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「鮫島事件」が嘘の事件であるにもかかわらず、時折思い出した様に言及され、「それだけはやばい。」というお約束の反応が書き込まれるのは、2ちゃんねるに書き込まれた情報は、とりあえずは嘘として疑ってかからなければならない事と、事の真偽を読み手自身が検証しなければならない事、そして、それが不可能な場合は、真偽の判断は保留したままで、ネタをネタとして楽しむ事が求められているという事を端的に示している。 | 「鮫島事件」が嘘の事件であるにもかかわらず、時折思い出した様に言及され、「それだけはやばい。」というお約束の反応が書き込まれるのは、2ちゃんねるに書き込まれた情報は、とりあえずは嘘として疑ってかからなければならない事と、事の真偽を読み手自身が検証しなければならない事、そして、それが不可能な場合は、真偽の判断は保留したままで、ネタをネタとして楽しむ事が求められているという事を端的に示している。 | ||
− | 勿論、これは2ちゃんねるに限らず、不特定多数が書き込む事ができるウェブサイトにおいては、(サイトの主旨にもよるが)至極当たり前な事である。(2ちゃんねるとは大きく主旨が異なるWikipediaでさえも、不特定多数が編集できるウェブサイトである事には変わりない。百科事典であるWikipediaにおいて、「真実性」よりも「[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]] | + | 勿論、これは2ちゃんねるに限らず、不特定多数が書き込む事ができるウェブサイトにおいては、(サイトの主旨にもよるが)至極当たり前な事である。(2ちゃんねるとは大きく主旨が異なるWikipediaでさえも、不特定多数が編集できるウェブサイトである事には変わりない。百科事典であるWikipediaにおいて、「真実性」よりも「[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]」が重視されているのは、読み手自身に対して、内容を検証して真偽を確認する機会を保障しなければならないからである。つまりそれが実在したか否かが重視される) |
なお、実際に起きた「事件」は、如何に隠蔽しようとも証言者その他が現れるために消す事が出来ないが、起きていない「事件」の存在証明は、虚偽が発覚すればそこからレゾンデートルが破綻するために出来ない。 | なお、実際に起きた「事件」は、如何に隠蔽しようとも証言者その他が現れるために消す事が出来ないが、起きていない「事件」の存在証明は、虚偽が発覚すればそこからレゾンデートルが破綻するために出来ない。 |
2008年8月9日 (土) 20:44時点における版
鮫島事件(さめじまじけん)は、匿名掲示板2ちゃんねるなどで時おり言及される架空の事件。都市伝説を装った巧みなジョークである。
概要
そもそもの発端は、「伝説の「鮫島スレ」について語ろう」というスレッドであった。その最初の内容は
ここはラウンジでは半ば伝説となった「鮫島スレ」について語る スレッドです。知らない方も多いと思いますが、2ちゃんねる歴が 長い方は覚えてる人も多いと思います。 かくいう俺も「鮫島スレ」を見てから2ちゃんねるにはまった ひとりでして、あれを見たときのショックは今でも覚えています。 誰かあのスレ保存してる人いますか?
というもので、知らない人(と言っても事件そのものが実在しないので誰も「知らない」のだが)の好奇心を誘う秀逸な書き方であった。これまで数多くの鮫島事件に関するスレッドが立てられ議論された流れの中で、「鮫島=タブー」という約束が出来上がり、人が死んだ、公安が絡んでいるなどの情報が創造されていった。
その後も、ふとしたきっかけから鮫島事件という名前を耳にした人の「鮫島事件とは何か」という書き込みに対して、定期的に挙げられる話題のため「ネタだからやめろ」という者や、面白がって「あれは2ちゃんの影の部分だ」「あの事件のことを思い出させるな」などの書き込みを行ったり、いかにもそれらしい断片的な情報を書いたりすることで、「本当のところは教えてもらえないけれど何かあるらしい」というイメージを植え付けていく者によって鮫島事件は混沌さを増していき都市伝説レベルのネタとして成立していた。
定着した理由
鮫島事件というジョークが定着した理由に、掲示板という顔の見えない文字だけのコミュニケーションであること、当時の2ちゃんねるは現在よりもアングラ色が強かったため実際に事件が起こっていても不思議ではなかったこと、柏駅・立命館などの実在の固有名詞が随所に含まれていたことなどが考えられる。
最近ではWikipediaの誰もが編集出来るという特徴を逆手に取って、当記事をも巧みにネタへ取り込んでいる様が伺える。「真実を投稿しようとしても必ず何者かに削除される」など。
2ちゃんねるの管理人である西村博之の言葉として、「嘘を嘘と見抜けないと(2ちゃんねるを)使うのは難しい」というものが知られている。
「鮫島事件」が嘘の事件であるにもかかわらず、時折思い出した様に言及され、「それだけはやばい。」というお約束の反応が書き込まれるのは、2ちゃんねるに書き込まれた情報は、とりあえずは嘘として疑ってかからなければならない事と、事の真偽を読み手自身が検証しなければならない事、そして、それが不可能な場合は、真偽の判断は保留したままで、ネタをネタとして楽しむ事が求められているという事を端的に示している。
勿論、これは2ちゃんねるに限らず、不特定多数が書き込む事ができるウェブサイトにおいては、(サイトの主旨にもよるが)至極当たり前な事である。(2ちゃんねるとは大きく主旨が異なるWikipediaでさえも、不特定多数が編集できるウェブサイトである事には変わりない。百科事典であるWikipediaにおいて、「真実性」よりも「検証可能性」が重視されているのは、読み手自身に対して、内容を検証して真偽を確認する機会を保障しなければならないからである。つまりそれが実在したか否かが重視される)
なお、実際に起きた「事件」は、如何に隠蔽しようとも証言者その他が現れるために消す事が出来ないが、起きていない「事件」の存在証明は、虚偽が発覚すればそこからレゾンデートルが破綻するために出来ない。
結局、纏めると鮫島事件そのものがジョークだったということになる。
備考
「週刊将棋」(日本将棋連盟発行の週刊紙)連載の漫画『輪廻の香車(ヤリ)』中での棋士殺人事件の一つが「鮫島事件」と呼称されている。
外部リンク
鮫島事件に関する2ちゃんねるのスレッド
このページは Wikipedia日本語版由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は鮫島事件にあります。執筆者のリストは履歴をご覧ください。 Yourpediaと同じく、WikipediaはGFDLのライセンスで提供されています。 コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。