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'''マニー・パッキャオ'''('''Manny Pacquiao'''、パッキアオ、パキャオとも表記される、[[1978年]][[12月17日]] - )は、[[フィリピン]][[ブキドノン州]](現[[南コタバト州]])<ジェネラルサントス市出身の[[プロボクサー]]。本名:'''エマヌエル・ダプリグラン・パッキャオ'''('''Emmanuel Daprigran Pacquiao''')。現[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ライト級]]王者であり、WBC世界[[スーパーフェザー級]]王者である。<br/>元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[スーパーバンタム級]]王者(2001年 - 2004年)、元WBC世界フライ級王者(1998年 - 1999年)。アジア人として初めて4階級を制覇した。[[パウンド・フォー・パウンド]]ランキングではフロイド・メイウェザーJr.引退後は1位につけている。母国フィリピンでは国民的英雄であり、パッキャオが4階級制覇を達成した試合のフィリピンでの[[視聴率]]は63.8%を記録した。
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'''マニー・パッキャオ'''('''Manny Pacquiao'''、1978年12月17日生まれ)は、[[フィリピン]]のプロボクサー。本名はエマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ。ブキドノン州(現・南コタバト州)ジェネラルサントス市出身。政党 "People's Champ Movement" 党首。パッキアオ、パキャオとも表記される。元WBC世界[[フライ級]]チャンピオン、[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[スーパーバンタム級|ジュニアフェザー級]](スーパーバンタム級)チャンピオン、WBC世界[[スーパーフェザー級]]チャンピオン、WBC世界[[ライト級]]チャンピオン。現WBO世界[[ウェルター級]]チャンピオン。
  
 
== 人物 ==
 
== 人物 ==
'''パックマン'''」の愛称で知られ、世界の強豪と互角に渡り合う実力を持ち、アメリカ本土で活躍している。サウスポースタイルからステップインをして放つ左ストレートに破壊力があり、軽量級で人気を得ている。アジア人として初めて[[HBO]][[ペイ・パー・ビュー|PPV]]放送でメインイベントを務めるなど、世界的に活躍する選手の一人である。ボクシング王国として知られる[[メキシコ]]の名ボクサーを次々と倒して名を挙げた事から「メキシカン・キラー」とも呼ばれる。パッキャオは祖国フィリピンの国民的英雄であると同時に、フィリピン人ボクサーが米国で活躍する契機となり、軽量級のアジア人ボクサーへの注目と評価を高めることにも貢献した。[[政治]]への進出を目指している事も知られており、[[グロリア・アロヨ]]大統領とも仲が良い。2007年5月には下院選挙に出馬したが落選。ボクサー引退後に再び政界進出を目指すと語っている。また、[[歌手]]デビューも果たしている。
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'''パックマン'''の愛称で知られ、サウスポースタイルからの左ストレートを主武器に数々の豪快なKO勝ちや名勝負、番狂わせの勝利を連発して幾多の一流世界チャンピオンを撃破し、アジア人初のメジャー世界タイトル5階級制覇チャンピオンとなった。2008年12月6日の[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]戦のフィリピンでのテレビ視聴率は98%を記録し、アジア人史上最高額となる1試合2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した。現在、多くのボクシング専門誌・サイトの[[パウンド・フォー・パウンド]]ランキングで1位となっている。その一方で、自らもボクシングプロモーターとしてMPプロモーションを設立。自身が選手としてプロモート契約しているボブ・アラム率いるトップランク社と提携して、有望なフィリピン人ボクサーを自分の興行に出場させている。
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パッキャオは祖国フィリピンの国民的英雄で[[グロリア・アロヨ]]大統領とも懇意。自ら結党した政党は "People's Champ Movement"(パッキャオ運動)と名づけた。2008年12月にはフィリピンのアティエンザ環境天然資源相が2009年度予算の上院審議をすっぽかして、パッキャオの対デラホーヤ戦の応援に駆けつけた。アティエンザは「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」と答弁をして話題になった<ref name="mainichinews">[http://mainichi.jp/photo/archive/news/2008/12/12/20081213k0000m030022000c.html <フィリピン>大臣が予算審議すっぽかし米でボクシング応援] [[毎日新聞]] 2008年12月12日</ref>。2007年5月にはミンダナオ島南コタバト州から下院選挙に出馬したが落選。2010年5月の下院選挙に同島サランガニ州から再度挑戦し、選出された。弟のボビー・パッキャオもプロボクサーである。
  
 
== 来歴 ==
 
== 来歴 ==
[[1995年]][[1月22日]]にプロデビュー。12戦目で初黒星を喫するまで、[[フライ級]]と[[バンタム級]]の間を行ったり来たりしていた。この敗戦以降はフライ級に留まる。[[1998年]][[12月4日]]、27戦目で[[チャッチャイ・ダッチボーイジム]](タイ)から8回KOで[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界フライ級王座を獲得。2度目の防衛戦でメッドグン・3Kバッテリー(タイ)に3回KO負けを喫する(※前日計量の体重超過で失格し試合前にタイトル剥奪)。敗因は減量苦が限界に達しコンディションを崩したためと言われる。
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アマチュアボクシングでナショナルチーム入りを果たすなど、64戦60勝4敗の戦績を残した後、1995年1月22日、16歳1か月にして[[ライトフライ級]]でプロデビュー。12戦目で初黒星を喫するまで、ライトフライ級と[[バンタム級]]の間を行ったり来たりしていた。この敗戦以降はフライ級に留まる。1998年5月18日には日本のリングにあがり、ノンタイトル戦で寺尾新を1回TKOで下した。
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1998年12月4日、27戦目でチャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)から8回KOでWBC世界フライ級タイトルを獲得。1999年9月17日、2度目の防衛戦では、前日計量の体重超過で失格し試合前にタイトルを剥奪され、メッドグン・3Kバッテリー(タイ)に3回KO負けを喫した。
  
その後、[[スーパーバンタム級]]まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナル王座を獲得。これを5度防衛し、[[2001年]][[6月23日]]に、元王者のエンリケ・サンチェスの欠場で世界王座挑戦のチャンスを得て、[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界スーパーバンタム級王者レーロホノロ・レドワバと対戦する。パッキャオはレドワバから3度ダウンを奪い、6回TKOで2階級制覇を達成する。
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その後、スーパーバンタム級まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナルタイトルを獲得。これを5度防衛し、2001年6月23日に、元チャンピオンのエンリケ・サンチェスの欠場で世界タイトル挑戦のチャンスを得て、IBF世界[[スーパーバンタム級|ジュニアフェザー級]]チャンピオンのレーロホノロ・レドワバと対戦。パッキャオはレドワバから3度ダウンを奪い、一方的な6回TKO勝ちで2階級制覇を達成した。
  
IBF王座を4度防衛し、[[2003年]][[11月15日]]に、伝説的ボクサーの一人と評されていた[[マルコ・アントニオ・バレラ]](メキシコ)と対戦。下馬評はバレラ有利だったが、パッキャオは1回にダウンを喫したが、左ストレートを武器にバレラのガードを破って3回にダウンを奪い返し、11回TKOで快勝した。この番狂わせで世界的な評価と注目を獲得した。バレラ戦の6ヶ月後、WBA・IBF世界フェザー級統一王者[[ファン・マヌエル・マルケス]](メキシコ)と対戦。この試合でパッキャオはマルケスを1回に3度もダウンさせたが、猛反撃を受けて結局、引き分けに終わる。
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IBFタイトルを4度防衛し、2003年11月15日に、メキシコのスーパースター、[[マルコ・アントニオ・バレラ]](メキシコ)と対戦。下馬評はバレラが圧倒的に有利だったが、左ストレートを武器にバレラのガードを破って3回と11回にダウンを奪い、11回TKO勝ちでThe Ring世界[[フェザー級]]チャンピオンとなった。この番狂わせで評価と注目を獲得した。
  
[[2005年]][[3月19日]]、階級を[[スーパーフェザー級]]に上げ、バレラにWBC世界スーパーフェザー級王座を明け渡したばかりの元3階級王者[[エリック・モラレス]]と対戦。善戦したが0-3で判定負けする。半年後のWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦で6回TKOで勝利すると、[[2006年]][[1月21日]]に[[エリック・モラレス]]と再戦。10回TKOで雪辱を果たす。同年[[11月18日]]にモラレスとの[[ラバーマッチ]]は3回TKOで完勝し、ライバルとの決着をつけた。
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2004年5月8日、WBA・IBF統一世界フェザー級チャンピオン[[ファン・マヌエル・マルケス]](メキシコ)と対戦。この試合でパッキャオは1Rに3度もダウンを奪ったが、猛反撃を受けて、引き分けとなった。
  
[[2007年]][[10月6日]]、[[マルコ・アントニオ・バレラ]]との再戦で12回判定勝ち(バレラは試合後に引退を表明)。
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2005年3月19日、階級をスーパーフェザー級に上げ、バレラにWBC世界スーパーフェザー級タイトルを明け渡したばかりの元3階級チャンピオン[[エリック・モラレス]]と対戦。善戦したが0-3で判定負けする。半年後のWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦で6回TKOで勝利すると、2006年1月21日にエリック・モラレスと再戦。10回TKO勝ちでリベンジを果たした。同年11月18日にモラレスとのラバーマッチは3回KO勝利し、ライバルとの決着をつけた。
  
[[2008年]][[3月15日]]、[[ファン・マヌエル・マルケス]](メキシコ)と4年半ぶりにWBC世界スーパーフェザー級王座を賭けて再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る大激闘・名勝負の末、2-1のスプリット・デジションでパッキャオが勝利、王座を奪取すると共にアジア人として初の3階級制覇を達成した。
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2007年10月6日、マルコ・アントニオ・バレラとの再戦で12回判定勝ち(バレラは試合後に現役引退を表明)。
  
[[2008年]][[6月29日]]、[[デビッド・ディアス]](メキシコ)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界[[ライト級]]王座を獲得すると共にアジア人として初の4階級制覇を達成した。
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2008年3月15日、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と4年半ぶりに再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る激闘の末、2-1の判定勝ち。WBC・The Ring世界スーパーフェザー級チャンピオンとなり、アジア人として初のメジャータイトル3階級制覇を達成した。
  
[[2008年]][[8月28日]]、[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]とのビッグマッチが決定した。[[12月6日]]、ラスベガスのMGMグランドで、ウェルター級リミットの体重でノンタイトル12回戦を行う。
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2008年6月29日、[[デビッド・ディアス]](米国)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界ライト級タイトルを獲得すると共にアジア人として初のメジャータイトル4階級制覇を達成した。
  
== 戦績 ==
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2008年12月6日、[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]と "The DREAM MATCH"(夢の対決)と銘打たれたウェルター級ノンタイトルマッチで対戦。1Rからパッキャオが主導権を握り、一方的な攻勢の末に8R終了時TKO勝ちを収めた。この試合は2008年の The Ring 年間アップセット賞に選出された。
* [[アマチュアボクシング]]: 64戦
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* [[プロボクシング]]: 52戦 48勝 (37KO) 3敗 2分
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2008年末は表彰ラッシュとなり、フィリピンのSports man of the year 2008を受賞。さらに[[世界ボクシング評議会]]、[[Yahoo!]]スポーツ部門、[[Google]]スポーツ部門、アメリカ合衆国最大の総合スポーツ雑誌『[[スポーツ・イラストレイテッド]]』において2008年最優秀選手賞を受賞した<ref>『ボクシング・マガジン』2009年7月号より。</ref>。
{{fightstatscont|1|1995年1月22日|☆|4R|判定|ティティング・イグナシオ|{{PHL}}|プロデビュー戦}}
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[[ファイル:パッキャオ他.jpg|thumb|{{small|2009年4月、マンチェスターのトラフォード・センターにて。左からフロイド・メイウェザー・シニア、ハットン、パッキャオ、フレディ・ローチ}}]]
{{fightstatscont|3|1995年5月1日|☆|6R|判定|ロッキー・パルマ|{{PHL}}|--}}
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2009年5月2日、ラスベガスにて「[[スーパーライト級]]現役最強」と評価されていたイングランドの国民的英雄[[リッキー・ハットン]]と対戦。1Rからパッキャオが2度のダウンを奪い、2R終盤に左のカウンター一撃で痛烈なKO勝ちをし、IBO・The Ring世界ライトウェルター級タイトルを獲得した。この試合は2009年の The Ring 年間KO賞に選出された。
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{{fightstatscont|5|1995年8月3日|☆|6R|判定|フラッシュ・シンバジョン|{{PHL}}|--}}
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2009年11月14日、ラスベガスMGMグランドガーデンにてプエルトリコのスーパースター、[[ミゲール・コット]]の持つWBO世界ウェルター級タイトルに挑戦。パッキャオが3Rに右フックで、4Rに左アッパーで2回のダウンを奪うと試合は一方的になり、12Rにロープ際に詰められたコットにレフェリーがストップをかけた。こうして12RTKO勝ちを収め、5階級制覇を達成。WBO世界ウェルター級タイトルとWBCが新設したダイヤモンドタイトルを獲得した。
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{{fightstatscont|7|1995年10月7日|☆|8R|判定|ロリト・ラロア|{{PHL}}|--}}
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2010年3月13日、テキサス州のカウボーイスタジアムにてガーナの鉄人[[ジョシュア・クロッティ]]を相手にWBO世界ウェルター級タイトルの初防衛戦を行い、防御一辺倒の挑戦者を終始圧倒、フルマークが付く大差判定勝ちで初防衛に成功した<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2010/03/blog-post_8133.html パッキアオ一方的判定勝ち WBO王座V1] ボクシングニュース「Box-on!」 2010年3月14日</ref>。
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== 戦績 ==
{{fightstatscont|10|1995年12月9日|☆|10R|判定|ローランド・ツユゴン|{{PHL}}|--}}
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* アマチュアボクシング:64戦 60勝 4敗
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* プロボクシング:56戦 51勝 (38KO) 3敗 2分
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{{fightstatscont|36|2001年11月10日||6R|負傷|アガピト・サンチェス|{{DOM}}|防衛1/[[世界ボクシング機構|WBO]]世界Jフェザー級王座挑戦}}
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{{Fightstatscont|24|1998年5月18日|☆|1R 2:59|TKO|寺尾新|{{JPN}}(八王子中屋)|}}
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{{Fightstatscont|25|1998年12月4日|☆|8R|TKO|チャチャイ・ダッチボーイジム|{{THA2}}|WBC世界フライ級タイトルマッチ}}
{{fightstatscont|38|2002年10月26日|☆|1R|TKO|ファーブラコム・ラキットジム|{{THA}}|防衛3}}
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{{Fightstatscont|26|1999年2月20日|☆|3R|TKO|トッド・マケリン|{{AUS}}|}}
{{fightstatscont|39|2003年3月15日|☆|5R|TKO|エリクザーン・イェシュマンベトフ|{{KAZ}}|--}}
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{{Fightstatscont|27|1999年4月24日|☆|4R 2:45|KO|ガブリエル・ミナ|{{MEX}}|WBC防衛1}}
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{{Fightstatscont|28|1999年9月17日|★|3R 1:32|KO|メッドグン・3Kバッテリー|{{THA2}}|WBC失冠}}
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{{Fightstatscont|29|1999年12月18日|☆|2R|TKO|レイナンテ・ハミリ|{{PHL2}}|WBCインターナショナルスーパーバンタム王座決定戦}}
{{fightstatscont|42|2004年5月8日||12R|判定|[[ファン・マヌエル・マルケス]]|{{MEX}}|[[国際ボクシング連盟|IBF]]/[[世界ボクシング協会|WBA]]世界フェザー級王座挑戦}}
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== 獲得タイトル ==
 
== 獲得タイトル ==
* [[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]東洋太平洋[[フライ級]]王座
+
* OPBF東洋太平洋フライ級タイトル
* [[世界ボクシング評議会|WBC]]世界フライ級王座
+
* WBC世界フライ級タイトル
* [[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[スーパーバンタム級]]王座
+
* WBCインターナショナルスーパーバンタム級タイトル
* WBCインターナショナル [[スーパーフェザー級]]王座
+
* IBF世界ジュニアフェザー級タイトル
* WBC世界スーパーフェザー級王座
+
* The Ring世界フェザー級タイトル
* WBC世界[[ライト級]]王座
+
* WBCインターナショナルスーパーフェザー級タイトル
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* WBC世界スーパーフェザー級タイトル
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* The Ring世界スーパーフェザー級タイトル
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* WBC世界ライト級タイトル
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* IBO世界ライトウェルター級タイトル
 +
* The Ring世界ライトウェルター級タイトル
 +
* WBO世界ウェルター級タイトル
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* WBCダイヤモンドタイトル
  
== エピソード・その他 ==
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== 主な表彰 ==
* 弟の[[:en:Bobby Pacquiao|ボビー・パッキャオ]]もプロボクサー。
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* The Ring 年間最優秀選手賞 – 2006年、2008年、2009年
* [[1998年]][[5月18日]]に日本のリングにあがり、ノンタイトル戦で[[寺尾新]](八王子中屋)を1回TKOで下している。
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* フィリピン Sports man of the year 2008
* ボクサーとして成功する前は建設作業員をやっていた。
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* WBC 2008年最優秀選手賞
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* Yahoo! スポーツ部門2008年最優秀選手賞
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* Google スポーツ部門2008年最優秀選手賞
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* スポーツ・イラストレイテッド2008年最優秀選手賞 (2008 Sports Illustrated Boxer of the Year)
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* TIME "The World's Most Influential People" Heroes & Icons部門2009年版100人入り
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== 脚注 ==
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{{Reflist}}
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 
* [[男子ボクサー一覧]]
 
* [[男子ボクサー一覧]]
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]]
 
* [[国際ボクシング連盟世界王者一覧|国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧]]
 
* [[東洋太平洋ボクシング連盟王者一覧]]
 
* [[ボクシング現王者一覧]]
 
* [[カッコよすぎる漢]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://mannypacquiao.ph/ :::: P A C L A N D ::::]
 
* [http://mannypacquiao.ph/ :::: P A C L A N D ::::]
* [http://www.manny-pacquiao.net/ Manny Pacquiao | Pictures | Videos | News | Merchandise]
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* [http://pacman.craveonline.com/ Manny Pacquiao Official Site]
* [http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=6129&cat=boxer BoxRecによる戦績]
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* [http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=6129&cat=boxer BoxRec – Manny Pacquiao]
* [http://www.thering-online.com/ringpages/ratings2.html The Ring誌によるランキング]
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{{Championshiptitle|第26代|[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]|東洋太平洋[[フライ級]]|チョクチャイ・チョクビワット|メルビン・マグラモ|1997年6月26日 - 1998年9月(返上)}}
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2020年1月11日 (土) 00:09時点における最新版

マニー・パッキャオ
パッキャオ2.jpg
2010年8月26日、フィリピンのネグロス・オクシデンタル州ドゥマゲテに所在するシリマン大学にて
基礎データ
本名 Emmanuel Dapidran Pacquiao
通称 Pacman
階級 ライトフライ級ウェルター級
身長
リーチ
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
生年月日 1978年12月17日(2024-1978)+((11-12)*100+(28-17)>=0)-1歳)
出生地 フィリピン南コタバト州
ジェネラルサントス市
没年月日
死没地
所属
構え サウスポー
入場曲
アマチュアボクシング戦績
総試合数 64
60
KO・RSC勝
4
無効試合
獲得メダル
オリンピック 0 0 0
世界選手権 0 0 0
ヨーロッパ選手権 0 0 0
アジア選手権 0 0 0
世界ユース選手権 0 0 0
世界ジュニア選手権 0 0 0
世界女子選手権 0 0 0
0 0 0
獲得タイトル
全日本選手権優勝 0
全日本社会人選手権優勝 0
全日本女子選手権優勝 0
全国高校総体優勝 0
全国高校選抜優勝 0
国民体育大会優勝 0
0
0
0
プロボクシング戦績
総試合数 56
51
KO勝 38
3
2
無効試合
テンプレートを表示

マニー・パッキャオManny Pacquiao、1978年12月17日生まれ)は、フィリピンのプロボクサー。本名はエマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ。ブキドノン州(現・南コタバト州)ジェネラルサントス市出身。政党 "People's Champ Movement" 党首。パッキアオ、パキャオとも表記される。元WBC世界フライ級チャンピオン、IBF世界ジュニアフェザー級(スーパーバンタム級)チャンピオン、WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン、WBC世界ライト級チャンピオン。現WBO世界ウェルター級チャンピオン。

人物[編集]

パックマンの愛称で知られ、サウスポースタイルからの左ストレートを主武器に数々の豪快なKO勝ちや名勝負、番狂わせの勝利を連発して幾多の一流世界チャンピオンを撃破し、アジア人初のメジャー世界タイトル5階級制覇チャンピオンとなった。2008年12月6日のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦のフィリピンでのテレビ視聴率は98%を記録し、アジア人史上最高額となる1試合2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した。現在、多くのボクシング専門誌・サイトのパウンド・フォー・パウンドランキングで1位となっている。その一方で、自らもボクシングプロモーターとしてMPプロモーションを設立。自身が選手としてプロモート契約しているボブ・アラム率いるトップランク社と提携して、有望なフィリピン人ボクサーを自分の興行に出場させている。

パッキャオは祖国フィリピンの国民的英雄でグロリア・アロヨ大統領とも懇意。自ら結党した政党は "People's Champ Movement"(パッキャオ運動)と名づけた。2008年12月にはフィリピンのアティエンザ環境天然資源相が2009年度予算の上院審議をすっぽかして、パッキャオの対デラホーヤ戦の応援に駆けつけた。アティエンザは「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」と答弁をして話題になった[1]。2007年5月にはミンダナオ島南コタバト州から下院選挙に出馬したが落選。2010年5月の下院選挙に同島サランガニ州から再度挑戦し、選出された。弟のボビー・パッキャオもプロボクサーである。

来歴[編集]

アマチュアボクシングでナショナルチーム入りを果たすなど、64戦60勝4敗の戦績を残した後、1995年1月22日、16歳1か月にしてライトフライ級でプロデビュー。12戦目で初黒星を喫するまで、ライトフライ級とバンタム級の間を行ったり来たりしていた。この敗戦以降はフライ級に留まる。1998年5月18日には日本のリングにあがり、ノンタイトル戦で寺尾新を1回TKOで下した。

1998年12月4日、27戦目でチャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)から8回KOでWBC世界フライ級タイトルを獲得。1999年9月17日、2度目の防衛戦では、前日計量の体重超過で失格し試合前にタイトルを剥奪され、メッドグン・3Kバッテリー(タイ)に3回KO負けを喫した。

その後、スーパーバンタム級まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナルタイトルを獲得。これを5度防衛し、2001年6月23日に、元チャンピオンのエンリケ・サンチェスの欠場で世界タイトル挑戦のチャンスを得て、IBF世界ジュニアフェザー級チャンピオンのレーロホノロ・レドワバと対戦。パッキャオはレドワバから3度ダウンを奪い、一方的な6回TKO勝ちで2階級制覇を達成した。

IBFタイトルを4度防衛し、2003年11月15日に、メキシコのスーパースター、マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)と対戦。下馬評はバレラが圧倒的に有利だったが、左ストレートを武器にバレラのガードを破って3回と11回にダウンを奪い、11回TKO勝ちでThe Ring世界フェザー級チャンピオンとなった。この番狂わせで評価と注目を獲得した。

2004年5月8日、WBA・IBF統一世界フェザー級チャンピオンファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦。この試合でパッキャオは1Rに3度もダウンを奪ったが、猛反撃を受けて、引き分けとなった。

2005年3月19日、階級をスーパーフェザー級に上げ、バレラにWBC世界スーパーフェザー級タイトルを明け渡したばかりの元3階級チャンピオンエリック・モラレスと対戦。善戦したが0-3で判定負けする。半年後のWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦で6回TKOで勝利すると、2006年1月21日にエリック・モラレスと再戦。10回TKO勝ちでリベンジを果たした。同年11月18日にモラレスとのラバーマッチは3回KO勝利し、ライバルとの決着をつけた。

2007年10月6日、マルコ・アントニオ・バレラとの再戦で12回判定勝ち(バレラは試合後に現役引退を表明)。

2008年3月15日、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と4年半ぶりに再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る激闘の末、2-1の判定勝ち。WBC・The Ring世界スーパーフェザー級チャンピオンとなり、アジア人として初のメジャータイトル3階級制覇を達成した。

2008年6月29日、デビッド・ディアス(米国)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界ライト級タイトルを獲得すると共にアジア人として初のメジャータイトル4階級制覇を達成した。

2008年12月6日、オスカー・デ・ラ・ホーヤと "The DREAM MATCH"(夢の対決)と銘打たれたウェルター級ノンタイトルマッチで対戦。1Rからパッキャオが主導権を握り、一方的な攻勢の末に8R終了時TKO勝ちを収めた。この試合は2008年の The Ring 年間アップセット賞に選出された。

2008年末は表彰ラッシュとなり、フィリピンのSports man of the year 2008を受賞。さらに世界ボクシング評議会Yahoo!スポーツ部門、Googleスポーツ部門、アメリカ合衆国最大の総合スポーツ雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』において2008年最優秀選手賞を受賞した[2]

2009年4月、マンチェスターのトラフォード・センターにて。左からフロイド・メイウェザー・シニア、ハットン、パッキャオ、フレディ・ローチ

2009年5月2日、ラスベガスにて「スーパーライト級現役最強」と評価されていたイングランドの国民的英雄リッキー・ハットンと対戦。1Rからパッキャオが2度のダウンを奪い、2R終盤に左のカウンター一撃で痛烈なKO勝ちをし、IBO・The Ring世界ライトウェルター級タイトルを獲得した。この試合は2009年の The Ring 年間KO賞に選出された。

2009年11月14日、ラスベガスMGMグランドガーデンにてプエルトリコのスーパースター、ミゲール・コットの持つWBO世界ウェルター級タイトルに挑戦。パッキャオが3Rに右フックで、4Rに左アッパーで2回のダウンを奪うと試合は一方的になり、12Rにロープ際に詰められたコットにレフェリーがストップをかけた。こうして12RTKO勝ちを収め、5階級制覇を達成。WBO世界ウェルター級タイトルとWBCが新設したダイヤモンドタイトルを獲得した。

2010年3月13日、テキサス州のカウボーイスタジアムにてガーナの鉄人ジョシュア・クロッティを相手にWBO世界ウェルター級タイトルの初防衛戦を行い、防御一辺倒の挑戦者を終始圧倒、フルマークが付く大差判定勝ちで初防衛に成功した[3]

戦績[編集]

  • アマチュアボクシング:64戦 60勝 4敗
  • プロボクシング:56戦 51勝 (38KO) 3敗 2分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1995年1月22日 4R 判定 ティティング・イグナシオ フィリピンの旗 フィリピン プロデビュー戦
2 1995年3月18日 4R 判定 ピノイ・モンテジョ Flag of the Philippines.svg フィリピン
3 1995年5月1日 6R 判定 ロッキー・パルマ Flag of the Philippines.svg フィリピン
4 1995年7月1日 2R TKO デール・ダシアート Flag of the Philippines.svg フィリピン
5 1995年8月3日 6R 判定 フラッシュ・シンバジョン Flag of the Philippines.svg フィリピン
6 1995年9月16日 3R KO アルマン・ロルシ Flag of the Philippines.svg フィリピン
7 1995年10月7日 8R 判定 ロリト・ラロア Flag of the Philippines.svg フィリピン
8 1995年10月21日 2R TKO レナト・メンドネス Flag of the Philippines.svg フィリピン
9 1995年11月11日 3R TKO ロドルフォ・フェルナンデス Flag of the Philippines.svg フィリピン
10 1995年12月9日 10R 判定 ローランド・ツユゴン Flag of the Philippines.svg フィリピン
11 1996年1月13日 5R TKO リト・トレホス Flag of the Philippines.svg フィリピン
12 1996年2月9日 3R KO ルスティコ・トーレカンポ Flag of the Philippines.svg フィリピン
13 1996年4月27日 10R 判定 マーロン・カリーリョ Flag of the Philippines.svg フィリピン
14 1996年5月20日 4R TKO ジョン・メディナ Flag of the Philippines.svg フィリピン
15 1996年6月15日 4R TKO バート・バティラー Flag of the Philippines.svg フィリピン
16 1996年7月27日 2R TKO イッポ・ガラ インドネシアの旗 インドネシア
17 1996年12月28日 2R TKO イ・サンユル Flag of South Korea.svg 大韓民国
18 1997年3月8日 1R KO マイケル・ルナ Flag of the Philippines.svg フィリピン
19 1997年4月24日 1R KO 李旭基 大韓民国の旗 韓国
20 1997年5月30日 6R TKO アリエル・オーストリア Flag of the Philippines.svg フィリピン
21 1997年6月26日 5R KO チョクチャイ・チョクビワット タイ王国の旗 タイ OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ
22 1997年9月13日 10R 判定 メルビン・マグラモ Flag of the Philippines.svg フィリピン
23 1997年12月6日 1R 1:38 KO タノンディ・シンワンチャー Flag of Thailand.svg タイ王国 OPBF防衛1
24 1998年5月18日 1R 2:59 TKO 寺尾新 日本の旗 日本(八王子中屋)
25 1998年12月4日 8R TKO チャチャイ・ダッチボーイジム Flag of Thailand.svg タイ王国 WBC世界フライ級タイトルマッチ
26 1999年2月20日 3R TKO トッド・マケリン オーストラリアの旗 オーストラリア
27 1999年4月24日 4R 2:45 KO ガブリエル・ミナ メキシコの旗 メキシコ WBC防衛1
28 1999年9月17日 3R 1:32 KO メッドグン・3Kバッテリー Flag of Thailand.svg タイ王国 WBC失冠
29 1999年12月18日 2R TKO レイナンテ・ハミリ Flag of the Philippines.svg フィリピン WBCインターナショナルスーパーバンタム王座決定戦
30 2000年3月4日 4R KO アーネリル・バロテリオ Flag of the Philippines.svg フィリピン WBCインター防衛1
31 2000年6月28日 1R TKO 蔡昇坤 Flag of South Korea.svg 大韓民国 WBCインター防衛2
32 2000年10月14日 10R 2:00 TKO ナデル・フセイン オーストラリアの旗 オーストラリア WBCインター防衛3
33 2001年2月24日 5R TKO 千里馬哲虎 Flag of Japan.svg 日本(千里馬神戸) WBCインター防衛4
34 2001年4月28日 6R KO クマンペット・キャットボラフォン Flag of Thailand.svg タイ王国 WBCインター防衛5
35 2001年6月23日 6R 0:59 TKO レーロホノロ・レドワバ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 IBF世界ジュニアフェザー級タイトルマッチ/2階級制覇
36 2001年11月10日 6R 1:12 負傷判定1-1 アガピト・サンチェス ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 IBF・WBO世界ジュニアフェザー級タイトルマッチ/IBF防衛1
37 2002年6月8日 2R 1:09 TKO ホルヘ・エリセール・フリオ コロンビアの旗 コロンビア IBF防衛2
38 2002年10月26日 1R 2:46 TKO ファーブラコム・ラキットジム Flag of Thailand.svg タイ王国 IBF防衛3
39 2003年3月15日 5R 1:52 TKO エリクザーン・イェシュマンベトフ カザフスタンの旗 カザフスタン
40 2003年7月26日 3R 0:48 KO エマヌエル・ルセロ Flag of Mexico.svg メキシコ IBF防衛4
41 2003年11月15日 11R 2:56 TKO マルコ・アントニオ・バレラ Flag of Mexico.svg メキシコ The Ring・世界フェザー級タイトルマッチ
42 2004年5月8日 12R 判定1-1 ファン・マヌエル・マルケス Flag of Mexico.svg メキシコ IBF・WBA世界フェザー級タイトルマッチ
43 2004年12月11日 4R 1:26 TKO ファーサン・3Kバッテリー Flag of Thailand.svg タイ王国 IBF世界フェザー級挑戦者決定戦
44 2005年3月19日 12R 判定0-3 エリック・モラレス Flag of Mexico.svg メキシコ WBCインターナショナル・IBA世界スーパーフェザー級王座決定戦
45 2005年9月10日 6R 2:59 TKO エクトール・ベラスケス Flag of Mexico.svg メキシコ WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦
46 2006年1月21日 10R 2:33 TKO エリック・モラレス Flag of Mexico.svg メキシコ WBCインター防衛1
47 2006年7月2日 12R 判定3-0 オスカー・ラリオス Flag of Mexico.svg メキシコ WBCインター防衛2
48 2006年11月18日 3R 2:57 TKO エリック・モラレス Flag of Mexico.svg メキシコ WBCインター防衛3
49 2007年4月14日 8R 1:16 KO ホルヘ・ソリス Flag of Mexico.svg メキシコ WBCインター防衛4
50 2007年10月6日 12R 判定3-0 マルコ・アントニオ・バレラ Flag of Mexico.svg メキシコ WBCインター防衛5
51 2008年3月14日 12R 判定2-1 ファン・マヌエル・マルケス Flag of Mexico.svg メキシコ WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ/3階級制覇、The Ring・世界スーパーフェザー級王座決定戦
52 2008年6月29日 9R 2:24 KO デビッド・ディアス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC世界ライト級タイトルマッチ/4階級制覇
53 2008年12月6日 8R 3:00 TKO オスカー・デ・ラ・ホーヤ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
54 2009年5月2日 2R 2:59 KO リッキー・ハットン イギリスの旗 イギリス IBO・The Ring・世界ライトウェルター級タイトルマッチ
55 2009年11月14日 12R 0:59 TKO ミゲール・コット プエルトリコの旗 プエルトリコ WBO世界ウェルター級タイトルマッチ/5階級制覇
56 2010年3月13日 12R 判定3-0 ジョシュア・クロッティ ガーナの旗 ガーナ WBO防衛1

獲得タイトル[編集]

  • OPBF東洋太平洋フライ級タイトル
  • WBC世界フライ級タイトル
  • WBCインターナショナルスーパーバンタム級タイトル
  • IBF世界ジュニアフェザー級タイトル
  • The Ring世界フェザー級タイトル
  • WBCインターナショナルスーパーフェザー級タイトル
  • WBC世界スーパーフェザー級タイトル
  • The Ring世界スーパーフェザー級タイトル
  • WBC世界ライト級タイトル
  • IBO世界ライトウェルター級タイトル
  • The Ring世界ライトウェルター級タイトル
  • WBO世界ウェルター級タイトル
  • WBCダイヤモンドタイトル

主な表彰[編集]

  • The Ring 年間最優秀選手賞 – 2006年、2008年、2009年
  • フィリピン Sports man of the year 2008
  • WBC 2008年最優秀選手賞
  • Yahoo! スポーツ部門2008年最優秀選手賞
  • Google スポーツ部門2008年最優秀選手賞
  • スポーツ・イラストレイテッド2008年最優秀選手賞 (2008 Sports Illustrated Boxer of the Year)
  • TIME "The World's Most Influential People" Heroes & Icons部門2009年版100人入り

脚注[編集]

  1. <フィリピン>大臣が予算審議すっぽかし米でボクシング応援 毎日新聞 2008年12月12日
  2. 『ボクシング・マガジン』2009年7月号より。
  3. パッキアオ一方的判定勝ち WBO王座V1 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年3月14日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前チャンピオン
チョクチャイ・チョクビワット
第26代OPBF東洋太平洋フライ級チャンピオン

1997年6月26日 – 1998年9月(返上)

空位
次タイトルホルダー
メルビン・マグラモ
前チャンピオン
チャッチャイ・ダッチボーイジム
第31代WBC世界フライ級チャンピオン

1998年12月4日 – 1999年9月17日(剥奪)

空位
次タイトルホルダー
メッドグン・3Kバッテリー
前チャンピオン
レーロホノロ・レドワバ
第11代IBF世界ジュニアフェザー級チャンピオン

2001年6月23日 – 2003年(返上)

空位
次タイトルホルダー
イスラエル・バスケス
前チャンピオン
ファン・マヌエル・マルケス
第28代WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン

2008年3月15日 – 2008年6月16日(返上)

空位
次タイトルホルダー
ウンベルト・ソト
前チャンピオン
デビッド・ディアス
第27代WBC世界ライト級チャンピオン

2008年6月28日 – 2009年2月24日(返上)

空位
次タイトルホルダー
エドウィン・バレロ
前王者
ミゲール・コット
第18代WBO世界ウェルター級王者

2009年11月14日 – 現在

次王者
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