「宇佐女子高生殺人事件」の版間の差分
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同県警は少女の[[首]]に帯状のもので絞められた跡があるため[[殺人事件]]と断定、29日夜に少女と一緒に宿泊、30日午前4時すぎに乗用車で出た同町の大工の少年(19)を殺人容疑で指名手配するとともに、Aの赤いマツダ・ファミリアの行方を捜索した。 | 同県警は少女の[[首]]に帯状のもので絞められた跡があるため[[殺人事件]]と断定、29日夜に少女と一緒に宿泊、30日午前4時すぎに乗用車で出た同町の大工の少年(19)を殺人容疑で指名手配するとともに、Aの赤いマツダ・ファミリアの行方を捜索した。 |
2020年1月15日 (水) 10:07時点における版
宇佐女子高生殺人事件(うさせいふくじょしこうせいさつじんじけん)は1983年1月に大分県宇佐市で起きた殺人事件である。
少女の死体発見
1983年1月30日午前10時15分ごろ、大分県宇佐市内のラブホテル2号室のベッドでセーラー服姿の少女が下半身裸で死んでいるのを従業員が見つけ、宇佐署に届けた。同署で死体を解剖した結果、死因はひものようなもので絞め殺されたことによる窒息死で、死亡推定時刻は30日午前零時から4時頃。
同署は殺人事件とみて捜査本部を設置、制服の校章を手がかりに調べた結果、この少女は同県下毛郡山国町の中津商業高校3年生佐藤真理子さん(18)と分かった。
同県警は少女の首に帯状のもので絞められた跡があるため殺人事件と断定、29日夜に少女と一緒に宿泊、30日午前4時すぎに乗用車で出た同町の大工の少年(19)を殺人容疑で指名手配するとともに、Aの赤いマツダ・ファミリアの行方を捜索した。
心中未遂の少年逮捕
少年は31日午前零時10分、山国町の祖父の家に立ち寄ったところを、張り込み中の捜査員が逮捕した。宇佐署の捜査本部の調べに対し「双方の親に結婚を反対され、真理子さんを殺して自分も死のうとした」と供述、犯行を認めた。
自供によると、少年は佐藤真理子さんをホテルの浴衣のひもで絞め殺してホテルを出た後、30日午前5時半ごろいったん自宅に帰り、カミソリを持ち出した。車で福岡県行橋市内の山へ行き、両手首を切って自殺を図ったが、死に切れなかったという。
殺人現場の客室内にあったウイスキーの瓶に少年の指紋が残っていたのと、ホテルに入った際ホテル側がチェックしていた車のナンバーなどから、少年の犯行とわかった。
少年Aと少女の悲恋
殺された佐藤真理子さんは1965年生まれの18歳。大分県内の有名スーバーに就職が決まっていたが、同じ町に住む少年と1982年4月頃に知り合い、交際を続けていた。しかし、双方の親に交際を強く反対されたことから将来を悲観し、心中を決意。1983年1月29日、2人はラブホテルに宿泊して最後の一夜を過ごした後、少年は佐藤真理子さんの首を浴衣のひもで絞めて殺害。その死体には抵抗の跡は全く見られなかったという。