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2015年9月13日 (日) 11:53時点における版
韓国の民族主義では、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国および大韓民国)における民族主義を扱う。
目次
米中二股。韓国が断ち切れぬ、民族の悪い遺産
韓国外交を眺めていると、中島みゆきさんの名曲《時代》が、どうしても頭に浮かぶ。
♪めぐるめぐるよ時代はめぐる 別れと出会いをくり返し
時代を《事大》に置き換えると、韓国外交哀史が鮮やかに浮かび上がる。《事大主義》とは《小》が《大》に《事(つか)える》こと。強国に弱国が付き従う外交形態を指す。
「事大主義」が貫く外交
李氏朝鮮(1392~1910年)も末期、清→日本→清→日本→ロシア→日本→ロシア…と、内外情勢変化の度に事大先をコロコロと変えていった。そのDNAを色濃く継承する韓国は、李氏朝鮮の再来を思わせる見事な「事大ブリ」を披露する。最大の貿易相手国・中国が主導する金融秩序には自ら身をささげ、朴槿恵・大統領(63)は北京で催される《抗日戦争勝利70年記念》軍事パレードを参観する。いずれも米政府の反対をすり抜けたばかりか、中国の「目」を気にして、米政府の高高度防衛ミサイル配備提案も中ぶらりんにしたまま。
ところが、だ。北朝鮮軍の砲撃を受け、米軍には後詰めではなく、共同対処をお願いする始末。まさに《事大》は《めぐる》が、朝鮮が事大先を替える度、わが国は存亡の危機に瀕してきた。日本が独立を促すと、清にすり寄り日清戦争(1894~95年)の火ダネを造った。日本が勝ち、朝鮮を独立させるやロシアにすがり、日露戦争(1904~05年)誘因の一つを造った。朝鮮→韓国が《別れと出会いをくり返》すと、日本は大厄災に遭う。
北朝鮮軍の地雷で韓国軍下士官2名が重傷を負い、韓国軍は拡声器を使った北非難を再開した。これに対し、北朝鮮軍は砲撃してきたが、韓国軍は「7倍返し」で応射。朴氏も、北の挑発には現場指揮官の即断で報復攻撃を実施するROE(交戦規定)を許可した。強気の背景には北の局地的軍事挑発に単独で対抗してきた韓国軍に、在韓米軍が初めて共同対処する方針が決断されたためでもある。
過度な米軍依存の正否は、日本も検証の必要がある。ただ、日本外交のブレ幅は韓国に比べマシ。外交路線決定は独立国家の権利とはいえ、韓国には米国の頭ごなしに中国と誼を通じることがはばかられる合理・道義的理由が存在する。朝鮮戦争(1950~53年休戦)で中国軍はソウルの南まで侵攻。主力の米軍は友軍・韓国軍の弱さも手伝い14万以上の死傷者を出した。韓国にとり中国は侵略者だが、韓国は“国家”ぐるみの倒錯に痛痒を感じない。というか、倒錯への自覚・感覚がない。
閔妃をめぐる朝鮮倒錯史
李氏朝鮮には、朴大統領のような女性の権力者がいた。第26代王・高宗(1852~1919年)の妃・閔妃(ミンピ、1851~95年)である。以下、かなり“年季”が入っている「朝鮮半島倒錯史」の、ほんの一部をたどってみる。
【第一幕】閔妃は実権を義父・興宣大院君(1820~98年)から奪うや、大院君の攘夷政策を一転、開国路線に舵を切り、欧露に先駆けて真っ先に日本と外交条約を締結。日本は朝鮮を、清の冊封より独立した国家主権を持つ独立国である旨を明記、軍の近代化に協力した。
【第二幕】結果、新旧2種の軍が並列。そこに旧式軍隊の待遇・給与未払い問題が絡み、旧式軍隊と大院君派が呼応して1882年、大規模な反乱《壬午事変》を起こす。閔派は無論、近代化を果たした日本に学び、朝鮮を清から完全独立させ、立憲君主国を目指す開化派、さらに日本人を殺害・駆逐。大院君は復権する。
【第三幕】王宮を脱出した閔妃は、朝鮮駐屯の清軍を頼る。清は反乱鎮圧などを口実に漢城に増派し、反乱を指揮したとして大院君を清に幽閉する。閔妃は、清に依存を深めていく。
(-_-) 日本も日本公使館警備に向け条約を結び、朝鮮に派兵し、日清戦争の火ダネとなる。
【第四幕】開化派は閔妃の清服属に反発し1884年、クーデター《甲申政変》を決行する。清や妻=閔一族に実権を握られていた王・高宗もクーデターを快諾した。が、閔派の通報を受けた清が1500名を派兵。高宗の求めで、王宮警護に就いていた日本公使館警備部隊150名との間で戦闘となる。結局、3日で制圧される。
日清間で1885年、双方の撤兵と、やむを得ず出兵するに当たっての事前通告義務をうたった《天津条約》を締結する。条約により日本は、朝鮮の独立を担保しようと考えたのだ。
(-_-) 日清開戦は一旦は回避されたものの、第五幕以降も止まぬ混乱の連鎖で、両国の緊張は高まるばかり。
【第五幕】清の威を借る閔派の事大政策の陰で、高宗はロシア南下を警戒する英国などを牽制すべく、ロシアに積極的に秋波を送る。同時に、欧米に盛んに公使を派遣してもいる。清は警戒を強め、日本の要請もあり、大院君を朝鮮に帰す。
【第六幕】役人の汚職や増税に怒る農民が新宗教と結び付いて1894年《甲午農民戦争》を起こす(大院君の陰謀説アリ)。一揆は朝鮮軍を撃破し続け、閔派はまたも清に援軍を求める。
(-_-) もはや一刻の猶予もならなかった。かくして、日清戦争の戦端が開かれる。
【第七幕】戦争直前には、日本の支援で閔派排除のクーデターを起こし開化派+大院君派は政権を樹立。だが戦時中、大院君は開化派の暗殺をくり返し、前述の新宗教・農民勢力と清軍に工作し、日本軍を挟撃せんとした。
【第八幕】日本の日清戦争勝利で朝鮮は清の冊封体制からようやくはい出る。大院君派が再び力を付け、逆に清という後ろ盾を失った閔派は衰退する。
【第九幕】閔派は1895年、ロシア軍の支援で権力を奪還するも3カ月後、閔妃は暗殺される。
もう、何が何だか分からない。朴氏の父、朴正煕・元大統領(1917~79年)は暗殺される前《民族の悪い遺産》の筆頭に事大主義を挙げ、改革を模索した。皮肉にも、北朝鮮は《悪い遺産》を嫌悪し自主・自立を意味する《主体思想》を看板に、米国と対立するのみならず、中国にも反発し始めた。
ところで、韓国軍は抗日軍事パレード参加を見送るようだ。豊臣秀吉(1537~98年)の朝鮮出兵時、明軍の一翼として行軍した李氏朝鮮軍と同様の“事大絵巻”が観られないのは、少し残念な気もする。
歴史
大韓民国建国以前
朝鮮半島の歴代王朝は長期間に渡って中国大陸の歴代王朝に服属・朝貢しており、例えば新羅は北斉(北朝)・陳(南朝)・隋・唐に朝貢し、高麗は宋・契丹(遼)・女真(金)・明に朝貢、元に服属し、李氏朝鮮は明・清に朝貢していた(日清戦争まで)。これらの歴代王朝の多くは中国歴代王朝による冊封を受け(中国朝鮮関係史参照)、中華文化を非常に尊ぶ事大主義と、自らを中国文明(大中華)に次ぐ「小中華」であるとする「小中華思想」を持ち、周辺国である日本や琉球や満洲を文化的に劣等な夷狄とみなしていた。江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使たちは、「男子はみな半幅の青布でへそから下を被っている。はなはだしいのになると隠さない」、草履は、「前部に一本の縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その形はひどく奇怪である。足袋は蛇の舌のようである」などと日本の風習を夷狄視する記述を見せている。また『日東壮遊歌』の中で、小中華思想の上では文化的に劣等で野蛮でなければならない日本が発展していることに対して、次のようにあからさまなな感情を記述している。
- 『日東壮遊歌』現代語訳
- 大坂での記述より
- (多くの船が)一斉に行き来する様は驚くばかりの壮観である。その昔、楼船で下る王濬が益州を称えた詩があるが、ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう。
- 流れの両側には人家が軒を連ね、漆喰塗りの広い塀には鯨の背のような大きい家を金や紅でたくみに飾り立てているが、三神山の金闕銀台(きんけつぎんだい:仙人の住処のこと)とは、まことのこの地のことであろう。
- 本願寺に向かう道の両側には人家が塀や軒をつらね、その賑わいのほどは我が国の鍾絽(チョンノ:ソウルの繁華街)の万倍も上である。
- 館所に入る、建物は宏壮雄大、我が国の宮殿よりも大きく高く豪華である。
- 我が国の都城の内は、東から西にいたるまで一里といわれているが、実際には一里に及ばない。富貴な宰相らでも、百間をもつ邸を建てることは御法度。屋根を全て瓦葺にしていることに 感心しているのに、大したものよ倭人らは千間もある邸を建て、中でも富豪の輩は 銅を以って屋根を葺き、黄金を以って家を飾り立てている。 その奢侈は異常なほどだ。
- 天下広しといえこのような眺め、またいずこの地で見られようか。北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原(中国)の壮麗さもこの地には及ばないという。この世界も海の向こうよりわたってきた穢れた愚かな血を持つ獣のような人間が、周の平王のときにこの地に入り、今日まで二千年の間世の興亡と関わりなくひとつの姓を伝えきて、人民も次第に増えこのように富み栄えているが、知らぬは天ばかり、嘆くべし恨むべしである。。
- この国では高貴な家の婦女子が厠へ行くときはパジ(ズボン状の下着のこと)を着用していないため、立ったまま排尿するという。お供のものが後ろで、絹の手拭きを持って立ち、寄こせと言われれば渡すとのこと。聞いて驚きあきれた次第。
- 京での記述より
- 沃野千里をなしているが、惜しんであまりあることは、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。この犬にも等しい輩を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ。
- 倭王は奇異なことに何ひとつ知ることなく、兵農刑政のすべてを関白にゆだね、自らは関与せず、宮殿の草花などを愛でながら、月の半分は斎戒し、あとの半分は酒色に耽るとか。
- 尾張名古屋での記述より
- その豪華壮麗なこと大坂城と変わりない。夜に入り灯火が暗く、よくは見えぬが、山川迂闊にして人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、沿路随一とも言える。中原にも見当たらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べればさびしい限りである。
- 人々の容姿の優れていることも 沿路随一である。わけても女人が 皆とびぬけて美しい。明星のような瞳、 朱砂の唇、白玉の歯、 蛾の眉、茅花(つばな)の手、蝉の額、氷を刻んだようであり 雪でしつらえたようでもある。趙飛燕や楊太真が万古より美女と誉れ高いが、この地で見れば色を失うのは必定。越女が天下一というが、それもまこととは思えぬほどである。
- (復路にて)女人の眉目の麗しさ、倭国第一といえる、若い名武軍官らは、道の左右で見物している美人を、一人も見落とすまいと、あっちきょろきょろこっちきょろきょろ、 頭を振るのに忙しい、まるで幼児のいやいやを見ているようであった。
- 江戸での記述より
- 楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様、橋や船にいたるまで、大坂城、西京(京都)より三倍は勝って見える。女人のあでやかなること 鳴護屋に匹敵する。
- (将軍との謁見について)堂々たる千乗国の国使が礼冠礼服に身を整え、頭髪を剃った醜い輩に四拝するとは何たることか。
- (将軍家治について(著者は直接見ていない))細面で顎がとがり、気は確かなようだが、挙動に落ち着きが無く、頭をしきりに動かし、折り本をもてあそび、やたらにきょろきょろとして、泰然としたところがない。
–
このような観念的な根強い小中華思想がある上に、近代に入ると「文化的に劣等な野蛮人」でなければならない日本人に韓国併合をされたことから、より強い反日感情と民族主義が形成された。
大韓民国建国以後
- 独裁体制の時代
大韓民国建国後においては、当初から民族主義は「反日主義」一辺倒で「日帝に対する闘争」を掲げることで民族の紐帯を醸成していった。
初代から3代目までの大統領となった李承晩は日本統治時代の朝鮮を容認する思想を持った者や発言した者に対して徹底的な投獄・拷問・処刑を行った。 大韓民国成立後の2年だけで、政治犯として投獄された者の総数は日本統治時代の約30年間の投獄者数を超えた。
また李承晩が失脚した3年後に大統領に就任して同じく独裁体制を築いた朴正煕は、朝鮮史における事大主義と属国性を自覚し、自著『国家・民族・私』で次のような言葉を遺している
- 「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
- 「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」
- 「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」
- 「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」
–
また、自著『韓民族の進むべき道』で、李氏朝鮮について次の言葉を遺している
- 「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」
- 「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」
- 「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」
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さらに、自著『韓民族の進むべき道』で、韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、「民族の悪い遺産」として次の問題を挙げている
- 事大主義
- 怠惰と不労働所得観念
- 開拓精神の欠如
- 企業心の不足
- 悪性利己主義
- 名誉観念の欠如
- 健全な批判精神の欠如
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朴正煕はこのような問題を払拭するために、独裁体制(維新体制)を確立すると「国籍ある教育」を掲げ、歴史教育の目的として「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観」が謳われるようになった。一方で、開発独裁による経済発展を推し進め「漢江の奇跡」と呼ばれる飛躍的な発展を遂げることに成功し、韓国人が誇るに足る国へと成長していった。
- 近年
朴暗殺後の1980年代から韓民族優越主義が台頭し始め、韓国の超古代史が綴られたとされる自称歴史書『桓檀古記』が「活字として改めて出版」され、ソウルオリンピックや2002 FIFAワールドカップなどのスポーツ関係の祭典の挙行、OECDの加盟等の経済力の増大と共に韓民族優越主義を肥大化させていった。
飛躍的な経済発展、韓国系企業の国外進出などによって韓国の国際的地位は以前に比べ高まったが、韓国は中国や日本に挟まれているため、欧米における韓国という国家のイメージやその知名度は他の2国に比べ未だに低い。水野俊平等の複数の学者は、韓国国民が自らを先進国の国民であるというプライドを持つようになった一方で、欧米人が持つ韓国人に対してのイメージが低いことに精神的葛藤を覚えており、それが韓国起源説に代表される独特のナショナリズムを加速させていると指摘している。
日本語講師の中岡龍馬は、近年、韓国でエスノセントリズム・韓民族優越主義が台頭しつつあると主張し、これを朝鮮語で「我が国」を表す「ウリナラ」から、俗に「ウリナライズム(またはウリナリズム)」と呼んでいる。この思想を持つ者は、「韓民族は歴史や文化や能力などで周辺諸民族よりも優れている」と主張している。
また、韓国の学校教育や大手新聞やテレビや書籍では、「日本は韓国の優れた文化を受け入れるだけの文化劣等国」「有史以来一枚見下げるべき文化的劣等者」「韓半島に比べてみすぼらしくて短い歴史しか持たず、歴史を捏造するしかない日本」というような対日蔑視に基づいた誤った論評が日常的に行われたり、日本列島を指す「島国」という言葉が「劣等で未開」という意味で使われて、駐日韓国大使がテレビのインタビューで使うまでになっている。また、マスコミによって「チョッパリ」「ウェノム」「イルボンノムドル」などの日本人を指す侮蔑語が使用され、「古代に韓民族の中の質の悪い犯罪者を「おぼれ死ね」と丸太に縛って海に流して島にたどり着いたのが国際的なならず者の低質日本民族の正体だ」、「『日本猿』と『チョッパリ』、どちらが日本人の呼び名に相応しいか?」、「『倭人』という言葉がある。とても小さくてみすぼらしいという意味の倭だ。人間の度量が小さくて狭い場合に私たちは『小さい奴』という言葉を使う。日本はそのような種族だ。」「『日本猿』という呼称がある。陰湿で凶悪で他人の真似はうまい人に、よく『猿のような奴』と非難する。日本はその猿のように卑怯な種族だ。」、などといった論評まで行われている。さらに韓国社会では日本人を「文化的に劣等な『猿』」とみなすことが常態化しており、奇誠庸などの有名スポーツ選手や地方公共団体が公の場で日本人を「猿」として侮辱することがある。
このような思想から、カリフォルニア州在住の在米韓国人たちが「韓国が日本に東アジア思想と文物を伝えた。」「韓国の陶工が日本に渡って日本の文化形成に寄与した。」「韓国は1980~90年代、大きな経済成長を成し遂げ、現在のインターネットおよび情報技術(IT)産業の主導的な役割をする国家である」などを歴史教科書に新たに記述させる法案を通過させるようにカリフォルニア州議会議員達に対してロビー活動を行っている。
韓民族優越主義者による主張の例
韓国起源説
韓国では長い間、冊封体制下で中国の歴代王朝に事大の礼を尽くしていたこともあり、中国文明の影響を濃厚に受けており、中国諸王朝や文化の極めて強い影響のもとに文化を発達させてきた。ところが、現代において、韓国外で評価の高い主に日本や中国の事物を韓国が起源と主張する論調をしばしば取ることがあり、極端なものでは明らかに日本や中国で醸成された文化や文物と検証されている著名な歴史的事物や人物を韓民族(韓半島)起源のものであると主張することがある。これについては、近年中国や日本から、歴代の朝鮮王朝は自国独自の文化を排斥し中国文化を崇めていたため独自文化が近隣諸国と比べ発達せず、近代の韓国人がそれに対する劣等感を持っていることや、李氏朝鮮までの文化の継続的な継承が行われていない百済や高句麗等の歴史まで自民族史として語る歪んだ思想が原因であると指摘されている。
誇大妄想史観
「韓民族は北東アジアの覇者であった」という偽史を創作し、その定着を図っている。韓民族の活動した地域は、北はバイカル湖、南は沖縄、西はメソポタミア、東はアメリカ大陸ということになっている。
- 2007年大韓民国大統領選挙に立候補した許京寧経済共和党総裁は、「中国諸国と連邦をしてアジア連邦を作り、失われた高句麗領土を取り戻したい」「失われた渤海の旧領と、三国時代にヨーロッパまで伸ばした韓半島の故土を取り戻すのが私の夢だ」としている。
- 韓国KBSの番組「満州大探査」は、「満州はもともと韓民族の土地。清朝を樹立した愛新覚羅氏も、祖先は韓国人」と主張している。
- 大田大学校哲学科の林均澤元教授が2002年12月に韓国書鎮出版社から出版した「韓国史」において、唐の時代に、高句麗、新羅、百済が中国の大半を有しており、唐の版図は雲南省や四川省などのわずかな部分に過ぎず、高句麗、百済を滅ぼしたあとの新羅の版図は、現在の東シベリア、モンゴル、華北地域など中国北部全体、華中地域、チベット自治区、新疆ウイグル自治区など広大なものとなり、唐は華中地域や華南地域をおさえるにとどまったと主張している。
- 韓国の圓光大学校教授が広西チワン族自治区の百済郷を調査し、「この地はかつて、百済の植民地だった」と発表した。
「朝鮮の文明化は日本よりも時期が早い」という主張
朝鮮民族から発現された文化はそれほど多くない。しかし韓国人が満州族や漢民族の文化を自民族の文化と捏造したり、日本から朝鮮半島に伝わった文化の韓国起源を捏造したり、日本での独自文化の発現と外国から受け入れた文化の変革と発展を無視することで、明治維新以前の日本にあった全ての文化・産業・社会は「中国→朝鮮→日本(朝鮮→中国→日本)」という順番で伝わったものであるという認識が生まれている。韓国のメディアでは、このような認識に基づいて「今の日本の繁栄があるのは全て朝鮮のおかげ」「そもそも韓国の文明化は中国より早い」という自民族優越主義的な論評が日常的に行われており、特に日本に対する蔑視と自民族優越主義的な視点は公教育における歴史教育でも顕著である。
在日認定
朝鮮民族の人物がある業界で活躍すると「朝鮮民族の優秀性が証明された」と盛んに喧伝し、偉業を成した日本の著名人も勝手に朝鮮民族に認定し、根拠なく在日コリアンやコリアン系の同胞だと主張する在日認定が問題となっている。
日帝残滓
好ましくない文化は日本統治時代の朝鮮に導入された劣位文化であるとする考え。
親日派
大日本帝国、日本におもねる民族的裏切り者が韓国朝鮮民族の正当性・優秀性を毀損しているという考え。
外国人に対する差別意識
朝鮮半島には小中華思想と呼ばれる攘夷思想があり、李氏朝鮮時代には大陸国家であるにもかかわらず排外的政策が採用されていた。これは、李朝末期の丙寅教獄およびそれに連なる丙寅洋擾、あるいは日本人を東夷として蔑視する政策から生じた書契問題およびそれに連なる江華島事件などにも見られ、一部に激越な排外主義の伝統が存在する。
実際には韓国は少数民族もおり、また韓国人は日本人以上に混血している民族であるという研究結果も出ているが、韓国では単一民族国家の意識があり、現在でも純血・混血という概念が根強く存在し、「韓国人は純血」という意識を持っている。それが人種差別の温床となっているとされ、国際連合の人種差別撤廃委員会(CERD)からたびたび勧告を受けている。また、「混血者」や「コシアン(韓国人と韓国以外のアジア出身者の間に生まれた子)」という呼び方も存在しており、国際結婚の夫婦の子供の11.5%がいじめを恐れて学校に通えないという調査結果がある。
韓国の放送局、SBSが韓国人の外国人忌避症と純血主義を集中取材した『SBSスペシャル…単一民族の国、あなた方の大韓民国』の制作者の調査の結果、 回答者の65.2%が「私たちの民族は単一民族」と信じていることが分かった。
韓国人が多く移住するようになったアメリカ合衆国は、ヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系、先住民が共存しているが、韓国系アメリカ人は他の民族集団に比べ際立って黒人蔑視が激しく,ロス暴動において多くの韓国人商店が黒人による略奪・破壊に遭う原因となった。ハインズ・ウォードは韓国系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人のハーフであり、韓国やアメリカの韓国人社会での差別を訴えていた。日本統治時代の朝鮮は単一民族国家意識は薄れており、当時は華僑が55万人以上が住んでいたのだが、現在ではわずか5万人程度になり、これは単一民族主義が一因であると思われる。また、中華人民共和国に住む朝鮮族や旧ソビエト連邦構成国のロシア、カザフスタン、ウズベキスタンなどに住む高麗人は現地の言語を話し、現地の教育や風潮に影響され、朝鮮半島の影響を受けなかったため、単一民族主義は韓国・北朝鮮ほどは見られない。一部の在日韓国・朝鮮人は反日教育を受けているためか、単一民族意識が浮き彫りとなっているという指摘もある。
アウトサイダーに対する差別意識は多かれ少なかれどこの国や民族・文化圏にもあるが、韓国人は国外においても現地の住民を蔑視することがあり、フィリピンセブ市では韓国人経営の店で市長夫人を侮辱したことで、韓国人が逮捕された。その他に外国人への差別意識が反映された事例として、ロス暴動(韓国人商店が襲撃された)やコレコレアの問題が挙げられる。
また韓国政府は、日韓条約の内容を長らく秘密にしており、日韓条約の規定により支払われた日本側の賠償金をインフラ整備に流用したことを国民に隠していたので、韓国の経済発展(漢江の奇跡)について一部の世論が独力で成し遂げたと評価しており、日本などの援助で経済発展を目指した東南アジア諸国に対し経済的優越感を抱き、さらに韓国人は『優秀な単一民族』と言う自負心の強い教育を受けているために、自己優越主義が促されている。それにより、開発途上国やそこからの出稼ぎ労働者を見下して差別することがあり、途上国からの評判は悪い。韓国を訪問した外国人を対象に実施したアンケート調査によると、「韓国人は親切」と回答した欧米人は70%、一方アジア人の比率は40%であった。
また、韓国人と国際結婚した途上国出身の外国人妻が近年10万人を超えているが、その半数近くがドメスティックバイオレンス(DV、家庭内暴力)被害に遭って、嫁ぎ先から逃げ出し、そのような外国人妻の保護のために建設された保護施設も存在する。また、韓国人は在日韓国人を『裏切り者』として差別することがある。
朝鮮日報と韓半島先進化財団が主催して先進国20カ国で行ったアンケートの結果では、韓国への好感度が下位という結果が出た。
「恨の文化」
現在の韓民族の思考様式のひとつで、これもまた、韓国国内における民族主義を構成している要因である。
各国における類似思想
韓民族優越主義と類似したエスノセントリズムとされる例として、中国(漢民族)の中華思想や、その中華思想を模して周辺民族を蛮族視したベトナム(キン族)などがある。
日本においては古代には畿内の側から関東・東北地方を「東夷」とし蛮地とみなす風習があった。しかし、奈良・平安時代に東北地方への入植・開拓が進むにつれ東北の人間集団の同化が進み、さらに平安後期には関東武士が台頭して、ついには東国の武士勢力が全国を掌握し武家政権(鎌倉幕府)を開くに至って東西の力関係の逆転が生じ、「あづまえびす」というような言葉は残ったものの、畿内からの一方的な東国蔑視はほぼ過去のものとなった。
自民族中心主義は世界の多くの民族に程度の差はあれ見られる傾向であるが、韓国は倭国(ないし近代日本)や中国文明、あるいは蒙古というその時期時期における有力な文化圏に対し従属的な立場に甘んじてきた歴史が長く、現在も中国・日本の圧倒的な影響力の間で独自性を主張する必要に迫られているという経緯から、中国・日本・ベトナムの民族主義とも似た面もあるが、より極端なものになっている。
日本に対する報道
韓国記者が「歴史問題で日本批判の材料があれば、強く書かねばならない。他社より穏健だと読者から抗議が来る。いったん反日の空気ができてしまうと抵抗できない。我々は縛られている」と語っているように民族主義的な面がみられる。
歴史問題以外にも経済やスポーツや文化などあらゆる面で日本と比べたがり勝手にライバル扱いして韓国の民族主義を煽るような報道をしている。
参考文献
- 亜細亜政策研究院『韓国イデオロギー論 韓国民族主義の理念』成甲書房、1978年、ISBN 978-4-88086-013-8。
- 滝沢秀樹『韓国民族主義論序説』影書房、1984年、ISBN 978-4-87714-007-6。
- 伊藤順子『病としての韓国ナショナリズム』洋泉社、2001年、ISBN 978-4896915730。
- 呉善花『「反日韓国」に未来はない』小学館、2001年、ISBN 978-4094024760。
- 鄭大均『韓国のナショナリズム』岩波書店、2003年、ISBN 978-4006001094。
- 木村幹『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識-朝貢国から国民国家へ』ミネルヴァ書房、2000年、ISBN 4623032922