「近鉄奈良駅」の版間の差分
提供: Yourpedia
細 (追記) |
|||
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示) | |||
6行目: | 6行目: | ||
==トンネル== | ==トンネル== | ||
[[生駒トンネル]]は[[1914年]]([[大正]]3年)4月18日に完成した全長3,388メートル、広軌複線として当時の日本最長のトンネルであった。[[1913年]](大正2年)1月26日に大規模な岩盤崩落により、坑内で約150人が生埋めになる事故が発生し、19人が犠牲となるなど工事は難航した。2年10カ月かけ生駒トンネルを掘削し、建設費269万円を要して、[[1914年]](大正3年)4月に竣工した。大阪と奈良を最短距離で結んだ<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO71442770Y1A420C2EAC000/ 1914年4月30日 近鉄奈良線開業]日本経済新聞,2021年4月28日</ref>。300万円を予定していた建設費は総額で787万円まで膨らみ大阪電気軌道株式会社は経営難となる<ref>[https://www.kintetsu.jp/kouhou/History/story01.html 大阪電気軌道の開業]近畿日本鉄道</ref>。 | [[生駒トンネル]]は[[1914年]]([[大正]]3年)4月18日に完成した全長3,388メートル、広軌複線として当時の日本最長のトンネルであった。[[1913年]](大正2年)1月26日に大規模な岩盤崩落により、坑内で約150人が生埋めになる事故が発生し、19人が犠牲となるなど工事は難航した。2年10カ月かけ生駒トンネルを掘削し、建設費269万円を要して、[[1914年]](大正3年)4月に竣工した。大阪と奈良を最短距離で結んだ<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO71442770Y1A420C2EAC000/ 1914年4月30日 近鉄奈良線開業]日本経済新聞,2021年4月28日</ref>。300万円を予定していた建設費は総額で787万円まで膨らみ大阪電気軌道株式会社は経営難となる<ref>[https://www.kintetsu.jp/kouhou/History/story01.html 大阪電気軌道の開業]近畿日本鉄道</ref>。 | ||
− | + | [[1969年]](昭和44年)12月、近鉄奈良駅は地下化する<ref>昭和44年12月8日竣工式 翌9日から運行</ref>。 | |
==行基広場== | ==行基広場== |
2021年12月15日 (水) 23:42時点における最新版
近鉄奈良駅(きんてつならえき)は奈良県奈良市にある近畿日本鉄道の駅である。奈良市の代表駅である。奈良県内最多の利用客数である。
概要[編集]
近鉄奈良線は、前身である「大軌(大阪電気軌道)」の最初の路線として1914(大正3年)4月30日、上本町駅~奈良駅間が開通した。奈良駅は仮駅で開業した。7月8日に仮駅から本駅へ移転した。東大寺、奈良公園、奈良国立博物館などの奈良県の主要観光施設の最寄駅である。
トンネル[編集]
生駒トンネルは1914年(大正3年)4月18日に完成した全長3,388メートル、広軌複線として当時の日本最長のトンネルであった。1913年(大正2年)1月26日に大規模な岩盤崩落により、坑内で約150人が生埋めになる事故が発生し、19人が犠牲となるなど工事は難航した。2年10カ月かけ生駒トンネルを掘削し、建設費269万円を要して、1914年(大正3年)4月に竣工した。大阪と奈良を最短距離で結んだ[1]。300万円を予定していた建設費は総額で787万円まで膨らみ大阪電気軌道株式会社は経営難となる[2]。 1969年(昭和44年)12月、近鉄奈良駅は地下化する[3]。
行基広場[編集]
東改札口方面の出入り口前と東向商店街の間に広場があり、行基像が展示されている。東改札口を出て東出口3番からエスカレーターで行基菩薩噴水前の行基広場に出る。「待ち合わせの目印」となる。
アクセス[編集]
現在の駅舎は三代目である。
- 所在地:奈良県奈良市東向中町28
- 最寄り駅:近鉄奈良駅
- 駅ビル竣工年:1970年
- 運営会社 近畿日本鉄道株式会社
- 階数:地下2階 地上8階
- 敷地面積:約1,456㎡
- 延床面積:約6,616㎡
参考文献[編集]
- ↑ 1914年4月30日 近鉄奈良線開業日本経済新聞,2021年4月28日
- ↑ 大阪電気軌道の開業近畿日本鉄道
- ↑ 昭和44年12月8日竣工式 翌9日から運行