「小常陸由太郎」の版間の差分
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− | 東京府[[四谷区]](現在の東京都[[新宿区]] | + | 東京府[[四谷区]](現在の東京都[[新宿区]])大京町に、飲食店主の息子として生まれる。子供の頃から地元では怪童として評判になっていたが、噂を聞きつけた常陸山の養子分として入門し、明治35年(1902年)5月場所新序で初土俵を踏んだ。入門後約2年間、[[愛知県]]の後援者のもとに預けられて力士としての心得などを教育された。幕下時代には少年有望力士として、地方巡業で化粧回しを締めて1人土俵入りを演じたこともある。これらのこともあって、東京出身の小常陸は[[江戸っ子]]力士として人気があった。 |
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大正7年(1918年)1月場所を最後に引退。引退後は年寄秀ノ山となり検査役にまでなったが、昭和2年9月15日に没した。享年41歳。 | 大正7年(1918年)1月場所を最後に引退。引退後は年寄秀ノ山となり検査役にまでなったが、昭和2年9月15日に没した。享年41歳。 | ||
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2017年9月12日 (火) 21:09時点における最新版
小常陸由太郎(こひたち よしたろう、明治19年2月9日(1886年)‐昭和2年9月15日(1927年))は、明治時代後期から大正時代にかけて活躍した大相撲力士。本名を吉田与四郎といい、後に師匠である5代目出羽ノ海(第19代横綱常陸山)の養子となったことから市毛与四郎と改名した。東京都出身。最高位は関脇。出羽ノ海部屋所属。身長159㎝、体重124㎏。年寄名は秀ノ山。関脇笠置山(常陸山の孫娘の夫)は義理の甥にあたる。
東京府四谷区(現在の東京都新宿区)大京町に、飲食店主の息子として生まれる。子供の頃から地元では怪童として評判になっていたが、噂を聞きつけた常陸山の養子分として入門し、明治35年(1902年)5月場所新序で初土俵を踏んだ。入門後約2年間、愛知県の後援者のもとに預けられて力士としての心得などを教育された。幕下時代には少年有望力士として、地方巡業で化粧回しを締めて1人土俵入りを演じたこともある。これらのこともあって、東京出身の小常陸は江戸っ子力士として人気があった。
明治40年(1907年)5月場所で十両昇進。明治41年(1908年)5月場所で新入幕。明治43年(1910年)6月場所3日目、当時小結だった小常陸は、大関太刀山(後の第22代横綱)の突っ張り1発で桟敷まで飛ばされて負傷した(小常陸はこの一番で右足首を負傷し、翌場所は全休する羽目になった)が、このエピソードは太刀山の突っ張りの威力を示す逸話としてしばしば引き合いに出される。
大正7年(1918年)1月場所を最後に引退。引退後は年寄秀ノ山となり検査役にまでなったが、昭和2年9月15日に没した。享年41歳。
得意手は押し。短躯肥満の体格と鋭い出足を生かして相手の胸に頭をつけて押す取り口で、前に落ちることは稀だった。素質は乏しく入門当初はなかなか勝てなかったが、熱心な稽古によってこれを補った。真面目な人柄で、後輩の面倒見も良かったという。また容貌も取り口も自分によく似た小染川(大阪相撲の力士)と義兄弟の盃を交わした。
古瓦の収集を趣味としていた。
- 幕内成績:70勝77敗2分4預47休(20場所)
- 幕内勝率:0.476
参考文献[編集]
- 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
- 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。