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'''小田 秀人'''(おだ ひでと、[[1896年]] - 没年不明)は、日本の[[詩人]]、心霊研究家。
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'''小田 秀人'''(おだ ひでと、[[1896年]] - [[1989年]]1月)は、日本の[[詩人]]、心霊研究家。1930年に[[亀井三郎]]と[[心霊研究]]のため[[菊花会]]を設立。「交霊会」を開き、亀井のほか、[[内山若枝]]や[[萩原真]]、[[竹内満朋]]を「物理現象的霊媒」として訓練した。戦後、「宗教的世界維新運動」のため菊花会を再開し、機関誌『いのち』を復刊。1952年に[[新日本窒素]]の支援を受けて亀井と交霊会を再開したが、亀井と訣別。[[津田江山]]と交霊会を開き、[[本城千代子]]の[[真理実行会]]を支援するなどした。
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==経歴==
 
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1896年(明治29)、[[広島県]]出身。[[三段峡]]の近くの村で、開業医の次男として生まれる{{Sfn|小田|1985|pp=169-170}}。「元来無信仰な家に生まれ、[[唯物論]]的な教育と環境の中に育った」{{Sfn|小田|1985|p=167}}。
 
1896年(明治29)、[[広島県]]出身。[[三段峡]]の近くの村で、開業医の次男として生まれる{{Sfn|小田|1985|pp=169-170}}。「元来無信仰な家に生まれ、[[唯物論]]的な教育と環境の中に育った」{{Sfn|小田|1985|p=167}}。
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その後、[[満洲]]へ渡った亀井とは音信が途絶し、小田は[[成田]]で農業を始めた。{{Sfn|小田|1985|pp=60,81}}
 
その後、[[満洲]]へ渡った亀井とは音信が途絶し、小田は[[成田]]で農業を始めた。{{Sfn|小田|1985|pp=60,81}}
  
1942年秋に[[朝鮮]]で、[[板垣征四郎]]や[[小磯国昭]]の肝煎りで、[[只左直道]]、[[金鎬顕]]、[[三浦一郎]]らが[[新京]]の[[道院]]から[[張海鵬]]の一行を案内してきて、「大東亜宗教圏」について壇訓(扶乩)を仰ぐ催しが行なわれたとき、[[伊藤栄蔵]]とともに[[内地]]から参加した{{Sfn|三村|1953|p=265}}。
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1942年秋に[[朝鮮]]で、[[板垣征四郎]]や[[小磯国昭]]の肝煎りで、[[只左直道]]、[[金鎬顕]]、[[三浦一郎]]らが[[新京]]の[[道院]]から[[張海鵬]]の一行を案内してきて、「大東亜宗教圏」について[[壇訓]]を仰ぐ催しが行なわれたとき、[[伊藤栄蔵]]とともに[[内地]]から参加した{{Sfn|三村|1953|p=265}}。
  
 
戦後の1952年(昭和27)頃、亀井と再会したことを契機として、[[新日本窒素]]の支援をうけ、「亀井交霊会」を開いた{{Sfn|小田|1985|p=81}}。しかし亀井の謝礼金の要求に「いささかウンザリ」して、秘かに[[津田江山]]と「津田交霊会」を開くようになった。このことが「裏切り」ととられて、亀井から恨まれるようになったという{{Sfn|小田|1985|pp=81-82}}。
 
戦後の1952年(昭和27)頃、亀井と再会したことを契機として、[[新日本窒素]]の支援をうけ、「亀井交霊会」を開いた{{Sfn|小田|1985|p=81}}。しかし亀井の謝礼金の要求に「いささかウンザリ」して、秘かに[[津田江山]]と「津田交霊会」を開くようになった。このことが「裏切り」ととられて、亀井から恨まれるようになったという{{Sfn|小田|1985|pp=81-82}}。
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戦後、東京・[[大田区]]から[[川崎市]]へ転居{{Sfn|小田|1985|p=178}}。小田は、心霊研究の結果、「大宇宙即心霊現象」という結論に達し、「宗教的世界維新運動」に専念したといい{{Sfn|小田|1985|p=奥付}}、戦後も菊花会で講演会の開催や、月刊機関誌『いのち』の発行などの活動を行った{{Sfn|小田|1985|pp=232,240}}。
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*兄は[[宮内庁]]で侍医をしていた{{Sfn|小田|1985|pp=85-86}}。[[京浜病院]]院長の[[熊谷千代丸]]博士は兄の親友で、小田が結婚する時に仲人になった{{Sfn|小田|1985|pp=83,86}}。
 
*兄は[[宮内庁]]で侍医をしていた{{Sfn|小田|1985|pp=85-86}}。[[京浜病院]]院長の[[熊谷千代丸]]博士は兄の親友で、小田が結婚する時に仲人になった{{Sfn|小田|1985|pp=83,86}}。
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*1919年 -『先づ生きん』文武堂書店、{{NDLJP|907731}}{{閉}}
 
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*1974年7月 関英男、-、中岡俊哉、柳柊二、本誌編集部、志波「現代のなぞ ゆうれいのなぞを解く」小学館『小学四年生』v.53 n.4、pp.8-、{{NDLJP|1761905/8}}{{閉}}
 
*1974年7月 関英男、-、中岡俊哉、柳柊二、本誌編集部、志波「現代のなぞ ゆうれいのなぞを解く」小学館『小学四年生』v.53 n.4、pp.8-、{{NDLJP|1761905/8}}{{閉}}
 
*1967年4月 - 1979年12月 [[日本心霊科学協会]]『心霊研究』{{NDLJP|3480335}}{{閉}}
 
*1967年4月 - 1979年12月 [[日本心霊科学協会]]『心霊研究』{{NDLJP|3480335}}{{閉}}
 
* 菊花会の月刊機関誌『いのち』{{Sfn|小田|1985|pp=232,奥付}}
 
* 菊花会の月刊機関誌『いのち』{{Sfn|小田|1985|pp=232,奥付}}
*1942年5月 -「世界紅卍字会存在の意義」[[大日本興亜連盟]]『興亜』、pp.98-107、{{NDLJP|1614986/55}}{{閉}}
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*1942年5月 -「世界紅卍字会存在の意義」[[大日本興亜連盟]]『興亜』v.3 n.5、pp.98-107、{{NDLJP|1538109/55}}{{閉}}
 
* 菊花会の機関誌『心霊知識』{{Sfn|小田|1985|p=60}}
 
* 菊花会の機関誌『心霊知識』{{Sfn|小田|1985|p=60}}
 
*1930年 - 1933年 芸備医学会『芸備医事』{{NDLJP|1616131}}{{閉}}
 
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*1929年2月 - 1929年12月 生活者発行所『生活者』1926年5月 - 1929年12月 {{NDLJP|1615948}}{{閉}}
 
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===訳書===
 
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* 1926年 ゲオルグ・ジムメル(著) -(訳)『社会学の根本問題』大村書店、{{JPNO|43050848}}
 
* 1926年 ゲオルグ・ジムメル(著) -(訳)『社会学の根本問題』大村書店、{{JPNO|43050848}}
 
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* 1924年 ゲオルグ・ジムメル(著) -(訳)『ゲエテ』大村書店、{{NDLJP|979337}}{{閉}}
 
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** 1934年再版 清和書店、{{NDLJP|1180057}}{{閉}}
 
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*田中千代松「小田秀人氏他界す」『心霊研究』v.43 n.4、1989年4月、p.1、{{NDLJP|3419976/2}}
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==付録==
 
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=== 脚注 ===
 
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=== 参考文献 ===
 
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*小田の著書については[[#著作物]]を参照。
 
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*{{Aya|田中|year=1989}} 田中千代松「小田秀人氏他界す」『心霊研究』v.43 n.4、1989年4月、p.1、{{NDLJP|3419976/2}}
 
*{{Aya|三村|year=1953}} 三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』八幡書店、1986年
 
*{{Aya|三村|year=1953}} 三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』八幡書店、1986年
 
**初出:日猶関係研究会、1953年
 
**初出:日猶関係研究会、1953年
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2019年6月12日 (水) 17:08時点における最新版

小田 秀人(おだ ひでと、1896年 - 1989年1月)は、日本の詩人、心霊研究家。1930年に亀井三郎心霊研究のため菊花会を設立。「交霊会」を開き、亀井のほか、内山若枝萩原真竹内満朋を「物理現象的霊媒」として訓練した。戦後、「宗教的世界維新運動」のため菊花会を再開し、機関誌『いのち』を復刊。1952年に新日本窒素の支援を受けて亀井と交霊会を再開したが、亀井と訣別。津田江山と交霊会を開き、本城千代子真理実行会を支援するなどした。

経歴[編集]

1896年(明治29)、広島県出身。三段峡の近くの村で、開業医の次男として生まれる[1]。「元来無信仰な家に生まれ、唯物論的な教育と環境の中に育った」[2]

広島中学から一高の英文哲学科を経て東京大学に入学[3]。東大を1ヶ月で中退し、京都大学に入学[4]。京都大学に10年間在籍した後、東京大学大学院に入学した[4]

  • 小田の父は小田が医者になることを望んでいたが、小田自身は政治家を志し、後に(中学卒業の前年に「何者か」の「世界の四聖の業績を研究して、彼等が成し遂げられなかったことを成し遂げよ」という声を聞いて)哲学を専攻することにした[5]

この間、詩集『先ず生きん』『本能の声』などを出版[4]

1930年に亀井三郎と、心霊の科学研究を目的として菊花会を設立[6]

1931年のはじめに菊花会は経営不振に陥って機関誌『心霊知識』は休刊となった[7]

この頃、亀井を訪ねてきた内山若枝斎藤義暢(萩原真)と知り合う[8]

また森永製菓の本社に勤めていた竹内栄一と知り合って、交霊会に出席させ、西荻窪にあった自宅で練習を行うなどして、斎藤や竹内を「霊媒」として養成した[9]

37歳のとき(1933年頃)、結婚[10]

1933年12月20日に、内山若枝らが東京の成城学園町巴章呂で行った「神言拝受の儀式」に松本吉晴梅田寛一夫妻とともに出席し、託宣を聞いた[11]

その後、満洲へ渡った亀井とは音信が途絶し、小田は成田で農業を始めた。[12]

1942年秋に朝鮮で、板垣征四郎小磯国昭の肝煎りで、只左直道金鎬顕三浦一郎らが新京道院から張海鵬の一行を案内してきて、「大東亜宗教圏」について壇訓を仰ぐ催しが行なわれたとき、伊藤栄蔵とともに内地から参加した[13]

戦後の1952年(昭和27)頃、亀井と再会したことを契機として、新日本窒素の支援をうけ、「亀井交霊会」を開いた[6]。しかし亀井の謝礼金の要求に「いささかウンザリ」して、秘かに津田江山と「津田交霊会」を開くようになった。このことが「裏切り」ととられて、亀井から恨まれるようになったという[14]

その後、長田幹彦からの紹介を受け、金沢本城千代子真理実行会を支援した[15]

戦後、東京・大田区から川崎市へ転居[16]。小田は、心霊研究の結果、「大宇宙即心霊現象」という結論に達し、「宗教的世界維新運動」に専念したといい[4]、戦後も菊花会で講演会の開催や、月刊機関誌『いのち』の発行などの活動を行った[17]

1989年1月中旬に死去[18]

前世[編集]

「物理現象交霊会」で小田の背後霊が語ったところによれば、小田の前世は小田切左衛門尉秀行といって後鳥羽上皇北面の武士として仕え、承久の乱の後、上皇が隠岐島へ流されたときに、僧になって勤王運動をしたが、戦死した人物だったという[19]

家族[編集]

著作物[編集]

著書[編集]

  • 小田 (1985) 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年、ISBN 4884811291
  • 1983年 -『超心霊学』池田書店、JPNO 84020202
  • 1973年 -『超心霊学入門』池田書店、JPNO 75077329
  • 1973年 -、田宮馨『対談 四次元の不思議』潮文社、JPNO 75070155
  • 1971年 -『四次元の不思議』潮文社、JPNO 75067225
  • 1954年 -『山上の清水』真理実行会[4]
  • 1929年 世界紅卍会後援会主事 -「世界紅卍会の信仰及事業」仏教聯合会『新東亜の建設と仏教』仏教聯合会、pp.91- 、NDLJP 1255780/52 (閉)
  • 1928年 -『本能の声』ぐろりあそせて、NDLJP 1178329 (閉)
  • 1920年 -『恋は逝く』文武堂書店、NDLJP 907753 (閉)
  • 1919年 -『先づ生きん』文武堂書店、NDLJP 907731 (閉)

雑誌[編集]

  • 1974年7月 関英男、-、中岡俊哉、柳柊二、本誌編集部、志波「現代のなぞ ゆうれいのなぞを解く」小学館『小学四年生』v.53 n.4、pp.8-、NDLJP 1761905/8 (閉)
  • 1967年4月 - 1979年12月 日本心霊科学協会『心霊研究』NDLJP 3480335 (閉)
  • 菊花会の月刊機関誌『いのち』[22]
  • 1942年5月 -「世界紅卍字会存在の意義」大日本興亜連盟『興亜』v.3 n.5、pp.98-107、NDLJP 1538109/55 (閉)
  • 菊花会の機関誌『心霊知識』[7]
  • 1930年 - 1933年 芸備医学会『芸備医事』NDLJP 1616131 (閉)
  • 1929年2月 - 1929年12月 生活者発行所『生活者』1926年5月 - 1929年12月 NDLJP 1615948 (閉)

訳書[編集]

  • 1926年 ゲオルグ・ジムメル(著) -(訳)『社会学の根本問題』大村書店、JPNO 43050848
    • 1932年再版 大村書店、NDLJP 1902464 (閉)
  • 1924年 ゲオルグ・ジムメル(著) -(訳)『ゲエテ』大村書店、NDLJP 979337 (閉)
    • 1934年再版 清和書店、NDLJP 1180057 (閉)

付録[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 小田の著書については#著作物を参照。
  • 田中 (1989) 田中千代松「小田秀人氏他界す」『心霊研究』v.43 n.4、1989年4月、p.1、NDLJP 3419976/2
  • 三村 (1953) 三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』八幡書店、1986年
    • 初出:日猶関係研究会、1953年
    • 新装版:八幡書店、2000年、ISBN 4893500163