「大宅壮一文庫」の版間の差分

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'''大宅壮一文庫'''(おおやそういちぶんこ)は、日本で最初の[[雑誌図書館]]である。[[大宅壮一]]の[[雑誌]]のコレクションをもとに[[1971年]]に設立された。[[公益法人]]。現在の理事長は、[[大宅壮一]]の三女・[[大宅映子]]。
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'''大宅壮一文庫'''(おおやそういちぶんこ)は、日本で最初の[[雑誌図書館]]である。[[大宅壮一]]の[[雑誌]]のコレクションをもとに[[1971年]]に設立された[[公益財団法人]]。現在の理事長は、[[大宅壮一]]の三女・[[大宅映子]]。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
[[1971年]]、財団法人大宅文庫設立。
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歴史的に価値のある雑誌から、芸能人のグラビア雑誌、女性週刊誌までを所蔵している。大宅壮一文庫は、評論家・[[大宅壮一]]の約17万冊に及ぶ雑誌コレクションを引き継ぎ、大宅壮一が亡くなった翌年の1971年に作られた。大宅壮一文庫では、日本で初めての雑誌図書館として、およそ1万タイトル、76万冊の雑誌を所蔵している。
[[1982年]]、我が国唯一の雑誌図書館として社会に寄与した実績により第30回[[菊池寛賞]]を受賞した。
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1995年、雑誌記事索引のコンピュータ検索(館内)を開始した。
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*[[1971年]]、財団法人大宅文庫設立。
2017年9月13日(水)、NHK番組「探検バクモン」で紹介された。
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*[[1982年]]、我が国唯一の雑誌図書館として社会に寄与した実績により第30回[[菊池寛賞]]を受賞した。
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*1995年、雑誌記事索引のコンピュータ検索(館内)を開始した。
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*1997年、埼玉県越生(おごせ)町に「越生分館」を建設し、開館した。
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*2002年、Web OYA-bunko(教育機関版)サービス開始
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*2010年、Web OYA-bunko(公立図書館版)サービス開始
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*2012年、公益財団法人に認定され、移行した。
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*2017年6月、クラウドファンディングを利用の支援を呼びかけたところ、3日間で目標金額の500万円を獲得した<ref> 産経新聞 2017年6月17日 </ref>。
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*2017年9月13日(水)、NHK番組「探検バクモン」で紹介された。
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*2018年3月13日、図書館サポートフォーラムより図書館サポートフォーラム賞を受賞した。
  
 
== 特徴 ==
 
== 特徴 ==
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明治や大正に創刊された雑誌の「創刊号」まで保管されている。
 
明治や大正に創刊された雑誌の「創刊号」まで保管されている。
 
データベース化の作業が重く、年間およそ400種類の雑誌、のべ4,500冊の雑誌を対象にキーワード入力作業を行っている。これらはすべて手作業。
 
データベース化の作業が重く、年間およそ400種類の雑誌、のべ4,500冊の雑誌を対象にキーワード入力作業を行っている。これらはすべて手作業。
スタッフ4~5人が、1冊1冊記事本文を読みし、人名や事件、事柄から独自の検索キーワードを入れていきます。
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スタッフ4~5人が、1冊1冊記事の本文を読み、人名や事件、事柄から独自の検索キーワードを入れていく。
この作業は、熟練スタッフで1日1冊程度であるが、年間に20万キーワードを登録する。
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この作業は、熟練スタッフで1日1冊程度であるが、年間に約20万キーワードを登録する。
大宅壮一は、単行本では、一人の著者の一つの視点でしか書かれていないが、雑誌ではまるで正反対の意見が同時に掲載されている。そういった意味で、雑誌は資料の宝庫だ」と語った。また一時、大衆の間で圧倒的に受けて今はゴミ溜めの中にあるような雑誌、書籍が価値があるんだと語り、昔なら死蔵されたり捨てられたりするものをあくまで継続して集めていくことによって、積み重ねから価値が出てくる。索引をつくるアルバイトが、重要なものだけを索引をとって、つまらないものは省くべきだ、と提案したとき、大宅壮一は「重要か重要でないかはどうやって決めるんだね」と答えた。何が重要で何が重要でないかは大宅壮一自身にも決められない。最終的には大衆・利用者が価値を発見するのである。
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大宅壮一は、単行本では、一人の著者の一つの視点でしか書かれていないが、雑誌ではまるで正反対の意見が同時に掲載されていると語った。そういった意味で、雑誌は資料の宝庫とした。また一時、大衆の間で圧倒的に受けていたが、今ではゴミ溜めの中にあるような雑誌、書籍が価値があると語り、昔なら死蔵されたり捨てられたりするものをあくまで継続して集めていくことによって、その積み重ねから価値が出る。ある時、索引をつくるアルバイトが、重要なものだけを索引をとって、つまらないものは省くべきだと提案したとき、大宅壮一は「重要か重要でないかはどうやって決めるんだね」と答えた。何が重要で何が重要でないかは大宅壮一自身にも決められない。最終的には大衆・利用者が価値を発見するのである。
  
 
== 文庫から産まれたもの ==
 
== 文庫から産まれたもの ==
[[立花隆]]が[[田中角栄]]の金権政治を暴いた「田中角栄研究」の資料集めに、大宅壮一文庫を利用した。1974年に「田中角栄研究」という記事を執筆した立花隆が「どうやってこんなに資料を集めたのか」と聞かれて大宅壮一文庫の利用を話し、マスコミ関係者に広く知られていった。1976年のロッキード事件では、八幡山の駅から大宅壮一文庫前まで、マスコミの社用車が並んでいたという伝説がある。
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[[立花隆]]が[[田中角栄]]の金権政治を暴いた「田中角栄研究」の資料集めに、大宅壮一文庫を利用した。1974年に「田中角栄研究」という記事を執筆した立花隆が「どうやってこんなに資料を集めたのか」と聞かれて大宅壮一文庫の利用を話し、マスコミ関係者に広く知られていった。1976年のロッキード事件では、[[八幡山駅]]から大宅壮一文庫前まで、マスコミの社用車が並んでいたという伝説がある。
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== 蔵書 ==
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現在刊行されている雑誌では、週刊誌、女性誌、総合月刊誌を中心におよそ1000種類のバックナンバーを所蔵しており、毎年1万冊ずつ増える。7000冊の創刊号を所蔵しており、明治時代から現在までの雑誌の歩みを振り返ることができる。
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== 受賞理由 ==
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図書館サポートフォーラム賞の受賞理由として、一般大衆誌に注目し、独自の索引・分類方式を開発して、特に報道活動への大きな貢献を果たしたことを挙げている。
  
 
== 経営状況 ==
 
== 経営状況 ==
 
[[2017年]]5月29日、年間約2000万円の赤字を立て直すため、入館料300円を500円に引き上げ、クラウドファンディングにより支援を呼びかけた。
 
[[2017年]]5月29日、年間約2000万円の赤字を立て直すため、入館料300円を500円に引き上げ、クラウドファンディングにより支援を呼びかけた。
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== 経営体制 ==
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理事長  枝廣映子([[大宅映子]]) 平成30年7月12日現在
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専務理事 烏山輝
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理事   飯窪成幸、奥田史郎、三枝和、野間省伸
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== 人物索引 ==
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 2018年、人名から雑誌記事を探すための索引「大宅壮一文庫 雑誌記事人物索引を刊行した。これまで2014年~2016年の3版が刊行されていた。索引データベースの作成は常勤職員34名の手作りである。
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== 所在地 ==
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大宅壮一文庫世田谷本館
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所在地 - 東京都世田谷区八幡山3丁目10番20号 京王線八幡山駅から徒歩8分
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開設 - 1971年
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開館 - 10:00〜18:00 (休館日:日曜・祝日・年末年始) 閲覧受付 午後5時15分まで
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蔵書数 - 雑誌約1万種類、約78万冊
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入館料 - 500円(税込)
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世田谷本館での書籍の閲覧は、事前に予約が必要となる。
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大宅壮一文庫越生分館
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所在地 - 埼玉県入間郡越生町上野2845-2 東武越生線武州唐沢駅から徒歩20分
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開設 - 1997年4月
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開館 - 毎月第2火曜日(祝日の場合は休館) 11:00〜16:00(昼休み 12:00〜13:00)
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蔵書数 - 書籍約3万冊
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入館料 - 500円
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==

2018年8月14日 (火) 11:43時点における最新版

大宅壮一文庫(おおやそういちぶんこ)は、日本で最初の雑誌図書館である。大宅壮一雑誌のコレクションをもとに1971年に設立された公益財団法人。現在の理事長は、大宅壮一の三女・大宅映子

概要[編集]

歴史的に価値のある雑誌から、芸能人のグラビア雑誌、女性週刊誌までを所蔵している。大宅壮一文庫は、評論家・大宅壮一の約17万冊に及ぶ雑誌コレクションを引き継ぎ、大宅壮一が亡くなった翌年の1971年に作られた。大宅壮一文庫では、日本で初めての雑誌図書館として、およそ1万タイトル、76万冊の雑誌を所蔵している。

  • 1971年、財団法人大宅文庫設立。
  • 1982年、我が国唯一の雑誌図書館として社会に寄与した実績により第30回菊池寛賞を受賞した。
  • 1995年、雑誌記事索引のコンピュータ検索(館内)を開始した。
  • 1997年、埼玉県越生(おごせ)町に「越生分館」を建設し、開館した。
  • 2002年、Web OYA-bunko(教育機関版)サービス開始
  • 2010年、Web OYA-bunko(公立図書館版)サービス開始
  • 2012年、公益財団法人に認定され、移行した。
  • 2017年6月、クラウドファンディングを利用の支援を呼びかけたところ、3日間で目標金額の500万円を獲得した[1]
  • 2017年9月13日(水)、NHK番組「探検バクモン」で紹介された。
  • 2018年3月13日、図書館サポートフォーラムより図書館サポートフォーラム賞を受賞した。

特徴[編集]

大宅壮一文庫は週刊誌をはじめとする商業雑誌を、大宅独特の方法により索引をつけている。 2016年時点で雑誌約1万種類、76万冊、現在刊行されている雑誌だけでも1000種類を収蔵している。 明治や大正に創刊された雑誌の「創刊号」まで保管されている。 データベース化の作業が重く、年間およそ400種類の雑誌、のべ4,500冊の雑誌を対象にキーワード入力作業を行っている。これらはすべて手作業。 スタッフ4~5人が、1冊1冊記事の本文を読み、人名や事件、事柄から独自の検索キーワードを入れていく。 この作業は、熟練スタッフで1日1冊程度であるが、年間に約20万キーワードを登録する。 大宅壮一は、単行本では、一人の著者の一つの視点でしか書かれていないが、雑誌ではまるで正反対の意見が同時に掲載されていると語った。そういった意味で、雑誌は資料の宝庫とした。また一時、大衆の間で圧倒的に受けていたが、今ではゴミ溜めの中にあるような雑誌、書籍が価値があると語り、昔なら死蔵されたり捨てられたりするものをあくまで継続して集めていくことによって、その積み重ねから価値が出る。ある時、索引をつくるアルバイトが、重要なものだけを索引をとって、つまらないものは省くべきだと提案したとき、大宅壮一は「重要か重要でないかはどうやって決めるんだね」と答えた。何が重要で何が重要でないかは大宅壮一自身にも決められない。最終的には大衆・利用者が価値を発見するのである。

文庫から産まれたもの[編集]

立花隆田中角栄の金権政治を暴いた「田中角栄研究」の資料集めに、大宅壮一文庫を利用した。1974年に「田中角栄研究」という記事を執筆した立花隆が「どうやってこんなに資料を集めたのか」と聞かれて大宅壮一文庫の利用を話し、マスコミ関係者に広く知られていった。1976年のロッキード事件では、八幡山駅から大宅壮一文庫前まで、マスコミの社用車が並んでいたという伝説がある。

蔵書[編集]

現在刊行されている雑誌では、週刊誌、女性誌、総合月刊誌を中心におよそ1000種類のバックナンバーを所蔵しており、毎年1万冊ずつ増える。7000冊の創刊号を所蔵しており、明治時代から現在までの雑誌の歩みを振り返ることができる。

受賞理由[編集]

図書館サポートフォーラム賞の受賞理由として、一般大衆誌に注目し、独自の索引・分類方式を開発して、特に報道活動への大きな貢献を果たしたことを挙げている。

経営状況[編集]

2017年5月29日、年間約2000万円の赤字を立て直すため、入館料300円を500円に引き上げ、クラウドファンディングにより支援を呼びかけた。

経営体制[編集]

理事長  枝廣映子(大宅映子) 平成30年7月12日現在 専務理事 烏山輝 理事   飯窪成幸、奥田史郎、三枝和、野間省伸

人物索引[編集]

 2018年、人名から雑誌記事を探すための索引「大宅壮一文庫 雑誌記事人物索引を刊行した。これまで2014年~2016年の3版が刊行されていた。索引データベースの作成は常勤職員34名の手作りである。

所在地[編集]

大宅壮一文庫世田谷本館
所在地 - 東京都世田谷区八幡山3丁目10番20号 京王線八幡山駅から徒歩8分
開設 - 1971年
開館 - 10:00〜18:00 (休館日:日曜・祝日・年末年始) 閲覧受付 午後5時15分まで
蔵書数 - 雑誌約1万種類、約78万冊
入館料 - 500円(税込)
世田谷本館での書籍の閲覧は、事前に予約が必要となる。
大宅壮一文庫越生分館
所在地 - 埼玉県入間郡越生町上野2845-2 東武越生線武州唐沢駅から徒歩20分
開設 - 1997年4月
開館 - 毎月第2火曜日(祝日の場合は休館) 11:00〜16:00(昼休み 12:00〜13:00)
蔵書数 - 書籍約3万冊
入館料 - 500円

参考文献[編集]

  1. 産経新聞 2017年6月17日