「円より子」の版間の差分
細 |
|||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の国会議員 | {{日本の国会議員 | ||
− | | | + | |参議院議員 |
+ | |円 より子 | ||
+ | |画像フラグ= | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
|{{生年月日と年齢|1947|2|10}} | |{{生年月日と年齢|1947|2|10}} | ||
|[[神奈川県]][[横須賀市]] | |[[神奈川県]][[横須賀市]] | ||
13行目: | 17行目: | ||
|副代表<br/>東京都総支部連合会会長 | |副代表<br/>東京都総支部連合会会長 | ||
|参・議員会館738号室 | |参・議員会館738号室 | ||
− | |http://www.madoka-yoriko.jp/ MADOKA YORIKO/円より子ネット}} | + | |[http://www.madoka-yoriko.jp/ MADOKA YORIKO/円より子ネット] |
+ | }} | ||
'''円 より子'''(まどか よりこ、本名:'''山﨑 順子'''(やまざき よりこ)、[[1947年]](昭和22年)[[2月10日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[参議院議員]](3期)。[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]副代表。 | '''円 より子'''(まどか よりこ、本名:'''山﨑 順子'''(やまざき よりこ)、[[1947年]](昭和22年)[[2月10日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[参議院議員]](3期)。[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]副代表。 | ||
2018年5月12日 (土) 15:36時点における最新版
参議院議員 | |
---|---|
円 より子 | |
生年月日 | 1947年2月10日((2024-1947)+((11-2)*100+(12-10)>=0)-1歳) |
出生地 | 神奈川県横須賀市 |
出身校 | 津田塾大学英文学科卒業 |
学位/資格 | 英文学士 |
前職 | 評論家 |
所属 | 財政金融委員会委員長 |
世襲 | 無 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 3回 |
所属党派 | 民主党 |
党役職 | 副代表 東京都総支部連合会会長 |
部屋番号 | 参・議員会館738号室 |
Website | MADOKA YORIKO/円より子ネット |
テンプレートを表示 |
円 より子(まどか よりこ、本名:山﨑 順子(やまざき よりこ)、1947年(昭和22年)2月10日 - )は、日本の政治家。参議院議員(3期)。民主党副代表。
目次
経歴[編集]
神奈川県横須賀市生まれ。香川県立高松高等学校から転入して東京都立大泉高等学校、津田塾大学英文学科卒業。ジャパンタイムズ編集局勤務を経て、フリージャーナリスト・作家として活動する。
女性のための政治スクール、現代家族問題研究所、ニコニコ離婚講座、ハンド・イン・ハンドの会、離婚110番などの活動を行っている。
略歴[編集]
- 1979年 - 現代家族問題研究所を開設、代表に就任。
- 1981年 - ハンド・イン・ハンドの会(離婚女性を支援する会)を結成、代表に就任。
- 1984年 - 離婚110番を開始。
- 1989年 - フェミニズムとエコロジーを掲げる政党「ちきゅうクラブ」の推薦人となる。
- 1992年 - 第16回参議院議員通常選挙(比例区・日本新党公認)落選。
- 1993年 - 参議院議員当選(繰上げ)。女性のための政治スクール事務局長。
- 1994年 - 日本新党解散、新進党結成に参画。
- 1997年 - 新進党離党に伴い、フロム・ファイブ結成に参画。
- 1998年
- フロム・ファイブ解散、民政党結成に参画。
- 民政党解散、民主党結成に参画。
- 第18回参議院議員通常選挙(比例区・民主党公認)2期目当選。
- 2003年 都知事選での樋口恵子擁立に尽力(結果は落選)。民主党副代表に就任。
- 2004年
- 参議院財政金融委員長に就任。
- 第20回参議院議員通常選挙(比例区・民主党)3期目当選。
- 2005年 - 党参議院議員団副会長に就任。
- 2006年 - 党副代表、党東京都総支部連合会会長に就任。
- 参議院厚生労働委員会筆頭理事。
- 女性のための政治スクール校長。
- 2007年 都知事選での浅野史郎擁立に尽力(結果は落選)
- 2008年 - 参議院国家基本政策委員会幹事、財政金融委員会筆頭理事。
- 2009年 - 参議院財政金融委員会委員長。
政治的主張[編集]
- 2000年、戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を福島瑞穂参議院議員らと共に提出。
- 2000年、保健婦助産婦看護婦法の一部改正案でお産の現場に男性の進出を認める男性助産師の認可を、産む側の性である女性の羞恥心やプライバシー権は、日本国憲法第22条で規定された職業選択の自由より尊重されるべきであるなどと主張し、当時民主党の助産師問題ワーキンググループ座長として阻止した。
- 2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている。
- 2003年、超党派の「母と子支援議員連盟」事務局長(会長:丹羽雄哉衆議院議員)として「母子家庭の母の就業の支援に関する特別措置法」を成立させた。
- 2003年6月6日、インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律案に対し、反対票を投じる。
- 2007年1月31日、柳沢伯夫厚生労働相が女性を「子どもを産む機械」と発言した問題で、同相の罷免を求める集会の呼びかけ人となった。
- 2007年2月21日、マイク・ホンダがアメリカ合衆国下院121号決議を成立させる動きに連動し、米議会の公聴会で慰安婦を名乗り証言した李容洙を招いて開催した集会に参加。『(被害者の証言は)日本の国会がすべきこと。米国で先に実現し恥ずかしく思う。日本がアジアで尊敬される国になるには戦争加害責任をきちんととって周辺の国々と友好を深めていかなければならない』と述べた。集会後は、浅野勝人副大臣と李容洙を引き合わせて、促進法案(戦時性的強制被害者問題解決促進法案)の早期成立を求めた
- 2007年11月7日、産科医・助産師の養成数を増やすと共に、助産所の嘱託医・連携医療機関を政府および地方公共団体が確保することなどを求める「身近な地域での安心して産める場所の確保に関する請願」の紹介議員となる。本請願は参議院厚生労働委員会および本会議における審査の結果、採決された(内閣送付)。
- 2008年5月12日、ガソリン税など道路関係諸税を今後10年間道路財源に充てることなどを規定する道路整備費の財源等の特例に関する法律の一部を改正する法律案に対し、参議院財政金融委員会において反対討論を行う。
- 2008年5月14日、「街中に氾濫している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは、小学生の少女をイメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」として、「美少女ゲームの販売を規制すべき」とする請願の紹介議員に、下田敦子参議院議員とともになった(これはカスパルによる請願)。しかし本請願は参議院厚生労働委員会で審査の結果、採択されなかった。またこの後、自身の掲示板が炎上する結果となる。
- 2008年5月27日、「アダルトアニメ・ゲーム・漫画等の表現規制に反対することに関する請願書」と題した請願。しかし、円はその趣旨に賛同できないとの理由で受理せず。
- 2008年5月30日、ハンセン病問題の解決を図るため、請願の紹介議員となる。本請願の提唱団体は、全国ハンセン病療養所入所者協議会。本請願は本会議においてにおける採決の結果、採択(内閣送付)された。
- 民主党日韓議員交流委員会副委員長
- 2008年11月25日、岡崎トミ子と一緒に日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議と面談。従軍慰安婦問題は軍人個人の意思の問題ではなく、国家的犯罪であると指摘し、従軍慰安婦への保障を推進することを約束した。
- 2009年3月4日、参議院第171回 法務委員会において「外国人住民基本法の制定に対する請願」を提出した。この草案としては「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」第12 回全国協議会で作成の文書が基本になるものと推察される。。
- 2009年5月31日、国会開会中にもかかわらず白真勲、魚住裕一郎、塩川鉄也、有田芳生とともに在日韓国人の集会「永住外国人に地方参政権を!5・31集会」に参加。外国人参政権付与を訴えた。集会において円は「例えば、額田王、万葉集にでてきます、あの方も韓国の方なんですね」などと学問的検証には全く耐え得ない珍説を開陳、国会議員としての見識をも疑われる発言をしている。見解の相違する相手とは話し合う必要すらないとして国民の質問には一切答えず、電話でも国民の話すら聞かず一方的に切るスタンスである。
日本新党繰上補充事件[編集]
1992年、参議院議員選挙で比例代表区に日本新党名簿7位として立候補したが、日本新党の当選枠が4人だったため落選した。翌1993年、同党の比例名簿順位5位だった松崎哲久が除名処分で比例名簿から除外され、さらに、比例上位で当選していた細川護煕・小池百合子両参議院議員が同年7月の総選挙立候補で失職となったため、円が繰り上げ当選により参議院議員となった。この際、除名された松崎が除名処分による比例名簿からの除外は無効だと主張し、自らの当選と円より子の当選無効の訴えを起こしている(日本新党繰上補充事件)。高裁では松崎の主張が通り円が当選無効とする判決が出たが、最高裁では高裁判決が破棄され円の当選を有効とする判決が出た。
フィリバスター[編集]
1999年8月11日の参議院本会議において、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の反対演説(フィリバスター)を2時間8分行った。当時の国会における演説時間としては戦後最長であった。国内におけるフィリバスター(議事妨害)の最長記録は、1929年の帝国議会(衆議院)における武富濟の5時間30分。戦後の最長記録は、2004年6月3日の参議院本会議における森裕子(民主党)の3時間1分。
投票ボタンの押し間違いによる反対投票[編集]
2008年6月11日、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の一部を改正する法律案」と「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案」に対して、他の議員の全てが賛成票を投じる中、一人だけ反対票を投じた。円は投票の後、「自らの意志とは異なる投票を行った」として参議院議長に謝罪した。なお、両法案は一括しての議題・採決であったため、一度の投票で二つの法案に対する投票となる。反対票は円の1票だけであった。
掲示板炎上・ブログ閉鎖事件[編集]
- 2008年5月14日、「街中に氾濫している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは、小学生の少女をイメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」として、「美少女ゲームの販売を規制すべき」とする内容の請願の紹介議員に、下田敦子参議院議員とともになった(これはカスパルによる請願)。「美少女ゲームをプレイした人間は、その多くの者の精神が異常をきたす」という科学的根拠や、幼い少女の誘拐殺人との因果関係を示す根拠は示されてはいなかった(もっとも、円自身は、戦後一貫して青少年の殺人・強姦事件の件数が減少していることは事実として認めている。
請願は日本国憲法第16条の請願権に基づいており、国会への請願は議員の紹介によってなされなければならないとされている。円議員は自らのブログにて「誰でも請願を通じて国会に苦情を訴え、これが公の場で議論されるようにすれば、透明で開かれた政治が行われる」という考えを示していた。
今回の請願内容とほぼ同一の請願書は以前ジュベネイル・ガイド、カスパル等の組織の請願によってなされていた(ジュベネイル・ガイドを参照のこと)
公式サイト『まどかより子ネット』内の掲示板には、投稿者から数百件の批判的な意見が寄せられたものの、円より子議員からの返答が何らなされないまま経過。その後、同掲示板への意見が数千件以上}}に達した時点で「アクセスが集中した」として、一時的に機能停止とされた。
- 同日、「アダルトアニメ・ゲーム・漫画等の表現規制に反対することに関する請願書」と題した請願を円より子事務所へ提出した者が掲示板を開設した。(現在は「児童ポルノ規制法について論議する掲示板」へ名称変更されている)
環境犯罪誘因説 も参照
- 2008年7月14日ウィキペディアの円より子議員の項目に対し、参議院のIPアドレスから20回程度の改変。
- 2008年7月15日ウィキペディアの円より子議員の項目に対し、参議院のIPアドレスから30回程度の改変。
掲示板へのアクセス集中と機能停止~その後[編集]
2008年5月01日、円より子議員事務所への苦情に対応した女性(向井さん)が 「円は請願の書類は見ていない」と発言 以降の電話対応でも、事務所は「円より子議員が書類に目を通していない」ことを否定していない
25歳以下の「街中に氾濫している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは~~青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」 と断言している。 人格否定された苦情者が「円より子議員は謝罪しないのか?」等で 炎上。また円より子事務所に苦情を申し立てた同じ人物によると、規制反対請願を地元の民主党議員に依頼したところ「党の方針に逆らう請願なので受けられない」と断られたとのこと。
2008年6月03日、円より子議員事務所への再度の苦情に対応した男性が
- 男性「ちょとわかりかねます、おっしゃってることが」
- 苦情「ん?どういうことでしょう」
- 男性「いえ、わからないんですけれども」
- 苦情「え?何がわからないんですか?私の言うことが?」
- 男性「なにがわからないのかもちょっとよくわかりません、すいません」
等、国会議員事務所としてあるまじき発言を繰り返し、大炎上
以降も
- 提出された請願書のコピー紛失(破棄?)事件
- バタバタしていることを理由にそれ以上の通話を拒否
- 断続的な会議・体調不良等を理由に担当者が常に不在
- 電話相手にかぶせて発言し、話を進めようとしない
- 国会議員事務所であるにも関わらず「営業妨害になりますので」等の意味のわからない発言
- 18歳未満禁止の商品から、(購入できないはずの)幼児や小学生や中学生が悪影響を受けていると主張
- 「カスパルからは『青少年=中学生以下』と説明された」と発言(カスパルはこれを否定
外国人住民基本法[編集]
平成21年3月に「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」が参議院に提出した外国人住民基本法の制定に関する請願である。円より子が紹介議員となって参議院事務局が受け付けたが、参議院法務委員会は審査の結果、この請願を採択しなかった。 その内容は、
- 日本にどんな方法であっても 3年以上住めば 日本人と同じ権利を与える。
- 二重国籍であろうが 本国の選挙権があろうが 犯罪者であろうが関係は無い。
- 選挙権・永住権・戦争賠償 その他諸々全ての権利が保証される。
- 尚且つ 外国人としての不当?な扱いに対し 撤廃させる権利を持つ。
というものである。 この請願は「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」第12 回全国協議会で作成とあるが、実態は釜山日本人教会と同一の組織である。
金融政策について[編集]
- 2008年12月10日の国会答弁[1]で、「イギリスなどの欧米に比べて経済支援の金額が少ない」「イギリスに比べて経済対策のスピードが遅い」と追求したが、麻生太郎総理大臣からは「日本は欧米と違って金融危機で銀行が破綻しているわけではない。実際に銀行が破綻している国より経済対策の額が少ないのは当然だと考えている。」と返答された。逆に麻生から「経済対策法案については金融機能強化法の採決について、1ヶ月前から民主党に協力を求めているが、どうなっているのか?」と切り返され、「金融機能強化法については明日採択する」と返答した。
- 2008年12月10日の国会答弁で、「国ごと借金漬けのドルは基軸通貨として駄目だと思います。」と麻生を追及するが、麻生から「ドルの代わりになる通貨が何かあるのですか?」と逆質問されると、「私もドルを支えるしかないとずっと思ってました。」と麻生に協調する姿勢を見せた。
- 2008年12月10日の国会答弁で、「1929年の大恐慌は回復に25年かかりました。全治3年どころじゃなく今回も同じだけかかるのではないですか。」と麻生を追及したが、「その25年には各国経済のブロック化から欧州大戦、世界大戦が含まれております。現在は経済のブロック化も発生しておりませんし、これから世界大戦を経る事もないと思います。」と切り返され、「私も最初から25年かかるとは思ってません。しかし、総理の認識は甘いんです。」と返答した。
- 上記のような当たって砕けるようなやり取りは各種マスメディアではほとんど報道されるようなことは無かった。
主な著書[編集]
- 『愛に渇いた人々』(白石書店)
- 『円テーブルの家族』(文化出版局)
- 『主婦症候群』(ちくま文庫)
- 『夫、あぶない』(ちくま文庫)
- 『ターニングポイント』(新潮社)
- 『ママ、笑ってごらん』(ネスコ・文藝春秋)
- 『40歳からの夫と妻の向き合い方』(大和書房)
- 『夫と妻がもっとわかりあうために』(大和書房)
- 『子育てが終わった夫婦のための本』(大和書房)
- 『ママの離婚』(ちくま文庫)
- 『妻たちの静かな反乱』(ちくま文庫)
- 『どういう子に育てたいですか』(主婦と生活社)
- 『夫婦が離婚する理由、しない理由』(大和書房)
- 『一人でも変えられる』(日本評論社)
- 『30代は二度こない 子どもとキャリアどちらもほしい』(ミネルヴァ書房)
関連項目[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- MADOKA YORIKO/円より子ネット(公式サイト)
- 現代家族問題研究所
|
|
|