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− | [[新潟県]][[加茂市]]生まれ。[[新潟県立加茂高等学校]]卒業後、[[中華人民共和国|中国]][[黒竜江大学]] | + | [[Image:菊田真紀子 2.jpg|thumb|350px|これに対するエステこそ仕分け対象]] |
+ | [[新潟県]][[加茂市]]生まれ。[[新潟県立加茂高等学校]]卒業後、[[中華人民共和国|中国]][[黒竜江大学]]留学、[[中国語]]が堪能。国際交流ボランティアを経て、[[1995年]](平成7年)の加茂市議会選挙において当時全国最年少の25歳で地方選初当選。 | ||
− | 市議2期目在任中に[[参議院議員]][[渡辺秀央]]の要請を受け、[[2000年]](平成12年)の[[第42回衆議院議員総選挙]]に[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]公認候補として[[新潟県第4区]]に立候補するも落選。その後の自由党と民主党の合併を経て、[[2003年]](平成15年)の[[第43回衆議院議員総選挙]] | + | 市議2期目在任中に[[参議院議員]][[渡辺秀央]]の要請を受け、[[2000年]](平成12年)の[[第42回衆議院議員総選挙]]に[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]公認候補として[[新潟県第4区]]に立候補するも落選。その後の自由党と民主党の合併を経て、[[2003年]](平成15年)の[[第43回衆議院議員総選挙]]に民主党公認候補として同選挙区に再度立候補し国政初当選。渡辺とは盟友であったが、その後渡辺と[[小沢一郎|小沢]]の対立が激化し改革クラブ(現:[[新党改革]])を結成し離党した際には渡辺に同調せず、袂を分かっている。 |
− | + | また、[[鳩山由紀夫]]の首相辞任に伴う民主党代表選挙で[[菅直人]]を支持し、その後の任期満了に伴う代表選挙でも菅直人の推薦人となり、小沢と袂を分かっている。 | |
− | [[2005年]](平成17年)の[[第44回衆議院議員総選挙]] | + | [[2005年]](平成17年)の[[第44回衆議院議員総選挙]]で、当時の[[小泉純一郎|小泉]]旋風に押されながらも小選挙区の議席を守り抜いた数少ない民主党議員の一人である。 |
党内では[[小沢グループ]]の一翼である一新会に所属すると同時に、[[民社協会]]([[川端達夫|川端]]グループ)にも所属。参議院議員の[[森裕子]]は、自由党時代に菊田の選挙を手伝っていた縁で国政に立候補した経緯がある。 | 党内では[[小沢グループ]]の一翼である一新会に所属すると同時に、[[民社協会]]([[川端達夫|川端]]グループ)にも所属。参議院議員の[[森裕子]]は、自由党時代に菊田の選挙を手伝っていた縁で国政に立候補した経緯がある。 | ||
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== 政治活動 == | == 政治活動 == | ||
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* [[2003年]]の[[第163回国会]]([[特別会]])より継続して[[厚生労働委員会]]に所属し、2009年の[[第173回国会]]([[臨時会]])より委員会理事に就任。 | * [[2003年]]の[[第163回国会]]([[特別会]])より継続して[[厚生労働委員会]]に所属し、2009年の[[第173回国会]]([[臨時会]])より委員会理事に就任。 | ||
− | * [[2005年]] | + | * [[2005年]]10月19日、[[中華全国婦人連合会]]の表敬訪問を受け、「中国では女性の社会参加、各業界で活躍されている女性が多くいらっしゃるが日本はまだまだ。特に政治参加という点では遅れている」と語り、中華全国婦人連合会はじめ中国の取組みを参考にしたいと表明。また、小泉首相の[[靖国神社参拝問題]]については「国民に対しても何ら説明していない」として、その政治姿勢を批判した。 |
* [[2006年]][[5月5日]]より[[ケニア|ケニア共和国]]で行われた第114回[[列国議会同盟]] (IPU:Inter-Parliamentary Union) 国際会議に日本の国会代表として出席し、「天然資源の管理に対する女性の貢献」というテーマで女性の人権侵害の根絶や教育、就労環境の向上などを訴えた。 | * [[2006年]][[5月5日]]より[[ケニア|ケニア共和国]]で行われた第114回[[列国議会同盟]] (IPU:Inter-Parliamentary Union) 国際会議に日本の国会代表として出席し、「天然資源の管理に対する女性の貢献」というテーマで女性の人権侵害の根絶や教育、就労環境の向上などを訴えた。 | ||
* [[2008年]]、[[ガソリン値下げ隊]]に参加。 | * [[2008年]]、[[ガソリン値下げ隊]]に参加。 | ||
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=== 事業仕分け === | === 事業仕分け === | ||
* 2009年[[10月22日]]、[[行政刷新会議]][[事業仕分け (行政刷新会議)|事業仕分け]]チームにおける厚生労働、外務、経済産業担当に選任された。 | * 2009年[[10月22日]]、[[行政刷新会議]][[事業仕分け (行政刷新会議)|事業仕分け]]チームにおける厚生労働、外務、経済産業担当に選任された。 | ||
− | * | + | * 2009年11月16日の事業仕分けにおいて、[[厚生労働省]]が金額を明記しない「事項要求」で継続を求めた優良児童劇巡回事業で、[[文化庁]]の事業と重複していることもあり、仕分け人12人のうち6人は見直しを求めたが、取りまとめ役の菊田が独断で「子どもたちに直接、夢と希望を与える事業は大切にすべきだ」と異例の政治判断にて継続となった。 |
− | * 2009年[[11月11日]] | + | * 2009年[[11月11日]]の「後発品のある先発品などの薬価の見直し」の事業仕分けで、湿布薬・うがい薬・漢方薬などは薬局で市販されており、医師が処方する必要性が乏しいとして、湿布薬・うがい薬・漢方薬など薬局で市販されているものを保険対象から外すべきかが議題に上った時に、市販品類似薬を保険適用外とする結論を出した。この結論が漢方薬が保険適応外となる懸念として広がったため、医療現場で漢方薬を処方する医師や患者の間から反対の声が上がり、2009年の民主党の[[マニフェスト]]「漢方、(中略)などを統合医療として、科学的根拠を確立します」と漢方医療推進を記述したマニフェストに違反するという批判もあった。だが、事業仕分けでは「市販品類似薬の保険適用外の範囲については十分な議論が必要」としたため、「漢方薬は保険適応とする」または「漢方薬は保険適応外とする」結論を下したわけではない点に留意する必要がある。 |
− | == | + | == 2011年東北関東大震災 == |
− | [[2011年東北関東大震災]] | + | [[東日本大震災|2011年東北関東大震災]]発生後の3月13日、[[ASEAN地域フォーラム]]の会議出席のため、[[インドネシア]]のジャカルタを訪問。 |
3月17日、秘書官に『インドネシアではエステと買い物を楽しみたい。ステキなお店を調べて予約して』と命じ、16日にジャカルタに移動後、デパートで化粧品コーナーを散策し、夜は5つ星ホテルのスパでエステを堪能し、翌17日も午後から買い物に興じていたとが報じられる。 | 3月17日、秘書官に『インドネシアではエステと買い物を楽しみたい。ステキなお店を調べて予約して』と命じ、16日にジャカルタに移動後、デパートで化粧品コーナーを散策し、夜は5つ星ホテルのスパでエステを堪能し、翌17日も午後から買い物に興じていたとが報じられる。 | ||
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菊田は15日に公務が終わると、16日はジャカルタに移動。デパートで化粧品コーナーを念入りに見て回った。夜は5つ星ホテルのスパで、お目当てのエステを思いっきり堪能した。 | 菊田は15日に公務が終わると、16日はジャカルタに移動。デパートで化粧品コーナーを念入りに見て回った。夜は5つ星ホテルのスパで、お目当てのエステを思いっきり堪能した。 | ||
− | + | 17日は午前中で会議が終わり、午後からまた、お買い物ツアーを2時間。豚脂の入っていないイスラムの[[コラーゲン]]化粧品に興味があり、効果についていろいろ店員に聞いていた。 | |
− | + | 「菊田は新潟県選出で現在3期目。仕分け人をやったあと、仙谷さんの寵愛を受け、昨年9月に外務政務官に就任しました。中国語が堪能で、気さくな性格ですが、軽い面も。[[パプアニューギニア]]に行く前は『水着持っていって泳ごうかなあ』と口にしていた」(外務省担当記者) | |
== 関連項目 == | == 関連項目 == |
2024年9月23日 (月) 17:08時点における最新版
菊田 真紀子(きくた まきこ、1969年10月24日 - )は、日本の政治家。民主党所属の仙谷由人の寵愛を受けている衆議院議員(3期)。元加茂市議会議員。
極端な中国賛美、女性のみの権利を主張しており、東北関東大震災時に外務政務官としてジャカルタに行き、エステと買い物を堪能したことで一躍有名となった。
概要[編集]
新潟県加茂市生まれ。新潟県立加茂高等学校卒業後、中国黒竜江大学留学、中国語が堪能。国際交流ボランティアを経て、1995年(平成7年)の加茂市議会選挙において当時全国最年少の25歳で地方選初当選。
市議2期目在任中に参議院議員渡辺秀央の要請を受け、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙に自由党公認候補として新潟県第4区に立候補するも落選。その後の自由党と民主党の合併を経て、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙に民主党公認候補として同選挙区に再度立候補し国政初当選。渡辺とは盟友であったが、その後渡辺と小沢の対立が激化し改革クラブ(現:新党改革)を結成し離党した際には渡辺に同調せず、袂を分かっている。
また、鳩山由紀夫の首相辞任に伴う民主党代表選挙で菅直人を支持し、その後の任期満了に伴う代表選挙でも菅直人の推薦人となり、小沢と袂を分かっている。
2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙で、当時の小泉旋風に押されながらも小選挙区の議席を守り抜いた数少ない民主党議員の一人である。
党内では小沢グループの一翼である一新会に所属すると同時に、民社協会(川端グループ)にも所属。参議院議員の森裕子は、自由党時代に菊田の選挙を手伝っていた縁で国政に立候補した経緯がある。
身長は165センチ。議員活動の際は主に黄色のスーツを着用している。
政治活動[編集]
- 2003年の第163回国会(特別会)より継続して厚生労働委員会に所属し、2009年の第173回国会(臨時会)より委員会理事に就任。
- 2005年10月19日、中華全国婦人連合会の表敬訪問を受け、「中国では女性の社会参加、各業界で活躍されている女性が多くいらっしゃるが日本はまだまだ。特に政治参加という点では遅れている」と語り、中華全国婦人連合会はじめ中国の取組みを参考にしたいと表明。また、小泉首相の靖国神社参拝問題については「国民に対しても何ら説明していない」として、その政治姿勢を批判した。
- 2006年5月5日よりケニア共和国で行われた第114回列国議会同盟 (IPU:Inter-Parliamentary Union) 国際会議に日本の国会代表として出席し、「天然資源の管理に対する女性の貢献」というテーマで女性の人権侵害の根絶や教育、就労環境の向上などを訴えた。
- 2008年、ガソリン値下げ隊に参加。
- 2009年5月の民主党代表選挙では、岡田克也の推薦人の一人として名を連ねる。
事業仕分け[編集]
- 2009年10月22日、行政刷新会議事業仕分けチームにおける厚生労働、外務、経済産業担当に選任された。
- 2009年11月16日の事業仕分けにおいて、厚生労働省が金額を明記しない「事項要求」で継続を求めた優良児童劇巡回事業で、文化庁の事業と重複していることもあり、仕分け人12人のうち6人は見直しを求めたが、取りまとめ役の菊田が独断で「子どもたちに直接、夢と希望を与える事業は大切にすべきだ」と異例の政治判断にて継続となった。
- 2009年11月11日の「後発品のある先発品などの薬価の見直し」の事業仕分けで、湿布薬・うがい薬・漢方薬などは薬局で市販されており、医師が処方する必要性が乏しいとして、湿布薬・うがい薬・漢方薬など薬局で市販されているものを保険対象から外すべきかが議題に上った時に、市販品類似薬を保険適用外とする結論を出した。この結論が漢方薬が保険適応外となる懸念として広がったため、医療現場で漢方薬を処方する医師や患者の間から反対の声が上がり、2009年の民主党のマニフェスト「漢方、(中略)などを統合医療として、科学的根拠を確立します」と漢方医療推進を記述したマニフェストに違反するという批判もあった。だが、事業仕分けでは「市販品類似薬の保険適用外の範囲については十分な議論が必要」としたため、「漢方薬は保険適応とする」または「漢方薬は保険適応外とする」結論を下したわけではない点に留意する必要がある。
2011年東北関東大震災[編集]
2011年東北関東大震災発生後の3月13日、ASEAN地域フォーラムの会議出席のため、インドネシアのジャカルタを訪問。
3月17日、秘書官に『インドネシアではエステと買い物を楽しみたい。ステキなお店を調べて予約して』と命じ、16日にジャカルタに移動後、デパートで化粧品コーナーを散策し、夜は5つ星ホテルのスパでエステを堪能し、翌17日も午後から買い物に興じていたとが報じられる。
政府を代表しての大事な出張なのに、遊びのことしか頭になかった。しかもその日は大震災発生から3日目。懸命の救助活動が行われているさなかであった。秘書官は、現地の日本大使館に電話をかけ、エステ店の予約と観光スケジュールの作成をさせた。
菊田は15日に公務が終わると、16日はジャカルタに移動。デパートで化粧品コーナーを念入りに見て回った。夜は5つ星ホテルのスパで、お目当てのエステを思いっきり堪能した。 17日は午前中で会議が終わり、午後からまた、お買い物ツアーを2時間。豚脂の入っていないイスラムのコラーゲン化粧品に興味があり、効果についていろいろ店員に聞いていた。
「菊田は新潟県選出で現在3期目。仕分け人をやったあと、仙谷さんの寵愛を受け、昨年9月に外務政務官に就任しました。中国語が堪能で、気さくな性格ですが、軽い面も。パプアニューギニアに行く前は『水着持っていって泳ごうかなあ』と口にしていた」(外務省担当記者)