「副総理」の版間の差分
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2014年5月29日 (木) 09:16時点における最新版
この項目では、日本の副総理について説明しています。政治役職としての副首相については「副首相」をご覧ください。 |
副総理(ふくそうり)とは、日本国の国務大臣のうち、副首相にあたる国務大臣の俗称[1]である。無任所大臣に区分される[1]。内閣法の規定に基づいて内閣総理大臣臨時代理にあらかじめ指定された内閣総理大臣に準ずる権威・地位に相当する重要閣僚がそう呼ばれる。正式な官職ではないため、「副総理大臣」「副首相」と呼ばれることはない。
鳩山由紀夫内閣では、発足当日の官報特別号外掲載の辞令では過去の例同様「副総理」の文字は用いられなかったが、首相官邸ホームページに掲載の閣僚名簿において括弧付きで使用された[2]。
概要[編集]
日本には正式な官職としての内閣副総理大臣(副総理大臣、副首相)の制度は存在しない。ただし、組閣時に大物政治家を閣内に配置するため、その格を示す位置づけをする場合がある。それが「内閣総理大臣臨時代理」への指定である。
内閣法第9条には「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」という規定があり、その指定方法(2000年4月以前)のうち、組閣時等に正式な指定を受けた大臣(組閣名簿では「内閣法第9条の規定により指定された者」などの表現が用いられた)を「副総理」と呼んだ。また、それに準じる指名や指示を受けた大臣を「副総理格」と呼ぶ場合もあった。
2000年4月以降行われている現行の制度では、臨時代理就任順位第1位を内閣官房長官を務める国務大臣に指定することが原則となっており、これを副総理と呼称することはない[1]。ただし、内閣官房長官以外の国務大臣を内閣総理大臣臨時代理予定者第1順位として指定した場合には当該大臣を「副総理」と呼称する[1]。現行制度下で最初に副総理が導入された鳩山由紀夫内閣では、「内閣法第九条の第一順位指定大臣(副総理)」[2]に任命された菅直人が臨時代理就任順位第1位となり、内閣官房長官となった平野博文は同第2位とされた。
現憲法下での歴代副総理[編集]
内閣法第9条の規定による正式な指定を受けた「副総理」のみについて記す。「指定期間」とは、辞令(官報掲載)によりいわゆる副総理であったことが確認できる期間を指す。これには、単に「内閣総理大臣臨時代理」の職名で職務を行った正式代理期間のみならず、臨時代理就任予定者としての待機的期間も含まれる。
なお、総理が死亡・執務不能となったため臨時代理を務め、名実ともに総理の代行をしたものと考えられる(総理との連絡相談が基本的にできない状況で代行する)場合については、内閣総理大臣臨時代理#新憲法下の臨時代理を参照のこと。
閣内連立政権において、首相出身政党以外の政党の党首が副総理となる例がままみられる。
副総理 | 内閣 | 序列 | 指定期間 | 役職 | 政党 | |
---|---|---|---|---|---|---|
幣原喜重郎 | 第1次吉田内閣 | style="text-align:center" | 1947年5月3日 - 1947年5月24日 | 復員庁総裁 | 日本進歩党 | |
芦田均 | 片山内閣 | 1947年6月1日 - 1948年3月10日 | 外務大臣 | 民主党 | ||
西尾末廣 | 芦田内閣 | 1948年3月10日 - 1948年7月6日 | 国務大臣(無任所) | 日本社会党 | ||
林讓治 | 第2次吉田内閣 | rowspan="2" | 1948年10月19日 - 1949年2月16日 | 厚生大臣 | 自由党 | |
第3次吉田内閣 | 1949年2月16日 - 1951年3月13日 | 厚生大臣 のち、国務大臣(無任所) | ||||
緒方竹虎 | 第4次吉田内閣 | rowspan="2" | 1952年11月28日 - 1953年5月21日 | 国務大臣(内閣官房長官) のち、国務大臣(無任所) |
自由党 | |
第5次吉田内閣 | 1953年5月21日 - 1954年12月10日 | 国務大臣(無任所) のち、北海道開発庁長官 | ||||
重光葵 | 第1次鳩山一郎内閣 | rowspan="3" | 1954年12月10日 - 1955年3月19日 | 外務大臣 | 自由民主党 | |
第2次鳩山一郎内閣 | 1955年3月19日 - 1955年11月22日 | 外務大臣 | ||||
第3次鳩山一郎内閣 | 1955年11月22日 - 1956年12月23日 | 外務大臣 | ||||
石井光次郎 | 第1次岸内閣 | 1957年5月20日 - 1958年6月12日 | 国務大臣(無任所) のち、行政管理庁長官兼北海道開発庁長官 |
自由民主党 | ||
益谷秀次 | 第2次岸内閣 | 1959年6月18日 - 1960年7月19日 | 行政管理庁長官 | 自由民主党 | ||
[Image:Ichiro Kono cropped.jpg|60px | 河野一郎 | 第1佐藤内閣 | 筆頭格 | 国務大臣(無任所) | 自由民主党 | |
三木武夫 | 第1次田中角榮内閣 | rowspan="2" | 1972年8月29日 - 1972年12月22日 | 国務大臣(無任所) | 自由民主党 | |
第2次田中角榮内閣 | 1972年12月22日 - 1974年7月12日 | 環境庁長官 | ||||
福田赳夫 | 三木内閣 | 筆頭 | 1974年12月9日 - 1976年11月6日 | 経済企画庁長官 | 自由民主党 | |
伊東正義 | 第2次大平内閣 | 1980年6月11日 - 1980年7月17日 | 内閣官房長官 | 自由民主党 | ||
金丸信 | 第3次中曽根内閣 | 筆頭 | 1986年7月22日 - 1987年11月6日 | 国務大臣(民間活力導入担当) | 自由民主党 | |
宮澤喜一 | 竹下内閣 | 筆頭 | 1987年11月6日 - 1988年12月9日 | 大蔵大臣 | 自由民主党 | |
渡邉美智雄 | 宮澤内閣 | 筆頭 | 1991年11月5日 - 1993年4月7日 | 外務大臣 | 自由民主党 | |
後藤田正晴 | 法務大臣 | 自由民主党 | ||||
羽田孜 | 細川内閣 | 筆頭 | 1993年8月9日 - 1994年4月28日 | 外務大臣 | 新生党 | |
河野洋平 | 村山内閣 | 筆頭 | 1994年6月30日 - 1995年10月2日 | 外務大臣 | 自由民主党 | |
橋本龍太郎 | - | 1995年10月2日 - 1996年1月11日 | 通商産業大臣 | 自由民主党 | ||
久保亘 | 第1次橋本内閣 | 筆頭 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 | 大蔵大臣 | 社会民主党 | |
60px | 菅直人 | 鳩山由紀夫内閣 | 筆頭 | 2009年9月16日 - | 国家戦略担当兼内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当、科学技術政策担当) | 民主党 |
- 継続して指定される必置のものではないため、代数の欄は設けない。
- 2000年4月の制度改正前においては、副総理たる国務大臣が海外出張となる場合は、(同時に総理が海外出張等で不在となるかどうかにかかわらず)別の国務大臣に対し副総理出張中に期間を限定した一時的な臨時代理の指定の辞令が発出される。当該期間中に総理の不在が重なれば当該「代理の代理」大臣は内閣総理大臣臨時代理の肩書で職務を行うことになるが、そうでない場合は代理予定者としての待機的期間を過ごすにとどまる。どちらも実例があるが、副総理と同格とは言えないため上表には記載しない。なお、この「代理の代理」指定の場合に、元々の副総理への指定辞令は撤回・消滅にはならず潜在的に継続しているものとして扱われるため、海外出張からの帰国後に再度当該副総理に指定辞令は発出されず、自動的に指定状態に復する。
- 再任(辞令あり)は個別に記載し、改造時の留任(辞令なし)は区別しない。
- 副総理に指定された国務大臣であっても、閣議の署名書類等での位置(素の国務大臣としての序列)は必ずしも筆頭ではない。当該副総理が組閣(改造を除く)当初に指定されたものであれば官報掲載辞令等の順序により、途中又は改造により指定され次の首相による新組閣まで在任したものであれば「前閣僚地位喪失」の官報報告での序列により、それぞれ筆頭であったかどうかが判断可能であるが、途中又は改造で指定されかつ新内閣となる前に途中退任した場合は実際の閣議の署名書類での位置を確認する必要がある。この表の「序列欄」では、副総理に指定されて以降「国務大臣の筆頭の位置」になったことが確認された者は「筆頭」と、確認できない者は「-」と記載する。
- 石橋内閣の岸信介、小渕内閣の青木幹雄は、辞令に首相病気時の臨時代理であると規定されているため、この表には含めない。
- 大平内閣の伊東正義は、首相死亡日前日の緊急的な発令であり、実質的側面ではいわゆる大物大臣に対する副総理発令と同格とは必ずしも言えないが、辞令に病気・死亡等の原因や限定条件に関する記載がなく、形式的側面では他の副総理への発令と同じであるため、この表に含める。