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'''セゾングループ'''([[英語|英称]]: {{lang|rn|Saison Group}})は、かつて存在した、[[西武百貨店]]を中核とする[[流通]]系最大の旧[[企業]]グループである。グループ名の「セゾン」とは[[フランス語]]で「[[季節]]」を意味する。
  
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== 概要 ==
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[[堤康次郎]]が創業した、現在の[[西武鉄道]]が中心の「西武企業グループ」を母体とし、康次郎の死後、流通部門を継いだ次男[[堤清二|清二]]が'''西武流通グループ'''として自立。のち'''西武セゾングループ'''と改称、多角化はさらに進み「西武」を外して'''[[セゾングループ]]'''と名乗ることで独立色を鮮明にした<ref>いまひとつの理由として、緑屋を傘下に納めて金融業に進出するにあたり、クレジットカードに西武の名があると系列外での使用に制約がかかるという事情もあった</ref>。
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[[1980年代]]までの急激な拡大成長の一方、[[1990年代]]初頭には[[平成不況]]を受け早くも[[リストラ]]に着手したことで、加盟社数は非常に流動的だが、最盛期の時点で12基幹グループ・約100社を数えた。
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歴史順に、'''[[西武百貨店]]'''・[[西友]]・[[朝日工業]]([[西武化学工業]])・[[西洋環境開発]](西武都市開発)の4基幹グループを母体とし、「生活総合産業」宣言により[[クレディセゾン]](西武クレジット)・[[西洋フードシステムズ]](レストラン西武・[[吉野家D&C]]・[[ダンキンドーナツ]]等)・[[朝日航洋]]・[[セゾン生命保険]](西武オールステート生命保険)を新たな基幹企業に選定。
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さらに[[バブル景気]]を迎え[[インターコンチネンタルホテル]]・[[大沢商会]]、ようやく利益貢献に回った[[パルコ]]、コンビニ時代を反映する[[ファミリーマート]]が加えられ12グループ体制。
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1990年に[[西武ピサ]]、[[WAVE (企業)|ウェイヴ]]、リボーンスポーツシステムズ、西武百貨店文化レジャー事業部の3社1事業部が合併して誕生した[[ピサ]]を加えて最盛期13グループ体制とすることもある。
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これらに収まらない個別事業は[[セゾンコーポレーション]]が管轄した。
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== 歴史 ==
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=== 鉄道との分裂 ===
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一代で[[西武]]の礎を築いた父・康次郎は敏腕な[[実業家]]だったが、幼き清二の眼差しからは、まるで金と権力に溺れた狂人として映った。多くの愛人を囲い、交互に通いを繰り返す奇妙な関係。同じ兄弟で異にする血筋。父の権力をめぐる異質な家族像──。清二はやがて自らの出自を悟り、戸惑い、父の実像を知るほど嫌悪を抱いた。
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父には絶縁を願い出て、[[東京大学]]在学中に[[左翼]]運動に希望を託し[[日本共産党]]に入党。[[革命]]を夢想するも挫折、さらに[[肺結核]を患い入院生活。堤家の名誉を恥じる父は、清二の身分を隠し[[西武百貨店]]書籍コーナーの店員として働かせる。
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こうした絶望と漂流の中から、詩を綴り始め、[[芸術]]表現から自らの実存を模索した。28歳の若さで[[西武百貨店]][[取締役]]店長に就任してもなお、[[詩人]]・[[辻井喬]]([[ペンネーム]])の立場からは、文化を破壊へと追いやる商業主義を批判し、だがしかし仮の自分である商人・[[堤清二]]との矛盾や抗いがたい現実に苦悩するのだった。
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父の[[帝王学]]は「土地を守るべし」。「不動産の西武」であって、[[流通]]など付属品に過ぎない。西武ストアー(のちの[[西友]])の展開や、日米親善の[[ロビー活動]]の一環でしかなかった米国ロス進出、いずれも失敗だった。
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消費者目線ではない父の手法では成長できない。まずは[[西武百貨店]]の出張店舗だった「西武ストアー」を[[スーパーマーケット]]業態の「[[西友ストアー]]」として[[チェーン展開]]。
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[[高度経済成長]]期と連動し急激に店舗を増やす。[[池袋西武]]も段階的増床により都内最大の[[百貨店]]に。そんな折、父の急死([[1964年]])で相続問題が浮上。
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父は病弱だった清二など、もともと跡継ぎ候補から除外しており、弟の義明がいったんは[[相続]]したが、義明は不遇を受けた兄に一定の配意をし、西武の本業ではない流通部門を清二に渡した。
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一代で西武の礎を築いた[[堤康次郎]]が[[1964年]]に急死。跡を継いだ[[堤義明]]は、不遇を受けた[[義兄弟姉妹|異母兄]]・[[堤清二|清二]]に、西武の本業ではない流通部門を渡した。
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偉大な父なき後は「兄弟会」を設置し秩序の維持に努めたが、父の[[年忌|七回忌]]の場で義明との「相互不干渉」の確約を交わし、西武二分裂が確定的となったことで[[1971年]]、「西武流通グループ」を旗揚げした。ただし、清二は[[1980年代]]まで[[西武鉄道]]の役員に名を連ね、西武鉄道沿線の[[西友]]店舗の一部が西武鉄道からの賃貸であり、[[西武百貨店]]が後に義明がオーナーとなった[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]のユニフォームスポンサーとなり、ライオンズの優勝セールを[[セゾングループ]]各店で行うなど、協力すべき点では協力するという関係だった。
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なお、優勝セールは2004年までは旧セゾングループ由来の西武百貨店、西友、[[ファミリーマート]]で優勝セールを行なっていた。西武百貨店の[[セブン&アイ・ホールディングス]]傘下入り以降は、西友から[[イトーヨーカドー]]に、[[ファミリーマート]]から[[セブンイレブン]]に権利が移行している。また、[[そごう・西武]]傘下の[[ロビンソン百貨店]]、東京、埼玉、千葉県内の[[そごう]]でも行うようになった。
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=== 感性の経営 ===
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[[1969年]]、撤退した「[[丸物#東京丸物|東京丸物]]」を継承する形で[[パルコ]]第一号店を池袋に開設。パルコに限っては、奔放な性格であるが信頼を置いていた[[増田通二]]に任せ、運営には干渉せず自由放任を与えた。
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[[1973年]]の[[渋谷]]進出にあたっては、若者文化やアートとの協調を掲げ、従来になかったミックス型フロア構成とバラエティ感覚で挑み大反響を呼ぶ。この渋谷パルコの成功体験で確信を得たうえで、いわゆる「文化戦略」がスタートした。
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: ──[[百貨店]]から先端の文化・情報を発信、客はまるで[[ディズニーランド]]を回遊するように、渋谷に点在する[[ギャラリー]]や[[劇場]]を巡って知的好奇心を満たす。快適な[[アメニティ]]を[[ロボット]]や[[ニューメディア]]がバックアップしつつ、活動主体はあくまで人間本位。優れた文化を生む自由な社風と、互いに束縛を受けない緩やかな企業連鎖。重複事業までも認め、競合することが逆に発展的効果を促す──
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こうした数量的ではなく "文学的" 経営ビジョンは「[[感性]]の経営」と呼ばれ話題となった。タイミングは絶妙だった。日本の誰もが物質的豊かさを享受し、政治的無関心が出現し始める[[1970年代]]。これからの時代は、何か目新しい[[コンセプト]]、カルチャーやエンタテインメント性こそが欲望される。
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こうして文化全般を[[ポストモダン]]的に展開する[[セゾン]]系独特の手法は、[[1980年代]]にパルコ系「[[アクロス]]」誌が提唱した[[新人類]]の台頭によって支えられ、先鋭的[[ブランドイメージ]]を築いた。その根底にあったのは[[堤清二]]の左翼性、消費を通じた「[[啓蒙]]」や「解放」である。
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池袋本店は全国のモデル店として、文化を軸に実験的な改装を重ね、また他方では、先行開発した渋谷エリアが若者の街として急浮上し、磐石な二極体制ができあがった。
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池袋では最大規模の売上を稼ぎ出しつつ、若者文化の情報発信源と化した渋谷からは、のちに「[[渋谷系]]」や[[ストリート系]]、[[女子高生]]文化といった数々の社会現象が生まれ、若者消費を牽引した。
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しかし、一連の急展開は、名門堤家の信用力をバックにつけた銀行融資に依存したものであり、あくなき投資で見かけ上の規模は膨張を続けるものの、利益率は著しく低いまま借金体質が続いた。
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=== 文化戦略 ===
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「文化の西武」を遺憾なく発揮させるには、広告から売り場の末端に至るまで外部に依存しない独自展開が必要だった。
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池袋西武にセゾンの文化拠点として「[[セゾン美術館]]」(西武美術館、[[1975年]])を併設。単なる集客狙いの[[催事場]]の域を超え本格的な展示に挑み、従来扱われなかった[[モダニズム|現代アート]]を中心とし独自の路線を走る。
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更に池袋店本館には数多くの文化スペースを設け次々に新鮮な企画が打ち出された。一方でパルコ系の文化事業はそれ自体がファッション商品であると位置づける。
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現在[[六本木ヒルズ]]が建つ場所に在った「[[WAVE (企業)|ウェイヴ]]」(ディスクポート西武、[[1973年]])は、当時まだ入手困難だった音楽を集め、新たなジャンルを開拓した。
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[[1975年]]に大型書店の「[[リブロ]]」(西武ブックセンター)、アート系書店で美術品も扱う前衛的な形態だった「アール・ヴィヴァン」(ニューアート西武)が発足。「[[パルコ]]出版」や「[[リブロポート]]」、「トレヴィル」などを通じ、決して販売部数は期待できない本格的な美術書や文芸書を独自に出版。
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西友は米タイム社と提携し「西武タイム」(現・角川・エス・エス・コミュニケーションズ)で情報誌を展開。これはのちに[[エンタテインメントプラス|チケットセゾン]]を吸収し紙面と連携。
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[[1979年]]には、いわば[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]系小劇場・[[ミニシアター]]の先駆け「[[スタジオ200]]」、学校外から[[知識]]・[[教養]]の普及を図る「コミュニティカレッジ」、日本初の総合スポーツ店「スポーツ館」を開設。
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[[西友]]はスーパー業界では劣勢だったため上質な売り場提案による差別化を検討。その一環で開発された[[プライベートブランド]]・[[良品計画|無印良品]]([[1980年]])が異例のヒット。また脱[[チェーンストア]]として、「西武」の名を冠し、立地ごとにカスタマイズされた西友独自の[[百貨店]]業態を模索(のちの[[リヴィン|LIVIN]])。
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[[テレンス・コンラン]]との提携による池袋西武「ハビタ館」より[[家具]]市場に参入([[1982年]])。また、「[[シネセゾン]]」([[映画配給]] [[1984年]])などグループ各社による[[セゾングループの映画事業|映画事業]]への進出は、旧態依然としていた映画業界の常識を覆す斬新な取り組みが見られた。
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[[倒産]]した[[大沢商会]]を傘下に収めたことで([[1984年]])、国内高級ブランドのホールセールをほぼ独占、ファッション総合商社の西武が完成。演劇の場として[[銀座セゾン劇場]]([[1987年]])を開設。
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いかにもセゾン系な{{誰2|date=2011年9月}}FM放送局「[[J-WAVE]]」([[1988年]])に出資。[[西武百貨店]]から[[日用品|生活雑貨]]スペース「[[ロフト (雑貨店)|ロフト]]」が分社独立([[1996年]])。
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西友側では「[[DAIK]](ダイク)」を展開し、[[モダンリビング]]の[[トレンド]]を先取り。西武百貨店は家具専門のハビタ館の後継ともいうべく、[[北ヨーロッパ|北欧]]インテリア専門店「[[イルムス]]」と業務提携し([[1998年]])、池袋店にイルムス館として日本初導入([[1999年]])。[[スカンジナビア]]モダンの流行に先鞭をつけた。
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ホテル業では[[西武鉄道]]─[[コクド|国土計画]]グループ(当時)の「[[プリンスホテル]]」に、スケールではなく質で対抗し、少数宿泊かつ最高のラグジュアリーを提供する画期的な内容の「[[ホテル西洋銀座]]」を開業([[1987年]])。国際的な高級ホテルチェーン「[[インターコンチネンタルホテル]]」を約2,800億円で買収([[1988年]])し、西友[[子会社]]とした。
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=== グループの崩壊 ===
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日本は[[バブル崩壊]]から1990年代長期[[平成不況]]期に入ると、イメージ戦略は必ずしも消費と結びつかなくなり、[[百貨店]]離れ・[[スーパーマーケット|スーパー]]離れを引き起こした。高級消費財や娯楽への消費は抑制され、脱・流通業として手がけられた不動産・ファイナンスは多額の負債を抱えた。また、[[イトマン事件]]を巡り、西武百貨店関西が絵画取引を巡り[[許永中]]など闇社会と関わっていたことが報道されるなど企業イメージを失墜させる事件も発生した。
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[[カリスマ]]的な西武の堤家の存在を暗黙の信用担保とした体質、[[堤清二]]のワンマン体制、地方の不採算な店舗など、華やかなブランドイメージの影で覆い隠されてきた問題は、一気に明るみに出た。堤清二が代表から失脚([[1991年]])して、[[西武百貨店]]に復帰した[[和田繁明]]は、店員の顧客への対応の悪さなどを、「西武百貨店白書」で赤裸々に記述した。後に和田は、[[そごう]]グループの再建にも当たった<ref>『セゾンからそごうへ 和田繁明の闘い』(佐藤敬、東洋経済新報社、2001年)参照</ref>。
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こうして本業が揺らぐ中、不動産開発の[[西洋環境開発]](西武百貨店傘下)と[[ノンバンク]]の東京シティファイナンス(西友傘下)はともに多額の負債を抱え、[[1990年代]]後半のセゾンはリストラを断行した。当初はそれぞれ親会社の西武百貨店・[[西友]]でリストラ・資産売却を実施。西友は[[ファミリーマート]]・[[良品計画]]など上場子会社と[[インターコンチネンタルホテル]]グループの持株を手放した。しかし、[[第一勧銀]]を筆頭とした取引銀行団の意向は強く、それでも残った負債のために[[クレディセゾン]]等他の[[セゾングループ]]企業や[[堤清二]]個人からも支援を要求したため、各所で資産売却を決行し、最後の懸案だった[[西洋環境開発]]の清算をもって[[2001年]]には「セゾングループ」が事実上、解散した。
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=== その後 ===
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セゾン系各社はグループの解散により資本的根拠は薄くなったものの、協力関係は一部に残っている。[[西武百貨店]]を傘下に置く[[ミレニアムリテイリング]](現:[[そごう・西武]])は、[[西武鉄道]]との再合流を目指すも、[[セブン&アイ・ホールディングス]]と電撃的に[[経営統合]]。2006年9月に[[クレディセゾン]]は[[西武ホールディングス]]と「[[西武グループ|SEIBU]] プリンスカード」の発行を開始。2011年にはクレディセゾン単体で扱っていたそごう・西武の提携クレジットカードを7&iとクレディセゾンの合弁会社[[セブンCSカードサービス]]へ会社分割の方法で事業譲渡した。
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== 旧セゾングループ企業一覧 ==
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=== 中核5社 ===
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; [[西武百貨店]]
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: [[百貨店]]業。[[そごう]]とともに[[ミレニアムリテイリング]]の傘下になり、ミレニアムリテイリングもさらに[[2006年]]6月1日付で[[セブン&アイ・ホールディングス]]の完全子会社となり、ミレニアムはセブン&アイの[[中間持株会社]](百貨店事業持株会社)となった。その後事業会社2社と合併し現在は[[そごう・西武]]となっている。
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: なお、[[ファミリーマート]]や[[吉野家|吉野家ディーアンドシー]]、[[イルムス]]株などを取得しグループ入りさせた[[伊藤忠商事]]と[[西武百貨店]]は、[[1999年]]に事業協力で[[業務提携]]しているが、ミレニアム発足後はその関係の分野は限られている。
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; [[西友]]
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: [[小売|小売業]](旧・西武ストアー→西友ストアー)。[[スーパーマーケット]]「西友」・「[[リヴィン|LIVIN]]」などを運営。2000年に[[住友商事]]が大株主となり、その後[[2001年]]から米国[[ウォルマート]]と業務・資本提携。その後段階的にウォルマートが株式を取得して[[2005年]]末に[[連結子会社]]となった。[[2006年]]に[[上場廃止]]。
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; [[クレディセゾン]]
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: [[クレジットカード]]業(旧・[[緑屋]])。現在も[[そごう・西武]](旧・[[西武百貨店]])が一部出資。[[2004年]]に[[みずほフィナンシャルグループ]]および同社傘下の[[ユーシーカード]]と全面的な[[事業統合]]を発表。
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; [[西洋フード・コンパスグループ]]
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: [[コントラクトフードサービス]]・[[飲食店]]事業・[[食品加工]]・流通など。レストラン西武→西洋フードシステムズを経て現在に至る。
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: [[1970年]]に[[ダンキンドーナツ]]を展開。後に、同じ[[セゾングループ]]のディー・アンド・シー(後に[[吉野家]]と合併して[[吉野家ディー・アンド・シー]])が店舗展開した。
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: のちに英国[[:en:Compass Group|コンパス・グループ]]の傘下入り。なお、ダンキンドーナツは日本から撤退し、吉野家ディー・アンド・シーは[[伊藤忠商事]]傘下である。
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; [[西洋環境開発]]
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: [[不動産]]業 - 住宅・商業施設・[[リゾート]]開発業。
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: [[セゾングループ]]の中核企業だったが経営破綻し[[2001年]]に[[特別清算]]。セゾングループ解体の直接的な引き金となった。「生活総合産業」を掲げ、それまでの流通グループの域から脱するという特別な使命があったが、セゾンを解体に導いた。
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=== 運営業態 ===
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; [[リヴィン|「西武」店→LIVIN]]
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: [[西友]]が西武百貨店のブランド力を利用し、同百貨店の名称・意匠を借り、独自に百貨店業態として追求したもの。主に「○○西武」を名乗っていた([[錦糸町西武]]など)。紙袋・包装紙・制服も西武百貨店と同一のものを使用していた。
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: しかし、90年代にグループの解体と西武百貨店と区別がし難く顧客からの苦情が相次いだため、名称も1998年から2000年にかけて、新生活百貨店「LIVIN」へ名称を改称した。
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: 現在は、各種セールや取り扱う商品類も、西友店舗と特に区別は無くなっている。
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; イルムス
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: [[北ヨーロッパ|北欧]][[インテリア]]・[[雑貨]]・[[家具]]専門館。[[デンマーク]]の「ロイヤルスカンジナビア」社と資本・業務提携([[1998年]])。同社の展開する北欧インテリア店「[[イルムス]]」を池袋店に「イルムス館」として日本初導入([[1999年]])。[[2001年]]にイルムスジャパン設立。[[2003年]]5月には[[伊藤忠商事]]が[[資本参加]]。[[西武百貨店]]から株式の85%取得。今でも多くは、ミレニアム系の西武百貨店や[[そごう]]に出店している。
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; [[ハウディ西武]]
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: 西武百貨店の高質食品スーパー。現在の西友長野石堂店など、西友が運営していたことがあった。
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; [[ダンキンドーナツ]]
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: [[西洋フードシステムズ]]や[[吉野家ディー・アンド・シー]]傘下で店舗展開した。[[1998年]]に業績不振で日本から撤退。
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; リボン館
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: [[コナミスポーツ&ライフ]]へ譲渡された。
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; 渋谷PAO
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: [[小田急]]の[[多摩カリヨン館|カリヨン館]]に影響されて[[西武]]が[[渋谷]]に建設した「母と子供の百貨店」。現在は閉店し[[タワーレコード]]になっている。
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=== グループ会社 ===
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; [[良品計画]]
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: [[1989年]]に[[西友]]から独立した。全国に「無印良品」を展開。[[ファミリーマート]]と株式の持ち合いをしていたが、[[1998年]]に伊藤忠グループが[[ファミリーマート]]株を取得したため、殆どの株式を手放す。しかし、[[2006年]]3月に株式の持ち合いを発表し、再度関係を強化した。旧セゾングループの中では、[[ファミリーマート]]と[[クレディセゾン]]が主要株主。
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; [[ロフト (雑貨店)|ロフト]]
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: [[西武百貨店]]の雑貨スペース「Loft」が株式会社化し分社独立。現在、[[セブン&アイホールディングス]]傘下の[[そごう・西武]]傘下。[[東急ハンズ]]と並び有名な[[雑貨店]]である。
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; [[パルコ]]
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: [[デベロッパー (開発業者)|ディベロッパー]]業。全国に商業テナントビル「PARCO」を展開。また、[[パルコ劇場]]、[[CLUB QUATTRO]]、[[Studio PARCO]]、[[スペイン坂|渋谷スペイン坂スタジオ]]([[エフエム東京|TOKYO FM]])など文化事業も幅広く手掛けた。 [[ダイハツ工業]]とも提携し、[[1988年]]にミラに特別仕様車で発売され、その後、[[1995年]]にはオプティ、[[2001年]]にはムーヴ、YRVにパルコ仕様グレードが設定された。
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:しかし、[[2002年]]には[[セゾングループ]]の経営再建とムーヴの[[フルモデルチェンジ]]に伴い提携解消。現在、[[Jフロントリテイリング]]が約1/3保有の筆頭株主。旧セゾングループでは[[クレディセゾン]]が大株主。[[丸井]]と並び[[ファッションビル]]の一角を担う。
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; [[ファミリーマート]]
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: 西友[[子会社]]として[[コンビニエンスストア]]を展開。[[1998年]]に[[伊藤忠商事]]グループが株式取得。[[2006年]]3月に良品計画との株式持ち合いを発表した。
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; [[リブロ]]
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: [[西武ブックセンター]]として[[池袋西武]]に誕生、主にセゾン系[[テナント]]として拡大した書店チェーン。[[アバンギャルド]]や[[コンテンポラリーアート]]、最新の[[洋書]]などを扱う流行の感度の鋭さから、[[青山ブックセンター]]と並び称される存在だった。現在、[[日本出版販売]]の傘下。
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; [[WAVE (企業)|WAVE]]
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: 音楽・映像ソフト販売(WAVE)。[[タワーレコード]]傘下を経て、[[家電販売店]][[ノジマ]]が子会社化。2011年に自己破産。
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; [[J-WAVE]]
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: [[西武百貨店]]や西友などが出資してできた東京で民間としては2局目のFMラジオ局。当時としては珍しい音楽中心のラジオ局。[[J-POP]]なる言葉は、J-WAVEが起源。セゾンはまた、[[エフエム東京|TOKYO FM]]と共同で渋谷にスタジオもつくった。セゾンとは別だが[[西武鉄道グループ]]などが出資したFMラジオ局[[エフエムナックファイブ|NACK5]](共に開局は[[1988年]])もある。現在、旧セゾングループではクレディセゾンがJ-WAVEの主要株主。
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; ザ・ガーデン自由が丘
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: [[自由が丘]]で[[シェルガーデン]]が同名で創業した高質食品スーパー。西友による出資を経て西武百貨店傘下の企業となり現在の店名になる。現在は[[セブン&アイ・ホールディングス|7&i]]傘下である[[そごう・西武]]の100%子会社。関東地方を中心に西武百貨店と[[そごう]]のほか、近年は小型店を[[イトーヨーカドー]]と[[Emio|エミオ]]に展開している。
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; [[吉野家ディー・アンド・シー]]
 +
: [[ファーストフード]]業。[[牛丼]]チェーン「吉野家」などを運営。[[西洋フードシステムズ]]子会社。西洋フードシステムズから譲り受け、ダンキンドーナツも展開している。伊藤忠グループが株式取得。
 +
; [[西武自動車販売]]
 +
: [[フランス]]の[[シトロエン]]・[[プジョー]]、[[スウェーデン]]の[[サーブ・オートモービル|サーブ]]などの輸入販売元。[[1960年]]代前半から[[シボレー]]など大型米国車の輸入販売会社として存在していたが、1970年前後に取り扱い車種をマニア向け欧州車に変更。[[1995年]]、[[クライスラー]]日本法人へ売却される。
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; [[ジャガージャパン]]
 +
: [[1986年]]、[[イギリス|英国]]の高級車[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]と西武百貨店との共同出資で日本法人「[[ジャガージャパン]]株式会社」を設立。[[1999年]]、西武百貨店が資本を撤退し、ジャガー・カーズ当時は単独で展開した。
 +
; [[新西武自動車販売]]
 +
: [[フランス]]の自動車[[シトロエン]]の輸入元。西武自動車販売の[[クライスラー]]日本法人への売却後、シトロエンの輸入販売を継続するため設立。シトロエンが「[[シトロエン・ジャポン]]」を設立して直接販売に乗り出したことにより[[2002年]]に清算。
 +
; 西武日産販売([[日産自動車]]系ディーラー・[[ブルーステージ]])
 +
: [[東京日産モーター]]と共に、東京地区で[[日産・セドリック|セドリック]]などの高級車をメインに販売していたが、[[2001年]]7月1日、東京日産モーターに[[吸収合併]]された。後に東京日産モーターも[[日産プリンス東京販売]]に吸収合併された。
 +
; オートピア西洋
 +
: [[スズキ (企業)|スズキ]]のカーディーラー。グループ内需要を請け負う。
 +
; [[セゾンファンデックス]]
 +
: [[抵当証券]]業・[[消費者金融]]業(旧・西武抵当証券)。ほかに旧セゾングループ数社に出資するなど投資会社の一面もある。[[住宅金融専門会社]](住専)問題で損失を被った後、クレディセゾンの完全子会社となり、「SAISONのローン百選」という名称の[[消費者金融]]業が主である。
 +
; [[セゾン情報システムズ]]
 +
: 情報システム業。現在も西友、クレディセゾンが一部出資。
 +
; [[セゾン生命保険]]・[[セゾン自動車火災保険]]
 +
: [[損害保険]]・[[生命保険]]業(旧・オールステート自動車・火災保険/西武オールステート生命)。米国[[オールステート]]([[2000年]]日本撤退)との[[合弁会社]]で[[1997年]]にセゾングループの傘下となる。[[2002年]]にセゾン生命は[[AIGエジソン生命保険|GEエジソン生命]](現・[[ジブラルタ生命保険]])に吸収合併され、セゾン自動車火災保険は同年[[損害保険ジャパン]]と業務・資本提携を行い子会社となる。現在も保険募集業で[[クレディセゾン]]などと提携関係が続く。
 +
; [[セゾン証券]]
 +
: [[1994年]]にクレディセゾン傘下の丸一証券と新西洋証券が合併して誕生。[[2001年]]に[[マネックス証券]]に吸収合併される。
 +
; 東京シティファイナンス
 +
: 西友子会社の[[ノンバンク]]。個人向けには[[消費者金融]]業([[サラ金カード]])と「SEIYUキャッシュポイント」という貸金業者のカードのみ利用可能な[[現金自動預け払い機|キャッシュディスペンサー]]を設置していた。バブル期にリゾート開発など事業者向けの[[不動産抵当融資]]を積極的に行った結果、1兆円前後の[[不良債権]]が発生。1999年に経営が行き詰まり2000億円の債権放棄を第一勧銀へ要請するも、負債総額が西友の重荷となり経営不振へ陥る元凶となった。2000年代に[[ローンスター]]グループに買収され、[[東京スター銀行]]の子会社となる。
 +
; [[SSコミュニケーションズ]]
 +
: [[角川グループ]]に譲渡され[[角川・エス・エス・コミュニケーションズ]]へと社名変更した後、2011年1月に[[角川マーケティング]]に吸収合併され消滅。セゾングループと[[タイム (雑誌)|タイム]]の合弁会社であり、「西武タイム社」として創業した。タイムの西友への株式譲渡以後は、西友傘下の出版社だった。「[[レタスクラブ]]」「[[マネープラス]]」などを発行。また「[[チケットセゾン]]」の事業も同社にて実施。チケットセゾンの実質的な後身である[[エンタテインメントプラス]]に[[角川グループホールディングス]]が5%出資していたのはこの関係である。
 +
; [[コンチェルト (企業)|コンチェルト]]
 +
: 西武百貨店旅行事業部ほかセゾン系レジャー部門が母体。現在は[[パチンコ]]店「コンサートホール」を展開。クレディセゾン系。セゾン系テナントビル「ザ・プライム」にも入居。
 +
; [[PTS (旅行会社)|パシフィックツアーシステムズ]]
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: グループ内に散らばる旅行代理店を集約。上記ヴィーヴルから一部分離、さらに西友旅行事業部、太平洋観光が統合。[[ジェイティービー|JTB]]傘下。[[丸井|マルイ]]旅行センターを吸収。現在は、持株会社となっており、分社化した[[PTSトラベルナビ]]が事業を行っている。
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: 旧・朝日ヘリコプター。かつて池袋西武屋上は世界最大の[[ヘリポート]]だったことも。西武所沢工場に整備所をもった。現在は[[:Category:トヨタグループ|トヨタグループ]]。
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: 戦後創業されたレジャー会社。90年代にセゾン系の傘下に入る。のちセゾンから独立。セゾングループの中で[[セゾンファンデックス]]が株主。現在は個人株主が主を占める。
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: 東京・[[銀座]]の「銀座セゾン劇場」運営会社。西友子会社で[[1999年]]に閉館・会社を清算したが、翌2000年に当時セゾングループだった[[東京テアトル]]が事業継承し「ル テアトル銀座」として再出発した。[[2007年]]に「[[ル テアトル銀座 by PARCO]]」として[[パルコ]]に運営移管。
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: [[1987年]]開業。[[東京テアトル]](株)が事業継承。
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: [[堤清二]]が私財で設立。自身が好んだ[[演劇]]を中心に支援活動。清二が死去するまで理事長を務めた。セゾングループ各社が支援。
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: 旧朝日化学肥料が旧日本ニッケル(解散)の鉄鋼部門を吸収合併してできた[[西武化学工業]]が前身(当時、[[西武鉄道]]グループの一員だった)。
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: その後セゾングループから離れるなどして、現在は[[阪和興業]]や[[三井物産]]等の商社各社、アサガミ、[[日本マタイ]]等の資本参加を受けて再生、[[ジャスダック|JASDAQ]]に株式上場を果たす。
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; [[朝日食品工業]]
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: 上記会社と同じく旧西武化学工業が前身。後に農芸・鉄鋼の両部門を朝日工業として企業分割、現社名へ改称。その後、長らくセゾングループの一員となっていたが、[[2004年]]に[[第一経営グループ]]に収まった。しかし第一経営グループが[[2009年]]に破綻したため、現在は独立し前述[[ファミリーマート]]主導により再建中。主な取引先は同社のほか[[シェルガーデン]]がある。
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; [[アゴーラ・ホスピタリティー・グループ]](旧:東海観光)
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: ([[東京証券取引所]]コード'''9704''')
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: さくら観光が前身で、その後[[三井物産]]の資本参加や[[東京証券取引所|東証]]への株式上場、及び元子会社(旧東海観光事業)の吸収合併を経て現在の東海観光へ社名変更なる。その後、同社の経営権を掌握していた三井物産が同社グループ内のレジャー事業の見直し等から、当時の西武セゾングループ(後のセゾングループ)各社への株式譲渡をもって同グループの傘下に入る。
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: 平成初期のバブル崩壊後に経営難に陥りセゾングループが資本撤退すると、[[1997年|97年]]に新たなパートナーとして[[香港]]における不動産・レジャーの大手「ファー・イースト・コンソーシアム・インターナショナル」(FECI)のグループ企業を親会社に迎え入れ、不動産事業へ進出。
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: しかし、2年経過しても経営状態があまり良くならなかったためFECIグループが保有する同社株式を市場へ大量売却、同グループから事実上の資本独立を余儀なくされる。
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: 以後、子会社を通じ国内にある多くの賃貸不動産を取得するなどして自力での経営再建。2012年5月1日、商号を東海観光株式会社から株式会社[[アゴーラ・ホスピタリティー・グループ]]へ変更した。
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※以下の内容は検証可能性を満たない状態が何年も続いているためコメントアウト。以下の内容を客観的に分析・例示した出典を出せないのであれば、除去するものとし、コメントアウトを外さないで下さい。もし身勝手な行動を行った場合は保護依頼します。※
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経営者自らが明確なビジョンを持って全面的に文化事業に取り組んだ、大企業としてはおそらく唯一の企業グループであり、[[企業メセナ]]の先駆けだった。一方で、[[ポストモダニズム]]が自然消滅していったように、時代の流行に踊らされていた面も否めず、その評価には賛否両論がある。堤清二は自覚的だったが「文化戦略」は、結局のところ広告の仕掛けに過ぎなかったという見方もある。しかし、資本主義とは広告と切り離しては、存立し得ず、また時代(=消費者、マスメディア)が求めていたことでもある。今から見れば、時代とセゾンが表裏一体で生み出した文化・社会現象だったといえよう。広告戦略についていえば、同時代で引き合いに出されるのが[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の娯楽路線(楽しくなければテレビじゃない)で、いずれも「[[1980年|80年]]代的空虚さ」と検証されることがある。しかし、セゾンが日本流通史に残した足跡は大きいと見るのが一般的である。
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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* [[サンシャイン60]] - グループ会社の多くがここに本社を構えていた。
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* [[西武鉄道グループ]]
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* [[セゾングループの映画事業]]
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* [[セブン&アイ・ホールディングス]]
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* [[堤清二]]
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== 外部リンク ==
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* [http://www.sogo-seibu.co.jp/ そごう・西武]
 +
* [http://www.web-isp.co.jp/ ISP・池袋ショッピングパーク/池袋東口公共地下駐車場]
 +
* [http://www.parco-space.co.jp/ パルコスペースシステムズ]
 +
* [http://www.web-across.com/ WEBアクロス](80年代よりストリート視点の消費動向観測)
 +
* [http://www.waveweb.co.jp/ ウェィヴ]
 +
* [http://www.fundex.co.jp/ セゾンファンデックス]
 +
* [http://www.ins-saison.co.jp/ セゾン自動車火災保険]
 +
* [http://home.saison.co.jp/ セゾン情報システムズ]
 +
* [http://eee.eplus.co.jp/ イープラス (株式会社エンタテインメントプラス)]倒産しろ
 +
* [http://www.autopia-seiyo.co.jp/ オートピア西洋]
 +
* [http://www.theatres.co.jp/letheatre/ ル テアトル銀座]
 +
* [http://www.saison.or.jp/ 財団法人セゾン文化財団]
 +
* [http://www.smma.or.jp/ 財団法人セゾン現代美術館]
 +
* [http://www.a-q-f.com/ 永久不滅.com](クレディセゾンが運営するポイントサイト)
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{{デフォルトソート:せそん}}
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[[Category:日本の企業グループ|解せそん]]
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[[Category:セゾングループ|*]]
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[[Category:西武鉄道グループの歴史|*]]
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[[Category:ポストモダニズム]]

2017年1月28日 (土) 18:43時点における最新版

セゾングループ英称: Saison Group)は、かつて存在した、西武百貨店を中核とする流通系最大の旧企業グループである。グループ名の「セゾン」とはフランス語で「季節」を意味する。

概要[編集]

堤康次郎が創業した、現在の西武鉄道が中心の「西武企業グループ」を母体とし、康次郎の死後、流通部門を継いだ次男清二西武流通グループとして自立。のち西武セゾングループと改称、多角化はさらに進み「西武」を外してセゾングループと名乗ることで独立色を鮮明にした[1]

1980年代までの急激な拡大成長の一方、1990年代初頭には平成不況を受け早くもリストラに着手したことで、加盟社数は非常に流動的だが、最盛期の時点で12基幹グループ・約100社を数えた。

歴史順に、西武百貨店西友朝日工業西武化学工業)・西洋環境開発(西武都市開発)の4基幹グループを母体とし、「生活総合産業」宣言によりクレディセゾン(西武クレジット)・西洋フードシステムズ(レストラン西武・吉野家D&Cダンキンドーナツ等)・朝日航洋セゾン生命保険(西武オールステート生命保険)を新たな基幹企業に選定。

さらにバブル景気を迎えインターコンチネンタルホテル大沢商会、ようやく利益貢献に回ったパルコ、コンビニ時代を反映するファミリーマートが加えられ12グループ体制。

1990年に西武ピサウェイヴ、リボーンスポーツシステムズ、西武百貨店文化レジャー事業部の3社1事業部が合併して誕生したピサを加えて最盛期13グループ体制とすることもある。

これらに収まらない個別事業はセゾンコーポレーションが管轄した。

歴史[編集]

鉄道との分裂[編集]

一代で西武の礎を築いた堤康次郎1964年に急死。跡を継いだ堤義明は、不遇を受けた異母兄清二に、西武の本業ではない流通部門を渡した。

偉大な父なき後は「兄弟会」を設置し秩序の維持に努めたが、父の七回忌の場で義明との「相互不干渉」の確約を交わし、西武二分裂が確定的となったことで1971年、「西武流通グループ」を旗揚げした。ただし、清二は1980年代まで西武鉄道の役員に名を連ね、西武鉄道沿線の西友店舗の一部が西武鉄道からの賃貸であり、西武百貨店が後に義明がオーナーとなったプロ野球西武ライオンズのユニフォームスポンサーとなり、ライオンズの優勝セールをセゾングループ各店で行うなど、協力すべき点では協力するという関係だった。

なお、優勝セールは2004年までは旧セゾングループ由来の西武百貨店、西友、ファミリーマートで優勝セールを行なっていた。西武百貨店のセブン&アイ・ホールディングス傘下入り以降は、西友からイトーヨーカドーに、ファミリーマートからセブンイレブンに権利が移行している。また、そごう・西武傘下のロビンソン百貨店、東京、埼玉、千葉県内のそごうでも行うようになった。

感性の経営[編集]

1969年、撤退した「東京丸物」を継承する形でパルコ第一号店を池袋に開設。パルコに限っては、奔放な性格であるが信頼を置いていた増田通二に任せ、運営には干渉せず自由放任を与えた。

1973年渋谷進出にあたっては、若者文化やアートとの協調を掲げ、従来になかったミックス型フロア構成とバラエティ感覚で挑み大反響を呼ぶ。この渋谷パルコの成功体験で確信を得たうえで、いわゆる「文化戦略」がスタートした。

──百貨店から先端の文化・情報を発信、客はまるでディズニーランドを回遊するように、渋谷に点在するギャラリー劇場を巡って知的好奇心を満たす。快適なアメニティロボットニューメディアがバックアップしつつ、活動主体はあくまで人間本位。優れた文化を生む自由な社風と、互いに束縛を受けない緩やかな企業連鎖。重複事業までも認め、競合することが逆に発展的効果を促す──

こうした数量的ではなく "文学的" 経営ビジョンは「感性の経営」と呼ばれ話題となった。タイミングは絶妙だった。日本の誰もが物質的豊かさを享受し、政治的無関心が出現し始める1970年代。これからの時代は、何か目新しいコンセプト、カルチャーやエンタテインメント性こそが欲望される。

こうして文化全般をポストモダン的に展開するセゾン系独特の手法は、1980年代にパルコ系「アクロス」誌が提唱した新人類の台頭によって支えられ、先鋭的ブランドイメージを築いた。その根底にあったのは堤清二の左翼性、消費を通じた「啓蒙」や「解放」である。

池袋本店は全国のモデル店として、文化を軸に実験的な改装を重ね、また他方では、先行開発した渋谷エリアが若者の街として急浮上し、磐石な二極体制ができあがった。

池袋では最大規模の売上を稼ぎ出しつつ、若者文化の情報発信源と化した渋谷からは、のちに「渋谷系」やストリート系女子高生文化といった数々の社会現象が生まれ、若者消費を牽引した。

しかし、一連の急展開は、名門堤家の信用力をバックにつけた銀行融資に依存したものであり、あくなき投資で見かけ上の規模は膨張を続けるものの、利益率は著しく低いまま借金体質が続いた。

文化戦略[編集]

「文化の西武」を遺憾なく発揮させるには、広告から売り場の末端に至るまで外部に依存しない独自展開が必要だった。

池袋西武にセゾンの文化拠点として「セゾン美術館」(西武美術館、1975年)を併設。単なる集客狙いの催事場の域を超え本格的な展示に挑み、従来扱われなかった現代アートを中心とし独自の路線を走る。

更に池袋店本館には数多くの文化スペースを設け次々に新鮮な企画が打ち出された。一方でパルコ系の文化事業はそれ自体がファッション商品であると位置づける。

現在六本木ヒルズが建つ場所に在った「ウェイヴ」(ディスクポート西武、1973年)は、当時まだ入手困難だった音楽を集め、新たなジャンルを開拓した。

1975年に大型書店の「リブロ」(西武ブックセンター)、アート系書店で美術品も扱う前衛的な形態だった「アール・ヴィヴァン」(ニューアート西武)が発足。「パルコ出版」や「リブロポート」、「トレヴィル」などを通じ、決して販売部数は期待できない本格的な美術書や文芸書を独自に出版。

西友は米タイム社と提携し「西武タイム」(現・角川・エス・エス・コミュニケーションズ)で情報誌を展開。これはのちにチケットセゾンを吸収し紙面と連携。

1979年には、いわばアングラ系小劇場・ミニシアターの先駆け「スタジオ200」、学校外から知識教養の普及を図る「コミュニティカレッジ」、日本初の総合スポーツ店「スポーツ館」を開設。

西友はスーパー業界では劣勢だったため上質な売り場提案による差別化を検討。その一環で開発されたプライベートブランド無印良品1980年)が異例のヒット。また脱チェーンストアとして、「西武」の名を冠し、立地ごとにカスタマイズされた西友独自の百貨店業態を模索(のちのLIVIN)。

テレンス・コンランとの提携による池袋西武「ハビタ館」より家具市場に参入(1982年)。また、「シネセゾン」(映画配給 1984年)などグループ各社による映画事業への進出は、旧態依然としていた映画業界の常識を覆す斬新な取り組みが見られた。

倒産した大沢商会を傘下に収めたことで(1984年)、国内高級ブランドのホールセールをほぼ独占、ファッション総合商社の西武が完成。演劇の場として銀座セゾン劇場1987年)を開設。

いかにもセゾン系なテンプレート:誰2FM放送局「J-WAVE」(1988年)に出資。西武百貨店から生活雑貨スペース「ロフト」が分社独立(1996年)。

西友側では「DAIK(ダイク)」を展開し、モダンリビングトレンドを先取り。西武百貨店は家具専門のハビタ館の後継ともいうべく、北欧インテリア専門店「イルムス」と業務提携し(1998年)、池袋店にイルムス館として日本初導入(1999年)。スカンジナビアモダンの流行に先鞭をつけた。

ホテル業では西武鉄道国土計画グループ(当時)の「プリンスホテル」に、スケールではなく質で対抗し、少数宿泊かつ最高のラグジュアリーを提供する画期的な内容の「ホテル西洋銀座」を開業(1987年)。国際的な高級ホテルチェーン「インターコンチネンタルホテル」を約2,800億円で買収(1988年)し、西友子会社とした。

グループの崩壊[編集]

日本はバブル崩壊から1990年代長期平成不況期に入ると、イメージ戦略は必ずしも消費と結びつかなくなり、百貨店離れ・スーパー離れを引き起こした。高級消費財や娯楽への消費は抑制され、脱・流通業として手がけられた不動産・ファイナンスは多額の負債を抱えた。また、イトマン事件を巡り、西武百貨店関西が絵画取引を巡り許永中など闇社会と関わっていたことが報道されるなど企業イメージを失墜させる事件も発生した。

カリスマ的な西武の堤家の存在を暗黙の信用担保とした体質、堤清二のワンマン体制、地方の不採算な店舗など、華やかなブランドイメージの影で覆い隠されてきた問題は、一気に明るみに出た。堤清二が代表から失脚(1991年)して、西武百貨店に復帰した和田繁明は、店員の顧客への対応の悪さなどを、「西武百貨店白書」で赤裸々に記述した。後に和田は、そごうグループの再建にも当たった[2]

こうして本業が揺らぐ中、不動産開発の西洋環境開発(西武百貨店傘下)とノンバンクの東京シティファイナンス(西友傘下)はともに多額の負債を抱え、1990年代後半のセゾンはリストラを断行した。当初はそれぞれ親会社の西武百貨店・西友でリストラ・資産売却を実施。西友はファミリーマート良品計画など上場子会社とインターコンチネンタルホテルグループの持株を手放した。しかし、第一勧銀を筆頭とした取引銀行団の意向は強く、それでも残った負債のためにクレディセゾン等他のセゾングループ企業や堤清二個人からも支援を要求したため、各所で資産売却を決行し、最後の懸案だった西洋環境開発の清算をもって2001年には「セゾングループ」が事実上、解散した。

その後[編集]

セゾン系各社はグループの解散により資本的根拠は薄くなったものの、協力関係は一部に残っている。西武百貨店を傘下に置くミレニアムリテイリング(現:そごう・西武)は、西武鉄道との再合流を目指すも、セブン&アイ・ホールディングスと電撃的に経営統合。2006年9月にクレディセゾン西武ホールディングスと「SEIBU プリンスカード」の発行を開始。2011年にはクレディセゾン単体で扱っていたそごう・西武の提携クレジットカードを7&iとクレディセゾンの合弁会社セブンCSカードサービスへ会社分割の方法で事業譲渡した。

旧セゾングループ企業一覧[編集]

中核5社[編集]

西武百貨店
百貨店業。そごうとともにミレニアムリテイリングの傘下になり、ミレニアムリテイリングもさらに2006年6月1日付でセブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となり、ミレニアムはセブン&アイの中間持株会社(百貨店事業持株会社)となった。その後事業会社2社と合併し現在はそごう・西武となっている。
なお、ファミリーマート吉野家ディーアンドシーイルムス株などを取得しグループ入りさせた伊藤忠商事西武百貨店は、1999年に事業協力で業務提携しているが、ミレニアム発足後はその関係の分野は限られている。
西友
小売業(旧・西武ストアー→西友ストアー)。スーパーマーケット「西友」・「LIVIN」などを運営。2000年に住友商事が大株主となり、その後2001年から米国ウォルマートと業務・資本提携。その後段階的にウォルマートが株式を取得して2005年末に連結子会社となった。2006年上場廃止
クレディセゾン
クレジットカード業(旧・緑屋)。現在もそごう・西武(旧・西武百貨店)が一部出資。2004年みずほフィナンシャルグループおよび同社傘下のユーシーカードと全面的な事業統合を発表。
西洋フード・コンパスグループ
コントラクトフードサービス飲食店事業・食品加工・流通など。レストラン西武→西洋フードシステムズを経て現在に至る。
1970年ダンキンドーナツを展開。後に、同じセゾングループのディー・アンド・シー(後に吉野家と合併して吉野家ディー・アンド・シー)が店舗展開した。
のちに英国コンパス・グループの傘下入り。なお、ダンキンドーナツは日本から撤退し、吉野家ディー・アンド・シーは伊藤忠商事傘下である。
西洋環境開発
不動産業 - 住宅・商業施設・リゾート開発業。
セゾングループの中核企業だったが経営破綻し2001年特別清算。セゾングループ解体の直接的な引き金となった。「生活総合産業」を掲げ、それまでの流通グループの域から脱するという特別な使命があったが、セゾンを解体に導いた。

運営業態[編集]

「西武」店→LIVIN
西友が西武百貨店のブランド力を利用し、同百貨店の名称・意匠を借り、独自に百貨店業態として追求したもの。主に「○○西武」を名乗っていた(錦糸町西武など)。紙袋・包装紙・制服も西武百貨店と同一のものを使用していた。
しかし、90年代にグループの解体と西武百貨店と区別がし難く顧客からの苦情が相次いだため、名称も1998年から2000年にかけて、新生活百貨店「LIVIN」へ名称を改称した。
現在は、各種セールや取り扱う商品類も、西友店舗と特に区別は無くなっている。
イルムス
北欧インテリア雑貨家具専門館。デンマークの「ロイヤルスカンジナビア」社と資本・業務提携(1998年)。同社の展開する北欧インテリア店「イルムス」を池袋店に「イルムス館」として日本初導入(1999年)。2001年にイルムスジャパン設立。2003年5月には伊藤忠商事資本参加西武百貨店から株式の85%取得。今でも多くは、ミレニアム系の西武百貨店やそごうに出店している。
ハウディ西武
西武百貨店の高質食品スーパー。現在の西友長野石堂店など、西友が運営していたことがあった。
ダンキンドーナツ
西洋フードシステムズ吉野家ディー・アンド・シー傘下で店舗展開した。1998年に業績不振で日本から撤退。
リボン館
コナミスポーツ&ライフへ譲渡された。
渋谷PAO
小田急カリヨン館に影響されて西武渋谷に建設した「母と子供の百貨店」。現在は閉店しタワーレコードになっている。

グループ会社[編集]

良品計画
1989年西友から独立した。全国に「無印良品」を展開。ファミリーマートと株式の持ち合いをしていたが、1998年に伊藤忠グループがファミリーマート株を取得したため、殆どの株式を手放す。しかし、2006年3月に株式の持ち合いを発表し、再度関係を強化した。旧セゾングループの中では、ファミリーマートクレディセゾンが主要株主。
ロフト
西武百貨店の雑貨スペース「Loft」が株式会社化し分社独立。現在、セブン&アイホールディングス傘下のそごう・西武傘下。東急ハンズと並び有名な雑貨店である。
パルコ
ディベロッパー業。全国に商業テナントビル「PARCO」を展開。また、パルコ劇場CLUB QUATTROStudio PARCO渋谷スペイン坂スタジオTOKYO FM)など文化事業も幅広く手掛けた。 ダイハツ工業とも提携し、1988年にミラに特別仕様車で発売され、その後、1995年にはオプティ、2001年にはムーヴ、YRVにパルコ仕様グレードが設定された。
しかし、2002年にはセゾングループの経営再建とムーヴのフルモデルチェンジに伴い提携解消。現在、Jフロントリテイリングが約1/3保有の筆頭株主。旧セゾングループではクレディセゾンが大株主。丸井と並びファッションビルの一角を担う。
ファミリーマート
西友子会社としてコンビニエンスストアを展開。1998年伊藤忠商事グループが株式取得。2006年3月に良品計画との株式持ち合いを発表した。
リブロ
西武ブックセンターとして池袋西武に誕生、主にセゾン系テナントとして拡大した書店チェーン。アバンギャルドコンテンポラリーアート、最新の洋書などを扱う流行の感度の鋭さから、青山ブックセンターと並び称される存在だった。現在、日本出版販売の傘下。
WAVE
音楽・映像ソフト販売(WAVE)。タワーレコード傘下を経て、家電販売店ノジマが子会社化。2011年に自己破産。
J-WAVE
西武百貨店や西友などが出資してできた東京で民間としては2局目のFMラジオ局。当時としては珍しい音楽中心のラジオ局。J-POPなる言葉は、J-WAVEが起源。セゾンはまた、TOKYO FMと共同で渋谷にスタジオもつくった。セゾンとは別だが西武鉄道グループなどが出資したFMラジオ局NACK5(共に開局は1988年)もある。現在、旧セゾングループではクレディセゾンがJ-WAVEの主要株主。
ザ・ガーデン自由が丘
自由が丘シェルガーデンが同名で創業した高質食品スーパー。西友による出資を経て西武百貨店傘下の企業となり現在の店名になる。現在は7&i傘下であるそごう・西武の100%子会社。関東地方を中心に西武百貨店とそごうのほか、近年は小型店をイトーヨーカドーエミオに展開している。
吉野家ディー・アンド・シー
ファーストフード業。牛丼チェーン「吉野家」などを運営。西洋フードシステムズ子会社。西洋フードシステムズから譲り受け、ダンキンドーナツも展開している。伊藤忠グループが株式取得。
西武自動車販売
フランスシトロエンプジョースウェーデンサーブなどの輸入販売元。1960年代前半からシボレーなど大型米国車の輸入販売会社として存在していたが、1970年前後に取り扱い車種をマニア向け欧州車に変更。1995年クライスラー日本法人へ売却される。
ジャガージャパン
1986年英国の高級車ジャガーと西武百貨店との共同出資で日本法人「ジャガージャパン株式会社」を設立。1999年、西武百貨店が資本を撤退し、ジャガー・カーズ当時は単独で展開した。
新西武自動車販売
フランスの自動車シトロエンの輸入元。西武自動車販売のクライスラー日本法人への売却後、シトロエンの輸入販売を継続するため設立。シトロエンが「シトロエン・ジャポン」を設立して直接販売に乗り出したことにより2002年に清算。
西武日産販売(日産自動車系ディーラー・ブルーステージ
東京日産モーターと共に、東京地区でセドリックなどの高級車をメインに販売していたが、2001年7月1日、東京日産モーターに吸収合併された。後に東京日産モーターも日産プリンス東京販売に吸収合併された。
オートピア西洋
スズキのカーディーラー。グループ内需要を請け負う。
セゾンファンデックス
抵当証券業・消費者金融業(旧・西武抵当証券)。ほかに旧セゾングループ数社に出資するなど投資会社の一面もある。住宅金融専門会社(住専)問題で損失を被った後、クレディセゾンの完全子会社となり、「SAISONのローン百選」という名称の消費者金融業が主である。
セゾン情報システムズ
情報システム業。現在も西友、クレディセゾンが一部出資。
セゾン生命保険セゾン自動車火災保険
損害保険生命保険業(旧・オールステート自動車・火災保険/西武オールステート生命)。米国オールステート2000年日本撤退)との合弁会社1997年にセゾングループの傘下となる。2002年にセゾン生命はGEエジソン生命(現・ジブラルタ生命保険)に吸収合併され、セゾン自動車火災保険は同年損害保険ジャパンと業務・資本提携を行い子会社となる。現在も保険募集業でクレディセゾンなどと提携関係が続く。
セゾン証券
1994年にクレディセゾン傘下の丸一証券と新西洋証券が合併して誕生。2001年マネックス証券に吸収合併される。
東京シティファイナンス
西友子会社のノンバンク。個人向けには消費者金融業(サラ金カード)と「SEIYUキャッシュポイント」という貸金業者のカードのみ利用可能なキャッシュディスペンサーを設置していた。バブル期にリゾート開発など事業者向けの不動産抵当融資を積極的に行った結果、1兆円前後の不良債権が発生。1999年に経営が行き詰まり2000億円の債権放棄を第一勧銀へ要請するも、負債総額が西友の重荷となり経営不振へ陥る元凶となった。2000年代にローンスターグループに買収され、東京スター銀行の子会社となる。
SSコミュニケーションズ
角川グループに譲渡され角川・エス・エス・コミュニケーションズへと社名変更した後、2011年1月に角川マーケティングに吸収合併され消滅。セゾングループとタイムの合弁会社であり、「西武タイム社」として創業した。タイムの西友への株式譲渡以後は、西友傘下の出版社だった。「レタスクラブ」「マネープラス」などを発行。また「チケットセゾン」の事業も同社にて実施。チケットセゾンの実質的な後身であるエンタテインメントプラス角川グループホールディングスが5%出資していたのはこの関係である。
コンチェルト
西武百貨店旅行事業部ほかセゾン系レジャー部門が母体。現在はパチンコ店「コンサートホール」を展開。クレディセゾン系。セゾン系テナントビル「ザ・プライム」にも入居。
パシフィックツアーシステムズ
グループ内に散らばる旅行代理店を集約。上記ヴィーヴルから一部分離、さらに西友旅行事業部、太平洋観光が統合。JTB傘下。マルイ旅行センターを吸収。現在は、持株会社となっており、分社化したPTSトラベルナビが事業を行っている。
朝日航洋
旧・朝日ヘリコプター。かつて池袋西武屋上は世界最大のヘリポートだったことも。西武所沢工場に整備所をもった。現在はトヨタグループ
東京テアトル
戦後創業されたレジャー会社。90年代にセゾン系の傘下に入る。のちセゾンから独立。セゾングループの中でセゾンファンデックスが株主。現在は個人株主が主を占める。
セゾン劇場
東京・銀座の「銀座セゾン劇場」運営会社。西友子会社で1999年に閉館・会社を清算したが、翌2000年に当時セゾングループだった東京テアトルが事業継承し「ル テアトル銀座」として再出発した。2007年に「ル テアトル銀座 by PARCO」としてパルコに運営移管。
ホテル西洋銀座
1987年開業。東京テアトル(株)が事業継承。
公益財団法人セゾン文化財団
堤清二が私財で設立。自身が好んだ演劇を中心に支援活動。清二が死去するまで理事長を務めた。セゾングループ各社が支援。
朝日工業
旧朝日化学肥料が旧日本ニッケル(解散)の鉄鋼部門を吸収合併してできた西武化学工業が前身(当時、西武鉄道グループの一員だった)。
その後セゾングループから離れるなどして、現在は阪和興業三井物産等の商社各社、アサガミ、日本マタイ等の資本参加を受けて再生、JASDAQに株式上場を果たす。
朝日食品工業
上記会社と同じく旧西武化学工業が前身。後に農芸・鉄鋼の両部門を朝日工業として企業分割、現社名へ改称。その後、長らくセゾングループの一員となっていたが、2004年第一経営グループに収まった。しかし第一経営グループが2009年に破綻したため、現在は独立し前述ファミリーマート主導により再建中。主な取引先は同社のほかシェルガーデンがある。
アゴーラ・ホスピタリティー・グループ(旧:東海観光)
東京証券取引所コード9704
さくら観光が前身で、その後三井物産の資本参加や東証への株式上場、及び元子会社(旧東海観光事業)の吸収合併を経て現在の東海観光へ社名変更なる。その後、同社の経営権を掌握していた三井物産が同社グループ内のレジャー事業の見直し等から、当時の西武セゾングループ(後のセゾングループ)各社への株式譲渡をもって同グループの傘下に入る。
平成初期のバブル崩壊後に経営難に陥りセゾングループが資本撤退すると、97年に新たなパートナーとして香港における不動産・レジャーの大手「ファー・イースト・コンソーシアム・インターナショナル」(FECI)のグループ企業を親会社に迎え入れ、不動産事業へ進出。
しかし、2年経過しても経営状態があまり良くならなかったためFECIグループが保有する同社株式を市場へ大量売却、同グループから事実上の資本独立を余儀なくされる。
以後、子会社を通じ国内にある多くの賃貸不動産を取得するなどして自力での経営再建。2012年5月1日、商号を東海観光株式会社から株式会社アゴーラ・ホスピタリティー・グループへ変更した。

脚注[編集]

  1. いまひとつの理由として、緑屋を傘下に納めて金融業に進出するにあたり、クレジットカードに西武の名があると系列外での使用に制約がかかるという事情もあった
  2. 『セゾンからそごうへ 和田繁明の闘い』(佐藤敬、東洋経済新報社、2001年)参照

関連項目[編集]

外部リンク[編集]