「群馬美人女店員殺人事件」の版間の差分
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群馬美人女店員殺人事件(ぐんまびじんじょてんいんさつじんじけん)は1974年9月に群馬県の自衛隊演習場で起きたストーカー殺人事件である。
経緯[編集]
1974年9月24日午後4時30分ごろ、群馬県榛名山ろくの陸上自衛隊相馬原演習場内の松林で、キノコ採りに来た近くの人がワンピース姿の少女の絞殺死体を見つけ渋川署に届け出た。現場近くのヤブに落ちていた草色の手提げカバンの中にあった東武バスの定期券などから、この少女はデパート店員木暮朝代さん(18歳)とわかった。朝代さんは頭を南、顔を東に向けほぼ仰向け状態で倒れており、着衣のワンピースが乱れ、下着とパンティーストッキングが刃物で切り裂かれていた。
群馬県警捜査1課と渋川署は婦女暴行殺人事件として捜査したところ、被害者宅近くに住む溶接工木暮正昭(27歳)が浮上し、25日朝、正昭を任意同行して取り調べた結果、正昭は犯行の一部を自供したため、同夜8時半すぎ逮捕した。また犯行に使われた軽トラックと凶器となった座ぷとんなどを押収した。
調べによると、正昭は木暮朝代さんの男友だちで、以前から思いを寄せていた朝代さんとブドウ狩りに行くことを約束、24日午前7時50分ごろ、朝代さんを近くの郵便局前で軽トラックに乗せて約7.7km離れた相馬ケ原演習場内へ連れ込んだ。正昭が朝代さんに「結婚してほしい」と申し込んだが、朝代さんに「年が違いすぎる。別に交際している人がいる」と打ち明けられ、今後の交際も断られたため、正昭は午前8時20分ごろ、朝代さんを押し倒し、敷いていた座ぶとんで顔や首を覆い、さらに首を絞めて殺した。正昭と朝代さん宅は、約400mしか離れておらず、これまでにも数回朝代さんを勤め先の高崎から自宅まで車で送ったこともあったという。
現場は相馬原演習場内を縦横に走っている戦車などの演習用道路から5㍍入り込んだところ。駐屯地の話によると「演習場に通ずる道路は近くの農家の人たちが利用することもあってサクなとで閉鎖されず、夜にはアベックが車を乗り入れている」という。
殺された木暮朝代さんは1971年4月、群馬町立中央中学校卒業と同時に高崎市内の製パン会社に就職、間もなく同市内のデパートに出向、会社の話では明るくまじめな性格で、無断欠勤も1度もなかったという。