年の少女を6万円で買春。この事件の容疑で2003年7月16日に逮捕状が出される
犯行動機[編集]
遺書もなく犯人が自殺したため犯行の動機はわかっていない。ただ、犯人の父親は1993年に難病の頭頸部ジストニアを発症して1996年に自殺、兄も1999年に自殺、2001年には母親が自殺未遂を図っているなど身内に不幸が相次ぎ、また、本人も持病のアトピー性皮膚炎で苦しみ知人に死にたいともらしていた。
事件に関連が疑われる政治家[編集]
2003年7月12日頃、ザ・イトヤマタワー18階の自宅で、元暴力団組長から紹介された16歳の少女に15万円の現金を渡して買春、このことが警察に露見し元暴力団組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕された。しかし買春相手が18歳未満だとは知らされなかったとして、児童福祉法違反に問われることはなかった。このとき、事件もみ消しに暗躍したのが、五代目山口組若頭補佐(当時)だった後藤忠政・後藤組組長であり、後に謝礼として慰労金を渡したと報道された。