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2015年5月29日 (金) 10:22時点における最新版
三浦郡(みうらぐん)は、神奈川県の郡。
人口32,403人、面積17.04km²、人口密度1,900人/km²。(2015年2月1日、推計人口)
現在、1町のみであり、高座郡の寒川町同様、将来、市制が施行された場合、当郡は消滅する。
- 葉山町(はやままち)
郡域[編集]
上記の1町以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
歴史[編集]
古代、相模国御浦郡である。郡衙は葉山町一色一帯とも、横須賀市の神奈川県立横須賀高等学校付近ともされるが不詳。古代末より中世には三浦氏の勢力下にあった。
明治時代の郡役所は、今の京急本線汐入駅の場所に置かれていた。
沿革[編集]
- 1867年(慶応3年) - それまでは海防の関係から上野前橋藩、武蔵忍藩、陸奥会津藩、武蔵川越藩、相模小田原藩、近江彦根藩、長門萩藩、肥後熊本藩、下総佐倉藩等が郡内を管轄していたが、ほぼ全域が幕府領となり、代官・江川太郎左衛門支配所の管轄となる。
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。幕府領は代官・江川太郎左衛門支配所、浦賀奉行所が管轄した。77村[1]を数える。
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 浦賀奉行所 | 10村 | 野比村、長沢村、三崎村、須軽谷村、●浦賀村、●八幡久里浜村、久村、内川新田、●佐原村、●衣笠村 |
幕府領 | 65村 | 津久井村、●上宮田村、菊名村、●金田村、松輪村、毘沙門村、中之町岡村、東岡村、向ヶ崎村、宮川村、二町谷村、原村、諸磯村、小網代村、三戸村、下宮田村、高円坊村、武村、大田和村、林村、赤羽根村、竹之下村、本和田村、入江新田、長井村、荻野村、長坂村、●佐島村、●芦名村、●秋谷村、長浦村、田浦村、船越新田、●浦ノ郷村、公郷村、深田村、●中里村、横須賀村、逸見村、不入斗村、大津村、●鴨居村、●走水村、佐野村、岩戸村、森崎村、大矢部村、小矢部村、上平作村、下平作村、●池上村、●金谷村、●木古庭村、●上山口村、下山口村、●一色村、●長柄村、●○堀内村、●沼間村、●桜山村、山野根村、●小坪村、逗子村、久野谷村、城ヶ島村 | |
その他 | 寺社領 | 2村 | 柏原村、○池子村 |
- 1868年(慶応4年)
- 1868年(明治元年)
- 明治初年 - 水戸徳川家と縁の深い英勝寺領の池子村が、鎌倉郡の一部とともに水戸藩の管轄となる。
- 1871年(明治4年)
- 1874年(明治7年) - 久野谷村、柏原村が合併して久木村が成立。(76村)
- 1875年(明治8年)(67村)
- 中之町岡村、東岡村、向ヶ崎村、宮川村、二町谷村、原村が合併して六合村が成立。
- 赤羽根村、竹之下村、本和田村が合併して和田村が成立。
- 上平作村、下平作村、池上村が合併して平作村が成立。
- 1876年(明治9年) - 横須賀村が横須賀町に改称。(1町66村)
- 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により行政区画としての三浦郡が編成され、郡役所が横須賀町に置かれる。
明治以降の行政区画[編集]
- 1889年(明治22年)
- 4月1日 - 町村制施行により以下の町村が発足[2]。(3町12村)
- 横須賀町 ←横須賀町、逸見村(現横須賀市)
- 豊島村 ←公郷村、深田村、中里村、佐野村、不入斗村(現横須賀市)
- 浦郷村 ←浦之郷村、船越新田、田浦村、長浦村(現横須賀市)
- 浦賀町 ←浦賀町、大津村、走水村、鴨居村、公郷村飛地、内川新田飛地(現横須賀市)
- 久里浜村 ←八幡久里浜村、久村、内川新田、佐原村、岩戸村(現横須賀市)
- 衣笠村 ←衣笠村、小矢部村、大矢部村、森崎村、金谷村、平作村、佐野村飛地、不入斗村飛地(現横須賀市)
- 葉山村 ←木古庭村、上山口村、下山口村、一色村、堀内村、長柄村(現葉山町)
- 田越村 ←桜山村、逗子村、山野根村、沼間村、池子村、久木村、小坪村(現逗子市)
- 北下浦村 ←津久井村、長沢村、野比村(現横須賀市)
- 南下浦村 ←金田村、上宮田村、菊名村、毘沙門村、松輪村(現三浦市)
- 三崎町 ←三崎町、諸磯村、小網代村、城ヶ島村、六合村(現三浦市)
- 初声村 ←入江新田、高円坊村、下宮田村、三戸村、和田村(現三浦市)
- 長井村(単独村制。現横須賀市)
- 武山村 ←須軽谷村、武村、林村、大田和村、長井村飛地(現横須賀市)
- 中西浦村 ←長坂村、荻野村、芦名村、佐島村、秋谷村(現横須賀市)
- 7月15日 - 郡役所が、横須賀町汐留30番地に移転する[3]。
- 4月1日 - 町村制施行により以下の町村が発足[2]。(3町12村)
- 1903年(明治36年)10月1日 - 豊島村が町制施行して豊島町となる。(4町11村)
- 1906年(明治39年)12月15日 - 豊島町が横須賀町に編入。(3町11村)
- 1907年(明治40年)2月15日 - 横須賀町が市制施行して横須賀市となり、郡から離脱。(2町11村)
- 1911年(明治44年)7月1日 - 中西浦村が改称して西浦村となる。
- 1914年(大正3年)6月1日 - 浦郷村が町制施行・改称して田浦町となる。(3町10村)
- 1924年(大正13年)4月1日 - 田越村が町制施行・改称して逗子町となる。(4町9村)
- 1925年(大正14年)1月1日 - 葉山村が町制施行して葉山町となる。(5町8村)
- 1926年(大正15年)2月11日 - 長井村が町制施行して長井町となる。(6町7村)
- 1933年(昭和8年)
- 2月15日 - 衣笠村が横須賀市に編入。(6町6村)
- 4月1日 - 田浦町が横須賀市に編入。(5町6村)
- 1935年(昭和10年)7月1日 - 西浦村が町制施行・改称して大楠町となる。(6町5村)
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 久里浜村が横須賀市に編入。(6町4村)
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 南下浦村が町制施行して南下浦町となる。(7町3村)
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 浦賀町・北下浦村・武山村・逗子町・長井町・大楠町が横須賀市に編入。(3町1村)
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 横須賀市から旧逗子町の区域が分立して逗子町[4]を再置[5]。(4町1村)
- 1954年(昭和29年)4月15日 - 逗子町が市制施行して逗子市となり[6]、郡から離脱。(3町1村)
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 南下浦町・三崎町・初声村が合併して三浦市となり、郡から離脱。(1町)
変遷表[編集]
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 現在 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
横須賀町 | 明治40年2月15日 市制 |
横須賀市 | 横須賀市 | 横須賀市 | ||||
豊島村 | 明治36年10月1日 町制 |
明治39年12月15日 横須賀町に編入 | ||||||
衣笠村 | 衣笠村 | 昭和8年2月15日 横須賀市に編入 | ||||||
浦郷村 | 大正3年6月1日 田浦町 |
昭和8年4月1日 横須賀市に編入 | ||||||
久里浜村 | 久里浜村 | 昭和12年4月1日 横須賀市に編入 | ||||||
浦賀町 | 浦賀町 | 浦賀町 | 昭和18年4月1日 横須賀市に編入 | |||||
長井村 | 大正15年2月11日 町制 |
長井町 | ||||||
武山村 | 武山村 | 武山村 | ||||||
北下浦村 | 北下浦村 | 北下浦村 | ||||||
中西浦村 | 明治44年7月1日 西浦村 |
昭和10年7月1日 大楠町 | ||||||
田越村 | 大正13年4月1日 逗子町 |
逗子町 | 昭和25年7月1日 逗子町を再置 |
昭和29年4月15日 市制 |
逗子市 | |||
葉山村 | 大正14年1月1日 町制 |
葉山町 | 葉山町 | 葉山町 | ||||
三崎町 | 三崎町 | 三崎町 | 三崎町 | 昭和30年1月1日 三浦市 | ||||
南下浦村 | 南下浦村 | 昭和15年4月1日 町制 |
南下浦町 | |||||
初声村 | 初声村 | 初声村 | 初声村 |
脚注[編集]
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- ↑ 「角川日本地名大辞典」では、「旧高旧領」81か村と記述。
- ↑ 市制、町村制の施行 - 横須賀市
- ↑ 1889年(明治22年)7月19日神奈川県告示第67号「三浦郡役所移轉ノ件」
- ↑ 同年6月12日、総理府告示第191号
- ↑ 同年6月29日、総理府告示第211号
- ↑ 同日、総理府告示第425号