「身延線 (アンサイクロペディア)」の版間の差分
細 (揖保川の水兵さん がページ「身延線(アンサイクロペディア)」を「身延線 (アンサイクロペディア)」に、リダイレクトを残さずに移動しました: 命名規則につき) |
|||
(他の1人の利用者による、間の3版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
+ | {{Ugly|[[利用者:ぽんこつやろー|ぽんこつやろー]] 2014年4月29日 (火) 01:10 (JST)|fix=雑多な箇条書きなどで非常に読みづらい}} | ||
+ | |||
'''身延線'''(みのぶせん)とは、[[JR東海]]に所属していると思われる路線。[[甲府駅]]が起点なのは確かだが、起点も終点もどうやら新幹線やリニアが止まらないらしく、それゆえに公開されていないため謎が根強く多く残る路線。 | '''身延線'''(みのぶせん)とは、[[JR東海]]に所属していると思われる路線。[[甲府駅]]が起点なのは確かだが、起点も終点もどうやら新幹線やリニアが止まらないらしく、それゆえに公開されていないため謎が根強く多く残る路線。 | ||
− | {{ニコニコ大百科}} | + | {{ニコニコ大百科|身延線}} |
[[Image:JRTOKAI 373 FUJIKAWA.jpg|thumb|主力車両373系]] | [[Image:JRTOKAI 373 FUJIKAWA.jpg|thumb|主力車両373系]] | ||
==概要== | ==概要== | ||
128行目: | 130行目: | ||
==関連項目== | ==関連項目== | ||
+ | {{アンサイクロペディア削除|身延線}} | ||
*[[JR東海]] | *[[JR東海]] | ||
*[[東海道本線]] | *[[東海道本線]] |
2017年10月2日 (月) 19:58時点における最新版
ぬああああ! この記事は見るだけで本当に本当に 頭に来んだよぉ!! このテンプレートほど酷くはありませんが、まだこの記事は書式や体裁において改善の余地があります。 Wikiの書式とWiki文法を復習し、記事として整った形に修正してください。 これとかこれとかこれとかこれを読んだり、ここにある記事を参考にしたりしてみるといい感じですよ。 このテンプレートが貼られてから30日間修正されない場合、この記事は削除の候補となります。 このテンプレートは ぽんこつやろー 2014年4月29日 (火) 01:10 (JST) によって貼り付けられました。 | |
雑多な箇条書きなどで非常に読みづらい |
身延線(みのぶせん)とは、JR東海に所属していると思われる路線。甲府駅が起点なのは確かだが、起点も終点もどうやら新幹線やリニアが止まらないらしく、それゆえに公開されていないため謎が根強く多く残る路線。
目次
概要[編集]
日本三大急流として有名な富士川沿いを甲府駅から南下し、奥地に下る。多くの普通電車は起点を出てもすぐに疲れてしまい、北は鰍沢口駅、南は西富士宮駅で多くの車両が力尽き、休んだ後、引き返すところを見ることができる。今でこそJR倒壊の所属であるが、元はふじみ野部鉄道という埼玉県みたいな名前の鉄道会社に所属しており、1941年にいやいや国鉄に身売りされたという悲しい過去を持つ。
歴史[編集]
ふじみ野部鉄道時代[編集]
きっかけ[編集]
明治時代中期、富士川を利用した甲府方面からの輸送が絶大な人気を誇っており、テレビでは毎日のように特集が組まれるなどの騒ぎだった。しかし鉄道が通っていなかったこの地域は、東京、中京どちらの方面からも不便であり、いつしか鉄道建設案が持ち上がった。当時の架空鉄道厨たちにとってはこの区間を考えるのがいわば登竜門であり、様々な人々によって何度も試験案が提出されたがどれもこれも中途半端で採用されず、1911年に初代根津嘉一郎(あの有名な根津ジョンイルの父親。根津イルソンとも言う。以下原則イルソンとする。)が考えたふじみ野部鉄道案が採用されることが決定した。彼は東武鉄道の元CEOとして知られており、自社のふじみ野駅宣伝を兼ねて社名をふじみ野部鉄道にしたといわれている。なお、なぜ"部"を入れたのかは不明。
建設への道[編集]
1913年,まず手始めにイルソンは吉原駅から富士宮駅を所有していた富士鉄道を乗っ取り、そこからはちょくちょくと線路を引いて行き、1920年には山梨県の南の方まで線路を伸ばすことに成功した。山梨県生まれのイルソンが故郷に近い方から路線を通すことはなかった。
この時、駅名の命名に相当困ったらしく、その場所から富士山が見えなかったことから"ふじみ野部"から"ふじ"を引いて残った"み野部"を使って"み野部駅"にしようとしたが、今できたとしても相当なDQNネームであるような"み野部駅"が大正時代に到底認められるわけでもなく、仕方なく"身延"という字を当てはめたという話は有名である。しかもその頃にはふじみ野部鉄道は経営が苦しく、今でいうここのような日本一のぼったくり鉄道として名を馳せるに至った。なんせ、この当時種別は普通、区間準急、準急、通勤準急、深夜準急、ふじみ野準急、区間急行、急行、深夜急行、FMライナー、区間快速、快速、通勤快速、快速急行、通勤特急、区間特急、準特急、特急の18種類、線路も種別それぞれ複々々々々々々々々線であり、富士川の上を線路が走るなどといった有様であった。中でも準急と区間急行、快速急行と区間特急などは停車駅が同じであり、利用者からは一度整理を求める声が上がり、過激派からは国営化までも求める声も上がる事態となった。
ふじみ野部鉄道はこの事態を重く受け止めたが、断固としても国鉄への身売りは嫌だったらしい。その意志は変な方向に傾き、何を思ったか種別18種類のうち17種類を、線路も同じく17本を粛清した。この行為が根津嘉一郎(初代)がイルソンと呼ばれる原因になったかどうかはわからない。そして、ふじみ野部鉄道にはもう身延から先の甲府方面に線路を伸ばす余力もなく、このまま短い路線のままぼったくりを続けるかに思われたが、過激派の声を聴いた政府が身延以北の建設を請け負うことで合意した。(政府はこの時点からふじみ野部鉄道の買収を考え、国鉄規格での線路敷設をもくろんでいたと考えられる。)
こんな様子で、なんの問題もなくそこそこ順調だったふじみ野部鉄道だが、関東大震災で政府が身延から先の建設をしたくなくなってしまう。それでも買収のもくろみは持っていたので、国鉄対応規格での建設を命じ建設自体は書面上ふじみ野部鉄道が担当することになり、1928年にようやく甲府まで線路を伸ばすことができた。
末期[編集]
全線開通してからは比較的安定していたふじみ野部鉄道だったのだが、1930年代後半から国鉄では地方の私鉄を買収するのがいわばマイブームのようなものになっており、ふじみ野部鉄道は1938年に国鉄に貸し出され(事実上の買収)、1941年に買収される形となった。あんなに身売りを嫌っていたふじみ野部鉄道なのだが、やはり"お国のため"だったようだ。なお、この時に身延線という名称がつけられた。
国鉄・JR時代[編集]
太平洋戦争が終結し、比較的落ち着き始めると、国鉄は東海地区から甲府方面への渡航者が若干数存在することに着目し始める。そして、ようやく廃止17種別の中から準急を取り出し"準急☆富士川"が誕生。今の"ふじかわ"のもとになる。
1960年代ごろから某学会との結びつきの関係で富士駅~富士宮駅間の電車が混雑するようになり、1969年より同区間の複線化がおこなわれた。このように、結構国鉄からは優遇されているんじゃね?と思われがちな身延線だが、普通電車においては戦前設計の旧型電車(しかもおさがり)が大活躍していた時代であり、しまいには62系なるお化け電車(後述)も走り出す状況であった。(この状況は1981年に115系の導入によって解消)
1980年ごろになると、西富士宮駅~富士駅間では輸送量が増えいつしかエクストリームスポーツが"富士宮身延線杯"として連日開催される事態も発生した。そもそもエクストリームスポーツが大っ嫌いだった国鉄はどうにかしてでもやめさせたかったらしく、1987年、最後の最後の最後の最後の国鉄ダイヤ改正で同区間の増発を行い、エクストリームスポーツを強制終了させてから炎上・爆発する形となった。
その後、「最高ですか~」な宗教が散華して、再び経営が悪くなってきた身延線に対して、JR倒壊はワンワン化などのコスト削減を行い、現在313系によるクロスシートやロングシートの普通電車と、ぼったくり特急車による特急ふじかわの運転を行うだけのシンプルなスタイルに落ち着いている。東武50000系を見ても、奪い返されるのではないかと心配しなかったようだ。
特徴[編集]
- 全線電化されているが、一部区間はふじみ野部鉄道の規格トンネルをそのまま電化したため、JR倒壊の車両は常に身延線の車両限界を気にしながら生活している。
- 西富士宮駅~鰍沢口駅は普通電車の本数が非常に少ないが、これはJR倒壊が客を特急にいざなうための設備であり、ほかの路線でも普通に行われているので何ら問題はない。
- 西富士宮駅~富士駅間は複線化されている。詳しくは上記の歴史を参照。
- 元私鉄なので駅間は短い。そのため、普通で走破しようとすると飽きる。これも、JR倒壊の特急乗車に追い込ませる罠である。
- 辛うじて走っている特急もデッキと客室の境目すらないような急行型車両である。このような車両を導入することで、乗客に"やはり新幹線はよかった、と思わせ乗ってもらおうというJR倒壊の意地汚い魂胆である。
刑罰と身延線[編集]
- 身延線は路線も長いうえ、駅数が多いことが最大の特徴ともいえるが、その特徴を生かして古代から身延線は刑罰として使われることがある。
- 身延線には甲府駅から南下し地の果てまで向かう電車が存在し、その電車に乗ろうものなら飽きても降りられないという精神的ダメージに加え、ロングシート車が来ることもあり肉体的なダメージも十二分に与えられることから死刑や無期懲役の次に重い刑罰とされている。
- 恩赦が出た時のために、JR倒壊は特急を用意している。もう、誰だろうと特急に乗せてお金を取れればJR倒壊は大満足なのである。ちなみに、この刑では恩赦が出ることが非常に多い。
- "残虐な刑罰"は日本国憲法によって禁止されているため、1946年ごろから徐々に行われなくなった。しかし、現在もひそかに刑が執行されているという噂がある。
- 地獄には両手両足を鬼につかまれ引き伸ばされるというタイプの地獄があるが、これはこの世で行われていた身延線の刑を地獄が輸入した際に、漢字だけで身を延ばす刑と勘違いしてしまい生まれたものであるとされている。
主要駅[編集]
- この駅から北はカーブまみれで制限速度はざらに50km/hとかなので、引き返す気持ちもわからなくもない。
- 内船(うつぶな)
- 一発変換ができない駅。
- 駅周辺には目立ったものはないが、特急が止まる。この駅付近は富士川の景色が楽しめる。
- しかし、東側の座席に着いたものにはもれなく樹木観察の任務が与えられる。一種のエクストリームスポーツである。
- 身延
- 身延線の中核とされる駅。
- 普通電車だとたいていこの駅でみんな疲れちゃうので降りる。
- バカ停で30分くらい待たされることがある。
- 下部温泉
- かってに自己紹介をしてくる駅。
- 昔は下部駅だった。
- 鰍沢口
- 市川大門
- 小井川
- リニア線が交差する。しかし、接続駅はできない!だって開業したら身延線捨てる予定だから。
- 国母
- 昔から家では奥さんの方が強いのは一般的であり、特にこの地方にも変わっているところはなかった。
- 中でも国分さんちのお母さんが絶大な権力を誇っており、それは根津イルソンを震撼させるほどだったらしい。
- "国分さんちの母駅"という駅名にしようとしたが、DQNネームだといわれて却下される。
- 南甲府
- 身延線の中では一番立派である。
- 下手したら甲府より立派
- 善光寺
- 善光寺に近い。どんなって粛清されました
- 甲府
使用車両[編集]
身延線には、大昔から新幹線並みの性能を持った車両が導入されることで有名だが、制限速度は普通に50km/hとかがかかるので結局路面電車程度の威力を発揮して死ぬ。
現在活躍している車両[編集]
- 313系
- JR倒壊ならどこ行っても見られる車両。
- 211系
- JR束日本にもいる。一日1本くらい、ちょこっとあいさつ代わりに身延線にやってきて電気を食い荒らす。
- 373系
過去に活躍した車両(一部のみ)[編集]
- 115系(2000番台)
- 62系