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有名な神社としては、[[京都府]]の[[貴船神社]]や[[岡山県]]の[[育霊神社]]などがある。
 
有名な神社としては、[[京都府]]の[[貴船神社]]や[[岡山県]]の[[育霊神社]]などがある。
  
この丑の刻参りは古くからあるようで、[[鎌倉時代]]後期に書かれ、裏[[平家物語]]として知られる屋代本『平家物語』「剣之巻」に登場する。「長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し、続松(原文ノママ)を拵へて、両方に火をつけて、口にくはへつつ、夜更け人定まりて後、大和大路へ走り出て……」とある。「[[橋姫|宇治の橋姫]]」と呼ばれる女性が、現在伝わる丑の刻参りと似た方法で、怨みをはらすため[[鬼]]になりたいと願をかけ、願いを成就させている。
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== 概要 ==
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丑の刻参りの基本的な方法は、[[江戸時代]]に完成している。
  
この時に宇治の橋姫が丑の刻参りを行ったのが、当時、心願成就・呪咀神信仰で有名であった貴船神社である。
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一般的な描写としては、[[白装束]]を身にまとい、髪を振り乱し、顔に[[おしろい|白粉]]を塗り、頭に[[五徳]](鉄輪)をかぶってそこに三本のロウソクを立て、あるいは一本歯の[[下駄]]<ref name="三橋"/>(あるいは高下駄<ref name="小松"/><ref group="注">{{Harvnb|三橋|2011|pp=264-5}}で「一本歯の高下駄」と記すが、挿絵の[[歌川豊広]]の図では明らかに二本歯の下駄</ref>)を履き、胸には[[鏡]]をつるし<ref name="三橋"/><ref name="広辞苑"/>、[[神社]]の[[御神木]]に憎い相手に見立てた[[藁人形]]を<ref name="三橋"/><ref name="広辞苑"/>毎夜、五寸釘で打ち込むというものが用いられる<ref name="広辞苑"/>。[[五徳]]は三脚になっているので、これを逆さにかぶり、三本のロウソクを立てるのである<ref name="梅屋">{{cite web|url=http://www2.kobe-u.ac.jp/~umeya/site01/_userdata/noroi.pdf|title=のろい|accessdate=2017年3月|work=民俗学事典編集委員会編『民俗学事典』丸善、562-563頁、2014年12月|publisher=|和書|last=梅屋|first=潔|volume=Ⅲ-④-10 および 19}}</ref>。
  
しかし、この話に登場する宇治の橋姫は、五寸釘や[[藁人形]]を用いておらず、現在の形で丑の刻参りが行われるようになったのは、[[室町時代]]に成立した[[謡曲]]「鉄輪」において、[[陰陽道]]の人形[[祈祷]]と丑の刻参りが結びついたためという説が有力視されている。
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呪われた相手は、藁人形に釘を打ちつけた部分から発病するとも解説される<ref  name="日本国語大辞典"/>。ただし藁人形など[[人形|人形〔ひとかた〕]]の使用は江戸期までに必ずしも確立しておらず、例えば[[鳥山石燕]]の『[[今昔画図続百鬼]]』([[1779年]]、右上図参照)の添え書きにも言及されていないし、画にも見えない<ref name="石燕">鳥山石燕「丑時まいりハ、胸に一ツの鏡をかくし、頭に三つの燭〔ともしび〕を點じ、 丑みつの比神社にまうでゝ杉の梢に釘うつとかや。 はかなき女の嫉妬より起りて、人を失ひ身をうしなふ。 人を呪咀〔のろわ〕ば穴二つほれとは、よき近き譬ならん」(『[[今昔画図続百鬼]]』「丑時参」)</ref>。
  
また、丑の刻参りの方法は江戸時代に完成した方法を基本的な部分では踏襲しているものの、細かい部分では、藁人形に呪いたい相手の体の一部(毛髪、血、皮膚など)や写真、名前を書いた紙を入れる必要があったり、丑の刻参りを行う期間に差があったり、打ち付けた藁人形を抜かれてはいけないと地方・伝わり方で違いがあり、呪うために自身が鬼になるのではなく、五寸釘を打った藁人形の部位に呪いをかけることができるという[[]]が広く知られるなど、現代では少し変化している。一般的な描写としては、[[白装束]]を身にまとい、顔に白粉を塗り、頭に[[五徳]](金属製のものなら何でもいいという説もある)をかぶってそこに[[蝋燭|ロウソク]]を立て、一本歯の[[下駄]]を履き、[[神社]]の[[御神木]]に憎い相手に見立てた[[藁人形]]を毎夜五寸釘で打ち込むというものが用いられる。
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小道具については解説によって小差があり、釘は五寸釘であるとか<ref name="梅屋"/><ref name="小松"/>、口に[[]]を咥える<ref name="梅屋"/><ref name="小松">小松和彦「いでたちは白い着物を着て、髮を乱し、顔に白粉、歯には[[お歯黒|鉄漿]][[口紅]]を濃くつくる、頭には鉄輪をかぶり、その三つの足にろうそくを立ててともす。胸に鏡を掛け、口に櫛をくわえる。履き物は歯の高い足駄である」。引用元:{{Cite book|和書|author=日本史攷究会, 岡田芳朗, 亀谷弘明, 大本敬久, 奥富敬之, 高橋和弘, 深谷幸治, 鹿毛敏夫, 松井吉昭, 吉田正高, 熊澤恵里子, 安藤優一郎, 松丸明弘, 柴辻俊六, 杉原美智子, 林英雄 |title=時と文化 : 日本史攷究の視座 : 岡田芳朗先生古稀記念論集 |publisher=歴研 |year=2000 |NCID=BA50221967 |ISBN=4947769025 |contribution=多賀社参詣曼陀羅を読む |page=173}}</ref>、などがある。参詣の刻限も、厳密には「丑のみつどき」(午前2:00-2:30)であるとされる<ref name="石燕"/>。
  
呪いの効果については、実際に呪われたという人はいるものの科学的に実証されたわけではなく、誰かが自分を呪っていると認識することで、自己暗示にかかってしまい、呪われたと感じるため(マイナス[[プラシーボ効果]])であって気にしなければ何も起こらないという研究結果もある。
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石燕や[[葛飾北斎|北斎]]の版画を見ても、呪術する女性のかたわらに黒牛が描かれるが、七日目の参詣が終わると、黒牛が寝そべっているのに遭遇するはずなのでそれをまたぐと呪いが成就するという説明がある。<ref name="梅屋"/><ref>{{citation|和書|editor-last=関|editor-first=一敏|editor2-last=大塚|editor2-first=和夫|title=宗教人類学入門|publisher=弘文堂|year=2004|page=149}}</ref>この黒牛に恐れをなしたりすると、呪詛の効力が失われるとされる<ref name="pfoundes">{{Cite book|ref=harv|last=Pfoundes|first=C.|title=Fu-so Mimo Bukuro: A Budget of Japanese Notes|publisher=Japan Mail|year=1875|url=https://books.google.co.jp/books?id=TiINAAAAYAAJ&pg=PA19|pages=19-20}}</ref>。
  
[[category:呪術|うしのこくまいり]]
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== 丑の刻 ==
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[[丑の刻]]」も、昼とは同じ場所でありながら「草木も眠る」と形容されるように、その様相の違いから常世へ繋がる時刻と考えられ、[[平安時代]]には[[魔術|呪術]]としての「'''丑の刻参り'''」が行われる時間でもあった<ref>{{Cite book|和書|author=網野善彦, 横井清 |title=都市と職能民の活動 |publisher=中央公論新社 |year=2003 |series=日本の中世 / 網野善彦石井進編集 6 |NCID=BA60895548 |ISBN=4124902158 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004066298-00 |pages=222}}</ref>。また「うしとら」の方角は[[鬼門]]をさすが、時刻でいえば「うしとら」は「丑の刻」に該当する<ref>{{citation|和書|last=糸井|first=道浩|others=知恵の会|title=京都学の企て|publisher=勉誠出版|year=2006|url=https://books.google.co.jp/books?id=eXBMAQAAIAAJ|page=68|quote=鬼門は丑寅(東北)の方向であり、..丑寅を時刻でみると、丑の刻..}}</ref>。
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== 歴史 ==
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「うしのときまいり」という言葉の方が古い<ref>『日本国語大辞典』小学館</ref>。古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言った。後に呪詛する行為に転ずる。
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[[京都市]]の[[貴船神社]]には、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると、心願成就するという伝承があったので、そこから呪詛場に転じたのだろうと考察される<ref name="三橋"/><ref name="丘">{{cite book|和書|ref=harv|last=丘|first=眞奈美|title=京都奇才物語|publisher=PHP研究所|year=2013|url=https://books.google.co.jp/books?id=pMMUAgAAQBAJ&pg=PT120|isbn=4569812015}}</ref>。
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また、今日に伝わる丑の刻参りの原型のひとつが「'''[[宇治の橋姫]]'''」伝説<ref name="三橋"/><ref name="丘"/>であるが、ここでも貴船神社がまつわる。橋姫は、妬む相手を取殺すため鬼神となるを貴船神社に願い、その達成の方法として「21日(三七日、さんしちにち)の間、[[淀川|宇治川]]に漬かれ」との神託を受けた<ref group="注">神託を受けたのは貴船神社だが、神託の内容は「大和大路へ走り出で、南を指して行きければ」とあるように南の宇治川が指定場所である。貴船神社の神託により、神社とは遠く離れた宇治川へ行かせる矛盾を解消するため、浅井了意作『安倍晴明物語』中の「人形(ひとがた)をいのりて命を転じ替たる事」では宇治川を貴船(貴布称)川に変更している。</ref>。それを記した文献は、[[鎌倉時代]]後期に書かれ、裏[[平家物語]]として知られる屋代本『'''平家物語'''』「'''剣之巻'''」であるが、これによれば、橋姫はもとは[[嵯峨天皇]]の御世の人だったが、鬼となり、妬む相手の縁者を男女とわず殺してえんえんと生き続け、後世の[[渡辺綱]]に[[一条戻橋]]ところ、名刀[[髭切]]で返り討ちに二の腕を切り落とされ、その腕は[[安倍晴明]]に封印されたことになっている。その彼女が宇治川に漬かって行った鬼がわりの儀式は次のようなものである:
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「長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し、続松(原文ノママ)を拵へて、両方に火をつけて、口にくはへつつ、夜更け人定まりて後、大和大路へ走り出て……」<br />
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{{right|&mdash;「[[橋姫|宇治の橋姫]]」}}
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この「剣の巻」異本ですでに橋姫には「鉄輪(かなわ)」([[五徳]]に同じ)を逆さにかぶり、その三つの足に松明をともすという要素があるが、顔や体を赤色に塗りたくるのであり白装束ではない。[[室町時代]]にこれを翻案化した[[能]]の演目「'''[[鉄輪 (能)|鉄輪]]'''」においても、橋姫は赤い衣をつけ、顔に丹を塗るなど赤基調が踏襲され<ref name="三橋"/>、白装束や[[藁人形]]、金槌も用いていはいないが<ref name="三橋"/>、ただし祓う役目の[[陰陽師]]晴明の方は、「茅の人形を人尺に作り、夫婦の名字を内に籠め、(後略)<!--三重の高棚五色の幣をめぐらして-->」祈祷をおこなうのである<ref>{{Cite book|和書|author=関一敏, 大塚和夫 |title=宗教人類学入門 |publisher=弘文堂 |year=2004 |NCID=BA70147437 |ISBN=4335561024 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007592038-00 |page=57}}</ref>。よって現在の形で丑の刻参りが行われるようになったのは、この[[陰陽道]]の人形[[祈祷]]と丑の刻参りが結びついたためという見解がある<ref name="宇井">{{citation|和書|last=宇井|first=無愁|ref=harv|title=落語のみなもと|publisher=中央公論社|year=1983|url=https://books.google.co.jp/books?id=ix3UAAAAMAAJ|pages=169|quote=これでみると、呪う側とそれを防ぐ側の方式を一つに合せたのが、後世の丑の刻参りの風俗であるらしい。}}</ref>。
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=== 源流 ===
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人形を用いた呪詛自体はかなり古くから行われており、『[[日本書紀]]』[[用明天皇]]2年([[587年]])4月条に、「中臣勝海連(なかとみのかつみのむらじ)が家(おのがいえ)に衆(いくさ)を集えて、大連をいたすく。ついに太子彦人皇子の像を作りて、まじなう」と記され、古墳時代から人形を媒体とした呪いがあった。ただし、この時点では、まだ像を刺す行為は確認できない。
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[[考古学]]資料の[[遺物]]として、[[奈良国立文化財研究所]]所蔵の[[8世紀]]の'''木製人形代'''(もくせい ひとがたしろ)があり、胸に鉄釘が打ちこまれた状態の物も出土している。木簡を人形に切り取り、墨で顔が描かれている。丑の刻参りと共通する呪殺を目的とした形代だったと考えられている<ref name="梅屋"/><ref>{{citation|last=永藤|first=靖 (Nagafuji, Yasushi)|title=古代仏教説話の方法: 霊異記から験記へ|publisher=三弥井書店 |year=2003|url=https://books.google.co.jp/books?id=BNcxAAAAMAAJ|pages=22}}</ref>。この遺物からも、人形に釘を打ち込み、人を呪うといった呪術体系自体は古代(奈良時代)からあったことが分かる。研究者によっては、鉄釘自体が渡来文化であり、こうした呪術体系自体が大陸渡来のものではないかとしている。この他にも類例として、[[島根県]][[松江市]]タテチョウ遺跡から出土した木札には、女性が描かれており、服装から貴人女性と見られるが、3本の'''木釘'''が打ちこまれていた。その位置は、両乳房と心臓に当たり、明らかに呪殺目的であったことが分かる<ref>{{Cite book|和書|first=昭|last=勝部|first2=和人|last2=川原|first3=明久|last3=宮澤|first4=俊一|last4=柳浦|first5=祐司|last5=大谷|first6=康典|last6=長峰|title=タテチョウ遺跡発掘調査報告書III|origdate=1990-03-25|date=1990-03-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/2854|ncid=BN02053896|doi=10.24484/sitereports.2854}}</ref>。
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=== 式神・妖怪 ===
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[[陰陽師]]が使役する[[式神]]というものがあるが、式神は荒ぶる神としての[[妖怪]]としても描かれ、人の[[善悪]]を監視する役目を持っていたとされ、様々な不思議な力を発揮したと言われる。丑の刻参りも、たびたび妖怪を伴って描かれ、神木に釘を打って結界を破り、[[常世|常夜]](夜だけの神の国)から、禍をもたらす[[邪神]]([[魔]]や妖怪)を呼び出し、[[神懸り]]または使役し、恨む相手を祟ると考えられていた。
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== 影響 ==
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呪いの効果については、科学的に実証されたわけではない。誰かが自分を呪っていると認識することで、自己[[暗示]]にかかってしまうためであって、気にしなければ何もおこらないという研究結果がある。いわば[[偽薬#反偽薬効果・ノセボ効果|ノーシーボ効果]]というものであるが、この説においては[[#概要|上記]]に書かれているように呪いというものは誰かに知られてしまえば効果が発揮しなくなるどころか本人に跳ね返ってくるという伝承が考慮されていない点に注意すべきである。
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== 法律上の扱い ==
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少なくとも殺人罪や殺人予備罪については、刑法学における「[[不能犯]]の典型例」として挙げられることが多い<ref>{{cite book|last=飯塚|first=敏夫|chapter=第六 丑の刻詣りと不能犯學說|title=刑法論攷|volume=第1巻|publisher=松華堂書店|year=1934|pages=133-142}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=沢登佳人 |title=許された危険の法理に基づく因果関係論の克服 |chapter=第六 丑の刻詣りと不能犯學説 |journal=法政理論 |ISSN=02861577 |publisher=新潟大学法学会 |year=1998 |month=mar |volume=30 |issue=4 |pages=101-127(107-111) |naid=110009103098 |url=https://hdl.handle.net/10191/14905}}</ref><ref>{{cite book|last=宮本|first=英脩|title=刑法大綱|publisher=弘文堂書房|year=1932|page=187}}</ref>。ただし、多くの寺社は私有地であるため[[住居侵入罪|建造物侵入罪]]に問われたり、樹木に打ち付ける行為は[[器物損壊罪]]に問われる可能性がある<ref>{{Cite web |url=https://www.news-postseven.com/archives/20170219_494306.html |title=「わら人形呪い」で逮捕や名誉毀損に問われる境界線 |publisher=ニュースポストセブン |date=2017-02-19 |accessdate=2022-06-15}}</ref>。2022年5月の連休明けから、[[千葉県]][[松戸市]]内の約10か所の[[神社]]の[[御神木]]などに[[ロシア]]の[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]大統領の顔写真を付けた藁人形が打ち付けられる事態が発生し、6月15日に[[松戸東警察署|千葉県警松戸東署]]は、同市に在住する男を建造物侵入と器物損壊の疑いで逮捕した。動機は[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]への抗議と推測される。神社の関係者は、「ご神木には大きな穴が二つ残っている」と話した<ref>{{Cite web |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20220608-OYT1T50269/ |title=ご神木にプーチン氏わら人形、「抹殺 祈願」の紙も…「ウクライナ思う気持ちわかるがやり方まずい」 |publisher=読売新聞オンライン |date=2022-06-09 |accessdate=2022-06-25}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20220615-OYT1T50206/ |title=ご神木にプーチン氏のわら人形、生年月日と「抹殺祈願」の紙も…逮捕の72歳は黙秘 |publisher=読売新聞オンライン |date=2022-06-15 |accessdate=2022-06-25}}</ref>。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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* [[神体]]
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* [[神域]]
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* [[結界]]
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* [[荒魂・和魂|荒御魂]]
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* [[魔術]]・[[妖術]]・[[仙術]]
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* [[ブードゥー教]]
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* {{ill2|Poupée vaudou|fr|Poupée vaudou}} - 人形に行った行為は人にも反映されるとされ、古代ギリシャなど多くの文化で同様の儀式が見られる。
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* [[悋気の火の玉]](古典落語の演目。劇中で主人公の妻と愛人が丑の刻参りをする)
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[[category:日本の民間信仰]]

2023年4月8日 (土) 00:04時点における最新版

丑の刻参り
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』)

丑の刻参りうしのこくまいりうしのときまいりとも)とは、の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むという、日本に古来から伝わる呪術の一種である。

有名な神社としては、京都府貴船神社岡山県育霊神社などがある。

概要[編集]

丑の刻参りの基本的な方法は、江戸時代に完成している。

一般的な描写としては、白装束を身にまとい、髪を振り乱し、顔に白粉を塗り、頭に五徳(鉄輪)をかぶってそこに三本のロウソクを立て、あるいは一本歯の下駄[1](あるいは高下駄[2][注 1])を履き、胸にはをつるし[1][3]神社御神木に憎い相手に見立てた藁人形[1][3]毎夜、五寸釘で打ち込むというものが用いられる[3]五徳は三脚になっているので、これを逆さにかぶり、三本のロウソクを立てるのである[4]

呪われた相手は、藁人形に釘を打ちつけた部分から発病するとも解説される[5]。ただし藁人形など人形〔ひとかた〕の使用は江戸期までに必ずしも確立しておらず、例えば鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(1779年、右上図参照)の添え書きにも言及されていないし、画にも見えない[6]

小道具については解説によって小差があり、釘は五寸釘であるとか[4][2]、口にを咥える[4][2]、などがある。参詣の刻限も、厳密には「丑のみつどき」(午前2:00-2:30)であるとされる[6]

石燕や北斎の版画を見ても、呪術する女性のかたわらに黒牛が描かれるが、七日目の参詣が終わると、黒牛が寝そべっているのに遭遇するはずなのでそれをまたぐと呪いが成就するという説明がある。[4][7]この黒牛に恐れをなしたりすると、呪詛の効力が失われるとされる[8]

丑の刻[編集]

丑の刻」も、昼とは同じ場所でありながら「草木も眠る」と形容されるように、その様相の違いから常世へ繋がる時刻と考えられ、平安時代には呪術としての「丑の刻参り」が行われる時間でもあった[9]。また「うしとら」の方角は鬼門をさすが、時刻でいえば「うしとら」は「丑の刻」に該当する[10]

歴史[編集]

「うしのときまいり」という言葉の方が古い[11]。古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言った。後に呪詛する行為に転ずる。

京都市貴船神社には、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると、心願成就するという伝承があったので、そこから呪詛場に転じたのだろうと考察される[1][12]

また、今日に伝わる丑の刻参りの原型のひとつが「宇治の橋姫」伝説[1][12]であるが、ここでも貴船神社がまつわる。橋姫は、妬む相手を取殺すため鬼神となるを貴船神社に願い、その達成の方法として「21日(三七日、さんしちにち)の間、宇治川に漬かれ」との神託を受けた[注 2]。それを記した文献は、鎌倉時代後期に書かれ、裏平家物語として知られる屋代本『平家物語』「剣之巻」であるが、これによれば、橋姫はもとは嵯峨天皇の御世の人だったが、鬼となり、妬む相手の縁者を男女とわず殺してえんえんと生き続け、後世の渡辺綱一条戻橋ところ、名刀髭切で返り討ちに二の腕を切り落とされ、その腕は安倍晴明に封印されたことになっている。その彼女が宇治川に漬かって行った鬼がわりの儀式は次のようなものである:

「長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し、続松(原文ノママ)を拵へて、両方に火をつけて、口にくはへつつ、夜更け人定まりて後、大和大路へ走り出て……」
テンプレート:right


この「剣の巻」異本ですでに橋姫には「鉄輪(かなわ)」(五徳に同じ)を逆さにかぶり、その三つの足に松明をともすという要素があるが、顔や体を赤色に塗りたくるのであり白装束ではない。室町時代にこれを翻案化したの演目「鉄輪」においても、橋姫は赤い衣をつけ、顔に丹を塗るなど赤基調が踏襲され[1]、白装束や藁人形、金槌も用いていはいないが[1]、ただし祓う役目の陰陽師晴明の方は、「茅の人形を人尺に作り、夫婦の名字を内に籠め、(後略)」祈祷をおこなうのである[13]。よって現在の形で丑の刻参りが行われるようになったのは、この陰陽道の人形祈祷と丑の刻参りが結びついたためという見解がある[14]

源流[編集]

人形を用いた呪詛自体はかなり古くから行われており、『日本書紀用明天皇2年(587年)4月条に、「中臣勝海連(なかとみのかつみのむらじ)が家(おのがいえ)に衆(いくさ)を集えて、大連をいたすく。ついに太子彦人皇子の像を作りて、まじなう」と記され、古墳時代から人形を媒体とした呪いがあった。ただし、この時点では、まだ像を刺す行為は確認できない。

考古学資料の遺物として、奈良国立文化財研究所所蔵の8世紀木製人形代(もくせい ひとがたしろ)があり、胸に鉄釘が打ちこまれた状態の物も出土している。木簡を人形に切り取り、墨で顔が描かれている。丑の刻参りと共通する呪殺を目的とした形代だったと考えられている[4][15]。この遺物からも、人形に釘を打ち込み、人を呪うといった呪術体系自体は古代(奈良時代)からあったことが分かる。研究者によっては、鉄釘自体が渡来文化であり、こうした呪術体系自体が大陸渡来のものではないかとしている。この他にも類例として、島根県松江市タテチョウ遺跡から出土した木札には、女性が描かれており、服装から貴人女性と見られるが、3本の木釘が打ちこまれていた。その位置は、両乳房と心臓に当たり、明らかに呪殺目的であったことが分かる[16]

式神・妖怪[編集]

陰陽師が使役する式神というものがあるが、式神は荒ぶる神としての妖怪としても描かれ、人の善悪を監視する役目を持っていたとされ、様々な不思議な力を発揮したと言われる。丑の刻参りも、たびたび妖怪を伴って描かれ、神木に釘を打って結界を破り、常夜(夜だけの神の国)から、禍をもたらす邪神や妖怪)を呼び出し、神懸りまたは使役し、恨む相手を祟ると考えられていた。

影響[編集]

呪いの効果については、科学的に実証されたわけではない。誰かが自分を呪っていると認識することで、自己暗示にかかってしまうためであって、気にしなければ何もおこらないという研究結果がある。いわばノーシーボ効果というものであるが、この説においては上記に書かれているように呪いというものは誰かに知られてしまえば効果が発揮しなくなるどころか本人に跳ね返ってくるという伝承が考慮されていない点に注意すべきである。

法律上の扱い[編集]

少なくとも殺人罪や殺人予備罪については、刑法学における「不能犯の典型例」として挙げられることが多い[17][18][19]。ただし、多くの寺社は私有地であるため建造物侵入罪に問われたり、樹木に打ち付ける行為は器物損壊罪に問われる可能性がある[20]。2022年5月の連休明けから、千葉県松戸市内の約10か所の神社御神木などにロシアプーチン大統領の顔写真を付けた藁人形が打ち付けられる事態が発生し、6月15日に千葉県警松戸東署は、同市に在住する男を建造物侵入と器物損壊の疑いで逮捕した。動機はロシアのウクライナ侵攻への抗議と推測される。神社の関係者は、「ご神木には大きな穴が二つ残っている」と話した[21][22]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 三橋 2011 264-5で「一本歯の高下駄」と記すが、挿絵の歌川豊広の図では明らかに二本歯の下駄
  2. 神託を受けたのは貴船神社だが、神託の内容は「大和大路へ走り出で、南を指して行きければ」とあるように南の宇治川が指定場所である。貴船神社の神託により、神社とは遠く離れた宇治川へ行かせる矛盾を解消するため、浅井了意作『安倍晴明物語』中の「人形(ひとがた)をいのりて命を転じ替たる事」では宇治川を貴船(貴布称)川に変更している。

出典[編集]

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  2. 2.0 2.1 2.2 小松和彦「いでたちは白い着物を着て、髮を乱し、顔に白粉、歯には鉄漿口紅を濃くつくる、頭には鉄輪をかぶり、その三つの足にろうそくを立ててともす。胸に鏡を掛け、口に櫛をくわえる。履き物は歯の高い足駄である」。引用元:日本史攷究会, 岡田芳朗, 亀谷弘明, 大本敬久, 奥富敬之, 高橋和弘, 深谷幸治, 鹿毛敏夫, 松井吉昭, 吉田正高, 熊澤恵里子, 安藤優一郎, 松丸明弘, 柴辻俊六, 杉原美智子, 林英雄 (2000) 日本史攷究会, 岡田芳朗, 亀谷弘明, 大本敬久, 奥富敬之, 高橋和弘, 深谷幸治, 鹿毛敏夫, 松井吉昭, 吉田正高, 熊澤恵里子, 安藤優一郎, 松丸明弘, 柴辻俊六, 杉原美智子, 林英雄 多賀社参詣曼陀羅を読む [ 時と文化 : 日本史攷究の視座 : 岡田芳朗先生古稀記念論集 ] 歴研 2000 173
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  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 梅屋 () 梅屋潔 のろい 民俗学事典編集委員会編『民俗学事典』丸善、562-563頁、2014年12月 Ⅲ-④-10 および 19 [ arch. ] 2017年3月
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  6. 6.0 6.1 鳥山石燕「丑時まいりハ、胸に一ツの鏡をかくし、頭に三つの燭〔ともしび〕を點じ、 丑みつの比神社にまうでゝ杉の梢に釘うつとかや。 はかなき女の嫉妬より起りて、人を失ひ身をうしなふ。 人を呪咀〔のろわ〕ば穴二つほれとは、よき近き譬ならん」(『今昔画図続百鬼』「丑時参」)
  7. (2004) [ 宗教人類学入門 ] 弘文堂 2004 149
  8. Pfoundes (1875) PfoundesC. Fu-so Mimo Bukuro: A Budget of Japanese Notes Japan Mail 1875 19-20
  9. 網野善彦, 横井清 (2003) 網野善彦, 横井清 都市と職能民の活動 日本の中世 / 網野善彦石井進編集 6 中央公論新社 2003 222
  10. 糸井 (2006) 糸井道浩 知恵の会 京都学の企て 勉誠出版 2006 68 鬼門は丑寅(東北)の方向であり、..丑寅を時刻でみると、丑の刻..
  11. 『日本国語大辞典』小学館
  12. 12.0 12.1 丘 (2013) 丘眞奈美 京都奇才物語 PHP研究所 2013 4569812015
  13. 関一敏, 大塚和夫 (2004) 関一敏, 大塚和夫 宗教人類学入門 弘文堂 2004 57
  14. 宇井 (1983) 宇井無愁 落語のみなもと 中央公論社 1983 169 これでみると、呪う側とそれを防ぐ側の方式を一つに合せたのが、後世の丑の刻参りの風俗であるらしい。
  15. 永藤 (2003) 永藤靖 (Nagafuji, Yasushi) 古代仏教説話の方法: 霊異記から験記へ 三弥井書店 2003 22
  16. 勝部 川原 宮澤 柳浦 (1990-03-25) 勝部昭 川原和人 宮澤明久 柳浦俊一 大谷祐司 長峰康典 タテチョウ遺跡発掘調査報告書III 1990-03-25 1990-03-25 10.24484/sitereports.2854
  17. 飯塚 (1934) 飯塚敏夫 第六 丑の刻詣りと不能犯學說 [ 刑法論攷 ] 第1巻 松華堂書店 1934 133-142
  18. 沢登佳人 (1998) 沢登佳人 第六 丑の刻詣りと不能犯學説 許された危険の法理に基づく因果関係論の克服 法政理論 30 4 新潟大学法学会 1998 mar 101-127(107-111) 110009103098
  19. 宮本 (1932) 宮本英脩 [ 刑法大綱 ] 弘文堂書房 1932 187
  20. (2017-02-19) 「わら人形呪い」で逮捕や名誉毀損に問われる境界線 ニュースポストセブン 2017-02-19 [ arch. ] 2022-06-15
  21. (2022-06-09) ご神木にプーチン氏わら人形、「抹殺 祈願」の紙も…「ウクライナ思う気持ちわかるがやり方まずい」 読売新聞オンライン 2022-06-09 [ arch. ] 2022-06-25
  22. (2022-06-15) ご神木にプーチン氏のわら人形、生年月日と「抹殺祈願」の紙も…逮捕の72歳は黙秘 読売新聞オンライン 2022-06-15 [ arch. ] 2022-06-25

関連項目[編集]