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セリカ (Celica) は、トヨタ自動車が生産していたクーペ型スポーツカーである。
特徴[編集]
セリカはトヨタのスポーツクーペである。先進的なデザインを積極的に採用していることはスポーツクーペの主要な特徴の一つである。そのため、比較的デザインがおとなしいといわれるトヨタ車のなかで、セリカはそのどのモデルもデザインが先進的で斬新なものが採用されていた。
歴史[編集]
初代 TA20/RA20系・TA20/RA30系(1970年-1977年)[編集]
フォード・マスタングのヒットに倣って、1970年12月にデビューした。量産車としては日本初のスペシャリティカー(これまでにもスペシャリティカーとして、プリンス・スカイラインスポーツやシルビアが存在したが、大変高価だった)。ヤマハ製の名機2T-G型エンジンを積んだ最上級モデルの1600GTを除いては特定のグレードを持たず、それぞれ3種のエンジン・トランスミッション・ET/LT/STの3種類の外装と、8種の内装をユーザーの好みによって組み合わせる"フルチョイスシステム"の導入が話題を呼んだ(しかし時代を先取りし過ぎたため、このフルチョイスシステムは後述の1972年8月のマイナーチェンジの時点で打ち切られている)。 キャッチコピーは「恋はセリカで」。CMソングは小林亜星の作曲である。2ドアハードトップクーペは「ダルマ・セリカ」の愛称で親しまれた。この初期型はファンの間でテールライトが赤一色であることから「ワンテール」と呼んでおり 中古車でも高価で取引されている。
- 1972年8月のマイナーチェンジではテールライトにアンバーを追加しツーピースタイプに/モータースポーツのベース用として1600GTV(VはVICTORY=勝利)を追加。
- 1973年4月にはテールゲートを備えた3ドアLB(リフトバック)が登場している。(クーペモデルはCピラーに給油口があったがLBの給油口は左右テールランプ間のガーニッシュパネル裏に装備されている。)従来のクーペには2000(18R)搭載車を追加。リフトバックでは1600/1600DOHC/2000/2000DOHCの計4種類が設定された。このセリカリフトバックのテールランプはファンの間では「バナナテール」と呼んでいる。
- 1974年1月クーペのマイナーチェンジでフロントノーズがリフトバックと同じ物に変更/クーペ2000GT追加/1600GTのホイールキャップがなくなった。
- 1975年には1600シリーズを対象とした昭和50年排出ガス規制適合車が追加されたのに伴い、シリーズのマイナーチェンジを実施。この時、ボディサイズの若干の変更が行われている。内訳は全長で25mm、全幅で10mm、ホイールベースが70mm、フロントトレッドが50mmずつ延長された点など。1976年には2000GTおよび2000GTVを対象に昭和51年排出ガス規制に適合したモデルが追加。これと同時にリフトバックには衝撃吸収バンパーが一部のグレードに設定される。モデル末期の1977年には特別仕様車として、「ブラックセリカ」も登場した。なお、最終型の時点で形式がA30系に統一されている。
WRC(Group 2)には最高出力を135psまで上げたTA22型で参戦(1972年-1973年)、RACラリー9位。1976年からはRA20型をベースにした車両(エンジンは独シュニッツァー社が製作、18R-Gを1968ccにボアアップ、最高出力200ps)に変更、1978年まで戦う。
2代目 TA40/RA40系・TA50/RA50系(1977年-1981年)[編集]
1977年8月、2代目にフルモデルチェンジ。先代と同じくカリーナと共通のフロアパンに2ドアクーペ、あるいはリフトバック(LB)と呼ばれる、3ドアボディの組み合わせであるが、先代がいずれもセンターピラーのないハードトップだったのに対し、双方ともピラーを備えていた。
キャッチコピーは「友よ、答えは風の中にあった」。
1978年3月には、リフトバックにサンルーフ付き(日本車初)を加え、翌4月には米国市場における対フェアレディZを主眼にした上級モデルのスープラ/セリカXX(MA40系)が登場する。
1979年、マイナーチェンジ。フロントグリルが変更され、ヘッドライトが角型4灯になる。特にこのモデルは競合車種の日産・スカイラインとの競争が激しかったモデルでもあり、CMでは当時、自動車排出ガス規制の影響でSOHCエンジンを搭載せざるを得なくなったスカイラインが「GT」を名乗っていた事に対しての比較広告として「名ばかりのGT達は、道をあける。」のコピーにてDOHCの優位性をアピールすれば、そのスカイラインも1980年にターボモデルを設定すると、応酬比較広告として「今、スカイラインを追うものは誰か」のコピーにて対抗した事があった。 CMソングはローリング・ストーンズの「サティスファクション」(なお、この曲は後にヴォクシーのCMでも使われ、Sly&Robbie+All starsがカバーしている)。
1980年1月、4ドアセダンのセリカカムリが登場する。こちらはカリーナの姉妹車であった。
モデル末期の1980年8月にはGT系のリアサスペンションがこれまでの4リンクコイルリジッド式から、XX同様、セミトレーリングアーム式に変更されたが、日産車のそれと比較してトラクションの掛かりが悪く、スライド(ドリフト)コントロール性でもリジッドに劣っていたため、評価は芳しくなかった。
WRC(Group 4)には1978年の1000湖ラリーからRA40型(最高出力230ps)が参戦する。1981年にはアイボリーコーストラリーにて最高位の準優勝を飾る。なお、1979年のRACラリーからDOHC4バルブのエンジン使用が許可されたため、ベース車両はRA63型に移行する。
3代目 TA60 / SA60 / RA60系(1981年-1985年)[編集]
1981年7月にモデルチェンジした3代目は、より一層スペシャリティーカーの要素を強めて登場した。キャッチコピーは「世界、新CELICA」。ソアラが誕生したことにより、こちらはXXシリーズ(GA60/MA60系)も含めて、より若い世代へターゲットをシフトしている。直線的なラインで鋭いウェッジシェイプを描く4気筒系ボディ(ショートノーズ)は先代同様にリフトバック(LB)とクーペの2種類。エンジンは1600DOHC(2T-GEU)、1800(1S-Uと3T-EU)、2000DOHC(18R-GEU)の計4種類となる。登場当初は4気筒系ボディ全車に日本車初となるポップアップ式ヘッドランプが採用されていたが1983年のマイナーチェンジでリトラクタブル式ヘッドランプに変更となる。
1982年10月にはWRC・グループBホモロゲーション用のGT-TSが200台販売された。これと同時に2000DOHCに代わって1800ツインカムターボ(3T-GTEU)が追加。
1982年まではRA63型(最高出力240ps)にて参戦していたWRCは、1983年からは日本初のツインカムターボエンジンである3T-GTEUを拡大した4T-GTEUをさらに2090ccまでボアアップし、怒涛の370psを搾り出すTA64型にてWRCに参戦。1984年から1986年まで、モンスターマシンが顔を揃える Group B 時代のサファリラリーで3連覇を飾った。
1983年8月のマイナーチェンジではドアミラーの標準装備。GT系に60扁平タイヤを採用。1600DOHCのエンジンが2T-GEUからハチロクでおなじみの4A-GEUに変更された。 なお、このモデルは2代目セリカXXとほぼ同時期に発売されたため、セリカXXの人気の影に隠れる形となってしまった。そのため、セリカとしてはマイナーなモデルとなっている。
なお、TA61型をベースにしたコンバーチブルが北米市場向けに生産されており、1985年に250台限定で日本でも販売されている。
4代目 ST160/AT160系(1985年-1989年)[編集]
1985年8月、4代目にモデルチェンジし前輪駆動への大変革となった。FFコロナ/カリーナのフロアパンをベースにしているため、型式も「T」となり、セリカにはコロナクーペとカリーナEDという姉妹車も生まれた。スタイリングは、トヨタでは流面形と呼ぶラインを採用し、その後のトヨタ車にも影響を与えた。キャッチコピーは「流面形、発見さる」。CMでは、風紋がくっきり出た砂漠にセリカが置かれ、バックにプッチーニ作曲の「蝶々夫人」のアレンジ版が流れる。
1986年にはトヨタ初のベベルギア式フルタイム4WDである排気量2000ccのGT-FOUR(ST165型)が満を持して登場した。キャッチコピーは「流面形、極まる」。CMはレッドマイカ色のセリカが疾走するサイドボディーが映る内容となっている。
1987年8月のマイナーチェンジでは2000・16バルブ(3S-FE)車が追加。1600DOHC(4A-GE)車は廃止。
1987年10月にはトランクルームを持つ専用ボディーのコンバーチブル(ST162C型)が日本でも正式にラインナップに加わり、3S-FEエンジンを搭載して発売された。コンバーチブルは米国のASC(アメリカン・サンルーフ・コーポレーション=現アメリカン・スペシャリティ・カーズ)によってオープン化改造を行っており、太平洋を往復する生産ラインが後のモデルのコンバーチブルでも継承されることになった。
1988年5月には1800cc車もDOHC化(4S-Fi)されこれでセリカ全車がDOHC化される。
WRCでは、グループBが廃止された後、1987年にトヨタチームヨーロッパ(TTE)はスープラ(前期型・7M-GTEUを搭載し最高出力410ps)にて参戦、しかし成績は芳しくなかった。TTEはグループAで勝つために、5000台の販売規定をクリアした1988年から、ST165型をベースとし、X-TRAC製6速ミッションを搭載したGT-FOURを投入した。そして1990年に、カルロス・サインツの手によって、日本車初のドライバーズタイトルを獲得することとなった。
4A-GE型エンジンを搭載した廉価版も用意されていた。
なお、映画「私をスキーに連れてって」にはスキー場をGT-FOURが走る1シーンがあった。
5代目 ST180系(1989年-1993年)[編集]
1989年9月、フルタイム4WDを擁するセリカは5代目にモデルチェンジ。プラットフォームは先代をベースとしていながら、サスペンションのリファインが行なわれて剛性が上げられている。キャッチコピーは「WANTED New CELICA」と「スゴズバ(スゴくて素晴らしいの略) New CELICA」。CMにはエディ・マーフィーが出演した。
1990年8月には、先代同様に輸出仕様車のみの設定のクーペボディをASCによって改造されたコンバーチブル(ST183C型)を追加した。エンジンを3S-GEにグレードアップしたほか、デュアルモード4WSの標準装備、本革シートの豪華版TYPE-Gを新たに設定。ダークブルーマイカメタリックのボディーに青い幌のLIMITED300も国内300台限定販売された。GT-FOURには前後ブリスタータイプのオーバーフェンダーによりワイドボディ化されたGT-FOUR A(アドバンス)が登場した。
1991年8月には、コンビランプや細部の意匠および、サイド・ドア・ビームなどの安全性や、トランスミッションのシンクロ強化などの変更を含むマイナーチェンジを実施。また、これによりGT-FOURは全車ワイドボディ(3ナンバー・ST185H型)となり、A(アドバンス)はラインナップより消滅した。そして同年9月には、ST18#系の最大のニュースとも言える、WRC用のホモロゲーションモデルであるGT-Four RC が発表された。RCとはラリー・コンペティションの略である。生産台数はグループA規定の5000台で、日本国内にはそのうち1800台が販売された。輸出モデルはカルロス・サインツ・リミテッドエディションと呼ばれる。
空冷インタークーラーとセラミックタービンを搭載したST185型は1989年に登場していたが、WRCへ参戦したのは1992年からである。ベース車両は水冷インタークーラーとメタルタービンを搭載し、ワイドボディ化とブレーキサイズ拡大によりタイヤ選択と制動力を高めたST185H型(GT-Four RC)。1993年には、宿敵ランチア・デルタ・インテグラーレを倒し、トヨタは初めてWRCのメイクスとドライバーズのダブルタイトルを掌中に収めた。
6代目 ST200系(1993年-1999年)[編集]
1993年10月に発表された6代目のセリカは、より一層高められたスポーツ性を特徴とした。全モデル3ナンバーサイズとなったシャシーは新しい設計で剛性が向上。重量は逆に20kg程度軽量化されている。まずはNAモデルが先行発売され、ラインナップはハイメカツインカム3S-FE(140ps)搭載のSS-Iと、スポーティツインカム3S-GE(MT:180ps/AT:170ps)搭載のSS-IIの2グレードが発売された。また、SS-IIにはセリカとしては初採用のスーパーストラットサスペンション装着モデルも用意された。スーパーストラットモデルのMT車にはビスカスLSDが搭載され、オプションでスポーツABSも選択可能とし、更なるスポーツドライビングを実現した。1994年2月には、新しいWRCホモロゲーションモデルのGT-FOUR(ST205型)が登場。WRC仕様車という、国内限定2100台販売の限定車が用意された。このGT-FOURは、TTEのオベ・アンダーソン監督の意見を取り入れて造られていた。
1994年の1000湖ラリーから参戦予定だったST205型だが車両の開発状況が思わしくなく、オーストラリアでのデビューとなる。また、1995年にはターボリストリクターのレギュレーション変更が行われたため大型化したボディをパワーでカバーしていたST205型は苦戦を強いられた。そして最大の災難は、カタルニアでのリストリクター違反発覚である。これが基でWRCへの1年間の出場禁止処分がFIAによって下された。
1994年9月には日本市場向け量産型としては3代目となるコンバーチブル(ST202C型)を発売。ASCが引き続き手掛けた電動幌開閉装置は先代までの油圧式からオール電動モーターに変更され、3分割のレールが外側に広がりながら重なり合う「アウターフォールド機構」の採用で省スペース化を実現。後部座席幅が260mm広がり、大人男性2人でも窮屈にならない程度に改善された。また、リアウインドウに初めてガラス(電熱線入り)を採用。幌を閉じた状態はクーペタイプに見劣りしないスマートなシルエットとなった。ST202CはST183Cなどと同様に北米仕様のセリカクーペをベースとしているため、ST200系セリカクーペのフロントマスクを日本独自のデザインにして販売していたカレンとは、トランクパネルやテールランプなどリア周辺の部品が共通している。
GT-FOURとコンバーチブルは次期モデルのZZT230系では市販に至らず、ST200系が最終モデルである。
HKSの手によってチューンされたST202型は日本産FF車として、初めて0→400m加速で10秒を切るタイムを叩きだした。
前期型までのCMキャラクターは長髪の外国人男性モデルが登場し「セリカの男。」のキャッチコピーを使っていたが、中期型以降はデニス・ホッパーが登用され、「セリカは好きか?」というキャッチコピーに変わった。
7代目 ZZT230系(1999年-2006年)[編集]
1999年10月にフルモデルチェンジ。トヨタアメリカのデザインチーム「CALTY」がデザインを手がけた、つり目が特徴。新設計のZZT系エンジンは先代から200ccスケールダウンした1800ccとなるも、トップグレードSS-IIが搭載する2ZZ-GE型エンジンは連続可変バルブタイミング・リフト機構(VVTL-i)を備え、190馬力を出力する。エントリーグレードのSS-Iは実用エンジンの1ZZ-FEを搭載しているが、専用チューンにより同型エンジンを積む車種の中で最も高い145psを出力する。なお、環境性能はSS-I・SS-IIともに☆1つの「平成12年基準排出ガス25%低減レベル」となっている。
GT-FOURのグレードが廃止され、カローラレビン/スプリンタートレノとの統合が図られたこともあって、ライトウェイトクーペへとコンセプト変更している。その結果、同グレードの先代から60~90kgの軽量化を果たしている。特に、SS-IのMT車に至っては車両重量1090kgと、SS-IIのMT車よりも30kg軽く(スーパーストラットパッケージ車と比較で50kgの差)、単純にローグレード車と言い切れない軽量というメリットがある。カローラレビンが廃止された関係で値段も下がったと思われがちだが、SS-IIではそれほど値が下がらず同グレードのSS-IIスーパーストラットはZZT系の方が幾分か高くなっている(消費税抜き)。SS-Iでは、SS-IIと比べて内装・外装が適度に省略/簡略化する事で、何とか低価格を実現した。SS-IIとの差分は、1ZZ-FE(145ps)エンジン、リアはディスクでなくドラムブレーキ、電動格納が省略されたドアミラー、マニュアルエアコン・本皮でなくウレタンステアリングとウレタンシフトノブ・リアスポイラー無し、マフラーカッター無し。これにより、SS-Iは発売当初で標準価格は168万円(その後のマイナーチェンジにより価格が若干上がるが)を実現した。
ボディは前輪駆動専用設計(4WD「GT-FOUR」の設定はなし)となっており、ロングホイールベース、ショートオーバーハングとなり高速走行時の安定性向上が図られている。また、運動性を高めるため、前輪駆動専用設計であるにもかかわらずベースプラットフォームにビスタの4WD仕様を採用することでリア・サスペンション形式がバイザッハ・アクスル式ダブルウィッシュボーンとなっている。 CMでは「LIVE LOVE DRIVE」というキャッチコピーでヴィンセント・ギャロが妻と出演し、birdが歌う「空の瞳」をバックに「二人だけの世界」をアピールしていた。
近未来的で独特なヘッドライトはスポコンブームも手伝ってフェイスリフトの材料として人気を博した。
セリカの終焉[編集]
日本での自動車に実用性が求められた事もあり、ミニバンやコンパクトカーの需要が高まった現在、折からのスペシャリティーカー市場の不振の煽りを受け、2006年4月をもって生産終了した。これと同時に、1970年から35年以上に渡って続いてきたセリカの車名も消滅する事になった。現在北米トヨタが販売しているサイオン・tCをベースに次期型が開発されている模様。
姉妹車[編集]
- カリーナ(初代~3代目の後輪駆動モデルまで)
- セリカカムリ(2代目カリーナの派生車)
- カリーナED
- コロナクーペ
- コロナEXiV
- カレン(正統な6代目セリカの姉妹車)
- カルディナ ST246SWはクーペとステーションワゴンの違いがあり、姉妹車とはいい難いが、デザイン/エンジン/足回りを継承している。
車名の由来[編集]
- 「天上の、空の、神々しい」という意味のスペイン語のcelicaより。
セリカが登場する作品[編集]
TV・映画[編集]
- 『私をスキーに連れてって 』 - 白と赤のST/AT160系が一台ずつ登場。公開当時「セリカでスキーに行くのがオシャレ」と人気は絶大だった。
- 『完全なる飼育』 - 竹中直人が監禁していた小島聖を初めて外に連れ出しすシーンで、竹中が運転するレンタカーに赤いST202Cが登場。
- 『ワイルドスピードX2』 - ZZT230系が序盤等で登場。
- 『特捜戦隊デカレンジャー』 - ZZT230系がマシンドーベルマンのベース車両として登場。
- 『太陽にほえろ!』
- 『帰って来たウルトラマン』白い『ワンテール』が郷秀樹がデートに行く時やプライベートカーとして登場。
アニメ・漫画[編集]
- 『頭文字(イニシャル)D Third Stage』 - 主人公、藤原拓海の元・先輩「御木」の愛車としてフロントマスクがST205のセリカクーペが登場する。ボディカラーは、劇場公開版アニメではシルバー、原作第16巻では黒。冬の秋名山(榛名山)で事故を起こしてフロント部を壊す。また、本作をゲーム化した「頭文字D ARCADE STAGE」にも登場する。
- 『シャコンタン☆ブギ』 - TA20系が登場。
- 『よろしくメカドック』 - TA20系、TA60系が登場。
- 『レストアガレージ251』 - TA20系、ZZT230系が登場。
ゲーム[編集]
- 『セガラリーチャンピオンシップ』シリーズ - シリーズを通してST205が登場。
- 『グランツーリスモシリーズ』 - TA20系、ST160系、ST180系、ST200系、ZZT230系が登場。
- 『花と太陽と雨と』 - 主人公モンドスミオの愛車「ギグス」として冒頭に登場。
- 『萌えろダウンヒルナイト』シリーズ - シリーズ2作にST205が登場する。ドライバーは違う。
- 『To Heart 』 - 登場はしないがセリカの名前をモデルにした、来栖川芹香(くるすがわ せりか)というキャラクターが登場する。
その他[編集]
- 『レクサス・LSのCM(日本向け)』 - 160系コンバーチブルが登場。
関連項目[編集]
- 世界ラリー選手権
- トヨタ・セリカXX - 上級車種
- トヨタ・スープラ - セリカXXの後継車
- サイオン・tC - 米国ではセリカ絶版と同時期に発売が開始されたので、一応の後継車的扱いとなっている
- トヨタ・コロナEXiV
- トヨタ・カリーナED
- トヨタ・カレン