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宇都 隆史(うと たかし、1974年11月12日 - )は、日本の政治家。前航空自衛官(最終階級:1等空尉)。自民党所属の参議院議員(1期)である。
来歴[編集]
鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島市立原良小学校、鹿児島市立城西中学校を経て1993年に鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業後、防衛大学校に入学する。1998年に卒業(第42期)し航空自衛官となる。三沢基地、稚内分屯基地、春日基地勤務を経て2007年に1等空尉をもって退官。同年、松下政経塾に入塾(第28期)し政界を志すようになる。
2010年7月11日投票の第22回参議院議員通常選挙にて、自由民主党公認で比例代表区に出馬。元自衛官の民主党候補の矢野義昭と自衛隊票の奪い合いになるも、約12万票を集めて初当選を果たす。キャッチコピーは「生まれ変わるなら、また日本がいい」。
政歴[編集]
- 2010年(平成22年) 第22回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例代表区に出馬し当選(1期目)。
政策[編集]
2010年7月10日 西船橋駅前での選挙演説全文[編集]
皆さん、こんばんは。いよいよ、きょうが最後です。
あと最後の30分、持てる力のすべてをこの西船橋駅の前で、皆さんのお一人お一人の心の中に、私のすべての熱を伝導いたします。
あらためまして、参議院比例候補、元自衛官、松下政経塾出身の宇都隆史です。
選挙戦が6月24日から始まって、今ちょうど17日目。この17日間の各候補者の声を、皆さんはどのように受け止められていますか。
私は私なりに、自分以外の候補が、これは自民党の候補だけではないです、ほかの政党の候補も、いったいこの選挙戦を通じて国民に何を訴えようとしているのか。この事を、全国を巡って歩く時間の中でリサーチをしていました。
大抵の候補者が語っていることは、何ですか。
消費税に関する事。あるいは、今回の菅政権の目玉である社会保障に関する事。この事ばかりを各候補者が声高に訴えて、自分に票を入れてくれ、こういうことをしている訳なのです。
先日、ある新聞の中で、有権者や国民にこういうアンケートを取っていました。
「今、政治に最も期待することは何ですか」。
30数%で1番の回答は、社会保障、福祉関係の話だったんです。金、医療、介護、子育てにまつわる事です。そして、2番目の回答は、自分たちの消費にかかわる消費税の問題、これが2番目だったんです。
国民の今、関心が高いことはその二つだ。しかし、そうでしょうか。我々有権者は、誰を選ぼうとしているのか。
今から少なくとも6年間、我々の祖国・日本国の舵取りをしようとしている人間たちを選ぶ選挙なんです。
有権者の関心の高い事、それが福祉や、あるいは消費税の事にあるのは、これは当然のことだと。普段の生活の自分たちの中で、自分にいったい、どういうメリット、デメリットがあるのか。それほどに有権者の皆さんの関心が高くなれば、当然じゃないですか。
しかし、国民の関心が一番高いことと、国会議員になろうとする人間が、国家の優先順位として今語らなければならないことは、一緒じゃないんですよ。
国会議員になろうとする人間が、50年後、あるいは100年後の我々の子や孫の時代を考えて、有権者の能力と見識を信じて真剣に向き合わないで、いったい誰が未来を語るんですか。
メディアは、未来は語らないんです。メディアは商売主義の中で我々が関心の高いことだけを、商売としていろいろなニュースソースを持ってきて話をするだけなんです。
国会議員の仕事は決して、国会の中で法律をつくるだけが仕事じゃないんですよ。
国会議員の一番しなければならない仕事は、自分の経験と、見識と、そして信念に基づいて、有権者、そして、国民に何を今考えなければならないのかを訴え、活動をすることが国会議員の一番の仕事なんです、そうじゃないですか。
今、有権者の中で、外交であるとか、あるいは国防であるとか、あるいは教育であるとか、こういうことを語る者が少ない。
この事にまず、私は危機感を覚えているのです。
社会福祉に手厚い国家、それも確かにいいでしょう。
しかし、私は勉強は足りないかもしれないですけど、私が勉強してきた範疇の中で、社会福祉を強めた、社会福祉に力を注ぎ過ぎた国家で、国家の繁栄を誇った国を見たことがない。強過ぎる福祉は、必ず国を滅ぼすんです。
国会議員は、国民の「受け」だけを狙って、福祉だけを語ってはならない。社会福祉に手厚い国家を想像してみてください。
自分に対して、どのようなメリットがあるかではなくて、子どもたちや孫たちの世代に、いったいどういう負の負担を残すのか、あるいはプラスを残すのか、そういう判断基準で国政選挙は選ばなきゃいけないのです。
生活保障もいいでしょう、弱者に対する救済もいいです、でも、この国には何万というぎりぎりのところで生活をし、これ以上生活保護をもらったり、あるいは公的な援助をもらうのは恥ずかしい、何とか自分の足で立ってやろう、そう思って頑張られている人間が何万といるんですよ。(拍手)
そういう人たちよりもですよ、手厚い社会保障を受けて、保護を受けて、勤労の意欲を失い、仕事をせず、毎日をゆっくりと暮らしていける人たちのほうがいい生活をしていったら、この国家から勤労の美徳というものはどこに行ってしまうのですか。
日本人のすばらしさは、働くことに対して喜びを見出すという民族なんです。
生涯現役などという言葉は日本にしかないんですよ。
外国には、できるだけ若いうちにたくさん稼いで、年を取ったらゆっくりバカンスをしようと、こういう考えが普通なんです。
しかし、日本人は違うじゃないですか。体が動く限り働こう、働けているうちが幸せだと、我々はそういう民族なんです。
そういう民族であれば、そういう民族の特性に応じた社会保障のやり方があるじゃないですか、そうでしょう。
親が、ぎりぎりのところで働いて子どもを育ててくれる。その親の姿を見て、背中を見て子は育つんです。
だから、自分も大人になったときに、子どもを養い、家庭を持ち、時に不運な人生を歩む人もいるでしょう。会社がいきなり倒産するかもしれない、あるいは、悪い人にだまされてしまうかもしれない。でも、それでもくじけないんですよ、親を見ているから。
あんなに物がない時代、食べるものがない時代でも、お父さん、お母さんは、あんなに頑張って僕を育ててくれた、私を育ててくれた。
でも、じゃあ、家庭は貧しかったから幸せがなかったかと言われれば、そんなことはないんだ。そこに笑顔があって、団欒があった。
私もそういう家庭を築きたい、そう思うから頑張るんじゃないですか。
年を取ったときもそうなんです。
一から十まで国が保障をし出したら、子どもは親の面倒を見なきゃいけないと思わなくなるでしょう。
若いころに、あれだけ苦労して自分たちを育ててくれた、そのお父さん、お母さんが、年金や社会保障の中でぎりぎりの生活をして暮らしている、それでも生きていけるんです。
でも、若いときにあれだけ苦労してくれたんだったら、年を取ったときぐらい、自分の力でもう少し豊かな生活をさせてあげたい。
子どもはそう思うんですよ。
だから、「ふるさとに帰ろうかな、お父ちゃん、お母ちゃんを呼び寄せようかな」、そうやって親の面倒を見るんじゃないですか。
一から十まで国が面倒を見始めたら、そんな気持ちも湧かなくなる。
また、子どもと一緒に暮らせない人もいるんです。
でも、そういう人はお年寄り同士で生計を立てるんじゃないですか。お互い、助け合うんですよ。
独居老人の中で、知らないうちに亡くなっていく方がいっぱいいるんです。
でも、そうならないよう、お互いに連絡網とかをつくりながら、声をかけ合って頑張っていくんです。
そんな中でも、どうしても心が折れた人、はい上がれなくなった人、その力を、心の力を失った人に、最後に手を差し延べるのが国の公助なんですよ。
基本は自助なんです。
自分の足で立って、歩いていくことが、国民にとっての一番幸せな生き方なんです。
それができない時に、お互いに共助として助け合う、最後に駄目だった時に、国が温かい手を差し延べる「公助」。
これが、我々日本人が心から望んでいる社会保障のあり方なんです。
しかし、国が差し延べるこの温かい手、これにいつまでも載せておくことが本当に、国が国民を愛していることなのか。
私は時折、社会保障を声高に言う政治家は国民を本当に愛しているんだろうか、こういう疑問まで出てきます。(拍手)
だって、そうじゃないですか、温かい手のひらに愛している国民をいつまで載せておく、そんなことしないでしょう。
お子さんのことを考えてみてください。自分の子どもが心が折れた、あるいは大変な壁にぶつかったときには、「帰ってこい」と言いますよね。
でも1週間、あるいは1カ月したら何と言いますか。「おまえ、いつまで何やっているんだ、もう一回頑張ってこい」、背中を押すでしょう、お尻をたたくじゃないですか、それが親の愛じゃないですか。
国の愛も必要なんですよ。いつまでも、温かいぬくぬくとした手のひらで抱いていくことが、本当の国民に対する愛情じゃないんです。
そこからはい上がれるように、働く場所を見つけてあげて、何とか努力する方策を見つけてあげる、そのための犠牲、支出は問わない、それが、国が国民に対する社会保障の一番の愛なんです。
その事をもし、民主党政権が言うのであれば、私は協力する。自民党であっても最大限に協力します。
でも、道が違うから、そんなことをしては国民を駄目にする。だから、私は反対するんです。
今、私たちが政治にいろいろなものを求めていますでしょう。
でも、私は景気が回復したり、あるいは社会保障を充実しても、我々今、この国に生きる日本人が、本当の意味での今の枯渇化、あるいは少産化、これをぬぐい去ることは政策なんかではできないと思っているんです。
なぜか、私たちが日本人としての生き方、あるいはこの魂の枯渇感を取り戻すには、どうやって命を使ったら、我々の今を生きる「生」が輝くかということを真剣に考えなきゃいけないんです。
これまで、我々の日本の民族にとって、死は身近にあったんです。
戦後、あの大東亜戦争が終わったときに、世界各国から日本人は驚愕の目で見られた。
なぜか。日本人はこの地球上で唯一、「死を恐れない民族」だと言われたんです。
これは決して軍事中の軍事教育や、強制的な狂信的な考えを持って死を恐れなかったわけじゃないんです。
昔は日本人にとって、この自然の中のサイクルを見ている民族にとって、命が尽きるというのは当たり前のことだったんですよ。
今のように刹那主義じゃなかった。「命が終わってしまったらおしまい、生きているうちが花だよ」って、そんなんじゃなかったのですよ。
肉体なんていうものは、魂を入れておくための殻でしかないということを理解していたんです。
だから、私たちは、魂を子どもたちに伝達して、縦の命のつながりをつなげていった民族だったんです。
私は、鹿児島の生まれです。65年前に鹿児島知覧や鹿屋から、私よりも若い青年たちがこの国を思い、志を立てて南の空に散っていった。
ある人たちは、「それは強制されて行ったんだ」、あるいは、「洗脳されて行ったんだ」、そういう事を言います。
でも、そういう事を言う人は、あの知覧の資料館の、あの若者たちのまなざしを見て本当に言えるか、私はそう思うんです。
あれは、決して狂信者の目なんかじゃないんですよ。強制をされて嫌々行った目じゃないんです。
あの目を一言で言うとすれば、自分の命の使い方、生きるということはどういうことなのかを悟った眼差しなんです。
「この戦争の時代に、自分は生まれてしまった。自分の命は短いだろう、しかし、この時代に生を受けたことは仕方がない。
だけれども、決してこの先祖から受け継いだ命を無駄に使うのだけはやめよう。
何とかして、この命をうまく使って、子どもや孫たちに、この美しい祖国、日本人の魂を受け渡していこう」。
そうやって、この国の未来を願って止む無く死んでいったんです。
だから、我々は、今この平和な世界の中で生きているんですよ。(拍手)
今我々が、自分たちのことだけを生きて、政治にサービスを求め始めていったいどうしますか。
我々は、命を懸けてでもこの平和な国を残してくれた、65年前に、あの世界を帝国主義の名の下に席巻したアングロサクソン民族に、たった一国、果敢に立ち向かった亜種民族の末裔なんですよ。
我々は今、国に、政治に要求することは、自分に何をしてくれるかじゃないんです。
我々が政治を通していったい子どもたちに何を残せるか、このことを真剣に考えていかなきゃいけないんです。(拍手)
我々がそれをやろうと思ったら、一つしかないんですよ。国防を考えなくてはいけないんです。
私は自衛官だから、自衛隊出身者として国防の重要性を言っているんじゃないんです。自衛隊出身者だから、仲間たちの予算が欲しくて国防の重要性を訴えているんじゃないんです。
国防ということを我々は考えたら、必然的に命よりも重いものがあるんだな、命を懸けてでも守らなきゃいけないものがあるんだな、このことに向き合うことができるんですよ。(拍手)
この国が全くもっておかしくなったのは、戦後のある瞬間から。国会議員がこんなことを言ってから我々日本国はおかしくなった。
「日本人1人の命は地球より重い、命よりも重いものがない」。こんな馬鹿げたことを言い始めたんです。
そんな筈はないでしょう。もしそうだとしたら、なぜ、母親は自分の命のリスクを冒してまで子どもを産むんです。
ねえ、妊娠、出産なんていうのは、非常にリスクの高い人間の営みですよ。
我々は産まれながらにして命を授ける、つなげるということは、自分の命を守ることよりも大事なことなんだということを、DNAの中に組み込まれて知っているんです。(拍手)
だからこそ、国防を真正面から捉えて、いかにしたら子どもたちを、我々の手で、この国を残していけるんだろうか、他国に委ねたってだめなんですよ。
他国に自分たちの子どもを委ねるばかがどこにいますか。自分の子どもを守るのは自分でしょう。隣のご両親に自分の子どもを守ってくれなんて言わないじゃないですか。
我々の使命の源は、我々の子どもたちなんです。その子どもたちを、唯一守っていけるのは、今この地球上の日本国の上に生きている日本人の我々だけなんですよ。(拍手)
我々が、65年前の祖先がしてくれたのと同じように、今やらなければ国がなくなる、その分水嶺に差しかかってるのが今なんです。
あと5年してください、あと10年して見てください。戦争の体験者はもういなくなるんですよ。その語り部なんかはいなくなるんです。(拍手)
我々に、真の命を見守って教えてくれた世代がいなくなったときに、私たちは本当に命の伝え方を教えていけるか、今こそやり直さなきゃいけないんですよ。
たった5年前に、こんなアンケートがあった。世界36カ国の国々に、あるリサーチ会社がたった一つの質問を行ったんです。それは若い成人男女1,000人に対するアンケートでした。
「あなたは戦争が起こったら、自分の国のために戦いますか」。男の人にも女の人にも質問したんです。
我々が国際社会の中でしのぎを削っていかなければならないありとあらゆる国々が、最低でも50%以上の国民が、「そのときは命を懸けて子どもたちを守る」、 「イエス」と答えたんです。(拍手)
5年前です、我が日本国の国民たちは、1,000人と侮ることなかれですよ。いったい、36カ国中何位で、何%の国民がイエスと答えられたか。
36カ国中、36位。最下位だったんです。15.6%の国民しか、「この国を命に代えてでも子どもたちに託そう」、そう答えられなかった国の襷が、つながるわけがないじゃないですか。(拍手)
我々は今、やり直しましょう、
今やらなければ、もう取り戻せない、私は訴え続けます。国民の皆さんに訴え続けます。
そして、国会議員になろうとする人間が、あるいはバッジをつけた人間が、一度、「国民の皆さんに」という言葉を発したら、今この世の中に生きている有権者のことだけじゃないんです。
もうお亡くなりになった日本の国民、今を生きる国民、そして、これから生まれてくるであろう日本国民のことを考えた政治をやるべきなんです。(拍手)
私は元・自衛官として、宇都隆史、自衛官として、集参の前に服務の宣誓に調印をさせていただきました。
服務の宣誓という誓いの言葉の中に印鑑を押さなければ、自衛官は制服を着ることができません。
ほかの国家公務員には決してない一文が、そこには入っている。
「事においては、身の危険を顧みず、身をもって責務に邁進し、もって国民の負託に応えるものとする」。
一言で言えば、これは国家に忠誠を誓うという約束をしたということなんです。(拍手)
自衛官は決して、政権に対して誓約をしているわけじゃないんです。
今、自衛官が民主党の中で四苦八苦している。非常に苦労している。
でも、今の現職自衛官が腐らずにやっていけるのは、我々が民主党に誓約をしたわけじゃない、この国家に命を懸けた社稷(しゃしょく)の臣なんだ、そういう矜持があるからやっていけるんです。(拍手)
私はこの現場の声、現場の努力を決して忘れない。
現職の自衛官、あるいは自衛官じゃなくても、この国を心から愛し、この国の子どもたちに自分の命を使ってでもつなげたいと思っている国民がまだ大勢いるんです。(拍手)
その一人一人が、力をつけて心をつないでいけば、必ず日本は良くなります。
政治に、あるいは、一政治家に期待をするのはもうやめましょう。(拍手)
政治は、期待をするものじゃないです。政治は、自分たちでつくり上げて、政治家を育み、自分たちの声を代弁させるものなんです。(拍手)
いよいよ明日です。6年間、仕事をしてもらえる国会議員を皆さん一人一人の手で選びます。
政治の中で最大の今クライマックス、選挙という民主主義において、最大の今瞬間を我々は迎えているわけなんです。
そのときに、最後に一つ、皆さんにお願いと、これだけはよく理解して投票をしてくださいということを申し上げます。
選挙の主役は政党でも、候補者でもないんです。選挙の主役はこの国家の主権者である皆さんなんです。(拍手)
皆さん一人一人がこの国のことを真剣に考えて、明日、最大の民主主義のクライマックスである参議院選挙、この一日を過ごしてください。
あした、夕方から、8時からの投開票で、皆さんとともに、所思、心から、我が国の新たな一歩を踏み出そうと、祝杯を挙げられることを心から願っています。(拍手)
最後でありますが、元自衛官です。自衛官の中で10年間揉まれながら、一つだけ、よくよく理解できたことがありました。
それは、この世の中で国家を守る最大の武器は何か、このことを私は現場に身を置きながら学ぶことができた。それは核兵器なんかじゃない。
国家において最大の護身刀は、我々国民の国を守ろうという一人一人の気持ちの集大成です。
ぜひ、皆さんでこの国を守っていきましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
宇都隆史、必ずやります、よろしくお願いします。(拍手)