「民主党の派閥」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの作成:「'''民主党の派閥'''(みんしゅとうのはばつ)では、民主党(1998年以降)派閥について解説する。報道...」)
 
(LTA:RXYによる悪質なスクリプト荒らしの差し戻し。)
 
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示)
(相違点なし)

2020年1月10日 (金) 23:43時点における最新版

民主党の派閥(みんしゅとうのはばつ)では、民主党(1998年以降)派閥について解説する。報道では民主党のグループと呼称されることが多い。

概要[編集]

民主党に所属する国会議員は、政治信条・出身政党・支持母体・中心的な政策課題などに基づいた党内集団を形成している。報道では、自由民主党の派閥が派閥の領袖の名を取って「○○派」と呼称されるのに倣い、民主党の派閥(グループ)も代表者や領袖の名を取って「○○グループ」と呼称される。

自民党の派閥は、党内に古くからある官僚派と党人派など個人的経歴、前身となる政党、世襲的な沿革や人間関係、選挙区事情その他の理由により発生・存続した党内集団で、派閥参加に当たって、政治信条や政策等の考え方の違いはさほど重視されない。派閥は、自民党が一党優位与党として、自由民主党総裁がすなわち内閣総理大臣に就く強い権力持った55年体制の時期に発達した。この時期は、同一の選挙区に自民党候補が複数擁立された中選挙区制時代にもあたる。この55年体制かつ中選挙区制の時代には、派閥の領袖を総裁にするため、また、政府・議院・党内の役職を構成員が獲得するため、自民党と他の政党(日本社会党などの野党)という政党間の対立に匹敵する対立構造が自民党内に生じ、派閥が大きな影響力を有した。派閥の領袖・幹部は多くの政治資金を集めて派閥の構成員に分配し、派閥の構成員は派閥の領袖・幹部らが示唆する政治行動を採ることにより、派閥は強い結束力と行動力、上意下達の統率力を持った。

これに対して民主党の派閥(グループ)は、民主党が55年体制の終焉後、かつ、小選挙区制の時代に生まれた政党であるため、自民党の派閥とは多くの点で異なっている。民主党のグループには、出身政党や支持母体などにより発生したものもあるものの、政治信条や国家観を同じくし、関心を持つ政策課題を同じくする者が寄り集まった勉強会・研究会といった性格のものも多いため、複数のグループに所属する者も多い。グループのリーダーや中心者を民主党代表にする、役職を獲得するといった明確な目標を持たないグループもあるため、グループとしてまとまって党の役職を求めていくといった活動をあまり行わないことも多い。また、グループのリーダーがメンバーに政治資金を分配して養うといった関係も生じにくく、トップダウンの命令型でグループ内の意思を統一させることも難しい。民主党代表選においても、一般世論と同様に、演説や選挙活動を通じて知らされる代表候補の政治信条や政策、個人的関係や印象を各自が判断して投票行動を決める国会議員が多い。このため、グループの実態は「どの派の考え方が時流に沿っているかによって支持を決める中間派が大多数」ともいわれ、緩やかなまとまりを持つ集団と考えられている。

民主党が党勢を拡大し、所属議員数も増加するに従って、政治的・社会的にも大きな力を持つようになったため、党内のグループも党内外に影響力を強め、自民党の派閥に似た機能を持つグループも増えた。2009年(平成21年)に行われた第45回衆議院議員総選挙により民主党が政権を獲得した後は、この傾向がより強まっている。特に、民主党の元代表政権交代時の幹事長でもある小沢一郎を中心としたグループは、早くから派閥類似の機能と体制を持っており、同総選挙で誕生した大量の新人議員は、小沢チルドレンと呼ばれて多くは小沢グループに所属し、小沢の政治的影響力を高めた。

民由合併により自由党から合流した議員を中心とする小沢グループのほか、旧民主党の結成時に社会民主党(旧日本社会党)から合流した議員を中心とする横路グループ民主友愛太陽国民連合の統合による新民主党の結成時に新党友愛(旧民社党)から合流した議員を中心とする川端グループ、旧民主党の結成時に新党さきがけなどから合流した議員を中心とする菅グループの4グループは、比較的強い結束力を持つとされる。

党内情勢[編集]

2009年(平成21年)の政権交代時、鳩山政権発足時には、幹事長の小沢と党代表で首相鳩山由紀夫から一字をとって「小鳩体制」と呼ばれ、党の実権を握っている小沢と協調している小沢グループ鳩山グループ横路グループ川端グループ羽田グループが「主流派」、小沢から距離を置く前原グループ野田グループが「非主流派」、双方と微妙な距離を取る菅グループが「中間派」とみられていた。

2010年(平成22年)に菅政権が発足すると、党内情勢は一転して、代表選で菅を支えた菅グループ前原グループ野田グループが「主流三派」と呼ばれ、これと相対した小沢グループ鳩山グループ樽床グループが「非主流派」となり、横路グループ川端グループ羽田グループが「中間派」となった。また、これらの代表選を通じて、いざという時の「数」の大切さを認識した前原グループなどがさらに結束を固めるべく、自民党の派閥さながらに毎週会合を持つようになるなど「派閥化」の兆候も見られるようになった。さらに、小沢鋭仁グループ平野グループ原口グループ玄葉グループなどの新興中間派が相次いで形成された。

2011年(平成23年)に野田政権が発足すると、主流三派に加え、玄葉グループと代表戦後に発足した鹿野グループが主流派入りを果たした。さらに、中間派、非主流派からも要職に起用して、党内融和を図った。しかし、2012年(平成24年)夏には、野田政権が最重点政策課題とした消費税増税法案をめぐって党内対立が激しくなった。結局、同法案の衆議院本会議の採決時に小沢グループの構成員の大半は反対票を投じ、多くは民主党を離党して、国民の生活が第一を結党した。また、小沢と袂を分かち、党に残留した細野豪志なども新たにグループを立ち上げ、党内グループの再編が加速した。

2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では多くの衆議院議員が落選して民主党は下野し、野田は代表を辞任した。グループの領袖、主要メンバーの落選により事実上消滅に追い込まれたグループも相次ぎ、海江田執行部体制では勢力図は一変した。産経新聞の調べによると、海江田執行部体制における民主党の主要グループは赤松グループ・大畠グループ(鹿野グループから改称)・細野グループ・前原グループ・菅グループ・野田グループの6グループで、その中では赤松グループ・大畠グループ・細野グループが主流派とみなされている。また毎日新聞では、旧民社党グループ(高木グループ)、旧社会党グループ(横路グループ)なども主要グループとして挙げられている。2013年(平成25年)の参議院選挙後細野グループ(後に細野派と改称)は非主流派に転落。2014年(平成26年)の党役員人事の刷新により赤松グループ・大畠グループ・旧民社党グループ・横路グループに加え自主再建派の菅グループ・前原グループの枝野派が主流派、野党再編派の細野派・前原グループの前原派は非主流派、野田グループ・北澤グループ・旧平野グループ(衆議院選後は平野グループ)は中間派となった。

主なグループ[編集]

政権交代前に形成されたグループ[編集]

2009年(平成21年)の政権交代前から、概ね出身党派や世代に基づくグループが形成されている。1996年(平成8年)に結成された旧民主党系のグループとしては、旧さきがけ右派中心の鳩山グループ、同左派中心の菅グループ社会民主党(旧日本社会党)中心の横路グループ、旧日本新党の中堅・若手を中心とする前原グループ護憲派の平岡・近藤グループがあり、政治的立場はリベラルな傾向にある。一方、旧新進党系のグループとしては、旧自由党系の小沢グループ、旧新党友愛(旧民社党)系の川端グループ、旧民政党系の羽田グループ松下政経塾出身者を中心とする野田グループがあり、政治的立場は比較的保守的な傾向にある。

政権交代前に形成されたグループは以下のとおり。下線は休眠中または解散したグループで、中心議員等の情報は活動当時のものを示す。

名称・通称 中心議員 旧中心議員
(元職含む)
備考
小沢グループ
小沢一郎
田中直紀
鈴木克昌
中井洽
藤井裕久
東祥三
山田正彦
自由党出身議員らで構成された旧自由党グループ、中堅・若手衆議院議員らで構成された一新会、新人衆議院議員らで構成された北辰会、参議院議員らで構成された木曜会、これらを統合した超党派の新しい政策研究会など、かつて小沢を支持していたグループの総称。2012年(平成24年)7月に小沢らが離党して国民の生活が第一を結党したため、民主党のグループとしては消滅した。
政権公約を実現する会
旧鳩山グループ
岡田克也
松野頼久
鳩山由紀夫
川内博史
小平忠正
日本新党新党さきがけ市民リーグから合流した旧民主党右派や、新進党出身議員などを母体とするグループ。
国のかたち研究会
菅グループ
菅直人
江田五月
小川敏夫
西村智奈美
岡崎トミ子
細川律夫
長妻昭
日本新党新党さきがけ社会民主党から合流した旧民主党左派や、民主改革連合出身議員などを母体とするグループ。
新政局懇談会
横路グループ
横路孝弘
輿石東
郡司彰
千葉景子 日本社会党社会民主党から合流した旧民主党左派を母体とするグループ。旧社会党グループとも呼ばれ、連合傘下の旧総評系労組を支持基盤とする。
民社協会
高木グループ
高木義明
川端達夫
直嶋正行
米沢隆
中野寛成
民社党新進党新党友愛出身議員を母体とするグループ。旧民社党グループとも呼ばれ、連合傘下の旧同盟系労組を支持基盤とする。
政権戦略研究会
旧羽田(孜)グループ
羽田雄一郎
北澤俊美
中川正春
松沢成文
羽田孜
渡部恒三
新生党新進党民政党出身議員を母体とするグループ。
凌雲会
前原グループ
前原誠司
枝野幸男
安住淳
古川元久
山井和則
仙谷由人
小宮山洋子
松下政経塾出身議員や、日本新党新党さきがけから合流した旧民主党出身の中堅・若手議員などを母体とするグループ。
花斉会
野田グループ
野田佳彦
蓮舫
長浜博行
藤村修
馬淵澄夫
松下政経塾出身議員や、日本新党新進党出身の中堅・若手議員などを母体とするグループ。
リベラルの会
近藤グループ
近藤昭一
寺田学
平岡秀夫 護憲派の中堅・若手議員らで構成されたグループ。新党さきがけ社会民主党から合流した旧民主党左派を中心とする。

政権交代後に発足したグループ[編集]

2009年(平成21年)の政権交代後、鳩山政権下ではグループの形成の動きは特になかったが、翌2010年(平成22年)の菅政権成立後には、中堅・若手議員らにより多くのグループが形成されている。2010年(平成22年)のうちに、6月の代表選における樽床支持派を中心に樽床グループ平野グループが自立し、独自の活動を開始した。2011年(平成23年)に入ると菅おろしが本格化し、中堅の有力議員を担ぐ形で原口グループ玄葉グループが結成された他、若手・新人議員らによるグループの結成も相次いだ。さらに、同年8月の代表選における鹿野支持派を中心に鹿野グループが結成された。この内、樽床グループ、小沢鋭仁グループ、平野グループ、原口グループは、その構成から比較的小沢グループに近いとされていた。野田政権成立後、2012年(平成24年)に入ると消費税増税法案への賛否をめぐって党内対立が激化し、7月に小沢グループの多くが民主党を離党して国民の生活が第一を結党した一方、9月の代表選における赤松支持派を中心に赤松グループが結成され、10月には細野グループが結成された。しかし、同年12月の第46回衆議院議員総選挙で民主党は惨敗して下野し、多くのグループが衰退した。

なおこの間、これらのグループの他に、個別的政策に焦点を絞った主張を掲げるグループも形成されている。2010年(平成22年)の菅政権下では、韓国併合に関する菅談話に批判的な保守派議員らにより、松原仁を中心とする日本国研究会が結成された。2011年(平成23年)の野田政権成立後には、馬淵澄夫を中心とする原子力バックエンド問題勉強会、小沢鋭仁と馬淵を中心とする円高・欧州危機等対応研究会が結成された。

2014年(平成26年)には、細野グループが結束を強化する形で細野派に改組された。

政権交代後に発足したグループは以下のとおり。下線は休眠中または解散したグループで、中心議員等の情報は活動当時のものを示す。

名称・通称 中心議員 旧中心議員
(元職含む)
備考
21世紀国家ビジョン研究会
旧小沢鋭仁グループ
小沢鋭仁 五十嵐文彦
糸川正晃
小沢鋭仁を支持する中堅・若手議員らで構成された中間派グループ。小沢グループ鳩山グループ出身議員を中心とする。2012年(平成24年)11月に小沢鋭仁が日本維新の会に移籍したため、民主党のグループとしては事実上消滅した。
青山会
旧樽床グループ
松本剛明
伴野豊
樽床伸二
三井弁雄
2010年(平成22年)6月の代表選で樽床を支持した中堅・若手議員らで構成された中間派グループ。小沢グループ鳩山グループ出身議員を中心とする。
雄志会
平野グループ
平野博文
松原仁
平野を支持する中堅・若手議員らで構成された中間派グループ。小沢グループ鳩山グループ出身議員を中心とする。
日本維新・V-democrats
原口グループ
原口一博
福田昭夫
中塚一宏 原口を支持する中堅・若手議員らで構成された超党派グループ。小沢グループ鳩山グループ出身議員を中心とする。
「日本のグランド・デザイン」研究会
玄葉グループ
玄葉光一郎
山口壮
大串博志
金子恵美
玄葉を支持する中堅・若手議員らで構成された中間派グループ。小沢グループ出身議員や菅グループ出身議員などが混在している。
国益を考える会
長島昭久
吉良州司
若手議員らで構成された保守派グループ。同様の保守派議員らで構成された国軸の会というグループもある。
メロスネット
津島恭一
城井崇
若手議員らで構成された中間派グループ。
真の一体改革を実現する一期生の会
旧福田グループ
福田衣里子 消費税増税に反対する若手議員らで構成されたグループ。
礎会
石津政雄 2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で初当選した新人議員らで構成された中間派グループ。
素交会
大畠グループ
大畠章宏
増子輝彦
佐々木隆博
鹿野道彦
中山義活
筒井信隆
2011年(平成23年)の代表選で鹿野を支持した中堅議員や農水系議員らで構成された中間派グループ。羽田グループ出身議員や菅グループ出身議員などが混在している。
サンクチュアリ
赤松グループ
赤松広隆 海江田万里
山花郁夫
2012年(平成24年)9月の代表選で赤松を支持した中堅議員らで構成されたグループ。横路グループの後継派閥とも見られている。
自誓会
細野派
細野豪志
黄川田徹
階猛
笠浩史
「第3世代」と呼ばれる当選5回以下の議員らで構成されたグループ。2012年(平成24年)10月に立ち上げた議員グループ「基本政策研究会」を発展し、2014年(平成26年)1月に立ち上げた。


各グループ代表者の所属党派の変遷[編集]

参考までに、各グループ代表者の所属党派の変遷を以下に示す(下線は旧代表者)。なお、平野博文(旧雄志会代表)と細野豪志(自誓会代表)は1998年(平成10年)の新民主党発足後に入党しているため図中に含まれていない。

各グループの所属人数の変遷[編集]

前述のように、民主党のグループは自民党の派閥に比べ緩やかな組織であるため、報道機関は人数に曖昧さを持たせて表現することが多い。以下では各グループの所属人数の変遷を記載する。

2009年民主党代表選挙の時期
2009年5月に行われた民主党代表選の時の報道では、朝日新聞は、「小沢氏の支持グループが約50人、鳩山氏の支持グループが約30人、前原氏の支持グループが約20人、野田氏の支持グループが約20人、菅氏の支持グループが約20人、旧民社党が約25人、旧社会党が約20人」と報じ、時事通信社は、「鳩山氏系が約30人、小沢氏系が約50人、羽田氏系が約15人、旧社会党系が約20人、旧民社党系が約20人、前原氏、野田氏それぞれを支援するグループが計約45人、菅氏のグループが約30人」と報じている。
2009年の第45回衆議院議員総選挙の直後
2009年8月に行われた第45回衆議院議員総選挙を経て、党所属議員が大幅に増加した。総選挙直後の各グループの所属人数は、朝日新聞によると、概数で小沢グループが150人、鳩山グループが45人、野田グループが35人、菅グループが30人、前原グループが30人、旧民社党グループが30人、旧社会党グループが30人、羽田グループが20人となっている。また産経新聞によると、小沢グループが約120人、鳩山グループが約45人、菅グループが約40人、前原グループが約30人、野田グループが約30人、旧社会党系が約25人、旧民社党系が約20人となっている。
2010年6月民主党代表選挙の時期
2010年6月に行われた民主党代表選挙の際の報道では、日本経済新聞社によると小沢グループが120人、鳩山グループが50人、野田グループが30人、菅グループが60人、前原グループが30人、旧民社党グループが40人、旧社会党グループが30人と報じられている。
2011年民主党代表選挙の時期
2011年8月に行われた民主党代表選挙の際の報道では、日本経済新聞社が複数のグループに所属する議員もいるとの但し書きをつけた上で、小沢グループが約130人、菅グループが約50人、前原グループが約50人、旧民社党グループが約40人、鳩山グループが約40人、野田グループが約30人、旧社会党グループが約30人と報じている。
2012年9月民主党代表選挙の時期
2012年9月に行われた民主党代表選挙の際の報道では、毎日新聞が前原グループが約40人、菅グループが約30人、鹿野グループが約30人、旧民社グループが約30人、旧社会グループが約30人、野田グループが約20人、鳩山グループが約10人、旧小沢系が約30人と報じている。
2012年の第46回衆議院議員総選挙の直後、2012年12月民主党代表選挙の時期
2012年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙で民主党は大敗し、党所属議員が大きく減少。毎日新聞によると、総選挙の前後で前原グループが約40人から約20人、野田グループが約20人から約10人、菅グループが約30人から約15人、旧民社グループが約30人から約15人、鹿野グループが約30人から約10人、旧社会グループが約30人から約15人、赤松グループが約30人から約20人、鳩山グループが約10人から数人へとそれぞれ人数を減らした。また、細野グループは15人中10人が残ったと産経新聞が報じている。

関連項目[編集]

テンプレート:民主党