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ダットサン(Datsun)は、日産自動車の小型車(乗用車・トラック等)のブランドである。ブランドと同時にトレードマーク(商標)でもあり、車名(車検証等に記載)にも使われた。市場によっても使い分けがあり、たとえば日本では「サニー」のペットネームで販売された乗用車も米国市場では「ダットサン」であった。
黎明期以来の日産を代表するブランドであり、特に米国市場ではNissanの何倍もの認知があったにもかかわらず、1981年に日産ブランドへ統一するという方針が定められ(経営陣の社内政治的事情によるものと言われている)、それ以降順次新型車からブランド名が外されて消滅した。
型式(かたしき)では、十の位が「1」の乗用車と、「2」の商用車が相当する。排気量が大きい初代フェアレディZのみ、中型乗用車用の「3」が与えられている。
2012年3月20日、CEOのカルロス・ゴーンによって新興市場向けの低価格ブランドとしてダットサンの復活が発表され、併せて新しいロゴも公開された。2014年からGOを最初の車種としてインドネシア、インド、ロシアで製造・販売を開始する計画である[1][2][3]。なお、中国市場に関してはすでに現地合弁の「東風汽車有限公司」が独自の低価格ブランド「ヴェヌーシア」を展開している。
目次
概要[編集]
日産自動車では、かつて、「車といえばダットサン」、「一家に一台ダットサン」などと宣伝していたこともあり、国産大衆車の代名詞的存在であったが、1981年に当時社長の石原俊の方針により、「DATSUN」ブランドが順次廃止されることとなった。移行過渡期の輸出向け車には、「DATSUN by NISSAN」のエンブレムが見られる。
「NISSAN」ブランドへの統一以降は、日産車の「車名」として唯一存在していたダットサントラックが2002年の排ガス規制で国内販売を終了し、同型の海外向けもフロンティアやナバラへと車名が変わったため、「DATSUN」の名称が一時期途絶えていた。
アメリカ合衆国では「ダットサン」と発音する人はほとんどおらず、「ダッツン」または「ダツン」("ダ"にアクセントが来る)と呼ばれている。北米でのダットサンの販路を築いた「Mr.K」こと片山豊は、「僕は販売に際してダッツンなんて言わせなかったし、実際にアメリカ人の発音を聞いてみると、ちゃんとダットサンって発音しているんです。ダッツンって聞こえたのは日本人だけじゃないのかな」とアメリカ人が「ダツン」および「ダッツン」と発音していたことを否定している[4](ただ、実際にテレビCMで流れた発音は「ダッツン」に近い)[5]。正確には「デァーツスン」のように発音しているが、この「ツ」と「ス」は、日本語の様に母音でなく、子音で終わっている関係で、日本人には繋がって「ツ」に聞こえることから、「ダッツン」と聞こえるが、日本人がダッツンと言っても、英語圏の人には理解されづらい。
沿革[編集]
- 1924年 - 快進社、ダット3/4トントラックを軍用保護自動車として生産。
- 1926年 - 実用自動車製造株式会社と快進社自動車工場が合併し、ダット自動車製造(本社:大阪)設立。
- 1931年 - 鮎川義介がダット自動車の株を肩代わりする。戸畑鋳物株式会社自動車部となる。
- 1932年 - ダットサンのブランドが誕生。吉崎良造がダットサン商会を設立。
- 1933年 - 石川島自動車製作所がダット自動車製造株式会社を吸収合併して東京自動車工業株式会社に改称(後のいすゞ自動車)。
- 1933年 - 旧ダット大阪工場を戸畑鋳物が70万円で購入、自動車製造株式会社となる。鮎川義介が東京自動車工業株式会社に対し、ダットサンの製造に関する一切の権利を譲渡するよう嘆願し、無償[6]でダットサンの製造権を譲り受ける。製造権と図面と技術者を得て、自動車製造が開始される。
- 1934年 - 自動車製造株式会社が日産自動車と改名。「ダットサン」をアジア、中南米などに向けて輸出を開始する。
- 1981年 - 輸出ブランド名を「NISSAN」に統一する方針発表。「ダットサン」ブランドの使用を停止。以後、新型車から「NISSAN」ブランドに変更する。
- 2012年 - 新興国向けに31年ぶりに「DATSUN」ブランドが復活。
- 2013年 - 7月にインドで「GO」を、9月にインドネシアで「GO+」をそれぞれ発表。
- 2014年 - 2月、ニューデリーオートエクスポに「redi-GO」コンセプトを出展[7]。
車名の由来[編集]
- 橋本増治郎が創業した 快進社自働車工場(のちに日産コンツェルンに吸収)の支援メンバーである、田健治郎の「D」、青山禄朗の「A」、竹内明太郎の「T」と、それぞれの頭文字を採り、早く走ることのたとえに使われる「脱兎(だっと)」に掛けた、「脱兎号(DAT CAR)」を始祖とする。
ロゴマークの由来[編集]
- 「ダットサン」のエンブレムは、吉崎良造と田中常三郎がシボレーのものにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーを入れ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書いた。これは近年ほぼ統一された、丸の前に横長長方形があってそこにNISSANと書かれている日産のエンブレムの原型である(赤丸と青い長方形の組み合わせも2001年まで残っていた)。
- 第2世代(2010年代~)のロゴマークについては、過去のダットサンが持っていた信頼性や力強さなどのDNAをモダンに表現したものであり、メインカラーは「信頼性」を示す青を採用している[8]。
ダットサンブランドで販売された車種一覧[編集]
- ダットサン11型(1932年)
- ダットサン・ロードスター
- ダットサン・フェートン
- ダットサン・セダン
- ダットサン・110/210
- ダットサン・スポーツDC-3
- ダットサン・スリフト
- ダットサン・サニー - B310型まで。B11型からニッサン・サニー。
- ダットサン160J / New 510(日本名:バイオレット)
- ダットサン・ブルーバード - 910型まで。U11型からニッサン・ブルーバード。
- ダットサンスポーツ フェアレディ
- Datsun 240Z/260Z/280Z(日本名フェアレディZ) - SP310型まで。以後はニッサン・フェアレディZ。
- ダットサン240K(日本名:スカイライン)
- ダットサン200L/240L/260L/280L/(日本名:ローレル)
- ダットサン200C/220C/240C/260C/280C/300C(日本名:セドリック)
- ダットサンサニートラック - B120型まで。以後、ニッサン・サニートラック。
- ダットサントラック(通称:「ダットラ」)
- ダットサン・サニーキャブ - C20型まで。以降はバネットに改称。
- ダットサン・キャブライト/ダットサン・キャブスター - A320型まで。以後はニッサン・アトラス。
その他、海外向け日産車に付けられ多数の車に使われていたが、石原俊元日産自動車社長の方針による海外向けのブランド名をNISSANブランドに統一する戦略により、DATSUNブランドは消滅する事となった。過渡期の海外向けモデルには DATSUN by NISSAN の表記が見られた。
日産ブランドで日産車の車名として販売された車種一覧[編集]
- ダットサンバネット/ダットサンバネット ラルゴ - C120型まで。
- ダットサンADバン
現在、ダットサンブランドで販売される車種一覧[編集]
- ダットサン・GO
- ダットサン・GO+
- ダットサン・on-DO
脚注[編集]
- ↑ “日産「ダットサン」復活、新興国向け低価格車で”. 読売新聞 (2012年3月20日). 2012年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月20日閲覧。
- ↑ “日産自が「ダットサン」ブランドを復活、新興国市場に投入へ”. ロイター (2012年3月20日). 2012年3月20日閲覧。
- ↑ “Carlos Ghosn Officially Confirms Rebirth of Datsun Brand in 2014, Reveals New Logo”. Carscoops (2012年3月20日). 2012年3月20日閲覧。
- ↑ 別冊宝島327僕らの「名車」物語70年代でいこう!のインタビューより
- ↑ datsun pick up diesel commercial
- ↑ 東京自動車工業の設立は、商工省の意向による軍用保護自動車および商工省標準車いすゞの生産を主体としたものであり、ダットサンの如く小型車製造はその対象外であった。
- ↑ “ダットサン 「redi-GOコンセプト」を発表、将来のデザインの方向性を示唆”. 日産自動車ニュースリリース (2014年2月5日). 2014年3月6日閲覧。
- ↑ “日産が復活させる「ダットサン」は、どんなクルマになるのか!?”. autoblog (2012年3月21日). 2013年9月27日閲覧。
関連項目[編集]
- 水の江瀧子 - ダットサンのCMに起用された女優
- ダットサンを由来とする名称
外部リンク[編集]
- ダットサン公式サイト (英語)
- 日産の沿革
- ダットサンの忘れえぬ七人
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