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2011年9月17日 (土) 16:41時点における版
関東連合は、東京都内の暴走族の連合体。複数の団体で構成されている。いわゆる愚連隊と思われがちだが、それとは違い、確かに最初は暴走族関東連合のチームのOBが集まり朝青龍暴行事件の川奈毅を頭領とし都内を暴れていた。
しかし現在関東連合と名のっている連中の多数が住吉会幸平一家と山口組山健組に所属しており、雑誌やインターネットで取り上げるような愚連隊ではなく、完全に暴力団の構成員である。
黎明期
すでに結成されていた暴走族の連合体であるCRS連合や東京連合を含めた大連合体の確立を狙い、1975年(昭和50年)に結成された。結成時の規模は人数約3,000人、車両台数約1,500台だった。
推移と動向
道路交通法の改正に伴い、暴走族にとって以前のような大規模な集団暴走行為は難しい状況となった。 こういった背景のもと、1989年(平成元年)以降は、構成員の人数が激減した。 一方でこういった状況は暴走族の抗争の形態を一変させた。 すなわち集団暴走中にぶつかり合うというものから、敵が少人数又は一人でいるところに奇襲をかけたり拉致するといった、ゲリラ戦の様相を呈するものへと変化してきたということである。
実際、昭和51年生まれの人間が上町小次郎を継承し、杉並・永福町の1978年(昭和53年)世代の人間が22代目ブラックエンペラーを復活させる以前までは、 暴走族の喧嘩のスタイルは、素手の喧嘩(スデゴロ)にこだわったり、凶器と言っても木刀までだったのが、 上記の「代替わり」を契機に、金属バット・包丁といった凶器を使うことを辞さなくなった。 喧嘩に際し、対立するグループに所属する者を狙う時はその行動パターンを周到に調べ、一人または少人数で居るところを拉致し、色々玩具にして悲惨な目に会わせるといった、相手に恐怖感を植えつける戦略を取るようになった。 永福町22代目ブラックエンペラーOBである松嶋クロスが、雑誌マッドマックスなどに、 敵対組織の人間にシックスナインやオナニーを強要した際に撮影した写真を載せたりしている。
この時代の関東連合の正式なメンバー自体は総勢で十数人程度だった(複数団体の連合体にもかかわらず、である。構成員の人数が一人(アタマのみ)というチームもあった)が、傘下の末端の人間(準構成員)も含めると100人にも上り(警察発表)高校生たちに並ばせて巨人戦のチケットを買占め売りさばくなどして金銭的にも潤っていたという。
1998年には、昭和53年生まれの代のメンバーが、引退後、『スーパーティーンズ写真集』と銘打った、素人の若者を題材にした写真集『バッヂレス~俺たちには勲章なんかいらない~』に登場した。メンバーの一人が、猫を抱いた小さな女の子と2ショットで写ったりしている写真がある等、興味深い仕上がりになっている。 なお、この代の関東連合のリーダーの永福町ブラックエンペラー総長はなぜか写っていない。 ちなみに最後の代は昭和58年生まれの千歳台ブラックエンペラー。
構成団体
友好団体
ただし、用賀喧嘩繪OBを永福町ブラックエンペラーらが7~8人で金属バットで襲撃した事件あり。デニーズで起きたこの事件は新聞沙汰になった)